#146 騎獣猟兵 I
バルゥは戦いを前にして穏やかな心地で、走る獣の上からひとりごちた。
まったく違った新たな人生に対して、その半生をゆっくりと思い出していく。
――騎獣の民として生まれ、騎獣民族の社会で若き日を過ごした。
よくよく突っかかってきた熊人族のバリスを含め、騎獣の民らしく健全に育った。
(そして"洗礼"の日を迎えて、オレは絆の戦士となった)
しかし直後に王国軍との戦争となり、王国軍兵士を本能のままに殺し回った。
結果として――オレは相棒だった獣を喪い、王国軍に捕えられる憂き目に遭ってしまった。
(生殺与奪を握られながらも、生かされたのは感謝とさえ言えるな)
騎獣民族とて奪った獲物は奴隷とする習慣があり、互いに死力を尽くした上での結果。
多勢に無勢であったにせよ恨む理由などなく、負けた己の至らなさこそ責めるべきであった。
(あの頃は弱いとは言わぬまでも強くもなかった、だからこそ学ぶことも多かったが――)
白き全身を鮮血に染めし武勇によってか、オレが買われた先は王都最大の闘技場であった。
闘技場には様々な催し物があり、純粋な決闘から、貴族同士の戯れの小戦争。
最も多いのは奴隷同士を戦わせたり、あるいは魔物と戦わせるようなモノ。
時には宮廷魔導師や円卓の魔術士が、その技にして業の一部を披露することもある。
それらは闘技の中でも"死"が日常となる機会であり、消費すればその分だけまた補充される。
そして――生命を燃焼させる殺し合いというものは、かくも王国の民を熱狂させた。
(オレにとってもそこは……本当にとても居心地が良い場所だった)
闘争によって相棒がいなくなった"絆の戦士"たる己には、どのみち騎獣民族のもとへは帰れない。
狩り狩られの殺し合いなど騎獣民族にとっては日常であり、哀しみを忘れるにも丁度良かった。
同じ奴隷のほとんどが、やつした身を嘆くばかりであり……最初は理解できないほどあった。
また奴隷になる人間には皆、それぞれ紆余曲折した人生を送っていた。
間接的にではあるものの、彼らから様々な知識や経験を得ることができた。
(そこからはあっという間だった気がするな……)
相棒獣を喪失した悲しみが、思い出せる過去の1つになった頃――
王国の民はオレを観に来るようになり、オレに歓声を送るようになっていた。
勝つという結果だけを残せば、奴隷という身分からは出られないものの認められる。
それが"奴隷剣闘士"という存在であった。
(性にも合っていた。単純なだけに、考える必要もなかった)
普段こそ同じ奴隷や魔物が相手となるが、勝負にすらならなくなると事情も変わってくる。
闘技場で名を挙げたい、世界の猛者と闘うような機会も自然と増えてきた。
中には集団を相手に立ち回らされることもあったが、それもまた趣向の違いを楽しんだ。
(ついぞ負けることはなかった)
そうでなければオレは今こうして生きてはいない。
次第に挑戦者すら減っていき、同じくしてオレの闘争に熱狂する人も減っていった。
円卓の魔術士と1度くらいは戦ってみたかったのだが、直接の機会に恵まれることもなかった。
そうなると闘技場側としても――この身は、ただ持て余すだけの大飯喰らいとなってしまう。
結果としてオレは獣人差別激しい王国において、奴隷の身分から解放される数少ない異例に至る。
(どのみち強き者がいないことに飽いていたところだった――)
丁度よい頃合いと言えた。しかしだからと言って王国に住むことなどはできない。
獣人奴隷で、まして見世物でもあった身が……王国籍を得られるようなことはまずもってありえなかった。
事実上の追放という形であり、夜半に身を隠されるようにして王都から出て行くことになる。
闘技場に稼がせてやったであろう金額からすれば、本当に些少の金銭のみを渡されたが不満は特になかった。
(もとより富や名声の為に戦っていたわけではない)
好きだからやっていただけだ。観戦と熱狂も悪い気はしなかったが、あくまでおまけ。
闘技場の経営者達に復讐しようなどといった気もまったくない。
かと言って他の服従を強いられる奴隷達を、解放してやろうといった思想や価値観もなかった。
(気軽に気楽で気ままな一人旅だったな――)
その後は騎獣民族とは決して交わらないように、世界を巡って回った。
王国の北方から帝国へと入り、臨時傭兵として路銀とする大金を稼いだ。
帝国北西部から経由するように皇国へ越境し、とある聖騎士と知り合い、共に闘った。
皇国から"大空隙"を観光しつつ、さらに南へ下って魔領へと乗り込んだ。
絶えぬ戦乱に身を投じ、我を忘れて体を鍛え、技を磨き上げていった。
やがて戦争にも目新しさを感じなくなり、連邦西部へと踏み入れて散財して過ごした。
その後は内海の各諸島を渡りながら、様々な文化を味わいつつ共和国へと入国――
(そうして最後に行き着いたのが……)
帝国"カエジウス特区"のワーム迷宮であった。
そこは閉鎖された弱肉強食の世界。
己を試され、決して一筋縄ではいかず、全身全霊を懸けて攻略する必要があった。
闘技場で戦い始めたばかりの頃を思い出すような……得も言われぬ達成感。
ただ闘うだけではどうにもできないことも、よくよく思い知らされた。
(迷宮の踏破は、オレに新たな充実を与えてくれた)
久しく忘れていた獣性を、思うさま解放することができる歓び。
剣闘士時代――傭兵稼業――聖騎士との共闘――魔領の派閥戦争――どの闘争とも違う新鮮さ。
生き抜くというただ一点の熱量を、攻略に差し向けることで切り拓かれる道。
(そして……願い求めた――)
もしも五英傑が死者をも蘇らせることができるのならばと。
これほどの迷宮を造り上げる"無二たる"カエジウスならば――あるいは、もしかしたら……と。
(足手まといとなる弱者などいらなかった――)
友を失う悲しみは一度で十分。生き返らせるとしても1頭で十分だ。
後にも先にも相棒と言えるのは、かつて絆を結んだ獣のみ――
(そうだ、そう……思っていた)
今の己の後ろには、多くの仲間――改めて道を同じくする騎獣の民達が追従する。
オレは乗りし獣の上から、声を発せず顎だけを振って指示を送った。
人と獣が200対の騎獣猟団は、音を殺すように横へと展開していく。
陣を展開するまでの間に、さらに浸るように直近の記憶を想起する。
(あいつらは……唐突に現れた)
話し掛けてくる者などほとんどいなかった。
まして初対面であんなにも馴れ馴れしく――ベイリル、キャシー、ハルミア、フラウ。
聞けば内三人は長命種なれどまだ若く、全員と親と子ほどの年の開きがあった。
酒を酌み交わし、多少なりと親睦を深め……相棒獣やバリスのことをオレは思い出していた。
そこからあっという間の出来事と言えよう。
あいつらは迷宮攻略に乗り出したかと思えば、地上から直接最下層へ向かう行動を開始した。
謎の大型道具を持ちだして、情報を収集し、準備が完了するまで何度か誘われた。
(オレはそれでも固辞した)
正道ばかりを往くつもりではないが、邪道を選ぶ気にもならなかったのも1つ。
何よりもわずかばかりでも情の湧いてしまった者が……希望ある若者達が――
(打ちのめされてしまうのを……見たくなかったのかも知れないな)
しかしてオレがわざわざ守ってやるようなことは、相棒獣を失ってよりの生き方に反していた。
だが予想とは違い、彼らは……なんともはや最下層を制覇してしまったのだった。
また迷宮に深く潜っている最中に、逆走する帰りの四人と再会し、黄竜を倒したことを知った。
その後は地上まで同道することに決め、十数年振りかのパーティを組んだ。
有言実行を成し得た彼らは、オレの強さにも決して引けを取ることはなかった。
それぞれの得意分野を活かし、こちらの動きにも反応よくついて回って連係する。
(そして……認識させられた)
やはりオレは"絆の戦士"であり、本来の気質は他者と組むことにあったのだと。
ただ見合うだけの者がいなかっただけで――
潜在的に喪失する恐れを抱いていただけで――
もはや生き方を変えられぬと、自らを閉ざしていただけで――
彼らにとっては利を得る打算があったとしても、騎獣民族へ戻る決心をつけさせてくれた。
そしてバリスとも昔のように語り合い、こうして民を率いて戦うこともできるようになった。
(だからオレは――)
この戦争が終結したなら……今度は改めて、自分の口から言おう。
シップスクラーク商会へと、フリーマギエンスの作る輪の中に入るということを。
もう十二分すぎるほど自由に生きた。だからあいつらの想いと目的に答えてやろう。
それがオレが次世代へと託す――新たな標――新たな生き方。
奴隷から成り上がり、世界を放浪した果てに行き着いた、オレの居場所であると――