#148 紅獅子吼 I
「ふぁ~あ……よっく寝たわ」
「ほんと寝すぎだし」
太陽が真上を過ぎた頃――インメル領の海岸線を望む沖合。
バルゥ率いる騎獣猟兵部隊は昨日中に既に上陸し、王国軍の輸送隊の元へ発していた。
旗艦の上でキャシーは四足で伏せるように、ぐぐーっと伸びをする。
「おかげで体力も魔力も最っ高にみなぎってるぜ? 飯も美味いのがいいよな」
「船上の数少ない楽しみだから当然だし。そんなに元気なら小舟出すよ、出撃するでしょ」
するとキャシーは少しだけ考える様子を見せて、甲板に座り込んだ。
「んーーー、もうちょいノンビリしてもいいかな」
「戦闘狂っぽいくせに、まだ休む気か」
普段あまり人と交流を持たないソディアも、ズケズケと踏み込んでくるキャシーには容赦がない。
お互いに遠慮なく言えるからか、変に気負うこともなく自然体でいられるのだった。
「弱い者イジメは性に合わないんだよ」
「王国という国家そのものという大きな枠組みで見れば強いし。帝国の次に強い国だし」
「御託はいらね」
「それに昨日は一方的にぶちのめしてんじゃん」
「海の上な時点でアタシが不利だ。それにそういう気分の時もある」
「ほんっとむちゃくちゃだし」
呆れ顔を見せるソディアに、キャシーは思い出したことをそのまま口に出す。
「まーまーあれだ、猫は気まぐれなんだってよ」
「はぁ……?」
「ベイリルがそう言ってたんだ。獅子も大きく見れば猫だし、アタシは気まぐれだって」
「知らんし、みんな頑張ってるんだから働け」
まるでこの船にいられるのが邪魔であると言うように、ソディアがサッサッと手を振る動作をする。
「オマエだって働いてねーじゃんか」
「うちは一番大事だった仕事はもう果たしたし。あと海上からの補給を絶つ任務の真っ最中」
キャシーとバルゥが暴れ、そこにダメ押しの嵐を見舞ったとしても決して油断はならない。
どこまで読もうと海は気まぐれであることに変わりなく、全てを見通すことなどできはしないのだ。
「ちぇっそうかよ、そいつは大層なお仕事だ」
「まぁ……――でも、別にいいんじゃない? 使いツバメによると優勢らしいし」
「あン? アタシが必要ないって?」
ソディアはキャシーの性格がわかってきたのか、切り口を変えて煽る。
今朝方もたらされた情報を照らし合わせれば、戦域全体として見た時に、ほぼほぼ順調に事が運んでいる。
制空権の一部確保と弾着観測砲撃。自由騎士団とインメル領軍による進行ルートの封鎖。
バリス率いる騎獣兵団の横合いからの奇襲。ソディア率いるワーム海賊による騎獣民族の輸送と海域の掌握。
バルゥを筆頭とした騎獣猟兵部隊も、奴隷を取り込みながら補給線の破壊。さらに挟撃にまで至ったそうな
一夜過ぎて現在は王国軍も再編・陣地構築を開始し、安易な交戦を避けて睨み合っている最中にあるらしい。
以降は当初の予定通り、王国軍が日干しになるのを待つだけで……この戦争は遠からず終結するだろう。
残るは敵が"円卓の魔術士"という、伝家の宝刀を抜くタイミングだけを見極めればいい。
現状では後方拠点から動いておらず、膠着状態は確実に王国軍を蝕んでいく。
「うん必要ないよ、どうしても寝てたいなら好きにすればいいし。働かない奴の寝食代はあとで商会に請求する」
「ちィ……ノセられてやるよ、ったく」
キャシーは甲板に座った状態から軽やかに跳躍し立ち上がる。
静電気によって逆立った鬣のように見えないこともない赤髪が、潮風に逆らっていた。
「そうそう素直が一番だし」
「オマエがそれを言うんか」
「うっさいし――それとあなたにおあつらえ向きの仕事がある」
「……なんだ?」
「弱い者イジメする奴をイジメる仕事」
「へぇー、いいなそれ」
「んと、王国軍の"実験魔術具隊"。こいつら本軍の行軍経路から離れて、他所の村落で非道なことやってる」
「ぁあ? クソ野郎どもってことか。ますます気に食わねえなそりゃ」
「大半は領内復興の時点で退避させてたみたいだけど、やっぱり全員とはいかなかったっぽいし」
「そいつらを狩ってくりゃいいんだな」
「うん、そう。ある程度の位置はわかってるから、あとは見つけ出してぶっ殺してくるし」
「あーーー……でも、そういうのはベイリルやフラウのが適任じゃね? 上から探した方が見つけやすいだろ」
そう言ってキャシーは青空を指差し、ソディアは軽く首を振った。
「それは難しいし。主戦場が優勢とは言っても王国軍の要である魔術士部隊の大半が残ってる。
対空魔術の所為で制空権も完全確保とはいかないし。騎獣兵でも攻めあぐねてるのが現状らしい」
「だらしねぇ奴らだなあ」
「無茶言うなし。王国の魔術士は腐っても世界最強の練度。完全な迎撃態勢になったら突破は至難」
「ほぉーーーん、魔族よりも魔術すげーの?」
「単一個人で上回る魔族は結構いるっぽいけど、集団では人族のが圧倒的に強い――らしいし」
どこか借り物のような言葉でソディアは述べるが、キャシーは気にすることなく続ける。
人領が魔領より圧倒的に広いのも、絶対数と連携によって魔族よりも圧倒的に強いからである。
「しゃーねえ、他が動けないってんなら、面倒臭ェけどアタシが足で探すしかないんだな」
「まぁ別に――戦争には直接関わらないし、民間人を襲うだけだから無視しても大勢に影響はないけど……。
件の実験部隊は希少で特殊な魔術具を保有してるから、"可能なら鹵獲したい"――ってベイリルが言ってたし」
「人間の方はぶっ殺して、道具だけ集めればいいってか」
「そゆこと」
ソディアは地図を持ってこさせると、甲板に広げて人差し指を置いていく。
「うちらの位置がココで、部隊がいると思われる場所が大体ココらへん。行動半径を考えても……この領域内にはいるハズだし」
「あぁ……そこらへんならわかるわ」
「そうなの?」
「おう、ちょっと前にフラウと治安維持の為に、領内の荒事を抑えて回ってたからな」
「じゃっ案内の手間はいらないね。水と食料は出すし、沿岸までは小舟で」
「あんがとよ」
「うっ――ん、どういたしまして」
素直にお礼を言われたソディアは、なんか肩透かしを喰らったような気分にさせられる。
さらには照れを隠す為に逆の水平線を眺めながら、懐中に手を突っ込んで出したモノを見る。
「ん……あれ? なんだろ」
「どうした?」
「いやなんか……羅針盤がおかしいし」
ソディアが懐から取り出した羅針盤の、針が振れて不安定になっていた。
「羅針盤ってあれか、方角を確認すっ為の磁石だっけ」
「そう、これは小型で精度が高いやつで……ベイリルがくれたやつなんだけど――もう狂ったし」
「あーすまん、そりゃアタシの所為かも」
「どういうことだし」
バツが悪そうにするキャシーに、ソディアは眉をひそめて怪訝な表情を浮かべる。
「雷属魔術で自然と帯電したりもすっからさ。電磁気? ってのが狂わせてんのかも」
「意味わからんし」
「えーーーっと、確か"コイル"ってのに雷が流れるとじかいってのが? ……教えてもらったけど忘れた」
「???」
疑問符を浮かべるしかないソディアに、キャシーももはや諦めた様子でバッサリ斬る
「要するにあれだ、雷と磁力って近いんだってよ。そんだけ」
「あ……うん。うちはうちで個人的に聞くからもういいや」
直接的な"テクノロジー"のみならず、商会の保有する"知識"もまた資産である。
知的好奇心が旺盛なソディアとしても……。
もはやシップスクラーク商会とフリーマギエンスは、なくてはならないものになりつつあった。
「昨日も思ったけど……珍しいね雷属魔術。あんなにも自在に使う人は初めて見たし」
「つっても数年前までは、帯電したり放電する程度だったけどな」
「嵐で見慣れたうちでも雷を直接なんて扱えない。コツとかある?」
「あ~……別に。強いて言うなら子供の頃に雷に打たれたおかげか?」
「えっ――」
「アタシが生まれたのは連邦東部のド田舎で……土着信仰っての? が強くてさ。大嵐とかあると人柱を立てんだわ。
大風雨が吹き荒れる丘の上で丸太に縛られて、過ぎ去るまでの生贄にされんだけど……そん時にちょっとな」
「それで雷に当たって生きてたし……?」
「あぁ、あん時はすっげー衝撃だったわ」
「あの"白虎"や"黒熊"くらい、肉体的に強いならわかるけど――まだ子供の頃に?」
「そうだな、オマエよりずっとチビの頃だった。でもま、落雷でも生きてるって割とあるらしいぜ?」
「そんなん信じられんし」
「ベイリルがそう言ってたんだよ」
腕を組んで首ごと頭を捻るソディアは、いまいち腑に落ちないと言った様子であった。
「そっからがひっでえ話でさ、生き延びたアタシは村中から責められまくったわけよ。両親からもな」
結局キャシーの住んでいた村は、水害に遭って大きな被害をこうむった。
人柱としての役目を果たせなかった以上、叱責を受けるのは当然の成り行きだったのだろう。
「それは……ひどすぎるし」
「んでアタシは殺される前に村から飛び出したわけよ。雷浴びたおかげで、魔術も使えるようになったしな。
そんおかげで色々とヤバい時でも生き延びられたってのが、不幸だったけどコレおもしれえ話でさぁ――」
両親から見捨てられたという事実が――子供ながらに悲しく、やるせなく、そして許せなかった。
元々気性が荒かった所為もあって、キャシーが故郷を捨てる決意をするのに時間は要しなかった。
そうして放浪し辿り落ち着いたのが学園であり、同じような境遇だったフラウと時を過ごすようになった。
その後はナイアブや他の落ちこぼれの落伍者達が、自然と集まって徒党を組んだ。
昂揚感や充実感はなかったが、それでも生き辛さはなくなったのだった。
「いや……傍から聞いてる分にはふっつーに悲惨だし」
「まぁよ、今となっちゃそれで良かったんかもな」
そう吐く息と共に、キャシーは素直な心情を吐露する。
あのままでは――農耕と狩猟だけして、一生を終えていたかも知れない。
こんなにも仲間と刺激に恵まれて生きることなど、決してなかったと断言できる。
「それでも家族に愛されないってのは……堪えるし」
「んお? おまえ家族いんの?」
「――いないこともない」
「そりゃ良かったな。ぼんやり聞いてた話だと、もう一人ぼっちなのかと思ってたわ」
素直なキャシーの言葉に、ソディアはそっぽを向くように唇をとがらせる。
「うちの話はどうでもいい」
「んだよー、アタシ一人に身の上話させてよォ」
「別に……うちは聞きたいなんて言ってない。そっちがいきなし語り始めただけだし」
「そうだっけ? かもな、んじゃアタシはそろそろ征くかね」
「ちょっと待つし」
「まだなんかあんのか?」
「……やっぱり近くの陸までこの旗艦で送る。そこそこ遠いし」
「持ち場から離れていいんかよ?」
「陣は整ってるから、少しくらい問題ない。うちが本気出した巡航速度を見せたげるし」
「そっか、あんがとよ」
帆船の耐久を綱渡るような、ソディアの空属魔術による加速操船に揺られながら……。
キャシーは舌なめずりするような笑みを浮かべて、この刺激ある人生をめいっぱい楽しむのだった。