#104 救国企画 I
「ならば頼む! 私を加えてはくれまいか!?」
少し前まで幽鬼のようだった男は一転した様子でもって、無粋にも距離を詰めてくる。
「治療費などは結構ですから、さっさとお帰り頂いていいですよ」
先の印象からか、一歩引いた位置からハルミアはそうバッサリと斬った。
「アンタ弱そうだし、役立たずはいらんだろ」
「攻略部隊を全滅させたんしょ? ちょっとアレだよね~」
「熱意だけじゃ如何ともし難いこともあるんで、申し訳ない」
歩みを止めず進み続ける俺たちの前方に回って、男はさらに食い下がる。
「迷宮の情報がある! それならば価値があるのでは!?」
「何層まで行ったんだよ?」
「二十一層だ」
「バルゥのおっさん個人より全っ然行けてねぇじゃねえか」
「もう内部情報はいらないんで。さっさと国へ帰ったほうがいい、あんたにも家族がいるだろう」
「生憎だがもはや家族はいない、だから私はここへ来た。国も死に体……私がやらねばならんのだ」
「国、ですか?」
「なにさまなんだよ、てめーは」
「私は"ヘルムート・インメル"辺境伯、このカエジウス特区の東の土地の領主だ」
「辺境伯ぅ? それってめっちゃ偉いじゃん。絶対ウソっしょ」
「しかも王国と境界線を分かつ、南東戦線の最先鋒――」
帝国貴族の中でも、恐らくは上から数えたほうが早い爵位持ち。
精々が30そこそこ程度の威厳のない男――ただの虚言癖にも思える。
「嘘ではない、これが証明だ」
自らを辺境伯を名乗る男は、懐中からペンダントを取り出し魔力を通わせる。
すると帝国国章と共に、領地の紋章のようなものが浮かび上がった。
各国で身分証明に使われる魔術紋様の一種で偽造は難しく、騙れば極刑もありえる。
「あぁこりゃ確かに本物っぽい、まじもんの帝国貴族か」
俺は記憶にある帝国本国の紋章と照らし合わせてそう言った。
同時に怪訝な顔でハルミアが疑問を呈する。
「そんな人がどうしてこんなところで……」
「話すと長い――それに今すぐに報いることもできない。しかし必ず恩は返す! だからこの通りだ!!」
ヘルムートは何もかも投げ出すかのように頭を下げ、俺たちはどう対応したものかと逡巡する。
「そもそもあーしらが絶対に攻略できる保証はないけどねぇ」
「それでもわずかな希望に懸けるしか……私には道は残されていないのだ!!
あの"無二たる"を相手に交渉をしていた様子で、今なお攻略の意志を見せる君たちに!!」
俺は腕組み考えながら、辺境伯を名乗る男を観察しつつ思い返す。
(家族はもうおらず国が死に体、ねぇ……?)
非常に気になる話であった。それに帝国南東端"インメル領"。
この一点に関しては、個人的にも商会的にも大いに価値があろうというものだった。
「ゆっくりと話を聞いてからにしましょうか。いい店があるんで」
◇
ニアの店の借り受けた一室に集まって、改めて内々の話をする。
それぞれがしっかり腰を据えたところで、俺はインメル領主へと話を振った。
「粗茶もなんもないですが、それではどうぞ」
「あ、あぁ……どこから話せばいいものやら」
「順を追って話す以外ないですよ」
「っそうだな――それは……急激だった。領内で"伝染病"が発生して、対処よりも先に広がっていった」
ハルミアの表情が鋭くなる。彼女自身――医療術士として、思うところは数あるようだった。
「帝国内でも豊かな我が領地は、王国との最前線ということもあり精強だった」
「共和国も隣接していて、常に戦に備えねばならない土地柄ですもんね」
俺は聞きかじった程度の知識を、改めて本人に確認を取る。
「そうだ。しかし伝染病に加えて、その治療薬と称して"魔薬"が出回り始めた」
(ふむ……人為的なもの、か?)
――"魔薬"。地球でいうところの麻薬に近いもの。
原材料の薬効に加え、融け込ませた魔術の種類や量によって、依存度や効果も変化する。
治癒ポーションも広義的には魔薬の部類に入り、様々な効用を服用者へともたらす。
薬も過ぎれば毒となるし、その逆もまた然り。
快楽からドーピング目的まで多種多様であり粗悪品も多い、世界各地の社会問題の一つ。
商会の前身であるファミリアでも、収入源として小さくはなかった。
しかし質の悪い魔薬は"文明回華"の妨げになると、取り扱いをやめてもらった。
ゲイル・オーラム自身も特に拘泥していたわけではないので、あっさりと了承してくれた。
とはいえ魔薬それ自体は、色々な可能性を秘める異世界の錬金術の一つ。
研究それ自体は諸機関の一つで、続けさせてはいる。
(……まさかうちの商会から流出したワケじゃあるまいな)
俺はそんな危惧を振り払う。ヘルムートの話だとかなり規模の広い話に聞こえる。
いくらなんでもそんな量産体制にあれば、さすがに気付くというもの。
「あっという間に国は崩壊していった。父は奔走し、立て直しを図ったが……どうにもならなかった」
ヘルムートは己の無力を嘆くように、拳を握り締めて歯を食いしばる。
「戦争でも政治でも辣腕を振るっていた父だが、遂には伝染病の餌食となった。
結局そのまま急逝してしまい、私がその後を未熟ながら継いだのだ。しかしどうしろと言うのだ!」
荷が勝ちすぎる問題であることは、傍から聞いていても明らかであった。
しかし民衆にとっては、ただ助けてほしいという一心であろう。
過程に意味は持たず、結果のみが彼ら一族を評価する。
――ノブレス・オブリージュ。
地位ある人間には、大いなる義務が発生する。その責任はその地を治める長にこそあるのだ。
「私とて次期領主として色々なことを学んできた。だが知識も経験も、父には遠く及ばない。
父が無理だったことを、私が中途から持ち直させることなど……できるわけがないッ――」
自責の念にまみれたヘルムートに、ハルミアがもっともなことを問う。
「帝国本国からの救援はないのでしょうか?」
「要請は何度も送ったが、あの戦狂いの帝王のことだ。体のいい撒き餌にでもするのかも知れん」
「ああん、それってどういう意味だ?」
「撒き餌……つまり重要な自国領を一つ失ってでも王国を釣る、ってことか」
キャシーの疑問に俺は察した答えを言いつつ、帝国について思考を致す。
帝国の頂点、王者の血族――"戦帝"。
あらゆるモノを手にし、娯楽を堪能してきた男。彼が最終的に落ち着いたのは……戦争だった。
自らが軍を率いて先陣を切り、戦果を挙げ華々しく勝利することも珍しくないと聞く。
それゆえに誰ともなく自然に、"戦帝"と呼ばれ始めた。
冷徹にして心熱き帝王。非情にして高潔な帝王。政戦両略にして賛歌の絶えぬ帝王。
帝国の拡大し続ける支配領域を、さらに加速させたのが現在の戦帝であると。
最近はさる理由から、あまり思い通りには進んでいないと風の噂に聞く。
しかしそれでも未だに、最前線に赴いては暴れ回っているのだとか。
「"キルステン"領からも、父は協力を得たはずなのだが……遅れている」
同じ帝国領内、インメル領の南に位置する土地、キルステン領。
そこの領主もあわよくばを狙っているのか。もしくは戦帝によって遠回しに厳命を受けたか。
単純に伝染病や魔薬に関わりたくないのか。本当に単純に遅れているだけか。
真意については謎であり、現状では確かめる術もないのだろう。
「魔薬も実は王国軍の策略なのかも知れない。今にも攻めてくるかも知れない……」
ヘルムート・インメルは焦点の定まらぬ瞳で話し続ける。
「共和国との間で結ばれた約定もいつまで守られるか、好機と見られれば……」
今にも圧し潰されそうなほど、怯え追い詰められた表情でにわかに震えだす。
「そもそも喰い荒らされるほどの土地と人が残っているのか? もう既に民はみな伝染病と魔薬で――」
「うるせえ!」
キャシーがガツンと椅子を蹴り払うと、ヘルムートは強く尻もちをついた。
「っが……うぐぐ」
「女々しいんだよ、ぶつぶつ言ってんな」
一喝されたヘルムートは改めて神妙な顔のまま椅子を戻し、座り直したところで震える唇を開く。
「っすまなかった、続けさせてくれ」
「つまり大事な国を放っぽりだしてぇ、なんでこんなところにいるのか、だよね~?」
フラウはあえてそう言葉にしたが、もうここまでくれば察しもついていた。
「あぁ……だから私が頼るべきはもう、"無二たる"カエジウスしかなくなった」
「どうしてそのような結論に?」
「旅の人物から助言を受けて、もうそれしかないと思ったのだ」
(どんな願いでも三つ叶えてくれる――とはいえ限度がある)
"無二たる"カエジウスには、カエジウスなりの規範とその精神があるようだった。
死者は蘇らせられないし、例えばワーム迷宮を譲ってくれとかも聞いてはくれまい。
物質的なものは大概叶えてはくれそうだが、伝染病といった事柄となると……。
「一領主として会談を申し込んだが断られた。文書をしたため送ったが……迷宮を攻略せよ、とだけ」
(偏屈な爺さんなことには変わりないか――)
当然だがカエジウス本人には、ヘルムートを助けてやるような義理も利益もないだろう。
たとえ王国がインメル領を支配しようとも、彼にとっては全く関係ないのだ。
王国軍だろうが帝国軍だろうが、攻めてくれば討ち滅ぼすだけの戦力をカエジウスは保有している。
しかしながら"五英傑"と称えられ、救うだけの力を持つ者の行動としてはいかがなものか。
仮にもお隣さんであり、伝染病や魔薬ともなれば自国領への影響も看過しきれまい。
(長きを生きてきて……)
そういった世界のどこかの不幸にも慣れてしまったか――あるいは辟易しているのか。
彼の気質も、英雄にありがちな側面の一端を――味わった上でのものなのかも知れなかった。
俺自身、何百年と生きて爺さんな精神性になったら……一体どうなっていくことやら。
それはなんともかんとも、言葉には形容し難い気持ちにさせられるようだった。




