#121 方策会議 II
部屋へ入ってきたのは、俺と同じく商会印の外套を纏った女性。
彼女はフードを取ると……茶の髪色と近しい犬耳をぴょこんと晒す。
「よぉ"クロアーネ"、久し振り」
俺はピッと手を挙げて彼女を歓迎する。
「ごきげんよう、カプラン様」
するとクロアーネはカプランへと向かって、恭しく一礼した。
「これはご丁寧にクロアーネさん、旅は順調でしたか?」
「はい、滞りなく進んでおりました。……呼び出されるまで」
「それはなによりです」
「俺は無視? 態度違わない?」
「相手によって使い分けるのは当然です」
「それだけ俺たちの距離が近いって解釈しようか」
「……呼び寄せたのは、私だけですか?」
軽口を無視してペースを崩さないクロアーネに、俺は自嘲してから答える。
「今はまだそうかな。すぐに連絡取れて自由かつ情報周りとなると、クロアーネしかいなかった」
皆それぞれに自分の道を歩んでいる、それを安易に邪魔したくはなかった。
とはいえ本当に進退窮まったら、フリーマギエンスの面々を招集する必要はあるのだが。
「それで、ご希望通り調べてきた内容ですが……報告書だけ渡し、私は席を外しますか?」
「いやいや、是非このままいて欲しい。幹部打診を断ってもオーラム殿の腹心なのには変わりないだろ?」
「もちろんです」
「それに情報部門にしても、まだクロアーネが統括だ」
クロアーネは一息、溜息とも違うそれを吐いてから席へとつく。
「それと近く"新入り"を預けたいんだけど――」
「あの子ですか……名を"テューレ"。既に挨拶をされました」
「さすがに早いな。それで頼まれてくれるか?」
「そうですね――それで私の負担が減るなら、請け負いましょう」
「是非そうしてくれ、本人も意欲に溢れている」
見込みがありそうでなら、そのままいずれ情報部門を担ってもらってもいい。
クロアーネの往く道が料理であるなら、テューレは情報こそがその正道。
お互いに合致するのであれば、それぞれに優先させてやりたい。
「そんじゃ頼んでおいた"騎獣の民"の現状についてよろしく、てきとうに座ってくれ」
「立ったままで結構です」
クロアーネはそう淡白に言い放ってから、慣れた立ち姿で報告をする。
「彼らは連邦西部方面から北上し、現在はカエジウス特区・インメル領・キルステン領のちょうど中間付近にいます」
「それは休んでいるということでしょうか?」
カプランの質問に、クロアーネは首を縦に振りながら私見を述べる。
「そのようです、既に長期間に渡っています。そこからどの方面へ行くのか、斥候を出している模様」
「つがいフクロウは俺も見た、動き出す前に交渉しに行かないとマズいか」
「えぇ、現在の長は名前はわかりませんでしたが、"荒れ果てる黒熊"の異名で通っています。
十数年前から王の座についているようで、入れ替わりが珍しくない騎獣民族ではそれなりに長い方です」
「それは前線に出ない慎重な性格ってことか? それとも――」
「気性はかなり激しいそうで、騎獣民族の最も荒々しい部分を体現していると評判の野人だとか」
「そいつは重畳、どちらかに寄っているほうが交渉しやすい」
賢い王であるなら理詰めと恩恵によって文化を浸透させやすい。
逆に猛き王なら弱肉強食を叩きつけ、わかりやすい恩恵を与えれば良い。
優柔不断で日和見な無能の王でないのならば、この際は問題なかった。
「部族の数はおおよそ一万五千人ほどで、同等以上の家畜や獣を連れている大所帯です」
「戦闘要員の数は?」
「五千を数えるくらいでしょうか」
「いいねぇ。カプランさん、問題はなさそうですか?」
カプランは一呼吸も置かずに判断を下す。
「彼ら自身の備蓄も考えれば――問題はありません」
「心強い言葉です。であれば後は……交渉する俺ら次第ってことで」
「それと詳しくはわかりませんが……警戒が非常に厳重で、不穏な気配があるそうです」
「んっ、つまり?」
「詳しくはわかりません。私も獣人種です、道中であれば直接潜入し調べたところでしたが――」
要望があれば今からでも行って調べてくる、と言わんばかりのクロアーネに俺は首を横に振った。
「いや――不穏なら無理は必要ない。どのみち向かうところだしな」
「情報を素直に受け取ると……なかなかにきな臭いようですが、仲間に引き入れられますか?」
「まっ、やるだけやってみますよ。やってみないことにはなんとも言えませんし」
「わかりました。ではもう一つの方の補完案をお聞きしましょう」
「インメル領……だけでなく、ワーム海およびその沿岸部を悩ませている集団――」
「"海賊"……いえ正確には湖賊ですか」
「そうです。水軍を手に入れられれば、強兵を移送することが可能になる」
特定戦力を水上輸送によって、大きく経由してぶつけることができる。
また王国軍の海軍戦力と補給を、抑えておく意味でも必要な存在である。
「確かに……ワーム海の波を、最も読めるのは彼らでしょうね」
かつて存在した山脈を喰らい尽くし、その穴に水が流れ込んでできた湖――"ワーム海"。
大地を無造作に掘り食い散らかした所為で、水底も不規則で凹凸が激しい。
さらに国家間を大きく隔てるその広大さは、様々な気候が入り混じる。
それら気圧差によって風も強く、時として大波も起こり、急激な天候変化も珍しくない。
厳密には湖であっても、その内実はまさに"海"なのであった。
「帝国海軍や王国海軍も、ついぞ手を焼いているような連中です。連中を味方に引き込めれば――」
「なるほど、僕は戦については素人ですが……少々読めてきました」
騎獣民族とワーム海賊、どちらも味方にしたという前提で俺は概要を説明する。
「皮肉な話ですが……インメル領は結果的に、自然な焦土戦術が可能です」
疫病・魔薬・暴動などによって、略奪するものが非常に少なくなっている。
つまり行軍における略奪行為による補給の構築が、王国軍にはやりにくい状況。
焦土戦術には通常デメリットが多い。なにせ守るべき場所と人とを犠牲にするのだ。
流れを見誤れば、自国そのものが潰れてしまう作戦でもある。
しかし今回に限っては、既に下地が整っている為に非常に有効と言わざるを得ない。
「海賊による水上移送と、騎獣の機動力を活かした"兵站線の分断"というわけですね」
「その通りです。しかる後に一気攻勢を掛けて、潰走たらしめる――」
糧秣を前線へ送り込む補給線は、王国軍にとってまさに生命線そのものになる。
彼らは帝国正規軍の動きが遅いのも掴んでいるし、インメル領にまともな戦力がないのも承知だ。
それゆえに大軍でもって大規模侵攻を仕掛けてきている。だからこそ逆手に取れる。
大軍であることが、この際は最大の仇となる。王国軍は地獄を見ることになるのだ。
「さらに手段を選ばなければ――他にもやりようはある」
「あまり聞かないでおきましょうか」
「まぁそれは最終手段ですんで」
今まさにインメル領を危ぶむ――"疫病"や"魔薬"を使うという手がある。
焦土戦術と言っても、"水"に関しては水属・汎属魔術によって生み出すことができる。
魔術に秀でた王国軍なれど、輸送する為の動物の分も賄うとなると相当な量になる。
つまり水源を侵すということは、それだけで敵軍の実効能力に打撃を与えうる。
なにせ水が使い物にならないと判明すれば、戦闘以前の問題となってしまう。
それがなければ生きられないのだから、いくら魔力を消費してでも水を作り出すのは必定。
さらに効果的に敵軍を侵すのであれば、すぐに突き止められない毒物を仕込む方法もある。
かつて地球史上最大級の版図を築き上げた、モンゴル帝国。
彼らは投石機を使って、伝染病の罹患者を防壁の向こうへ投げ入れたという。
同じように王国軍の野営地に、病死体を空から落とすということも……その気になればできないことはない。
さらには敵軍の足を止め、また誘導するという意味で……安価で有用な兵器である"地雷"。
罠型魔術具として量産体制はないものの、少量ながら製造して局所的に敷設するくらいなら可能。
しかし戦後処理や今後の戦争への影響を考えると、なるべく自重したいところでもある。
そして――いわゆる"NBC兵器"。"核"・"生物"・"化学"兵器の類。
核兵器はさすがに無理なものの、生物兵器や化学兵器であれば近いものを用意できないことはない。
シップスクラーク商会が保有・研究させている、多種多様多岐に渡る分野群。
その一部には兵器として応用できるものが……少ないながらも存在する。
非人道的な行為を厭わないのであれば、これほど凶悪で効果的なモノはないのだ。
「……何をするつもりなんですか」
「おっ、クロアーネは気になる?」
「場合によっては、私がやらされるハメになるでしょうから」
「確かに、手分けしてやる必要はあるが……つまるところ毒殺や中毒死で奴さんらを――」
「貴方って本当に最低の屑ですね」
こちらが言い終わる前に、冷ややかな言葉でクロアーネは俺を突き刺す。
しかしそんな罵倒も少し心地良く感じてしまうのは、業というものであった。
「まぁまぁクロアーネからしたら、そりゃ"食"を冒涜する行為に映るかも知れんがね」
「当然です」
「それでも必要に迫られたらやらなくっちゃあいけない」
「命令には従います。ただその時はベイリルという、一個人的評価が地に墜ちるだけです」
「今はまだそこまで落ちてないってだけで、俺個人は嬉しいけど」
「会ったばかりの頃より少しマシな程度です」
「ははっなんにせよだ、そういう事態にならないよう願っておくよ。俺だって本意じゃないしな」
「その割には楽しそうに見えますが」
クロアーネの見立てはもっともで――的を得ている部分が少なからずある。
よくよく人を見ている、それが彼女の有能さをよくよく表していた。
実際のところ敵を制覇する為に、上っ面であれこれ練るのは正直なところ楽しい。
不謹慎極まりないし、人の命が懸かっていても……である。
武力から策略まで手段を選び選ばず考え抜いて、それがピタリとハマった達成感はきっと最高の美酒なのだと。
「多少なりと歪んだ性根は否定しない。でなきゃオーラム殿たちと"文明回華"の道なんて歩まないからな」
少し卑怯だったが……その名前を出せば、クロアーネにそれ以上言えることはなかった。
結局のところ数百年の娯楽を求め、未知の好奇心を満たす利己的行為に違いはないのだから。
「あまりにも間違った方向へ行ってると思ったら、その時はクロアーネも止めてくれ」
「言われるまでもありません」
断固とした頼もしい返答に俺は笑みを浮かべた――その瞬間であった。
突然遮音していた領域内に侵入する気配に、俺は瞬時に警戒態勢を取って身構える。
しかし扉を遠慮なしに開け放ち、ヌッと出された顔はよくよく知っている人物。
噂をすればなんとやら――であった。
「いよッ! 久しぶりだネ」
はたしてそこには商会の三巨頭が一人、"黄金"ゲイル・オーラムが立っていた。