#133 暗殺信条 II
「――感傷に浸るのはこれが最後だ」
小さく呟いた言の葉は、風皮膜の外には漏れることはない。
俺達がやるべきことは――可能な限り効率良く、野望へと邁進するということだけ。
メリットとリスクを天秤に掛け、せめて無駄死にとならぬよう人事を尽くすということだけなのだ。
この浮き世というものは、欲得ずくによって動いているし……また動かされるもの。
既に多くを巻き込んでしまったし、後戻りするつもりもない。
ただ今一度、その一歩を踏み出す為に俺は心を強く気合を入れる。
("おもしろき、こともなき世を、おもしろく"――ってなとこか)
それが暗殺を含め、俺の行動全てにおける信条。
確か下の句もあって、本来の意味とは違ったような気もしたが……字面的にはそれで良い。
徹頭徹尾、自由に生きて、魔導科学を求め、未知を知るということ。
犠牲を胸裏に刻んで、しかして気負わず、ただ己が"冥府魔道"であろうとも往くのみ――
俺は天幕内部の状況を把握し終え、"グラップリングワイヤーブレード"の刃先で上部に穴を空けた。
音もなく着地した先には、布で区切られたスペース内で……首輪を付けた獣人女を男が虐げていた。
「お盛んなことで」
とはいえ行軍中であれば溜まるものも溜まる。それを適切に発散することも大事なことである。
「はァ~……」
最初に"酸素濃度低下"の魔術を使い、瞬時に獣人女だけを殺すでなく昏倒に留めた。
さらに微風が天幕内を流れると同時に、俺は指揮官級の男の首を後ろから掴んでいた。
『抵抗したら即座に殺す』
「っ――!?」
『質問に答えてもらう、首を縦に振るか横に振るかだ』
心胆に訴えかけるような音圧操作した低音で、俺は下半身丸出しの男を恫喝する。
「はっ、ハッ、っふ……」
『手荒な真似をさせてくれるなよ。今お前は――』
「ッ誰か――!!」
瞬間的に抑えた首を絞められたことで、指揮官級たる男はそれ以上の言葉が止まってしまった。
ほんの少し手首を返して、籠手に仕込まれたワイヤーブレードを空気圧で射出し首を貫いても良かった。
しかし状況が状況なだけに、別のやり方を選ぶことにする。
『音は外には漏れないようにしてある』
「なっ……がぁ……」
『残念だ――協力を拒むなら仕方ない。拷問してもいいが……専門技術も回復魔術も時間もない』
俺は空いた左手でポケットから小瓶を一つ取り出し、風を回転させて蓋を空けた。
『本来は蒸気で少しずつ吸って慣らすものらしいが……これは原液だ。陶酔か悪夢かは、祈るんだな』
それはインメル領内から回収した魔薬であった。
注射などはないので経口摂取となるが、"自白剤"代わりになればそれで良し。
吐かなかったとしても、行為の最中にエスカレートした指揮官が一人中毒死したという事実だけ。
(これも大事な治験データかねぇ……)
そんなことを思いつつ、少量を強引に口に含ませて飲み込ませる。
ほんの数秒ほどで痙攣したと思えば、呆気なく意識を失い……命をもそのまま喪った。
「体質差もあるんだろうが――もう少し量を考えないとダメ、か」
死んだ男をそのまま放り捨て、俺は小瓶をしまって内部の資料を漁り始める。
それっぽいところ探し、家探ししたこともすぐにはバレないように丁寧に戻しつつ……。
(探すといえば……"ソディア・ナトゥール"、彼女が予想以上の拾いモノだったなあ)
在野から探すのであれば、ソディアやバリスのような人物が良い。
なにせ現時点で上に立つ人間である。大概は何かしら優秀な素養を持っている。
幼少期の玉石混交の中から磨き上げ、じっくり育てていくのも悪くはない。
しかし現在のような急場ではこの際、即戦力こそが手っ取り早くありがたい。
若いながらも海賊を束ねていたのは、その卓抜した戦略眼によるところも大きかったようだ。
海戦で負けなしと豪語していたのもうなずける。理に適い、真に沿った組み立て。
理論と経験の両面からガッチリと噛み合わせ支えるような、若くも隙のない頭脳。
今回の戦地選定や戦略・戦術を含めて主導し、気性の荒いバリス相手にも一歩も引くことはなかった。
王国軍の進路選択において、誰を優先的に排除し情報を集めていくべきか。
ナチュラル焦土戦術を実行しているインメル領内で、あえてどこに食料を置いて誘導すべきか。
「一体どこで学んだんだか」
天賦の才と一言で説明するには……不可能と断言していいほどの領域違いの頭脳に思えた。
それとなく尋ねてはみたものの、上手くはぐらかされてしまった。
つまり何かカラクリがあるだろうことは、ほぼ間違いないのだと察せられる。
(まぁいい、敵だったら恐ろしいが味方だしな。いずれ教えてくれる日を待とう――)
めぼしい資料っぽいものを根こそぎ奪ってから、俺は上空へと躍り出る。
「さーてブラック労働のはじまりはじまり」
◇
毎夜から早朝にかけて敵陣へ潜入して回る、任務であり作業が幾日も続いた。
結局、魔薬は自白剤としての効用は望めず……情報が集まっきてからは暗殺が日課となった。
情報を精査して選んだ敵将校や士官に対し、状況が合致するなら魔薬による中毒死を装う。
そうでなければ"酸素濃度低下"に加え、空気中の酸素や二酸化炭素、オゾンなどを増加させて死に至らしめた。
さらには酸素を供給して支燃・促進させ、広範囲に渡って炎上を加速させて拠点を潰す破壊工作なども敢行した。
都度、集積した情報を拠点へと送り続けて、データを基に戦術を修正していく。
適時、臨時軍部の方策通りに、行軍速度と進軍方向を調整するように立ち回った。
必要以上に足を止めさせても、今度は逆に目標戦地へと辿り着けさせられなくなる。
しばらくして王国兵の間に、暗殺の噂が流れるようになってからは本格的に切り替えていく。
優先して殺したい士官については露骨な暗殺でなく、自然死や不審死になるよう今まで通り呼吸器系を侵して殺す。
それ以外に奴隷に対して手酷く当たってるような人間を選び、攪乱の為に殺す。
陣地から不用心に離れた王国兵や、巡回や斥候で少数になっている警備兵を狙って殺す。
刺殺。絞殺。撲殺。斬殺。圧殺。折殺。銃殺。殴殺。窒殺。埋殺。薬殺。毒殺。
焼殺。凍殺。電殺。爆殺。振殺。溶殺。血殺。剥殺。破殺。墜殺。轢殺。衝殺。
己に可能な範囲で実に多様な殺し方を試して、自身の経験として蓄積させていった。
フラウ達の手前、冒険中に狩った賞金首や賊相手にもやれなかったような、酸鼻極まる殺し方すら……。
「ぼちぼち潮時か――」
俺は物色するのも手慣れたものとなり、空で大きく伸びをしつつ敵陣地を見定める。
警戒や暗殺への対策も最大限高まってきた為に、そろそろ切り上げ時であった。
王国軍から見れば、襲撃者の正体はまったく判然としない。
殺し方も散逸的であり、時にやりすぎなほどの虐殺。
しかして帝国の本国軍は、未だインメル領内には到着していない。
半ば崩壊しかけのインメル領に、これほど無体な行動を実行する者達がいるものかと……。
何重にも思考が雁字搦めにされているに違いない。
敵軍を主軸の一部を削ぎ落とし、行軍の足を引っ張り、時間を稼ぎ、こちらの準備はおおむね整った。
さらに主戦場への経路を絞る目標自体も、ほぼほぼ達成されている。
情報についても俺とクロアーネの収集分だけでなく、さらに"別の情報源"も得られたことで圧倒的優位にある。
「ほんっと疲れたな……」
俺は心底から溜息と共に吐き出す。我ながらだいぶ、精神性が狂れてきた。
日常と非日常を切り分けてはいるものの、いいかげん限界が近いのは身に染みてきている。
(こういう汚れ仕事もやれる部隊というのも必要、か――)
クロアーネがかつて所属していた獣人隷奴部隊ではないが……。
私設兵として、自由に動かせる戦力も欲しくなってくる。
「とりあえず戦争が終わったら、しばらく静養してのんびりしよ」
どこかロケーション素晴らしき場所で、フラウやハルミアと爛れた生活を送るのも良かろうと。
「結局、大物は喰えずじまいだったが……仕方ないな」
俺は敵陣へ降り立ち、ゆっくりと歩きながら考える。
"穏健派将校"は何人か殺せたが、ついぞ戦場で厄介そうな高級将校を仕留めるには至らなかった。
それだけ実力もあり、守りも厳重で、いくらステルスでも危険を感じたがゆえである。
(もっとも……うちの陣容も厚い)
厄介なのは無理に暗殺せずとも、いまや戦争で叩き潰せるだけの戦力がこちらにはある。
そこまでに持ち込む為の戦略・戦術も、ソディア達が用意してくれている。
(陸と海は問題ない、あとは空を――)
思考を巡らせていた次の瞬間であった。
少し離れてすれ違った兵士からの斬撃を、俺は"六重風皮膜"と体滑りによって受け流す。
「ッく――!?」
俺は躱した勢いのままにすぐに跳躍し、そのまま"エリアルサーフィン"にて撤退行動へと移った。
まだ薄明かりもない夜闇に紛れるように、王国軍陣から遠く離れていく。
(見破られた……? しくじっちゃいないはずだが……)
ステルスは万全だった。考え事をしていても無意識に発動しているし、気を抜くほど愚かではない。
となれば何かしらの、"対人センサー"に引っ掛かったのかも知れない。
(結界の類か、あるいは個人的な――)
直後にまたも思考が寸断され、俺は地面へと墜とされていた。
叩き付けられるような勢いで大地へ着地すると、いつの間にか"敵"が視界内にて剣を抜いて立っていた。
恐らくは最初に一撃を入れてきた奴と同じと思われる風貌。
俺に悟られることなく一方的に奇襲せしめ、あまつさえここまで追いついて来たその実力――
男はただただ、ゆったりとした圧でもって……口を開いて俺へと一言問うのだった。