#97 道中一会 I
世界が広がっていく第三部スタート。
本命である文明の興亡と変革は並行していく形です。
──世界には国境がある。とはいえそれらは非常に曖昧なものだ。
戦争一つとっても、それは面の取り合いではなく点の奪い合い。
街や城砦など一定の拠点を中心とした、特定行動範囲が基準であり領土となる。
そういった基本的なものは、地球の過去史とそう変わるものではない。
しかし異世界で違うこと……それはやはり魔術の存在に尽きる。
強力な地属魔術士を使って短期間で拠点を作ったり、逆に完全破壊してしまったり。
大規模な戦争では、そんなダイナミックな領土の塗り替えが生じることがある。
ただし……そんな世界の中にあっても、無縁の場所が存在する。
学園を卒業し、常々行ってみたかった場所の一つであった。
そこは圧倒的な力を背景に、各国家から不可侵を獲得する土地──
◇
「あ~~~? 今なんか聞こえなかったか?」
腰元程度の薄黄色を基調とした外套の下に、動きやすいショートパンツルック。
燃えるような赤く長い癖っ毛を収めきれぬまま、"キャシー"の獅子耳が僅かに動いた。
「んー……なんも。キャシーの気の所為じゃない?」
前を閉じて太股ほどまでを隠す、淡めの群青色を基調とした外套。
青みがかった銀髪サイドテールと紫色の瞳、片八重歯を覗かせつつ"フラウ"は気怠そうに答える。
「いや──多分勘違いじゃないな、言われてみれば俺も聞こえた気がする」
足元ほどまでの長さの鈍い灰色を基調とした外套と、幼少より洗練させてきた筋骨。
碧眼には雑多な意思が込められ、黒灰銀の髪をかきあげながら"ベイリル"は五感へと集中を傾けた。
「私も気付きませんでしたかたら、キャシーちゃんとベイリルくんだからかもですね」
仄かな象牙色を基調とし、膝下ほどまでの丈のある外套。
セミロングの薄い紫髪を顔の横で束ね、"ハルミア"は技術と共に様々な医療道具とその身につけていた。
4人のローブは全て規格統一された個人特注品。
肩には"枝分かれした樹木"の紋章が縫い付けられていた。
「あぁアタシが獣人だからか。ベイリルはなんだ?」
「俺はハーフエルフだし」
さらっと答えるベイリルに、キャシーの眉がひそまる。
「んならハルミアもほぼ一緒じゃん」
「私はダークエルフですから。魔力暴走を根源とした魔族ですし、種族特性差があります。
魔力量で恩恵がある反面、魔力操作の繊細さなどは人族や神族由来、ないし純血種には劣りますよ」
「はーん、じゃあフラウも似たようなもんか」
「半吸血種だかんね~。正直、雑把なところは──多分にある」
「まぁ魔力面で言えば、例えば獅人族と虎人族の身体的特徴の違いよりも大きいかもな」
腕を組んでうんうんとうなずくキャシーが開口して言い放つ。
「つまりベイリルは神経質ってことだな」
「オイ言い方──まぁ種族差にかまけるだけじゃなく、俺は俺で色々やっているしな」
幼少期から明確な目的をもって、鍛え続けたゆえの感覚であった。
長く生きる上で最も怖いのは不慮であり不意、奇襲のような状況である。
だからこそ自身の肉体周りは、考えられる限りの支配と操作とを意識し研ぎ澄ませた。
エルフ種というものは、半分でもそういった方面には強く大いに捗ったものだ。
「色々?」
「物心つく頃から持て余した時間であれこれと」
「やっぱ神経質じゃね?」
「あーしもいろいろ付き合わされたよ~、昔もね」
もっとも本格化したのは"イアモン宗道団"に買われてからだった。
閉じ込められた生活の中で、他にやることもなかったという側面もある。
「事実役に立つんだから、神経質と言われても一向に構わんがね」
如何ともし難い状況を打破する為に、持ち得る知識を総動員して試し続けた。
ホルモンや脳内物質、生体自己制御に加えて、あらゆる肉体操作を支配するよう心がけた。
眼筋と動体視力を鍛えた。より遠くを見られる為に。
夜闇でもさらに眼が利くように……。
耳から膨大な情報得る修行をし、無意識に処理するのを慣らした。
皮膚感覚をもってさらに精細さを求めた。
調香師や一流料理人よろしく、嗅覚や味覚も訓練した。
動物を模倣するようなそれを──毒物・劇物を判断する為のそれを。
五感に関しては獣人種は狐人族である末妹、リーティアと競い合ったものだった。
さらには痛覚の緩和・一時遮断に加え、毒・病原菌の耐性すらも……。
魔力感知や第六感のような、曖昧なモノも魔力を用いて意識付けるようにした。
ファンタジーなのだから──思いつく限りのモノを異世界半生で続けてきた。
そういった現代知識や机上理論で、幼少期から積み上げ実践してきた。
これもある種の自身だけのチート。地球の人間規格では難しくても、異世界では違う。
その扱いに長じたエルフの血を半分継ぐ、この肉体だからこそ苦痛なくやってこられた。
「それでその──聞こえたのはなんだったんですか?」
「ん? 男の叫び声」
「俺は獣の咆哮のように聞こえたんだが」
「食い違ってんねー」
4人は進みを止めぬまま掘り下げていく。
「……つまり襲われて絶叫した、ということでしょうか」
「獣のような男の声、じゃないよねぇ」
「それはそれでなんか怖いな。俺は元々明確に聞こえたわけじゃないしどうだろうな」
「──んじゃ手っ取り早く探して確かめるか?」
全員の行き足が止まり、目配せだけで結論付けてうなずき合った。
もしも見知らぬ誰かが危険な目に遭っているとしたら……。
率先して助ける理由もないが、見捨てる理由もないだろうと。
「探すならまぁ俺が適任だな」
「一緒に行く?」
「いや俺一人で充分だよ、見つけたら"鳴らす"」
そう言って俺は空中高く跳躍し、さらに圧縮固化空気の足場を蹴った。
ぼんやりと聞こえてきたと思われる方向へ、勢いよく飛び出していく。
勢いが落ちかける瞬間にローブへと魔力を通し、大きくムササビのように広げた。
柔らかかった布地は少しばかりの硬度を帯びて、俺は鳥のように滑空していく。
"ウィングスーツ"とも呼ばれる、現実でも実際にある空のスポーツ。
中には軽量素材で飛行翼を作り、ジェットパックを取り付ける本格派までいたのを動画で見たことがある。
それを俺は空属魔術と組み合わせることで、鳥人族には劣るものの……夢の一つを実現させた。
自由自在の空中機動とまではいかないが、エコな飛行を提供してくれるのだ。
「ん~~~この為に空属魔術を選んだと言っても、過言じゃない──」
他にも理由はいくつも挙げられる。しかしこれこそが道半ばとはいえ……本懐。
"空を飛ぶ"──地球では遥か古来より、思いを馳せ続けられたであろう人類の夢だ。
火でも水でも地でもなく、"風"──空属魔術こそ俺にとっての最適。
──ほどなくして、戦闘音と怒号、唸り声のようなものが聞こえてくる。
遠く聞き間違えということはなく、トラブっているのは間違いないようであった。
ハーフエルフの肉眼でも精細には捉えづらく、空気を歪めることで光を屈折させて"遠視"をする。
巨獣とそれに襲われるパーティがいた──既に2人ほど倒れ満身創痍に近い。
残る1人も半狂乱のようで、今にも殺されかねない雰囲気だった。
俺は左手で"スナップスタナー"による大音響を発して、遠く3人へ合図を送る。
同時に右手の篭手に仕込んだワイヤーを射出した。
空気圧で撃ち出された先端が地面に刺さると、瞬時に巻き取りを開始する。
俺の肉体はグンッと大地へと高速に引っ張られ、華麗に着地しながら割り込んだ。
"ウィングローブ"と"グラップリングワイヤーブレード"。
どちらもティータ謹製にして、リーティア印の一品である。
「っ……あ、あんたは?」
どこか安堵したような表情と共に、力尽きそうな男を観察しつつ……。
「通りすがりの──世話焼き屋サンよ!」
俺は振り返るように巨獣へと体を向けて、獲物を前に舌なめずりをした。