#141 砲兵陣地 II
「お師さま! 警戒網が破られました!!」
砲兵陣地へと飛来する集団あり。プラタの声が響き、瞬時に魔術信号弾が打ち上がる。
それを合図として商会の砲手と研究員達は、即断撤退を始めていく。
「まーまー、ここまで侵入してくる奴らがいたか」
シールフは重い腰を上げながら、ゆっくりと大きく伸びをした。
現段階で速攻を掛けてくるとは、王国軍もなかなか油断ならない。
「地上班からの連絡はありませんでした。制空権は確保してるハズですし、まさか……」
プラタは心配と不安が混じった表情を浮かべるが、シールフはあっさりと否定する。
「いやそれはない。テューレの眼に異常は見当たらないし、ベイリルらが連絡なしで制空権を明け渡すわけもない。
ふぅむぅ……なぁるほどぉ、うま~いこと中間圏を集団飛行してきたっぽい。数は三十と、一人か――」
シールフが本気を出せば、すなわち主戦場のほとんどが"読心の魔導"の領域に入る。
瞬時に読み取った限りでは、王国"魔術騎士隊"の少数精鋭による、隠密突破急襲のようであった。
「お師さまお師さま、わたしで相手になりますか?」
「無理だろねー」
「ですかぁ、警戒用の糸もぶち破られてストック少ないし……諦めます。それじゃぁベイリル先輩への信号弾を――」
「いやぁいいよ、あっちはあっちであまり手を離せそうにない感じだし」
「えっと、でもゲイルさんもいないし……余剰戦力も傭兵の皆さんだけでは――」
プラタは頭を絞って打開策を練るが、シールフはあっさりと言う。
「わた~しが相手するから」
「お師さま自らですかぁ?」
本来は直接戦うつもりはなかったが、こちらの陣まで侵犯してくるなら火の粉は振り払う必要がある。
現段階でテクノロジーを盗まれるわけにもいかないし、愛弟子プラタにも危険が及びかねない。
「まっ私としては、もうそういうヤンチャやる年じゃないんだけど」
「すっごい珍しいです……というかわたし、お師さまが戦ってるの見た記憶ないですけど」
「まともなのは何十年以上ぶりかなあ」
「えっ……戦い方わすれてるんじゃ――」
「これプラタ、それはいくらなんでも失礼だ」
「ごめんなさいお師さま。でも……本当に大丈夫なんですか?」
負けるという不安はない。しかし争い事を忌避していた師匠が、自ら戦う言い出すとは。
「だいじょーぶダイジョーブ」
シールフは彼女だけがわかる"敵の飛来予測位置"へと歩き出し、プラタは師匠に追従する。
「まぁせっかくだから遠くから眺めてなさい。見られるなんて最初で最後かも知れんからね」
◇
王国魔術騎士隊"大隊長"と、魔術騎士30名はその物体を眺める。
自身には王国軍総大将の"岩徹"より、自己判断による戦力投入が認められている。
よって開幕から猛威を振るった謎の攻撃の正体と、対抗の為の戦力を割くに至った。
共通のイメージで訓練した集団飛行魔術によって、精鋭のみを連れて敵陣深く侵攻する。
裁量権の限界とも言える独断専行であったが――それだけの価値はあったように彼は思う。
「周辺に敵影なし! おそらくは先の信号魔術で退却したものと思われます」
「私軍にしては動きが早いな」
インメル領軍、共和国自由騎士団、騎獣の民。それらとは別に雇われている組織の軍という情報。
補給を一手に担い、謎の超兵器を使って打撃を与え、襲撃と見るや瞬く間に撤退。
「いったい何者なんだ――」
眼前にあるモノが大砲ということはわかるが、しかしてその形は見たことがないもの。
やたら長い砲身はあまり実用性は見出せず、その大きさもかなりある。
よくわからない機構も多数備えているようで、とても素人目でわかるものではなかった。
(本国の技術者が見ても……)
理解できるかは大いに疑問が残った。
さしあたり実験魔術具部隊と共に従軍した、"王立魔法研究員"に意見を仰ぎたい。
しかしその為には多くの障害が残り、判断には悩むところであった。
「大隊長……どうしますか?」
「んむ、本国へ輸送したいが運搬するには巨大だ。だがこの場を占領しておくには、人数が足りぬ」
「では破壊を?」
「……そうだな。とりあえずはこの一基だけを残し、残りは再利用できぬよう徹底的に破壊を――」
ゆらり――と、空間が歪んだように見えると共に、唐突に姿を現した人影があった。
非常に緩やかな外套をまとったそれは、女性の体つきが見てとれる。
「はーい、どーも」
目に見えて身構えはしなかった。しかし命令一つで精鋭騎士達は即応できる。
「いつの間に……」
魔術騎士の一人が小さく漏らすと、まるでそれを聞き取ったかのように相手は返答する。
「これは"虚幻空映"って言ってね、模倣なんだけど――空気を歪めることで光を曲げて姿を覆い隠す魔術さ。
原理を知れば単純だけど、なかなかそういう発想にならないだろう。ところで君たちも面白い魔術を使うよね~」
女の顔はフードの下でよく見えない、だが軽口から現状認識の甘さが見て取れた。
我らがどれほどの精鋭部隊であるのかを、彼女は知る由もない。
「"共鳴魔術"か――単独飛行は難しくても、全員で同じイメージを持って効果を発揮させると」
「……!? 何者か!」
眼光を鋭くそう詰問するように発した大隊長の言葉には、複数の意味が含まれていた。
それをローブの女はすぐに察して、全てを答えてくれる。
「私はここの防衛戦力で、"燻銀"という名で通り、"シップスクラーク商会"の人間で、あなたたちの心を読んで喋っている」
「な、に……?」
理由も、名前も、所属も、そしてなぜ共鳴魔術のことを知っているのかも。
にわかには信じ難かったが、はたして知りたかった答えを一度に示した女に薄ら寒さを覚える。
「王都に残した妻と息子さん、思い浮かべたね――」
「っな……!?」
「ふ~ん、十歳か。ヤンチャ盛りで、かわいいかわいい」
(バカな、本当に……?)
「本当だよ、だって私ってば魔導師ですから」
そう女が言った瞬間に、魔力の膨張が空間を支配する。
それは確かな圧力のようなものをもって、全員の思考を一瞬停止させた。
かつて宮廷魔導師より教えを受けた時と同じような感覚、忘れられるはずもない。
「撤退せよ!!」
大隊長はいち早く思考を戻すと、即時判断して速やかに全員に対し命令を下す。
瞬時即応する魔術騎士達は、来た時と同じように集団飛行魔術を使って高速離脱を試みる――
しかし共有感覚の齟齬によって乖離が発生し、魔術は発動せずに終わってしまった。
「なッ……!?」
その場にいる女以外が困惑し、挙動が不審となってしまう。
想像するほんの一瞬の最中――割り込むかのようによくわからないイメージが流入してきた。
「"魔術妨害"――まっ商会の機密事項だから、見ちゃった者を逃がすわけにはいかないからさ」
まったくわけがわからないが、もはや闘う選択肢しか残されていないことだけは理解させられる。
「大人しく投降してくれるなら、一人ずつ記憶を消すか書き換えて回ってもいいんだけど?」
(それはつまり自軍の情報を――)
「うん、全部覗かれちゃうことになる」
こちらの考えを先回りするように答えてくる。既に"読心の魔導師"ということに疑いはなく。
さらには直接干渉する魔導まで使える、はっきり言って格が違う相手であった。
それでも投降し、情報を渡し、都合良く記憶を操作されるなど……。
そんなことで王国軍に不利をもたらすくらいならば、自死するだけの覚悟は全員持っている。
「容認はできん」
大隊長は心が読まれていようとも、最大限示せる矜持をはっきりと口にする。
「だよね。じっくり心を折ってもいいけど、それは誇りを踏みにじる行為だ。だから――」
パンッと魔導師が手を叩くと、視界が暗転して足元の底の底が抜ける――
実際に地に足はついていても、それは確かな感覚として襲い掛かった。
認識した次の瞬間には体全体が崩れ落ちている。否、膝を折り倒れるしかなかった。
脳みそから内臓に足先まで、全身をくまなく襲う激痛によって思考を断絶されてしまっていた。
――時間感覚が消え失せる。何日も何十日・何百日と苦しんでいたような……心地。
かろうじて目を開けると女魔導師が目の前でかがんで、こちらを覗き込んでいた。
薄目で視界に捉える光景、後ろにもう一人見知らぬ少女も立っている。
「すごいね、よく保った」
「っ――」
言葉が出ないし、頭も回らない。ただ判然としない意識で心を傾ける程度。
「君以外はもう死んでしまった。それだけ君は強かった。もしも冥府があったなら自慢していい」
魔導師の瞳にはあらゆる感情が渦巻いているように見えた。
その中でも色濃く見えるのは――憐憫と慈悲と苦痛。
それはまるで彼女の感情が、自身に直接流れ込んでくるかのようで……。
「これまでの人生で受けた"苦痛の記憶"を、全て蘇らせた。それも一気にね……でも耐えた。
肉体も精神も、強い人間ほど多くの痛みと重みを刻んでいるもの。君はじき死ぬだろうけど、でも耐え抜いた」
ゆっくりと語りかけ続ける魔導師。
言葉としては伝わらないが、その心意は余すことなく伝わり理解する。
「このまま弱った君の記憶を掘り起こして、情報を奪い取って事を有利に運んでもいい――けれどそれはしない。
このまま治療した上で記憶を改竄して仲間に引き込み、王国軍と対峙させることもできる――けれどそれはしない
私は感傷的だから、利益のみを追求して動かない。今なお気高く強い一人の人間に対して、敬意を決して忘れない」
心を読むどころではない――記憶を司る全てを支配する魔導師の手の平が、柔らかく額へと当てられる。
深い眠りに誘われるように、大隊長は穏やかな心地で目を閉じていった。
「だから最期は――幸せな記憶を抱いて逝くといい」
心残りは数多くある。しかし軍人である以上は承知の上であり、他の皆もそうなのだ。
そのような事態にあって自分一人、幸福な中で死んでいくことに負い目すら感じる。
そうした考えがまるごと搔き消されるように、ありとあらゆる幸福な記憶が一瞬で駆け巡っていく。
家族と、戦友と、友人と、郷里と――圧縮・解凍された記憶の奔流は、脳をオーバーフローし破壊する。
そうして"大隊長"は安らかな表情を浮かべたまま、永遠に目覚めることがなくなった。
「あの、お師さま――」
「なにプラタ?」
「すごい強かったんですね」
「まぁあまり手加減できる相手でもなかったから、割と本気でやらせてもらった」
「……ですか? 圧倒的に思えました」
「良いかね愛弟子プラタよ――"七色竜"とはぐれ飛竜くらいの差があったとしても、決して慢心をしてはいけない」
「はい、肝に銘じて精進します」
「それじゃ後始末よろしくね、兵器も諸々ぜ~んぶ撤退で」
「了解です!」
プラタの頭へポンッと手を置いて、シールフは一人ごちるように心中で呟く。
(あぁまったく……闘争ってのはほんとにヤだヤだ)
読心の魔導師ゆえの苦悩を想起し噛み締めながら、シールフはもうこれっきりにしようと何度目かの決心をするのであった。