#120 方策会議 I
カエジウス特区を離れて、"インメル領"――商会の輸送集積拠点となっている街の郊外。
"遮音風壁"によって囲まれた、たった二人だけの部屋での密談。
俺は目の前に座る人物に、素直な気持ちを吐露する。
「わざわざご足労掛けましたカプランさん。お忙しいのに引っ張りだしてしまって……」
「いえお気になさらず、必要なことですから」
カプランは柔和な表情で口にする。
ハルミアは疾病対策と、魔薬療養のデータ集積の為に欠席。
キャシーはそもそも面倒だと商会幹部の誘いを断っていて、それは今も変わらない。
俺へと意見委任したフラウと共に――領内の治安維持の為、少し出張ってもらっていた。
ひとまずは戦略以前に、どう指針付けをするかという段階。
どう守りどう攻めるかという以前の問題であった。
地理の選定や、敵軍情報の摺り合わせどころの話ではない。
「正直なところ、カプランさんと直接話さないと回らないと思ったんで、本当に申し訳ない」
「こちらこそ外交の段階で決着をつけられなかったこと、悔やむばかりです」
「いやいやそれは仕方ないですって。これほどまでに領地が荒れてちゃね……」
「僕が直接行けていればまだどうにかできたかも知れないですが――」
「そもそも俺が判断して、半ば強行してしまったことです」
ただでさえ多忙で負担を上乗せしているというのに、本当に頭が上がらないことだった。
結局のところ、個人でやれることには限度がある……だからこそシップスクラーク商会を作ったのだ。
責められるべきは、見通しが甘かった俺自身にこそある。
「ではお互いに力及ばず、ということで」
「……そうっすね」
二人して責を負うようなやり取りに破顔一笑に付したところで、改めて俺は口にする。
「それにまだ終わっちゃいない、ここからですよ」
差し迫ってはいるが、追い詰められているわけではない。
「言いますね、領内復興は順調ですが……とにかく問題は"王国軍の侵攻"――戦力の確保にアテがあると?」
「えぇ一応は。ただ問題は兵站管理なんですが……」
俺は言いにくそうにするものの、カプランは一笑して口を開く。
「そちらは問題ないと思います、ニアさんが主導してくれていますから。彼女の手腕は僕も見習いたいです」
「カプランさんにそこまで言わせますか……やっぱ凄いんだなニア先輩――」
インメル領の復興に際して、密かに手伝ってくれていたニア・ディミウム。
ワーム迷宮制覇後に再会した時には、そんなことは微塵にも言っていなかったのに……。
逆走攻略の日にちの間に「もう十分な経験は積めたから」と、こちらを手伝ってくれている。
天賦の才はなくとも不断の努力と、経験によって得難い能力を有する商人家系。
決して態度には出さずに裏から支え続けてくれている彼女には、感謝してもしきれなかった。
「一口に補給と言っても分野も様々ですからね。足りないところは僕や商会員も補助しますし、おまかせください」
「頼もしいです」
たやすく言ってのけるカプランに俺は心の中で苦笑しつつ、頼もしさと共に恐ろしさも感じた。
ゲイル・オーラムやシールフが色々ぶっ飛んでる所為もある。
しかし彼もまた別種の傑物にして超人なのであると、再認識させられるのだった。
「実働戦力さえ確保できるなら、采配についてはどうにかやりくりしてみせましょう。
ただし現状のままでは、直接的な資金についてこれ以上の供出ができませんのでご留意を」
カプランの言う通り、すぐに現金化できる資産はほとんど使い尽くしていると言ってよい。
他の並行事業を切り崩せば賄えないこともないが――それは本末転倒になるだけだ。
それにしたってすぐの現金化は無理なので、見込み手形として安く買い叩かれないとも限らない。
あとはその道の人間に、非公開テクノロジーを直接売り渡すしかないが……それは極力避けたいところ。
「復興は継続する、侵攻にも対処する。両方やらなくっちゃあならないのが"幹部"の辛いとこです」
俺は肩をすくめつつ、それでも声の抑揚は落とさなかった。
「そうですね、それと帝国軍から援軍が早まればいいのですが……そちらにも折衝を――」
「いや……"この期に及んで"と思われるかも知れませんが、そこは最低限でいいです」
今後独立するにあたって、帝国本国からの介入は最小限に抑えたいところだった。
幸いにもカエジウス特区が挟まれる為に、最短・最速の行軍はできない。
こちらだけで対応しきれるとなったところで、帝国軍が腰をあげても後の祭りにしてやりたい。
「大幅に介入するのは俺たちだけでいい。南の"キルステン領"にもご遠慮いただく」
「幸か不幸か……伝染病と魔薬の蔓延が、周辺の行動を躊躇わせていますからね」
「まぁ帝国正規軍が遅れているのは、戦帝の意向だと元インメル卿は言ってたんですが――」
帝国は王とその血族を主権としつつも、各所領貴族の自治権もそれなりに許している。
特区などもそういった例の一つであり、そのバランスが帝国を形作っている。
だからこそ王国軍なにするものぞ。インメル領ここにあり、と示さねばならない。
「どういう意図であれ、戦端を開いたら一気呵成に俺たちだけで決めきらないといけない」
もしも王国軍が勝てば占領され、長引けば領内が荒れ果ててしまう。
帝国本軍によって勝利を収められてしまえば、インメル領に対しどういう判断を下されるかもわからない。
ゆえにこそ帝国からの援軍が来るよりも疾く、王国軍に勝利し撤退に追い込むのを両立させる。
「しかし現行戦力はインメル領軍のみですが……?」
「戦争における勝利とは――戦術でなく、戦略でなく、政治レベルで勝つのが理想ですよね」
「はい、今回は叶いませんでしたが」
戦術的勝利をいくら重ねても、戦略的優位を奪われ負けてしまえば意味がない。
そして戦略的に勝とうとも、政治で負けてしまえば首根っこを掴まれたようなものである。
「そも俺たちはまだまだ所詮一介の商会に過ぎません。基本的に王国との交渉能力はない――」
既に持っているテクノロジーと、未来の知識は交渉材料にはなるだろう。
しかしそれを明け渡すわけにはいかないし、実際に証明し理解させる時間的猶予も少ない。
なによりも主要国家の国力をもってすれば、強引に併呑されかねない危険性を孕む。
各国からハイエナのように喰い散らかされてしまえば、商会などたちまち崩壊する。
"文明回華"という果てなき野望も、全てがご破算になってしまう。
(いわゆる戦の"重心"を攻めるのも難しい)
戦争行動における屋台骨。軍政における中心部を攻めるのが基本である。
そこを履き違えてしまうと、徒労どころか泥沼化することもありえてしまう。
それは独裁政権であれば王様であったり、傀儡ならば役人や軍部であったり。
さらに経済や国力そのものであったり、あるいは世論であったりする。
敵国の民衆に厭戦気分を煽ることで、戦争行動そのものを停滞させることも大いに可能となる。
しかしこたびの王国軍の侵略戦争は、極々真っ当な国力を備えた上での軍事行動。
王権が"核"であろうが、国王それ自体をどうこうする手立てはない。
「正直なところ戦争は門外漢なのでわかりかねますが……兵站を気にしたということは戦略レベルでなら勝てると?」
「俺の思惑が成功したなら、戦術的勝利を重ねて戦略的勝利をもぎとるつもりです」
仮に"前提"が整わなかったら――その時は潔く諦めて、最悪"リン"に泣きつくことも考える。
彼女の生家であるフォルス公爵家を渡りをつけてもらい、王国政府へのパイプを繋いで働きかける。
交渉の場を設けるあたり、諸々のリスクは抱えねばなるまいが……それは必要な痛手と諦める他ない。
「なるほど、具体的には……?」
「えぇ……前線で戦い続けたインメル領の精兵が二千程度、ですよね」
「はい、一方で王国軍は兵站の流れを調べるに、三万か四万規模は下らないようですが」
「実際的には土地を占領しておく為の人員が必要ですから、ある程度は目減りするものの主力は残る、と。
現行戦力比が十倍差を軽く超える、それは恐らく覆らないでしょう。これじゃどうあがいても勝てない」
時に一人の強力な魔術士が、戦局をひっくり返すこともあるのが異世界ではある。
それでも限度というものがある。なぜなら敵もまた戦術級の単一戦力を保有しているゆえに。
片一方が伝家の宝刀を抜くならば、相手も鬼札を容赦なく切ってくる。
それに人間である以上は、体力と魔力にも限度がある。
"五英傑"のような例外も存在するが、彼らは国家に従うようなことはない。
「さしあたって俺の考える自陣戦力の補完が、二つほどあります」
カプランは「伺いましょう」と言った表情で、俺のほうを見据えうなずく。
「空の下で色々と考え事をしていた時に――"つがいフクロウ"が飛んでいました」
「それは……つまり、"騎獣民族"を利用すると?」
バルゥとの話から得ていた話――彼の出身でもある騎獣民族。
騎獣の民は雄雌つがいのフクロウを、探索用の斥候鳥に使っているらしい。
かの民は遊牧と狩猟によって定住せず、世界中を巡っていくように放浪する民。
時に略奪もすることもあるが、魔物も狩猟対象である為に村や街に役に立つ部分も多い。
当然どこの国家にも属することなく、また集団としても精強な為に単純にどこも手を出さない。
カプランはそういった情報にも詳しく、話も理解も早いので手間が省けるというものだった。
「地上最強とも名高い機動力を持つ陸軍です。取り込めればこれ以上のモノはない」
「彼らが従うとは……いささか考えにくいのですが――」
カプランの危惧はもっともなものであった。
まつろわぬゆえに騎獣民族であり、何者からも自由であるからこその騎獣の民。
彼らの心を動かし、統制下に置くということは生半なことではない。
「僕の記憶では……騎獣の民が歴史上誰かの下についたのは、たしか一度だけ……」
「はい、第九代の"大魔王"だけです」
下手をすればそれまでの生き方を否定し、その矜持を踏みにじることにもなりかねない。
命を懸けることにもなるかも知れない交渉は、しかと覚悟しなくてはならなかった。
「騎獣の民は自由であると共に、"弱肉強食"を信条としています」
迷宮逆走でバルゥと合流してから、その帰路を共にしつつ話をよくよく聞いていた。
騎獣民族の風習から生活様式まで、彼らが何を信奉し敬っているのかを――
「それはつまり……力ずくもやむなしと?」
「強き者を尊び――民族の王がその頂点です。俺は最大限そこに敬意を払って対話するだけです」
俺は万感込めるように一度だけ深呼吸してから口を開く。
「それに……違う生き方を――文化を伝えることこそ、"我々の存在意義"ですから」
フリーマギエンスと、シップスクラーク商会を創立させた理由。
世界そのもの文明を加速させ、それらを皆で享受しつつ全員が高みへ昇ることにある。
「僕の交渉術も、さすがに彼らには役に立たないですよ?」
「カプランさんの手は煩わせません。どのみち最初に通じ合う為には、"肉体言語"が必要でしょうから。
荒事に関してはすべて俺たちに任せてください。なので受け入れ体制だけ整えてもらえれば十分です」
「随分とお強くなられたようで。黄竜をも倒すだけのことはありましたか」
「まぁあれは変則的な状況での勝利ですけどね。それでもオーラム殿には及ばずとも、自信は出てきました」
フッと笑い合って、お互いの領分――最も発揮できる形を再確認する。
「俺たちは世界を巻き込んでいくんです。騎獣の民も例外じゃあない」
「遅かれ早かれ……ということですか」
意思があり己で考えることができる種族は、全員が"文明回華"の対象となる。
「その通りです。結果はどうあれ、この巡り合わせを利用しない選択肢はありません」
好機を掴める時に掴めなければ、大望を果たすことはできない。
ここも一つの分水嶺。ゲイル・オーラムを引き入れたように、勝ち波に乗ってみせる。
「承知しました、騎獣の民の数はいかほどでしょうか」
「それに関しては――っと、ナイスタイミング」
部屋の扉を開けて"遮音風壁"を越えてきたのは、茶髪で犬耳を生やした女性だった。




