#138 砲兵陣地 I
そこは小高い丘の逆斜面上に構築された、特別な陣地であった。
味方の軍内においても特殊な立ち位置であり、また厳重な警備と管理体制が敷かれている。
なにせテクノロジーの機密が詰まった場所。そこにいるのも選別された人間のみ。
シップスクラーク商会の兵器関連研究員と、運用補助および護衛の為の専属契約する傭兵部隊だけであった。
統括するのは"燻銀"シールフ・アルグロスと弟子のプラタ。
陣地には従来のそれとは一線を画すデザインの、天を突く長砲身が一定の距離を置いて並べられている。
それらが順次轟音と共に煙を吐いて、自軍の頭上を抜けて敵軍へと突き刺さる。
「プラタ~、一番は方位そのままで仰角を五度上方修正、二番は維持で再観測、三番は――」
椅子に座る私は、ゆったりと聞き取りやすい発音で弟子へと命令を伝えていく。
「はいお師さま」
プラタは言われるままにメモに取っていき、次に"グラス"へと口を当てた。
『一番通達、方位据え置きで仰角を五度上方修正してもう一発おねがいします、どうぞ――』
口に当てたグラスを今度は耳に当てて、器の底に繋がれた糸をピンッと張る。
『確認よしっ』
その一動作が終わるとグラスを置き、次に隣のグラスを取って同じようにする。
『二番通達、現状維持のまま固定で再射を願います、どうぞ――確認よしっ』
合計で5つほど並べられたグラスに順次声を当てて、プラタは繰り返していく。
"糸電話"の要領で離れた砲手達へ伝達する、原始的だが有効な通信手段。
5台のカノン砲と砲兵部隊は、命令内容に準じて再度砲撃を行った。
「お師さまー、大丈夫ですか?」
「ありがとプラタ。問題ないよ」
「気分悪くなったらいつでも言ってください」
我が愛弟子は"戦場の悪感情"からくる、私の体調不良を心配してくれていた。
しかし実際的に調子を崩すなどといった、ヤワな時期はとうの昔に過ぎ去っていた。
確かに読心の魔導を開眼してからしばらくは、読みたくもない記憶や感情が四六時中襲ってきた。
(若かったなぁ――)
あの懐かしき日々を思い出す。王国の一般家庭の子として生まれた。
夢見る少女だった、恋に恋する乙女だった。
憧れた人がいる王立魔術学院へ、猛勉強して特待生として入学するほどに。
でもどうしても、どうしたって、どうしようもないほどに、今一歩を踏み出せなかった。
だから本当にただ一心で願い続けていた――"あの人の気持ちが知りたい"、と。
(それで実際に魔導に至ってしまったのだから、我ながら……)
そんな過程で開花してしまったものだから、まともなコントロールもできず未熟なまま振り回された。
叶えたかった願いも成就した……確かにあの人の気持ちを知ることはできた。
しかし読み取った想いが、自分の願望に沿うかは……――まったく別のお話。
まさに"若気の至り"そのものであり、若くして魔導に至ったことで散々な目に遭ってしまった。
"憧れは幻想だった"し、当然ながら人間不信からも免れることはできなかった。
それ以上に周囲からの記憶と感情の濁流で、単純に精神がどうにかなってしまった。
(う~ん、忘れたい"黒歴史"――)
ベイリルの記憶から読んだ単語が、この際はとてもしっくりくる。
魔導によって自分の記憶を消すこともできるが、いくらなんでもそこまではしない。
今となっては大切な思い出とも言えるし、現在の自分を形作るものゆえに。
(なんにしても……)
私にとって戦争とは単純に好きではないこと――と言うのが正しい。
暑いから嫌い、寒いから嫌い。食べにくいから好きじゃない。言ってしまえばその程度のこと。
いまさら戦争でどうこうされることもなく、ただ面倒だから"つらい"と言って押し通しているだけ。
神族の血が発現し、長きを生きて今さら動じることなどない……だから学園に引きこもっていた。
終わりの見えぬ魔導研究も飽きてしまったし、世界中もおおむね巡って回った。
私よりも遥かに長命のくせに、一体どこから湧いてくるのか――"あの人"みたいな行動力もない。
だからと言ってわざわざ自ら命を絶つのもバカらしいことこの上ない。
感情の起伏がなくなり、無味乾燥とした人生をなんとなくで過ごしていて――ついに変化がおとずれた。
(ベイリルのおかげ――な~んて面と向かっては言わないけどねん)
彼の持ち得る記憶は……長きを生き、数多の人生を読んで追体験してきた私の度肝すら抜き去った。
一個人の情報量もさることながら、あまりにも未知で想像だにしない事柄まみれ。
大昔のように気分が悪くなるまではいかなかったものの、単純に噛み砕いて処理しきれなかった。
半分は死んだような人生から解放され、また新たな生を与えられたような気分だった。
だから"私だけの野望"の為にも、どうしてもと頼まれればこうして戦争参加するのもやぶさかではない。
3度目の一斉射の為の指示をプラタに言い、プラタが各砲手へ伝達する。
眼前の様子と"受信する映像記憶"とを、ダブルで眺めつつ……なんとはなしに口からついて出る。
「"弾着観測砲撃"――」
いざやらされてみて、その呆れるほど有効な戦術に舌を巻く。
もともとベイリルの記憶として知ってはいたものの、いざ実践してみるとまた別物であった。
機動力と視力を兼ね備えた観測手のテューレから読み取る、戦場のリアルタイム映像。
その映像記憶を"読心の魔導"によって受信して、砲手へと適宜指示を出す――ただそれだけ。
戦いとは基本的に距離がモノを言うものであるが、こうも一方的に敵軍を引き裂くとは……。
一般的な攻撃魔術の射程を超越した距離から飛んでくる砲撃は、あまりに一方的でしかない。
たとえば魔術の攻撃や防御に統一性を持たせる為に、戦列を組むことは珍しくない。
特に王国軍は奴隷を盾にして、後ろから魔術を浴びせ掛けるという戦術を多用する。
しかし観測と砲撃の両輪の前では、それらは単なるどでかい的に過ぎない。
不意撃ちの一撃。敵軍は戦列ではなく移動軍列ではあったものの……それでも凶悪の一言。
なにせ魔術士軍団を防御行動に釘付けさせるだけでも、凄まじい効能である。
相手の次なる軍事行動を阻害するだけで、こちらのペースにハメることができるのだから。
(それに、ねぇ――)
さらには展開した防御魔術を嘲笑うかのように、別地点へ効力射を集中させることも可能。
かつて自分も戦争には何度も参加したことがあるし、なんなら鬱屈して暴れ回っていた時期もあった。
こんな長距離砲撃は、それこそ戦闘を専門にする高等魔術士級でなければやれないような戦い方だ。
確かに勝利には必要なことで、その為にわざわざ自分を呼んだのもうなずける威力。
(怖いね~、コレをほんの数年ぽっちで用意した商会の技術力の向上速度もこわいこわい)
この一方的な戦術を成立させるにあたっては、およそ三つの要素が存在した。
一ツ、魔術的に反動を逃がし一部を推進に変えうる、超射程・高精度のテクノロジー兵器。
一ツ、上空から戦況・戦果と弾着を確認する飛行観測要員と、行動範囲における制空権の確保。
一ツ、遠く離れる観測要員からの情報を、映像記憶として瞬時に受信し、指示を出す"読心の魔導"。
卒業記念講義で、魔術とは"認識"が大事であると教えたが――
それをこういう形で戦争にして、実験的にやるあたりベイリルはほんっとに可愛くない。
無線通信あるいはその代替となる魔術具が実現すれば、自分がわざわざ出張ることもない。
調練した軍人と兵器の確保で、どの部隊でも運用可能になるのが魔導科学であり、それら技術体系。
さらに飛行技術やレーダーなどが発達すれば、魔術を使えない人間でも観測主になれる。
当然ながら糸電話なんてものも不要であり、もっと広域に配備して相互通信しながら敵軍を撃つ。
それすらも戦争の一部分だけであり、テクノロジーのもたらす恩恵の一端に過ぎないのだ。
「んんっ……防壁が安定してきたな」
「魔術士部隊ですか? どうしますか?」
「王国の魔術士だからねぇ――」
科学魔術兵器たる商会試製カノン砲は、すべてが十全に機能しているわけではないものの……。
これでもかというほど様々な工夫が、試験的に施されている。
長い砲身と施条痕に、魔術的な減音・放熱仕様と強度を確保した耐久性。
形状や粘性などまで突っ込んで生成した化学装薬や、いくつかの魔術砲弾。
砲を自在に動かし固定する為の土台機構から、後装式の薬室に装填する為の機構まで。
なによりも反動の方向性をコントロールし、全てではないが一部を推進力へと変える魔術装置。
これは発射方式を火薬と雷管によって代替することにより、空いた容量を利用して可能となった技術。
既存の魔術砲は、砲弾の推進にも魔術を使う。砲弾ではなく魔術それ自体を撃ち出すモノもある。
そこを化学で代替することで、空いたスペースに反作用の方向操作の為の魔術紋様を刻み込む。
複雑な術式だが、そこはリーティアという希代の才能と"セイマールの遺産"による魔術具作成ノウハウによるもの。
通常、魔術砲では砲身を長くするほど推進力も増すが……同時に反動も大きくなってしまう。
しかし試製カノン砲では、逆に砲身が長いほど反動を有効利用しやすくなるのだ。
実際には全体バランスを考えねばならない為、そう単純ではないものの……。
長い砲身というものが、機構そのものを支える利点にもなりえる。
さらに魔術砲は込める魔力によって砲撃の威力が不安定で、非常にまちまちになってしまう。
個人運用レベルでも精度はバラついてしまい、集団運用であればなおのこと安定からは程遠い。
しかし正確に計量した装薬であれば、砲撃の結果を限りなく"均一的"にすることができる。
また装薬を増やしたり減らしたりすることで、威力調整も容易いのである。
兵器としての安定性――それは正確なデータとフィードバックに繋がり、より効率の良い戦果を生む。
木造帆船で使ったとしても、負荷を限りなく抑えるテクノロジーの結晶。
それらを適切に運用する為の手順を含めて完成を見る、圧倒的な継続火力。
「別のとこ狙おっか。プラタ、一番砲の仰角を――」
敵軍にとってはまったくもって未知との遭遇であろう。
的確に軌道修正し、陣形における弱点部分となる場所へと、集中砲火されるのだ。
視界と常識の埒外から飛んでくる砲弾は、恐怖と混乱を軍全体へ伝播する。
それでも王国の魔術士が本気で防壁を張るのであれば抜くのは難しいだろう。
大昔から伝統を受け継いできた最強の魔術国家の実力は、出身国である以上よくよく知っている。
だが戦列ならばともかく軍列であれば穴はいくらでもあり、それを狙い撃てるのがこのカノン砲である。
「あっお師さま、四番砲に不具合発生だそうです」
命令伝達途中に耳元にグラスを当てたまま、プラタがやや曇った表情で告げる。
「原因は?」
「えっと……不明なので余剰員含めて、洗い出しをしたいと」
「許可すると伝えて、今後の為にもどんどん優先しちゃっていいから」
「了解です」
基本的な設計は同じでも、あくまでどれも試作品であり、それぞれ仕様は微妙に異なっている。
そういうデータを収集するのも目的の一つ、さらには砲弾と装薬にも限りがある。
戦争における火力として無理にこだわる必要はなく、最初に突き崩して軍を乱す役割は既に十分に果たした。
そして――4度目の一斉砲撃音に、別の爆発音のような混じっているのは聞き逃しようがなかった。
「あぁぁああっっ!?」
声を上げるプラタと共に音の方向を見ると、一番砲台の辺りに煙が見えた。
「うわっちゃ~……二台もダメになったか。私が応急処置しとくから、衛生兵呼んできて」
「はいっ! お師さま!!」
全速で駆けていくプラタから、煙の方向に視線を移して地面を蹴って私は宙を舞う。
「魔導科学の発展に犠牲はつきもの――」
自分自身が砲弾のように一筋の放物線を描きながら、一息で到着するまでに思考を巡らせる。
ある視点から見れば、商会のそれは冥府魔道を歩み果てることにも他ならぬだろう。
そしてその中心であり推進しているのが、私を含む者達であるということを。
(見届けなくっちゃぁね――)
己が責任と信念とを果たすべく、商会唯一の魔導師たる私は薄っすらとした笑みを浮かべたのだった。