#165 戦争終結 I
──開戦から13日目を数えた、王国軍の即席城塞を中心とした主戦場一帯。
表面上は千日手の様相を呈しているが、王国軍の内情は無補給の地獄そのものだろう。
定期的な反攻出撃も遂にはなくなってしまい、いよいよもって限界が近付いていた。
それでも包囲を解くことはなく、こちらはこちらで前線陣地の高台より、眺めるだけの時間を過ごす。
円卓の魔術士は既に死した。籠城し続けようとも、いよいよもって状況が打開できないと知れば……。
決死隊として打って出るか──全面降伏を求めてくるか──あるいは内乱によって血風呂と化すか──
なんにしても内部で人肉食にまで陥るほど、心身を追い詰めるような事態は避けねばなるまい。
そこまでいくと戦争後に、あまりにも大きい禍根を残すことになってしまう。
王国側も死にもの狂いで戦う理由などなく、単なる空き巣まがいの侵略戦争に過ぎないのだ。
膠着がこれ以上続くようであれば特使を送って、降伏ないし和睦をこちらから求める必要が出てくるだろう。
「だ~れーだっ」
俺は後ろから目を両手で包み込まれ、視界を塞がれてしまう。
ハーフエルフの強化感覚によって近付いてくる時点でわかっていたが、それでもあえてイタズラに掛かった。
心も乾燥していく戦争中には、こうした甘ったるい日常の一幕もありがたい清涼剤となるのだ。
「この大きさは……ハルミアさんです」
彼女としてはそんなつもりはなかったのだろうが、背中に当てられた感触でそう答えた。
「ベ~イリ~ルくん、昼間からそういうのはいただけないですよ?」
「ごめんなさい、今後は少しだけ自重します」
俺は素直に謝りつつも、叱られたことに表情が緩んでしまう。
彼女は医療術士というだけでなく、俺にとって何者にも代えがたい癒しの存在であった。
「まったくもう……」
子供の戯れを受容する母性の笑みは、今すぐにでも事に及びたくなる劣情をも掻き立てられる。
とはいえさすがに現在の状況を鑑みれば、そこは本気で自重せねばならないところだった。
「ハルミアさん、傷病者の方はどうです?」
「私を誰だと思っているんですか?」
「愚問でしたか」
「――と言いたいところですが……やっぱり私にも限界があります。」
「残念です、お互いに精進あるのみですね」
商会の医療部門とハルミアが揃っていても……やはり命をあまねく救うというのは難しい。
治癒魔術こそあれ医療技術はまだまだ発展途上であり、道具や薬も不足しがちなのが現実。
高度な医療用機器などはまだまだ遠い未来の話だし、あるモノでなんとかするのが戦争の一側面。
「トロル細胞の再生医療があれば、救える人もいっぱいいたんですが……実現化はまだまだ先です」
「アッシュは例外ですからしょうがない」
竜という最強種ゆえに成功したと言える稀有なケースである。
「たださしあたって治療状況としては落ち着いてきました。本格的な施術は、薬が補充されてからですねぇ」
「食料・医療分野は商会としても力を入れてるんですけどね……」
「よーく知っていますよ、便宜をはかってくれていることも。だからベイリルくんが気に病む必要はないです」
スッと自然に頬に右手をそえられ、俺は左手を重ねて握り返す。
「ところでフラウちゃんがどこにいるか知っていますか?」
「フラウ? あーっと、今朝に少し会って……どこ行ったんだか。アッシュも一緒だったな」
「んっと……なんでも一人じゃダメだから、私と二人でキャシーちゃんを責めたいとかなんとか――」
「一体ナニをやっているんだあいつは」
いつぞや言っていたキャシーのハーレム入り計画だろうか。
まぁキャシーのことも好きだが、別に無理強いしようとかは思わない。
それにしてもフラウもフラウで変なところが意固地であった。
「なんでしょうねぇ、でも楽しそうなのでやっちゃいます。それじゃベイリルくん、またね」
ハルミアは名残惜しそうに離した手を小さく振ると、フラウを探しに行ってしまった。
彼女もまた恐れを知らない。興味があれば躊躇なく踏み出す節がある。
『俺も人のことは言えない、か――』
ふと漏らした一人言が重なった。俺の声と……心中まで勝手知られたる女の声。
「独特な距離感だけど、甘酸っぱくていいねぇ」
「"シールフ"、いつの間に」
そこにはやや黒ずんだ銀色の髪に、とんがり魔女帽子をかぶった戦争の功労者がいたのだった。
「ちょっとしたイメージを送りつけて、"認識阻害"しただけだよん」
「……"読心の魔導"って、割となんでもアリだよな」
「ここまで幅が増え広がったのはベイリルの頭から読んだ、地球の創作作品ネタの所為だから」
「それをあっさりと実践するのがシールフの凄さだよ」
「伊達に長生きしてないよ」
シールフは戦場を眺める俺の隣に立つと、しばらく静かにしていた。
沈黙に耐えかねたわけではなく、ただただ単純な話し相手として俺は口を開く。
「ここまでの大勝とは、な……」
「そりゃそうでしょ、私たち"金・銀・銅"が全員揃ってるんだから。数え役満だよ」
シールフはさも当然と言った風を隠すことなく言ってのけた。
確かに"三巨頭"が揃っていてこその戦果であることは疑いようがない。
「そっれにぃ~カプラン、あれは戦略・戦術の才まである」
「まじ?」
「うん、間違いないよ。なんっせ中盤くらいからこっち、いろいろと動かしてたのあの子だもん」
「兵站管理だけじゃなくてそっち方面もかよ……しかも初陣指揮でか」
「もちろん商会の情報力あってのものだけどね。カプランはねぇ、相手側の心理を読んでいるんだよ」
「なるほど、確かにそれなら彼の得意分野。敵の攻め気なんかもお見通しってか」
「そそ、経験積めば相当な使い物になるよ。本人はどうだか――知ってるけど言わなーい」
シールフは他の誰よりも話しやすい。
フラウを筆頭に俺に近しい人物には、言葉のチョイスなど傾向が強く現れるものの……。
俺より格段に頭が良く、俺の記憶の一部までも有しているシールフは別格であった。
読心の魔導による知識共有をしたおかげで、説明する手間がいらないのがとにかく楽なのだ。
前世界にいた頃の調子で話していて、知らぬ単語で中断されるということもなく会話が継続できる。
なんなら会話すら必要としないことも可能である。
「今回の一件で商会にも、その手の部署を作らなきゃなあ……参謀本部とか」
「戦争と復興の所為でもう商会にはあんま余裕ないけどね。そこらへんはカプランに言いなネ~。
とりあえず私がこの手のことに力を貸すのはこれっきり。久々だったけどやっぱり戦争は合わない」
「ごめんな、苦労かけて」
心は読まれずとも、感情くらいは伝わっているだろう……それでも言葉として口にした。
親しき仲にもなんとやら――俺の半身とも言える存在であろうとも、礼儀を欠いてはいけない。
「別にいいけどね、そこらへんは。私も私の目的があるわけだし」
(それにしても――)
戦争中にも関わらず、随分と緊張感がなくなってきたものだった。
入念な準備を重ねて、戦端を開く前から情報で相手を制し、十分な勝算と画策をもって"ラッシュ"を仕掛けた。
それだけ労力を掛けたし、蓋を開けて見ればシップスクラーク商会の大勝利。
疲労を含めて集中力が途切れるのも、さもありなんと言えるのだが……。
さらにはオーラムも戻って来る途中という情報で、今もなおシールフも備えている。
俺もフラウもキャシーも、バルゥもバリスといった主戦力が揃い踏んでいる。
騎獣民族も多くが健在であり、自由騎士団もインメル領軍の損害は想定通りの少なさで済んだ。
ついでにケイ・ボルドという予定外の鬼札も加わっている。
(それでもこの世に絶対はない)
円卓の魔術士を撃滅した時点で、ほぼほぼ戦争の趨勢は決した。
しかしどんな不確定要素が起こるとも限らず、姿勢としてはあまり褒められたものではなかった。
武道における"それ"と同じ――相手を制した後も常に、"心を戦場に残し置く"こと。
("残心"――大事なことだ)
そんなことを俺が思っていると、シールフが覗き込むように顔を近付けてくる。
「んでさ、私がなぜここに来たのかわかる?」
「そりゃただのヒマじ……――時間を持て余したから?」
「こーれッ! 換言したのにあまりオブラートに包めてない」
シールフはビシッと脇腹を突いてきたその指で上空を差すと、片目をつぶって見せる。
「さてさて、ほぉーら……来たよ」
瞬間――俺もその事態に気付いて、顔をあげて天を望む。
するとすぐさま赤い飛竜の編隊が、商会陣地の真上を通り過ぎて行った。
飛竜は王国軍の城塞の対空範囲を目前にして、一挙に分かれて飛んでいく。
「あれが……噂に名高い"帝国竜騎士"か」
帝国に属する"竜騎士特区"。黄竜と同じ七色竜の一柱である、"赤竜"の眷属の火竜と共に在る騎士。
帝国軍の中で疑うことなく最強の航空戦力であり、部隊としても世界で最強クラスともっぱらの風聞。
(帝国の援軍も到着した、こうして全体を通すと……丁度良い頃合か)
もちろん帝国の戦力はそれだけでは当然終わらない。
飛行している竜騎士はあくまで、斥候の役割を含めて最速で到着した過ぎない。
その気になれば威力偵察どころか、大隊程度であれば一方的に消し飛ばすと言われる戦力であってもである。
「続々と来るよ。ある程度こっちの情報は伝わってるハズだけど――」
「兵は全員下げさせないとか」
ソディア率いるワーム海賊は、既に撤退したと報告があるから問題はないだろう。
問題は気性の激しい騎獣民族であり、厳命はしてあるものの万が一にも帝国と交戦することがないとは言えない。
「"俺たちの戦争"は終わりだな。早急に退却の狼煙を上げさせよう」




