#07-1 刷り込み
(俺も、変わったもんだな……)
命を懸けてまで化物を相手にし、助けようなどと……前世では考えられない。
だが転生して過ごしていく内に、人格も変わってきたのだろう。
精神は肉体に引っ張られるというやつか、あるいは開き直りの賜物か。
外圧や様々な環境要因に対して、人は慣れて適応するというのがこの際は一番正しいのだろうか。
(なんにせよ我ながらイイ変化だと信じたいもんだ──)
為せば成る、為さねば成らぬ、何事も。
それで命を落とすといった重大な問題に見舞われることなく、良い結果が伴い続ける限りとても素晴らしいことだった。
この意志が、この選択が、いつか後悔することのないよう日々精進し、邁進していきたい。
そんなことを思い致しながら、俺は自分自身の状態を確認する。
肉体は枝クッションによる擦り傷まみれ、多少の打ち身もあろうがそれだけで済んだ。
陸上竜が戻ってくる気配もなく、少なくとも初めての命を賭した実戦にしては己を称賛してやりたい気分である。
緊張が解けた俺は、空腹と疲労を押し殺しながら土塊へと歩を進める。
差し込む星明かりに、長めの金髪がわずかに輝き、まだ短くもボリュームのある尻尾は全く隠れていない。
頭からは小さい狐耳がお目見えする少女が、すすり泣きながらうずくまっていた。
「ぁ……ぅ──」
「大丈夫だ、もう大丈夫……」
ゆっくりと近付いた俺は、"獣人種"の少女を……抱き寄せるように頭を撫でてやる。
かつて母さんが俺にしてくれたように、俺が幼馴染にやっていたように──優しく包み込んでやる。
すると女の子はは堰を切ったように泣き出し、俺はいつまででも胸を貸してやる。
涙や鼻水その他諸々で汚されても、全く嫌悪感を感じることもなかった。
(もしも俺に娘がいたなら……)
転生前の自分をつい思い出してしまう。フラウにしてもそうだった。
順風満帆に結婚して子供に恵まれていたら、このくらいの年頃がいてもおかしくないのだ。
父性と庇護欲を掻き立てられる。
この子は俺が守護らねばという想いにさせられるようだった。
◇
パニック状態からひとしきり泣いた後に、落ち着いた狐人族の少女。
彼女は鮮やかな炎色を湛える、やや垂れ目がちな二重でこちらを覗き込む。
「……おにい、ちゃん?」
「ごめん、君の兄ではないんだ。お兄さんも一緒にいたのかい?」
俺が問うと、少女はふるふると首を横に振った。
「ううん、おにいちゃんいない。おにいちゃんがおにいちゃん?」
「んん? あぁ、そういことか」
別に実の兄がいるというわけではなく、ただ俺の姿を見て「お兄ちゃん」と声を掛けただけである。
(実際の中身は"おじちゃん"とか"お父さん"なんて言われても、否定できない年齢なわけだが……)
リーティアは子供の俺よりも小さく、肉体年齢でも年下だと思われた。
「それじゃあ俺がお兄ちゃんだ、そう思ってくれていい。まだ怖いか? どこか痛いところはあるか?」
「……もう、だいじょうぶ」
とりあえず言葉は理解できていて、かつ判断できるくらいには意識もはっきりしているようだった。
頬を伝う涙の痕があるものの、思ったよりも強い子のようで……どうやらさほどの心配は必要なさそうだった。
「そっか、俺の名前はベイリル。君の名前を教えてくれるかな?」
「"リーティア"」
「いい名前だね」
「ありがと……ベイリルおにいちゃん」
リーティアと名乗った女の子は、俺の服の端っこをぎゅっと掴んで離さない。
(随分と懐かれたな……まるでヒヨコの"刷り込み"みたいだ)
まるで卵から産まれたばかりの雛鳥が、初めて見た相手を親鳥だと思い込むように。
そこではたと気付かされる。
(あるいは、もしかして──"それ"が狙いってわけか?)
俺を買った男──巻き布で顔を完全に隠していたのは、まさしく顔を見られて覚えられないようにする為。
そうして幼い奴隷を真っ暗闇の中に放置し、極限状態に置くことで一度"リセット"する。
その上で無明の地獄から救い出し、味方であることを装い、施しを与えたなら……子供は従順な存在になるだろう。
(自作自演による刷り込み、可能性は大いにありえる。結果的に俺が横からかっさらう形になってしまったが……)
戦乱が多い異世界。子供を抗争や戦争の消耗品として扱う為の下準備としては理に適っていると言えよう。
地球でだって日本こそ平和だったが、他国ではついぞ問題になっていたことだ。
「なぁリーティア、立てるかい?」
コクリと頷いたリーティアに手を差し伸べ、掴んだ手を優しく持ち上げた。
「リーティアと同じ子供があと二人いるんだ、助けてあげないと」
「わかった」
素直に後ろをついてくるリーティアと握った手を離さず、俺は空いた右手に"風螺旋槍"を形成する。
「ベイリルおにいちゃん……すごい」
「ありがとう、少しだけ待っててね」
土塊構造物の外壁を削岩し、しばらくして開通させる。
「おに……」
「鬼人族、少年か」
ラディーアと同じ種族。ただし鬼人族の女が二本角なのに対して、男は一本角である。
額よりもやや上に、まだ丸みを帯びた一本角の少年は、寝そべったままピクリとも動かない。
(──呼吸はしている、ただ衰弱がひどいな)
手指が血だらけで、爪もいくつか割れているようだった。脱出しようとしてかなり無理をしたのだろう。
熱はそこまでないようなので感染症などは今のところ心配なさそうだが、だからと言って予断は許さない。
俺は不衛生なドーム内から少年の体を穴から外まで運び、ドーム外壁に寄りかからせてその体を軽く揺すってやる。
自分よりも大きく重い少年を、担いだまま逃げ出すことは無理なので、どうにか起きてもらうしかない。
(それに……鬼人族の肉体強度はよくよく思い知っている)
「ッ……ア、ウアアアァァァアアア!!」
覚醒した少年は怯えと恐怖ばかりが瞳に映っていた。
肉体的には大丈夫でも、精神的には追い詰められていたのだろう。
暗闇というものがどれだけ人間の精神を害してしまうか……まして小さな子供である。
「安心しろ、助けに来た」
俺は少年の首の後ろに腕を回してグイッと抱き寄せ、額を肩に当てさせ思う存分泣かせてやった。
それを見たリーティアがよしよしと頭を撫ではじめる。
男の子ゆえか、さすがに泣き喚くようなことはなかった。それでも弱々しい嗚咽が途切れ途切れに……。
どれだけの感情を溜め込んでいたのか、俺には慮ることはできない。
しばらくして少年は我に返ったのか、キレ長の瞳をぱちくりさせて状況把握に思考が止まる。
「あぁ……う──だれだ、おまえ」
「俺はベイリルだ、よろしくな」
「うち、リーティア」
「オレ……オレは、"ヘリオ"だ」
「よろしく、ヘリオ」
「お、おう……その、おまえらが助けてくれたのか?」
「まぁそういうことになる、感謝しろよ」
俺はドンッと拳を作って、ヘリオの胸元を叩いた。
同年代の男の子であれば、これくらいの距離感で十分だろうと
「よくわかんねえけど、ありがとよ。もうダメかと思ってた……死んだ爺っちゃんに顔向けできねえとこだった」
「あぁ気にするな。もう一人助けなくちゃいけないから、リーティアとヘリオはこのままここで待っていてくれ」
「わかった、手伝いたいが体があんま動かねえ……」
「うん、ベイリルにいちゃんがんばって」
俺はもう手慣れたもので、残ったドームに穴をサクサク開け始める。
空も白み始め、どうやら夜明けは近いようだった。
ピキリッ──掘り進めていた途中で急激に亀裂が広がっていき、俺は反射的に跳び退るのだった。
2022/6/26時点で、新たに書き直したもので更新しています。
それに伴い話数表記を少し変えています。




