#134 暗殺信条 III
「貴殿が"暁闇の死神"か?」
王国軍陣地で一撃を見舞い、さらに離れた場所で俺を叩き墜としてくれた眼前の男。
俺は焦燥や動揺を無様に晒すようなことはなく、あくまで平静を保って言を返す。
『そんなご大層で、物騒な名がついていたとはね――確か三代神王ディアマに付き従った三人の内の一人だったな』
俺はディアマを信仰していたカルト教団にいた頃に、教え込まれた歴史や教義の一部を思い出す。
歴代で最も苛烈であった、武を司る三代神王ディアマには三人の従者がいた。
その内の一人が"死神"の通り名で、視界に入った敵は全て惨たらしく命を散らせたという。
"暁闇"については、気が緩む夜明け近くを狙って、俺が暗殺を繰り返していた為に付けられたのだろう。
「学があるようだ、ディアマ信仰者か――」
『いやあいにくと違う。むしろ過去のことを思えば、クソ喰らえってくらいだ』
相対し悠長に話しかけてくる男に対し、俺は軽口を叩くように余裕を見せる。
空中でもらってしまった一撃、それ自体にダメージはない。
しかし"六重風皮膜"の五層目――"音振反応装甲"までをたった一撃で破られた。
残るは肌一枚の"圧縮固化気圏"の防護のみであり、とっさに身躱してなければ斬断されていただろう。
さらには甘く見ていたところにもらった精神的な衝撃も……決して安くはなかった。
「そうか、ならば手心もいるまいな」
『手心……? ってことはあんたはディアマを信奉してるのか。つまり信徒同士であれば、と』
「今夜限り――いやもう今朝になるか、命脈の尽き果てる貴殿にはもはや関係があるまい」
その男は一般兵の兜や鎧を脱ぎ捨て、コート姿となる。
腰元まで伸びた黒めの長髪に整った顔立ち。オーソドックスな長さの剣を両手で握る立ち姿。
目線は真っすぐ外すことなく、一切の隙を感じさせない。まさに達人然とした佇まい。
『さいですか、そんじゃま……せめて最期に俺を殺すあんたが、一体何者なのか聞いてもいいか?』
「王国"円卓の魔術士"第二席、王国"筆頭魔剣士"テオドール――」
その男の自己紹介に、俺の瞳は大きく見開かざるを得なかった。
情報にあった王国軍の"鬼札"の内の一枚。大物どころか超物と言っていい獲物。
『なるほどなるほど、これは大魚が釣れたなぁ』
「釣られたのは貴殿のほうだがな」
テオドールという名の男は、魔力を通された紋様輝く――"魔鋼剣"の切っ先をこちらへ向けてきた。
なるほど、あれで五層目まで斬り抜かれ、また叩き墜とされたのなら納得もいくというもの。
抜かれる途中の"伝家の宝刀"は、まだその刀身の全てを見せずとも……異様なほどの剣圧が俺を襲う。
『まさか一般兵に扮しているとはね。でもあんたを殺せば、俺は目的達成だ』
「暗殺者風情が、我に勝てるとでも?」
『ふゥー……やってみりゃわかんでしょ』
"六重風皮膜"を掛け直しながら、俺は両手を僅かに広げ半身に構える。
「痴れ者が、今生から失せよ」
予備動作なく、いつの間にか振り下ろされていた刀身。
暗闇の中で最短距離を駆って迫り来る――確実な致死を伴った斬撃。
しかし空気の流れを感じ取る俺にとって、それは十分に視える攻撃だった。
層をズラすように体を躱し、発勝する真気をもって"無量空月"を抜き放つ。
首を狙った圧差真空と固化空気による"太刀風"は――しかして魔剣士には届かない。
肌の手前で"見えない障壁"に弾かれたように、血の一筋も残すことができなかった。
(魔力を純粋な形で、エネルギーとして使うタイプか……)
薄暗闇へ目を凝らして見れば――わずかに色味の歪んだなにかが、男の体と剣を包んでいた。
それは魔力そのものを魔術的に力場として現出させ、纏うように扱う術法にして技法。
その形成と保持はかなりの習熟を必要とし、また魔力の消費も通常の魔術に比べてかなり大きい。
ただ障害を全てクリアしたならば、不純物なきエネルギーは直接的に形作られる。
仮に出力を確保し研ぎ澄ませるのであれば、爆炎だろうが流水だろうが暴風だろうが大地だろうが……。
有象無象の区別なく斬断することが可能で――魔法具"永劫魔剣"はその窮極形である。
闘技祭などでも使われた、魔術結界も同じ原理。あれは観客の魔力を流用する大規模なものだった。
"フィクション脳"的に言うのであれば、"無属"性魔術とも言うべき魔力の一形態。
さらには結界として力場で覆われてしまうと、内部への魔術干渉に対する防護壁としても機能する。
使用魔力に糸目をつけないのであれば、ほぼどんな物理的作用も防ぐことができるのである。
大きさも自由自在であり、"筆頭魔剣士"テオドールは剣だけでなくそれを鎧としても使っているのだ。
恐らくはステルス状態であっても、その索敵範囲内に引っかかったのかも知れないと類推する。
「――暗殺者風情と侮った非礼は詫びよう。風の剣……貴殿は魔術剣士か?」
『いや剣だけじゃない、なんでも使う』
「そうか――剣士たれば尋常なる立ち合いにしようと思ったが」
『ご期待に沿えずに申し訳ないね』
「なれば暗殺者に相応しき末路とさせてもらう……その首をもってな」
『やってみろ』
俺は右手に残る風の刃を無数に枝分かれさせ、さながら七支刀のような系統樹の剣へと形成する。
さらに左手には小型の"風螺旋槍"を構築して回転数を全開にする。
「死せよ」
こちらが"暴風加速"して動き出すよりも、テオドールの方が一歩早かった。
瞬時に間合を詰めて"先"を取ってきた男に対し、俺は"先の後"を狙って反攻する。
『――疾ッ!』
見えているのか、感じているのか。薄暗闇で捉えにくいそれを、テオドールはまとめて斬り伏せた。
系統樹ブレードの枝刃を丸ごと全て、風ドリルの回転風圧もものともせずに一刀の下に。
さらにまったく変わらぬ勢いを保って踏み込みながら、俺の胴体も切断すべく剣を振るう。
俺は切断されて余った掌中の風を圧縮しつつ、両手それぞれに風塊を作り出した。
『"二連烈風呼法"!』
テオドールが放つ魔力力場の刀身ではなく、持ち手と足元の空間に風をぶち当てて肉体ごと軌道を逸らさせる。
纏った魔力力場の鎧をわずかに削りつつも……ダメージを与えた手応えまでは感じなかった。
「ぬぅッ貴殿……往生際をわきまえよ!!」
『人間は皆いつかは死ぬもんだが――少なくとも俺が死ぬのは今じゃあないッ!』
俺はそう告げて、筆頭魔剣士へ体を正面を向けたまま大地を蹴って後ずさっていく。
これ以上長引けば増援が到着し、包囲されかねない以上は遁走の一手が最上と判断した。
「逃がさん!!」
『あいにくと逃げ足には自信がある』
しかしテオドールも負けてはいない、決して離されることなくついてくる。
さらには魔力力場をより強固に収束させ、その刀身を長くしていた。
(う~ん……プチ"永劫魔剣"かな?)
相対距離を埋めるほどの長さを確保した、筆頭魔剣士テオドールの魔力力場ブレード。
俺の"斬竜太刀風"にも似る研ぎ澄まされた刀身は、まともに喰らえばマズいと直感させる。
『致し方ない』
俺は加速に使っていた風を反転させ、右足で大地を蹴った。
同時に"発勝する真気"をもって、左腰から"無量空月"を抜き放つ。
進行方向と真逆へ瞬時転換され、追っていたはずが逆に突っ込まれてしまったテオドール。
それでも反射的に受け太刀し、半ばほどで切断された"太刀風"は相手の肉体へは届き得ない。
「愚かな、不意など討てんッ!!」
太刀風を振った勢いが余って、背を向けていた俺へと叫んだテオドール。
刀身伸びし魔鋼剣を振りかぶっているのを、俺は空気で視て相対位置を含めて把握していた。
受け太刀された一撃――それは左足を前に踏み込んだ超神速の居合術だった。
一斬目が防がれようと、回避されようと、その一撃によって生じた真空が敵を引き込んでいく。
さらには真空となる直前の空間に存在していた大気を、風速回転に利用し瞬間的に加速する。
真空吸引に導かれるように――纏った風も、加速に使用した空気も、再形成した"太刀風"へと収束させる。
円を描く動きの全てが……一つの流れとして、その"隙を生じぬ二段構えの術技"は完結する。
「――"天裂空閃"」
刃を振り切ったところで俺はそう術技の名を呟いた。
今度こそ魔力の力場によって形成された鎧相手にも徹した手応えがあった。
「ぐっ……おぉ」
鮮血がコートを少しだけ染めるが、テオドールは気にも留めないかのように構えを崩さない。
「貴殿がどうあれ、剣士として認むる。我が全霊をもって相手しよう、名乗れ」
殺意が満ちる空間に怖気が走るも、俺は解きほぐすように言った。
「いや……ん、ゴホン」
いつの間にか音圧操作した声が元に戻っているのに気付き、咳払い一つで改めて変声し直す。
『お楽しみは本番に取っておこう』
「……なんだと?」
『今はまだ決着の時じゃない』
ハーフエルフの強化感覚と赤外線視力、さらに与えた一撃を考慮するならば……。
このまま続行すれば、いっそ俺が有利とも言える状況かも知れない。
さりとて、ただ勝てばいいというものではない。
多少離れたとはいえ、ここが敵地であることに以前変わりなく。
このまま長引いたり辛勝することになれば、その後の包囲は免れえまい。
そもそも相手は本気を出していなかったのが全身で感じ取れる。
勝てるかも知れない、それでも未知数が大きい以上は無理をすべきではないと判断する。
「軽調子も大概にせよッ!!」
隠すことない怒気。実直にして愚直、頑固にして一徹。生粋の武人。
しかしそこをかわすのが、飄々たる風の妙味である。
『なぁに、あんたは必ずこの俺が殺す。だから指折り数えて待っていてくれ』
俺はそう挑発的にのたまいながら"スナップスタナー"を鳴らした。
指向性を持たせた音圧波動として、眼前のテオドールへと叩き付ける。
しかし円卓の魔術士第二席たる"筆頭魔剣士"は、腕を一振りする動作だけでそれを難なく斬り払ってしまった。
「"Wuld Nah Kest"!!」
しかしその刹那の間隙を突いて声叫し、ソニックブームの余波を残し俺は最大風速まで加速上昇した。
返す剣の超長刀身が俺の目前まで迫るが、斬断圏外へとなんとか脱出する。
(っぶね、音も切断するとは……喧嘩売ったものの過言にならなきゃいいが――)
俺は心中で生きている実感を噛み締めながら、上がったテンションを落ち着かせつつ飛び続けた。