#119 生命孵化
テューレは一度去り行き、俺はフラウと共に宿の部屋へと入室する。
そこにはハルミアとキャシーも揃っていた。
「意外と早かったな。トロル細胞恐るべし、ですか?」
「どうでしょう……ただにわかに熱を帯びたので、ベイリルくんに調べてもらおうかと」
俺はゆっくりと卵へと触れると、僅かな音波を放って反響を測る。
「いかがですか?」
「お……おぉ――微動してる、生きてるぞ!!」
映像に映し出せないのは残念だが、感覚として確かに伝わってきていた。
輪郭も薄っすらと心臓の鼓動まで、ドラゴンの幼体が中で生きているのはほぼ間違いない。
「なによりです。ただ問題が……」
「問題?」
ハルミアは少しだけ眉をひそめて困り顔で告げる。
「卵の殻が硬すぎて、このままだと出てこれないかと」
「なにっ――いやまぁ確かに当然か」
「何千年もだっけ? そりゃそ~だよねぇ」
「じゃあどーすんだよ?」
ハルミアは卵へ指を沿わせながら、探るようになぞっていく。
「私の"レーザーメス"は通りません。ベイリルくんはソナーで常時経過観察する必要があります。となると――」
「おっけー、まかせてよ」
ハルミアの視線だけで言われずとも察したフラウは、袖をまくって自身の内の魔力を加速させる。
トロル細胞注入用の極小穴を開けた時と同じように、ピンッと張り詰め集中していった。
ただし今回は死蔵されていたドラゴンの卵へ、極小穴をちょっと開けるのとはワケが違う。
今まさに産まれようと卵内でもがく幼生竜の命に関わるということ。
「というかハルミアさん、すぐに施術するのか?」
「既に何千年と経過しているものですし、栄養状況がわかりません。トロル細胞の過剰注入もマズいですから」
「なるほど、蘇生確認したならすぐに出してやったほうが良いという判断か」
ハルミアがうなずいたところで、俺も同意する。
どのみち俺は門外漢であるし、医療術士である彼女の判断であれば従うのみ。
「ベイリルくん、厚さはどれくらいですか?」
「こんなもんかな」
俺は親指と人差し指の間隔で厚さを伝え、フラウがゆっくりと指先を卵へと向ける。
「りょーかい、失敗できないねぇ」
「それでは、ここをこう……縦の線で」
万物を裂き貫く"斥力手刀"の指先を、フラウはじわりじわりと沁み込ませていく。
「ストップだフラウ! そこでドンピシャ」
「慌てないで腰を据えてじっくりお願いします、フラウちゃん」
「ふぅー……いえっさー、あいあいまむ」
じっくりとフラウは、卵の外郭に裂け目を刻んでいく。
俺もハルミアもキャシーもそれを見守りながら、緊張した時間が過ぎていった。
◇
ゆっくりと、ゆっくりと――ついに一本線が周った竜卵は、縦に綺麗に割れる。
しかしようやく出てきた幼体は……うなだれるように動かない。
今にも力尽きて死にそうにも思えるほどの、弱々しさだった。
「フラウちゃん、無重力!」
「っ……うん!」
フラウが即座に周辺重力を緩和し、竜体への負担をなくす。
「ベイリルくん、空気供給!」
「あぁ!」
俺は新鮮な空気を、直接幼生竜の肺へと送り込むように微量な流れを作り出す。
ハルミアは竜幼体を触診しつつ、曇った表情を浮かべる。
「まずいです、鼓動も血流も非常に不安定で弱々しい。トロル細胞の所為か、急激な環境変化によるものか……」
「まじっか、卵内ではちゃんと動いてたのに……確かにこれは――」
俺は強化感覚で耳を澄まして幼竜の体内状況を探るが、門外漢な以上はやばそうということくらいしかわからない。
なんにせよせっかく産まれた命が危ぶまれる、事態は深刻だった。
「キャシーちゃん、電気をお願いします」
「ぅええ、アタシも!? そんなことして大丈夫なのか!?」
それまで固唾を飲んで静観しているだけだったキャシーが、普段は見せぬ慌てふためいた声をあげる。
ハルミアは説明を求めるように、俺へと視線を向けてきた。
彼女としても実際に試したことはない以上、不安な部分もあるのだろう。
「不整な心臓に電気を流して、自律機能を復活させる方法がある。キャシーにしかできない」
神妙な面持ちで、俺は"電気ショック"をキャシーへと促す。
俺とて電気はほんの少し扱えるようになったが、繊細な操作は到底無理であった。
ジっと全員に見つめられてキャシーは、ゆっくりと深呼吸を一つだけついた。
「今のキャシーちゃんなら、できるはずです」
「信じてるよ~、キャシー」
「キャシー頼んだぞ、お前自身もやってるように体内の電気信号を意識しろ」
「はっ……ふぅ――おう、わっかんねえけどやってやる」
「指と指の間に心臓を置くように、挟んでください」
キャシーはゆっくりと両手の人差し指で、幼竜を胴を優しく挟み込む。
「電圧は少しずつ上げていきます、最初は本当にわずかで大丈夫です」
「あ、あぁ……わかった」
「もし感覚的に可能ならそのまま調整してみてください。おかしいようなら止めます」
「くぅぅううぁあああーもう、まかせろ!」
「ではまず一回目――はい!」
ハルミアの言葉に合わせ、ビクッと幼竜の体が電流によって動く。
「ベイリルくん――」
「空気供給のタイミングはこっちで合わせるんで、大丈夫です」
俺はハルミアから説明される前に、そう表向きは自信をもって答えた。
元世界の自動体外式徐細動器講習を思い出しながら――しっかりと新鮮な空気を調整する。
交代したハルミアが、ゆっくりと心臓マッサージを幼竜へと施す。
まだ動かないのを見てから、再度キャシーが電流を流す――その繰り返しでまた時間が過ぎていった。
「クァ……キュアァ」
か細くも確かな鳴き声が、小さな部屋に響いた。
軽減重力下のハルミアの両手の平の上で、小さく呼吸する生命の息吹。
人間の赤ん坊も泣くまでが重要だと聞くし、ひとまずは安心に思えた。
「よかった……予断は許さないですが、ひとまずはみんなの成果です」
一通り様子を観察したハルミアが、安堵した様子でそう言った。
「よっしゃあ!!」
「は~良かったぁ、こんな緊張したのはじめて」
「なんというか、やりきった感が半端ないな」
産湯につけて汚れを洗い落とし、竜の子の容体も安定しているようだった。
「色は灰色か……あの爺さんの言葉を信じて、順当に考えれば"白竜"と"黒竜"のハーフかね」
竜卵も黒と白のマーブル模様であるし、純血種同士となるとそれしかないだろう。
「キャシー、泣いてる?」
「ばっか、うるせえ……おまえだって泣きそうじゃねえかよ」
「んぇっ、まぁ感動するもんねぇ……ぐすっ」
2人の鼻をすする音と共に、幼竜は小さい瞳を開けて何度も嘶いた。
「鳥みたいな……最初に見た者を親と思い込む、"刷り込み"はあるんかね」
「どうでしょう? 純血種は特に智恵があるみたいですから、いずれ自分で判断するんじゃないですか?」
恐竜は鳥の祖先とされるが……異世界のドラゴンはまた別種である。
迷宮制覇後から調べた限りでは、単なる大きい爬虫類などでは決してない。
竜種はかつての旧き時代において独自の文化を尊び、統一国家のようなものを形成していたという。
しかしそれも神族との戦争に破れ、頂竜と共に多くがいずこかへと消え去ってしまった。
竜文明は初代神王の手によって徹底的に破壊され、その後の年月を経て種族単位で弱体化したとも言われる。
それでもなおドラゴンは、数は少なくとも種族として精強を誇る。
巨体を支える骨格と特異な筋繊維の塊。潤沢な魔力による強化と飛翼によって大空を駆ける。
強靭な鱗に覆われた肉体は重装甲が如くであり、剛性に優れた爪牙は天然の武器となる。
それぞれに属したブレスを吐き散らし、ありとあらゆる獣の王として君臨していた。
その中でも純血種と呼ばれるのが"七色竜"であり、混じりっ気のない長寿命の最上位竜。
人語を解すばかりでなく、喋ることも可能。一説には神族のように魔法をも使えたとされる。
調べれば調べるほどに、色々な条件が重なったとはいえ"黄竜"に勝てたのが不思議であった。
もしも全盛期であれば勝ち目は一切なかったように思えるほど、過去の神話には事欠かない。
あくまで"無二たる"カエジウスに使われているだけで、全力には程遠く手加減してくれていたのかも知れない。
「要は愛情をもって育てりゃいいってことだろ?」
「キャシーが愛情だって~、似合わない」
「んだと、フラウ。アタシだって昔に獣を飼ってて――ってぇ!?」
「じゃっあーしが、"人の愛"を教えたげよう」
「やめろォ! こっちでまで負けたくねえ!!」
「うっはっは、観念するがよいぞ」
キャシーの肢体にするりと、フラウが絡むように手を伸ばす。
ナニをされるのか察したキャシーはそれに必死に抵抗し、抑え込み対決が始まった。
「そいえばさ、契約ってすんの?」
キャシーと絡み合うようにじゃれあいつつ、フラウは顔だけを向けてそう言った。
カエジウスに見せびらかすついでに、契約を結んでもらってもいい。
しかし疑問を呈したフラウも含め、不思議と全員の意見は一致していた。
「別っ、にっ、いらねえっ、だろ!」
言葉を区切りつつフラウの魔の手を躱しきり、キャシーは乱れた衣服を正す。
「キャシーの言う通りだな。ノビノビ育てて、自由にさせてやろう」
「ですねぇ」
「だよね~」
カエジウスには正直なところ……あまり関わりたくないというのも本音であった。
彼としては意趣返しのつもりで竜ではなく卵をよこしたのだから、それが無事生まれたというのは面白くあるまい。
今さらどうこうするのは矜持に反するからしないだろうが……。
まだ願い事を一つ温存してる以上、感情面で刺激はしたくない。
素体任せの単純な遺伝子工学とはいえ、五英傑の思惑をも凌駕したテクノロジー。
それを迷宮制作の為にと、強引に欲しがられてもそれはそれで面倒な事態になりかねない。
ちょこちょこ動く幼竜の様子を四人で見守っていると、疲れたのか体を丸めてウトウトとし始める。
「名前、どうしましょうか」
「キャシー」
「アタシの名前かよ!!」
思わず叫んで突っ込むキャシーに、フラウは人差し指を唇に当てる。
「シーッ! 違うってば、いっぱい名前の候補考えてたじゃんキャシー」
「くっ、なんでそれをオマエが知ってんだよフラウ」
「気にしない気にしない、"灰竜"呼びじゃ味気ないもんね~」
ハルミアは眠る幼竜を指で撫でながら、慈しむような表情で口を開いた。
「私たちみんなから一文字ずつとかって考えたんですけど、いまいちしっくりこなかったんですよねぇ」
「アタシはなんでもいいよ。どんな名前でもこの子には変わりないわけだし」
「わー……キャシーがなんかすっごい母性に目覚めてら~」
無言のままに今度はキャシーから逆に掴み掛かり、フラウも手四つで握り合って応戦する。
しかし単純な膂力比べとなると、食い縛るキャシーに対してフラウは涼しげであった。
「ベイリルくんは何かないんですか?」
「あーしはベイリルにまかせる~」
「ぐぬぬ……アタシもだ」
一任された俺はふっと笑った後に、地球の言語で名を紡ぐ。
「"アッシュ"だ」
「どういう意味だ?」
「"灰"という意味を持っている、何事も単純が一番だろう」
「うん、いいと思うよ~」
「なかなか良い響きですねぇ、アッシュちゃん――」
すると――まるで呼ばれたのがわかったかのように、寝ていた幼竜は起きて顔を上げた。
「クアァア! キュァアア!!」
俺はゆっくりと語りかけながら、その小さな頭を撫でてやる。
「世界を自由に羽ばたき、文明の架け橋となる翼たれ。我らが竜の子」
第三部1章終わり。
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