#155 戦域潮流 V
「さて、と――」
王国側の籠城に対するように、新たに造営された前線陣地の総司令部用天幕。
"素銅"のカプランは、イスに座ったまま"紙の束"を使って手遊びをし始める。
「あのぉ~"それ"ってなんなんですかー?」
ツバメの鳥人族テューレは、カプランの対面に座ってその様子を眺める。
「フリーマギエンスで作られた娯楽品の一つですよ」
「ははー……本当に色々作ってるんですねえ。あれも、そっちも――」
テューレは部屋にある様々なモノを順繰りに指差していく。
カプランの趣味で持ち込まれていた、一見して用途のわからない物品がいくつか並べられていた。
「ちなみにこれは"トランプ"と言います。さぁどうぞ一枚引いてください、僕には表側を見せないように」
「……? はい、わかりましたー」
カプランはテューレが引く間、目をつぶって昔を思い出す。
札遊びはカプランの生まれと育ちである、共和国の交易団にもあった。
亡き妻や娘とも興じたものだが――この54枚の紙束で可能なゲームの多様性は、比較にならないほど多い。
さらにこれはシップスクラーク商会最高品質を誇る、試作見本の数点物。
弾力と耐久性のある紙質に、裏には上下左右対照的に簡易化された、二重螺旋の樹と根の紋章。
表には赤と黒の数字と4つのマーク、また一部には色彩ある人物の絵柄が描かれていた。
それは弄ぶだけで良い手慰みになり、疲れゆく頭を解きほぐすのについ無心になってしまう。
「おおー綺麗ですねコレ」
「表を見たらまた裏を上にして、こちらへと戻してください」
テューレは言われる通りに、トランプをカプランの手札へと戻す。
するとカプランは慣れた手つきで、まとまった山札をシャッフルしてから置く。
「テューレさん、あなたが先ほど引いたのは……コレですね」
「いえ? 違う数字でしたけどー」
「なるほど、それはおかしいですねえ。よく見て触って確かめてください。本当に違いますか?」
テューレはカプランから手渡された札をもう一度見ると、それは確かに自分が引いた数字へと変わっていた。
「えっ、あれー? さっきは……んへぇ!?」
何度も持った札を見返し、疑問符をいくつも浮かべる。
そんな素直な|《反応》リアクションにカプランは薄い笑みを浮かべながら、残る山札を机に扇状に並べた。
端っこから一斉に表にしていくと、同じ数字と絵柄の組み合わせは何一つない。
確かにテューレが持っているものだけ。眼に自信がある彼女にも、いつ変わったのかまったくわからなかった。
「どうして……まさか心を読まれたー!?」
「僕はシールフさんはおろか、魔術も汎属魔術くらいしか使えませんよ」
シールフの読心と違って、自分が積み上げてきたのは単なる技術である。
それゆえに対象が意識しない部分ですら、読み取ることもできるのだ。
だからこそシールフの魔導でも不可能な己の特技であり、彼女に一目置かれる部分でもあった。
「あのー……どうやったんでしょうかー?」
「種も仕掛けもありません」
ベイリルから聞いた定型句で締めてから、カプランはもう一度シャッフルしていく。
腑に落ちないままのテューレも、晴れて商会員となってからはこうした類の驚きには慣れたもので……。
理屈がわからずとも、そういうものなのだとすぐ納得した表情になった。
テューレはまた新たに何かをしようとしているカプランを眺め続ける。
ひとしきり札を混ぜ終えたカプランは、束のまま山札として置いてから二枚引いて表にした。
「これ誰ですー……?」
「"道化師"です。宮廷内や貴族を楽しませる専門家ですね」
「聞いたことはありますけど、これがそうなんですかー」
道化師が二枚。
トランプで可能なゲームで切り札として機能する。
すなわち"黄金"ゲイル・オーラムと、"燻銀"シールフ・アルグロス。
自身と同じシップスクラーク商会の"三巨頭"の内の二人であり、実務能力のみならず戦闘力も逸脱している。
とはいえ、決して自由に切ることができる札というわけでは決してなかった。
1人は気まぐれな為に行動にムラがある。1人は厭戦感情が強く既に終戦ムード。
それでも2人の活躍あってこその部分は非常に大きい。
今現在もオーラムは主戦場とは別途展開される、インメル領の王国側広域の対処を行っている。
――と、目の前にいる連絡員テューレが、戦域の情報をもたらしてくれたばかりであった。
前線から離れた支配拠点というものは、侵略戦争に必要な場所でありながらも、命の危険は少ない。
高度な指揮も必要なく、居丈高で無能なだけの貴族将校を置いておくにはおあつらえ向きの配置。
そういった者達を既に何人も捕えていて、身代金交渉もさぞ捗ることだろう。
シールフは砲兵陣地へ襲撃してきた魔術騎士の精鋭部隊を撃滅した。
商会製カノン砲は決して奪われてはならないテクノロジーの1つである。
またそれを稼働させていた研究員や、信頼できる専属傭兵らもまた得難い人材。
戦闘を忌避していたはずのシールフが交戦したのも、彼女なりに思うところがあったのだろう。
しかしその後は、今度こそもう戦う気はないと後方へ退いてしまった。
ただ"読心の魔導"によって、危急あらばそれを知らせるくらいのことはしてくれている――らしい。
なにせ今のところ何も音沙汰がない。ただ食っちゃ寝していると言われても信じてしまうだろう。
(彼女の反応がないということは、順調に戦争が展開されているという証だと信じましょう)
カプランはそう己の中で思考を閉じ、新たに山札の上に手を伸ばす。
「これはー……王さまと女王さまみたいですね!」
上から順に引かれて並べられた二枚の札には、絢爛な男と女の人物像がそれぞれ描かれていた。
「正解です、王と女王がそれぞれ一枚ずつ」
騎獣民族を率いる"荒れ果てる黒熊"バリスと、海賊艦隊を率いる"嵐の踊り子"ソディア・ナトゥール。
この二人の存在なくして、今回の戦争はなかったと言ってよい。
予備戦力に乏しい状況でありながらも、ほぼほぼ最高の戦果をおさめた功労者達。
王国軍の軍列を打ち砕いてから、個人的に先行して総大将まで迫って痛撃を与えたバリス。
それ自体は想定外の行動であったものの……結果的には問題のないものだった。
その後は一帯の掃討に駆けずり回り、恐れも疲れも知らぬ強靭さを見せている。
現在は彼自身が討ち漏らしてしまった王国軍総大将、"岩徹"のゴダールに備えていた。
騎獣兵団も主戦力が城塞周囲に展開して巡回しつつ、残りは小部隊に分かれて散兵を狩りにいっている。
"戦利品"として奴隷を奪い、兵士を捕えて帰陣しては、また出撃していくサマ。
おかげでこちらの糧秣が圧迫される始末なのだが、戦後のことを考えれば必要な出費である。
シップスクラーク商会の現物資産の大半を使い切るほどだったが、将来への投資と割り切る。
少なくとも奴隷に関しては、既に労働力として引き受ける取り決めが成されている。
兵士も身代金が取れそうな高級将校であれば、手酷く扱われぬよう配慮することになっていた。
蛮族だの野人だのと呼ばれる騎獣民族にとって、奪ったモノは奪い取った者に絶対の所有権がある。
1度は従うことを容認したバリスを含めて、そこを譲歩させるのはなかなかに苦労した。
同時に彼らの風習を無視するに値するだけの――見合った代価を用意する課題が残されている。
そして海上輸送と封鎖を一手に引き受けてくれた豪の者達、ワーム海賊の首領であるソディア。
騎獣猟兵部隊を移送し、王国海軍を壊滅させ、現在も沿岸で海上封鎖を行っているとのこと。
海からの補給を阻み、情報の統制をすることで、戦域全体を有利に運ぶことができた。
彼らは騎獣民族と比べればずっと俗物であり、同時に非常に即物的でわかりやすい。
いつ裏切るかわからない、悪い意味での自由さと気質を備えているが……。
少なくともソディア個人に関しては、カプラン自身も会って、話して、信用たりえると――
彼女が首領として統制している限り、ワーム海賊は商会にとって大きな利になると判断した。
海賊達がそれまでインメル領にも行ってきた所業は様々である。
その中には――当事者にとって、決して許されざる行為も含まれているだろう。
復讐を生きる目的にしているカプランにとっても、そういった被害者感情というのはよくよく理解できる。
しかして、背に腹は代えられないのも事実であるのが……今回の戦争である。
ましてやそういった清濁を併せ呑むのもシップスクラーク商会の在り方。
カプランとて大なり小なり……各国の法に囚われることなく、気の向くままにやってきた。
オーラムはかつての仕事柄、数多くの弱者を食い物にしてきたことをまったく悔いていない。
シールフも過去について多くを語ることはないものの、若い頃はあれで色々とやらかしたようだった。
ベイリルが語る"未知なる未来"の為には、彼自身も――良心を踏み砕くだけの意志で事に臨んでいる。
なんにせよ、そうした灰汁の強いモノを煮詰めて出来上がるのが商会というもの。
"文明回華"による"人類皆進化"。"未知なる未来を見る"果てなき旅路には、必要不可欠なのだ。
カプランは浮かべていた笑みの質を自嘲を含んだそれに変えつつ、札を引く。
「うーんと……騎士、ですかー?」
「従士が一枚」
表に開いたジャックの下には、隠れるようにスペードのエースが重なっている。
されどその二枚が示すのはたった1人の獣人――"白き流星の剣虎"バルゥ。
騎獣猟兵部隊を率いているが、実質的には4枚目のエース。
王国軍兵站線の破壊作戦と、伴っていた奴隷の懐柔をしっかりと果たした。
その後は挟撃にて王国軍を追い散らし、前衛まで貫き進んで奴隷兵を扇動して回った。
特に研ぎ澄まされた眼と鼻は夜襲を得意とし、その力を大いに振るって王国軍を追い詰めている。
幾人か捕えられた王国兵士らは、夜ごと虎の唸り声に怯えて過ごしているそうな……。
次にカプランは山札の上から続けて三枚、札を取って並べる。
そこにはクラブ、ハート、ダイヤのエースが、それぞれ描かれていたのだった。