#05-3 人生の指針
(三十路ちょっとくらいで、半ば無味無臭の人生になりかけていたもんな……)
果たして。病気ではなく健康だったとして、俺は500年もの時の流れに耐えられるのだろうか?
素朴だが、真に迫った疑問と言わざるを得なかった。
"新鮮味"こそ、感動の為に必要不可欠なスパイスだ。
一度叙述トリックの感動を知ってしまえば、類似作品でトリックやミスリードを疑ってしまうだろう。
心を震わせる王道も、慣れてしまえばただのお約束や雛形に成り下がってしまう。
(良くも悪くも人間は、慣れてしまう生き物)
生存に不可欠な食事でも、同じものばかり食べていれば飽きて嫌になってしまう。
過酷労働環境でも適応したと思い込んで、気付かぬまま過労死してしまうこともある。
"未知"──未体験こそが、知的生命の根源にして最大の存在意義──とも言えるのではないのか。
異世界への目新しさと好奇心が勝っている内は問題ない。
しかしそれらが既知となってしまったら……一体全体、俺という"個"はどうなってしまうのか。
曰く──"幸福なサマは皆一様に同じに見えるが、不幸なサマはそれぞれが異にしている"。
(なんかの引用だったけかな)
改めてそれを想像してみれば……確かにそうかも知れない。
美味いものを食べるとか、いい女を抱くだとか、趣味のものを収集して悦に浸るとか。
幸福の形は大きく見れば、非常に似通ったものとなる。
睡眠欲でも、食欲でも、性欲でも、知識欲でも、物欲でも、承認欲でも、支配欲でも──
人生で得られる欲なんてものは……たかが知れているのかも、と。
物事とは"緩急"。落差があってこそのものだ。
空腹だから、食事が美味しい。仕事をして疲れた後だから、酒が体に沁み渡る。
禁欲していたから、発散が気持ちいい。仕事という日常があるから、旅行という非日常が映える。
そしてそれらの中における多様性こそが要訣でもあるのだ。
例えば原始時代と現代とでは、食事一つとってもその種類も味の幅も桁違いとなる。
時の権力者で、衆道にも通じる者が少なくないのは何故か。
女だけでは飽きてしまうからなのでは? 背徳的なモノに惹かれてしまうのでは?
性的に倒錯しないと、何かしらに傾倒していないと、刺激がなくなってしまうのではないか。
この戦乱と、興亡と、魔術の歴史の中で、半ば停滞したような世界で……500年。
ただでさえ元世界にあったネット環境も、種々雑多な娯楽も限られた世界で……500年。
(地球の文明史も"ブレイクスルー"、起爆剤とも言える技術があってこそ急激に発展した)
工業化の前提となる要件が不足し、それに伴う資本投入という経済変化がなかったとしたら?
化学肥料が発達せずに人口が増えないまま、内燃機関や電気といったテクノロジーが開発されなかったら?
人類はさほど変わらぬ生活水準のまま、興亡を繰り返して遅々と進んでいくしかなかった。
かつて栄華を極めた文化が衰退し、暗黒時代になったように……知識と技術を継承し、テクノロジーを生み出す土壌が無ければ急激な進化はない。
(実際に中華やイスラム世界は、産業革命できるだけの資源や技術はほぼほぼ揃っていたらしいが……実際に先んじたのは大英帝国だったわけで)
馬の鐙、衣服のボタン、農耕用具、出産器具、スクリュープロペラ、望遠鏡や光学顕微鏡。
原理を知ってしまえば単純な発明自体はいくつもある。他にも空を飛ぶ技術──熱気球などは、その気になれば紀元前でも容易に作り得た。
実際にいくつかの国家と時代には、熱した空気を浮かべるという発想自体はあったと記録されているが、それを巨大化させて人を飛ばそうという考えにまでは至らなかった。
もしも1000年前、2000年前から空を移動し、地形を把握し、戦争に利用し、より遠き新天地へ向かっていたとしたら、地球史はまったく異なった様相を呈していたことだろう。
「そう……待っているだけじゃダメなんだ。いつになるかわからない以上、"キッカケ"がいる」
発達しない世界で、いずれは──退屈そのものにも慣れてしまうかも知れない。
そうなれば飽き切った人生を、なお惰性で享受するか──あるいは自ら命を絶つ、か?
(それじゃ……前世と大して変わらない、何も進歩しちゃいない)
なればこそ己が目指すところとは。俺の俺たる世界の在り様とは──
瞼の裏側に浮かんだ"片割星"を見つめ……決意する。
──俺だけの新たな人生の指針──
無いならば創るしかない、そこに行き着く。
常に好奇と新鮮を、供給し続けてくれる世界が欲しい。
胸裏に刻まれた故郷の平穏な生活と、焼き付いた地獄の光景が──
奴隷として檻の裏で心身薄弱した記憶が──
味わった確かな"死"の予感が、心の底から"生"そのものの欲求にして原動力となっていく。
(……もしも、タイムマシンがあったならどうしたい?)
きっと誰もが考えたことがあるだろう。そんな時に俺は……過去よりも未来に行きたかった。
どうせこの世に生まれるなら──西暦3000年くらいに生まれていればと思ったものだ。
人類の行き着く先を。発展し続ける科学の行く末を。かつての地球でも未だ到達できてなかった領域へと──
前世の人生では難しかった。この異世界だからこそ成り立つ、"魔導と科学の融合"。
新たに生み出され続ける文化と娯楽。それは俺の想像を常に超えて、長き寿命を潤してくれるに違いない。
「せっかく異世界転生したのだから、もっと自由に好きにやらないと──二度目の人生を謳歌し尽くしてやる」
長命とはいえ、後々になって"時間切れ"で悔いることのないよう頑張っていく。
俺の好きだったストラテジーシミュレーションを、文字通りの現実でやってやる。
(趣味や高じて文明やら歴史とか理論などを調べた時期もあるが……俺は専門的な知識があるわけじゃあない)
ただ重要なのは"キッカケ"である。
完成品を知っているだけでも、情報としては充分過ぎるほどに強力なのだ。
影も形も発想の無い状態から到達するまでに費やされた人と、時間と、資源とを、大幅に少なくし、短縮し、浪費せずに済む。
そうやって文明と時代を形創っていけばいい。
長命だからこそ可能な気長なゴリ押し。多少時間が掛かっても到達さえすればいいという境地。
(実際の理屈や構造といった詳しい部分は、他人に任せればいい。俺がやるべきなのは──)
ズバリ"基盤作り"である。
自身の示した曖昧な既存のアイデアを、異世界で形にできる才能ある"人材"を探すこと。
それを実用化にまで漕ぎ着けるさせる為に、資源と労働力──ひいては研究資産を確保する為の"支援機関"。
(俺が提示する1を聞いて10を理解し、10を100に押し上げて現実化する体制を整える)
そうして初めて、この大望は──この途方もない野望は成り立っていく。
空想を現実のモノとできる。
「魔術で、科学で、文化で、宗教で、外交で、そして武力で……」
俺は指折り数えて、この大いなる夢想を魂に刻み込んでいく。
必要とあらばあらゆる手段をもって世界を席巻し、制覇してやろうというものだった。