#164 暗躍部隊 II
「"Lok Vah Koor"!!」
魔術でなく叫びそのものに吹き飛ばされるかのように、覆っていた濃霧と臭気が一瞬にして晴れ渡る。
突然に姿が曝け出され、今まさに眼前へと迫っていた敵影。
クロアーネはその背後を取るように、有線誘導ダガーで部隊員の心臓を貫きながら地面へ縫い付けて拘束する。
「さぁて呼ばれなくても駆けつけたぞ、クロアーネ」
「っ……ふぅ、随分とタイミングが良いことですね――"ベイリル"」
「制空範囲を広げて天空から見張っているし、戦闘があればわかる。俺だったのは巡り合わせかな」
「恩を売ったつもりですか」
「助け合うのも戦場だろう。それでも言わせてもらうなら……弁当の恩を返しただけだ、方策決定会議の時のアレな」
現れたよくよく見知った男――ベイリルは、涼しげな表情で死角を埋めるように背中合わせに立つ。
クロアーネは振れる体を休めるように、躊躇いなくその背に寄りかかった。
「……それほどのモノと感じてくれるのなら、あと百個くらい貸しを作っておきましょうか」
「借りなんぞなくても、何度だって助けるけどな。まぁ百食の美味いタダ飯は大歓迎」
悠長に話に興じる瞬間にも、敵は戦闘態勢を崩さぬまま命令を待つ。
部隊長は霧の中で自身が真っ先に狙われるということを見越していたのか……。
かなり離れたところで、こちらの様子を窺っていた。
「訓練されているようだな、敵の特殊部隊か?」
「私の古巣の残党です」
「あー……王国貴族のやつだっけ。オーラム殿が潰したんじゃなかったか」
「件の侯爵家は潰えましたが、私設部隊の隊長が残っていたようで」
ベイリルは委細承知したとばかりの表情で述べる。
「なるほど……未だ雇われの嫉妬から、人生やり直して充実しているクロアーネを狙いにきたわけか」
「まったくもって違います」
「さいですか」
「覚えのあった匂いから、私が追跡して見つけました」
「クロアーネの方から喧嘩を売ったわけね。それで自らを危地に落とし込んだら駄目だろう」
「貴方に言われずとも……」
敵隊長らしい男に向かって、ベイリルは真っ直ぐ眼光を叩きつけて威圧するように牽制する。
今は大切なクロアーネとの時間。彼女を傷つけた分を含めて、逃すまいという意志を込めて。
目が合った男は歯噛みするような表情を見せて、闖入者をはかりかねているようだった。
「――もしくはあれか? 郷愁に駆られたとか」
「……どうでしょうね」
「もっとも、向こう見ずなのは俺も他人のことは言えんから似た者同士ってことで」
「心の底から心外です」
小気味よく慣れたやり取りに、クロアーネは寄りかかる体だけでなく脳もいくらか緊張感が解きほぐされる。
「私は隊長を殺りますので、他を任せてもよろしいですか」
「素直に頼ってくれるとは嬉しいねえ」
「優先目標を履き違えないだけです」
「あぁ、引き受けた。有象無象は掃っとくから、気兼ねなくいけ」
「"もろとも殺せ"ぇ!!」
敵隊長とやらの命令によって動き出す瞬間――クロアーネは地面を蹴ると、俺の両肩を踏み台に大きく跳躍する。
俺はさらに彼女へと風の補助を与えると、その五体は敵の包囲のさらに上空を抜けていく。
後方で冷然と命令を出した敵部隊長のもとまで、一直線に飛んだのだった。
「今度は俺が露払い役か。吹き荒べ――"風陣結界"」
鋭く渦巻く嵐が、俺の中心から円を描くように大きく敵部隊を囲い込む。
全方位守勢に使う魔術であるが、敵を逃散を阻止する意味でも使い勝手のある空属魔術。
俺は続けざまに近付いてきた敵の首元へと、一息に跳び上がると両足で着地した。
腕を組んだまま風勢を強力に竜巻回転しつつ、首の骨をへし折りながら圧し潰していく。
「クッハッハッハッハッハァ!」
――"デッドエンド・スパイラル"。力瘤を作るように俺はマッスルポーズを決めた。
敵部隊は間断なく飛び掛かってくるものの、ギリギリまで引き込むように息を吸った。
そのまま振り上げていた両腕を交差させ、足元までしゃがみ込みながら円を描き再交差させる。
「ラァイジィングッ――ストォーゥムッ!!」
周囲から巻き上がるような奔流はプラズマを帯び、渦巻くような風波の柱となりて打ち上がる。
殺傷圏内にいた複数の命がその一撃によって絶たれ、俺は乱れた髪をかき上げて整えた。
(ん、こいつら……?)
そこではたと気付く――既に数人となった敵の動きに精彩さが欠けるのは、単純に練度が低いからなだけではない。
反応すべてに、妙な鈍臭さを感じる。思考こそしていても……自我がない、揺らぎがない。
一般的な契約魔術とも違うような違和感だが、"贄"とされた時のプラタを思い出させるようなそれ。
殲滅するつもりだったが、俺は少しだけやり方を変えることにする。
「踏み均せ――"空圧潰乱"」
上空からのエアバーストによって、結界内の俺以外の全てが一斉に頭を垂れた。
余剰の暴嵐は風陣によって渦巻き押し上げられ、気流は縦に循環加速して圧力を与え続ける。
まるで重力が倍増したかのように地面と熱い抱擁を交わす部隊員らは、一切の身動きが取れぬまま戦闘不能となった。
俺は"風皮膜"によって風圧内でも1人涼しく佇みつつ、クロアーネの方へ視線を向ける。
するとちょうど敵隊長の首が、彼女の交差させた鉈で刎ね飛ばされていた――
籠手のギミックから空気圧でワイヤーを射出し、俺はクロアーネの近くの地面へ刺し込む。
"風陣"と"空圧"は持続させたまま、俺の肉体は風力で巻き上げられるワイヤーによって彼女のもとへ移動した。
「首級の討ち取り御美事。ところで血が滲んでるようだが大丈夫か?」
「少し掠った程度です。喰らった毒も耐性があるものですから問題ありません」
「毒かよ、問題ないならいいが……しかしなんとここに、ハルミアさんの魔薬がある」
微笑を浮かべて差し出した俺からクロアーネは無言で受け取ると、液体を患部に躊躇なく掛けた。
残りを口に含むと、苦悶を含んでいた表情も和らいでいく。
「かつての仲間を殺した感慨は?」
「なにひとつ」
「っていうかこいつらは何をしていた部隊?」
「さぁ? 無力化した今、興味ありません」
とりあえずクロアーネを観察してみる限り、そう深刻な状態にはないようだった。
ただし無感情に見える雰囲気に、どこか憑きモノが取れたように感じる。
「ところで……何人かは、生かしているようですね」
「まぁ観た限りなんか特殊な事情があるっぽかったから、ああいうのはいいデータになる」
「ベイリル、貴方がどう考えようが自由ですが……少し危ういのでは?」
「んっ――?」
「自覚もなさそうですね」
「いや、言わんとしたいことはわかる。ちゃんと人を人として見ているか、とかそういうあれだろ?」
確かに仲間に対してはともかく、他人に対しては随分と割り切った考えになってきた。
戦争という環境がそうさせているのか、精神そのものが変質しているのかはわからない。
「でも意外だな、クロアーネがそういう気を遣ってくれるとは。オーラム殿以外は雑草程度にしか思ってないのかと」
「今の私にとって、他人とは"客"です」
「なるほど、得心。実に料理人らしい見方なことで」
「それに雑草などという草はありません。野草にも様々な種類があり、食用や香り付けにも使います」
「……ごもっとも。人についても同じだな、それぞれの人生がある――」
俺はゆっくりと一度だけ深呼吸してから、クロアーネにやや真剣な面持ちで告げる。
「まぁあれだ、俺がおかしくなったと思ったらクロアーネが遠慮なく止めてくれ」
「貴方に遠慮したことなど一度もありませんが」
「う~ん確かに」
すました顔で言うクロアーネに、俺は自嘲的な笑みで返す。
道を誤ったのならば、互いに正し合って、また共に同じ道に戻る。
そういう間柄というのは、きっとかけがえのない宝なのだろうと漠然と浮かんだ。
「ところでクロアーネの有線誘導ダガーって、俺の"これ"とお揃いっぽくない?」
両籠手にそれぞれ仕込まれた機構、"グラップリングワイヤーブレード"。
俺が手首を捻りを戻すとカチリと音がして、ワイヤーが地面から離れ籠手内部へと収納される。
「私のはオーラム様の"金糸"を、私なりに模倣しただけです」
「それを言うなら俺も――とある革命の英雄を参考にしただけだが、似たものには変わりない」
「そうですか、どうでもいいことです」
バッサリと斬って捨てるクロアーネにももはや慣れたもので、いちいちへこたれる俺ではない。
「そういえば話を少し戻すけど」
「なんでしょうか」
淡々と鉈についた血を拭う彼女の姿を見つめながら、空気を読みつつも意を決して言うことにした。
「もし恩を感じてくれてるなら――」
「……?」
「逢引でもしないか? 手作り弁当付きで……」
しばらく無言の圧力が続いたが、辛抱強く待つ俺に対してクロアーネは渋々口を開く。
「そういった冗談は嫌いです」
「やっぱり俺はさ、クロアーネに惹かれてるのかも知れない」
「唐突になんですか。貴方には既に相手がいるでしょうに」
「そうだな、フラウとハルミアさんの二人いる。でも魅力は人それぞれだ」
「二人では飽き足らない、と」
「帝国の頂点たる"戦帝"は二十人ほどいる兄弟姉妹を、それぞれ別の女性に産ませているらしいし?」
「貴方が戦帝と同等だとでも?」
「いずれはそれ以上かも、な」
「口が減らないものですね」
「なんにせよ"胃袋を掴まれた"俺の負け」
「……そこは褒め言葉と受け取っておきます」
会話には些少ながらトゲを感じるものの、雰囲気は穏やかなのは明白だった。
「んで、どう? 返事のほどは」
「物好きな、ことです」
それを了承の返事と受け取って、俺は心の中でガッツポーズをした。
たとえこちらが貸しではないと言っても、律儀に負い目を感じる性格なのも知っている。
かなり打算的ではあるが、男女の駆け引きだからそこらへんは気にしない。
「くっははっ物好きだと……自分で言うかね。だとしても俺が感じた心に偽りはないさ」
「そして徒労です」
「まぁ出会いは険悪だったし、その後もしばらくは芳しくはなかった。俺も意識してなかったしな」
「私は今も意識していません」
そう口にしたクロアーネの声色に、わずかばかりの感情が乗っていたのを――
新たな開眼を経て……さらには闘争直後で敏感な、俺の強化感覚は聞き逃さなかった。
しかし急いてはことを仕損じる。今はまだ距離感を大事にするのを選ぶことにする。
「今はそれでも構わない、いつか気が向いてくれたらればの精神でいくよ」
「気が長いことですね」
「そらもう俺は長命種ですから」
嘆息を吐くクロアーネに、確かな実感を得ながら思いついたことを伝えてみる。
「いわゆるあれだ――"俺の為に毎朝、味噌汁を作ってくれ"」
「……また貴方の故郷とやらの言い回しですか」
「その通りだ、古いけどな」
クロアーネは一拍置いてから、平時と変わらぬ調子で答える。
「毎朝はお断りします」
「その心は?」
「料理人としてたまに作るくらいならいい、ということです」
「ですよねー、それともう一度言おうか。今はそれでいい」
「言ってなさい」
そう、まだまだこのままの距離感で良いのだ。
愛を育むのも素晴らしいが――色恋模様を楽しむのは今しかできないのだから。