#85 一回戦 I
『えーエキシビションも無事……? 終わり! いよいよ一回戦第一試合。
それでは新しい解説役の――"妙なる"リーティアさんどうぞ!』
『はーいどもども~よろしく』
『ベイリル選手とヘリオ選手の身内ということで、彼女以上の解説者はいないでしょう!』
『たしかにウチほど二人を知るのは、あとはジェーン姉ぇくらいしかいないからねぇ』
『ジェーン選手は出場者ですから、やはりここは妹の――』
実況のオックスと解説のリーティアが、わいのわいのやっている中。
喧騒が全く耳に入らない、2人の雄が言葉を交わす。
「前試合の消耗は?」
「スィリクス先輩には悪いが……全く問題ないから安心しろ」
不敵に笑うベイリルに、同じく不敵の表情をもってヘリオは返す。
「オレぁよォ……ベイリル、ずっと楽しみにしてたんだぜ」
「そうだな、まぁ俺もだよヘリオ」
兄弟として、家族として、親友として、仲間として、同志として。
軽い模擬戦程度などはすることこそあれ、本気で争うような事態はない。
それに学園に入学してからは、そういった試し合いすらもなくなっていった。
お互いの手の内は知っているし、全力で闘争する理由なども見つからない。
しかしていつだって意識はしていた……。
10年近く、いつも傍にいて研鑽し合ってきた日々。
男の子である以上、己を鍛えている以上――強さ比べが、気にならないハズがない。
武に生きる者の"業"――眼の前に強い奴がいる。
いかに闘い、いかに倒すか、それに没頭することに、無常の喜びを感じてしまう。
進む道は少し変われども、関わり続けた男。
これからも共に、果てなき未知へと歩み続ける目の前の男へと。
「燦然と燃え昇れ、オレの炎ォ!!」
ヘリオの周囲に浮かび、チリチリと感情に揺らめく10つの鬼火。
「いくぜェ……腹ァ括れや」
それらを一気に右腕へ収束炎上させると、ヘリオは地を這うように大地を蹴った。
「噴炎――昇龍拳!!」
炎を纏った右腕で、地表を削り取りながら溶解させる。
そのまま火山が噴火するかのような勢いで、右拳を空中高くまで殴り上げた。
しかしベイリルには、紙一重で回避されてしまっていた。
ヘリオが対地攻撃へ移行するよりも先に、振り下ろされたベイリルの左手。
詠唱もなく発生した"エアバースト"が、ヘリオを地面まで一息に圧し付ける。
ヘリオは鬼人の筋力を総動員し、大地に足を先に付けてベイリルの方向へと水平跳躍した。
強引な風圧圏外へ突破を敢行すると共に、収束したままの炎の右腕を掲げる。
「喰らい――やがれェ!!」
――"裏拳・大発火薙"。
溜めた炎の右腕を左肩まで振りかぶり、豪快に真横へと振り抜いた。
解放された火炎は巨大に膨れ上がり、前方すべてを覆い、焼き尽くす。
観戦者の魔力を利用した魔術具による、高燃費で強力な結界力場で防いでいなければ……。
客席の一画が、瞬時にして灰燼と帰してしまうほどの単純にして強力無比な大炎。
しかしベイリルは、防御するでなく回避するでなく、ただ前へと進んでいた。
ヘリオが炎を纏いし右腕を振った――瞬間に、その懐へと。
「踏み込みが足りん!」
「――ッッ!?」
接近距離の間合、完全にスカされて突かれた虚。
ヘリオの瞳に映る視界の端では、ベイリルが指を合わせていた。
それはヘリオもよく知る……彼にとって最も使いやすく、それゆえに好んで使う"風の刃"。
ヘリオは攻撃を覚悟し筋肉を硬直させ身構えるが、飛んできたのは風刃ではなく――"音"だった。
パチンッという、フィンガースナップの――増幅された音が耳を盛大に打ち、脳ミソまで叩く。
急激な大音量によって、ほんの一瞬に過ぎないが……鼓膜と内部の耳石器まで音圧が通る。
三半規管を揺さぶられることで、目眩を引き起こし、平衡感覚を失った。
さらには意識の波長――攻撃だと思い込み覚悟した……その間隙へとぶち込まれた。
敏感になった山に対して音を当てられたことで、神経までが麻痺して動けなくなる。
「歯ァ食いしばれェ!」
「くぼァあッ――」
言葉と同時にベイリルは右拳を、ヘリオの左頬へと叩き込んでいた。
先んじて言っていたとしても、一時的に麻痺した耳には決して届いていない。
豪快に吹っ飛んだヘリオは、振れる意識の中でも……勘だけで地面を認識し立ち上がる。
『開幕からド派手だぁあああ!! 炎で見えなかった観客に言うとだな、ヘリオが殴り飛ばされたあ!』
『アレを踏み込んで躱しつつ、カウンター入れちゃうのが……ベイリル兄ぃなんだよねぇ』
『殴る前にベイリルの使った技はなんだ?』
『"スナップ・スタナー"かな。ただの音も度を越せば、生物には凶悪な攻撃手段になる』
絶好の機会にも拘わらず、ベイリルからの追撃はなかった。
ドロッドロに歪み、霞む――ヘリオの視界が……徐々に輪郭を帯びてくる。
『詳しいことはハルミ姉ぇのが詳しいけど、要するにぃ――』
リーティアによる技と人体へのダメージ解説も、結界越しに耳に入るようになってきた。
「チィ……ご丁寧に回復を待ってくれるたァお優しいことだな、え? ベイリルこら」
「そうだな――尻上がりで不出来なお前を待ってやってる」
「ッぁあ?」
額に青筋を立てながらベイリルを睨み付けるヘリオ。
しかしベイリルはどこ吹く風と言った様子で、話を続ける。
「燃え上がるまでが遅いんだよヘリオ。それは時として致命的になる」
「昨日の屋外ライブでもそうだ――テンションマックスになるまでが長い」
「オマエも来てたんかよ……」
「あれでは急ぎの客に、お前たちの最高潮の良さを知ってもらえない」
「プロデューサー気取りか、いや……大元の発起人はオマエだけども」
バンドにしてもアイドルにしても、発案者はベイリルである。
「半端なライブを聞かせて、客に申し訳が立たないだろ?」
「うっせ、ライブってのは生き物なんだよ。つーか、んなこた楽屋に差し入れでも持ってきて言えよ!」
肩を竦めてから落としたベイリルは、心底呆れた様子をヘリオへと向ける。
「脱線しすぎたが……要するに、お前に足りないモノは――それはっ!!」
ベイリルは纏った風を強くし、一気に駆け抜ける。
その交差のタイミングを読んで、ヘリオは長巻を抜いて薙ぐも……空を斬っただけだった。
「情動、気合、信念、見識、尊厳、明媚さ、斬新さァ! そして何よりもぉおおお!!」
刃を躱したベイリルは、ヘリオの周囲を円を描くように加速していく。
そして空中に"圧縮固化空気の足場"を作り、三角飛びの要領でヘリオに蹴りを見舞う。
「っがァ――」
なんとか腕で防御はしたものの、もう一度吹き飛ばされてヘリオは受け身を取った。
ベイリルは蹴った勢いで華麗に空中捻りを決めてから、着地し一言告げる。
「"迅速さ"が足りないッ!」
「クッソがぁ……説教なんざなァ」
「俺のリズムは把握済みってか? それだけで勝てると思うなよ。もっと熱くなれよ!」
先の前哨戦の二試合目がイヤでも思い浮かんだ。
スィリクスが読んだタイミングと、ヘリオが遠目に読んだタイミングは一致していた。
カッファという名の少年は、その瞬間を強引に踏み超えていったのだ。
ベイリルに交差のリズムを、加速によって回避されたのも同じことだった。
リズムとは絶対のモノではない。実力差がまだあるのも身に染みている。
だからこそ一層、全力をぶつけるべき時に違いないのに――
「突っ張っていようがな、ヘリオ。なんだかんだお前は……ジェーンの影響で、優しいし世話焼きだ。
だから口では楽しみと言っても、いまいち興が乗ってないんだろう。俺も人のことは言えんがな」
ベイリルも結局こうして追撃をせずに、ヘリオに向かって垂れている。
闘争の喜びを分かち合いたいがゆえに――
そう、物事は単純でいい。多くはそれが最良である。
調子がどうだとか、家族の情だとか、残る試合についてだとか。
雑念が――不純物が多すぎた。
「ったくよォ……その後のセンパイや、ジェーンとの闘いも楽しみだったんだがなァ。
だがもうここで終わってもいい。オマエに落胆されることだけは、我慢できねえかンな」
ヘリオは自動で再充填されていた鬼火を、今度は左手へ一挙収束させる。
まるでその炎へ、己の全ての魔力を込めるかのように――
煌々と光を持ち始める炎を、ベイリルはその瞳に映しつつ僅かに唇の端を上げ詠唱へ入る。
「其は空にして冥、天にして烈。我その一端を享映し己道を果たさん。魔道の理、ここに在り」
ベイリルの詠唱の終わりとほぼ同時に、ヘリオは左手の炎を自身の胸元へ注ぎ込む。
「"内なる大炎"!!」
「"決戦流法・烈"――」
『本気だねぇ、ベイリル兄ぃとヘリオ』
『二人の話は結界の所為で聞こえないが、わかるのか?』
『お互いにそれぞれ、身体能力を極限解放させる魔術だからね』
かたや燃焼させ続ける炎と魔力。その熱が上がるほど、肉体を限界以上に発揮させる。
かたや最大魔力加速循環。短時間に負荷を掛け続け、肉体と感覚の全てを引き上げる。
既に戦闘は再開されていた――しかしその攻防は、観客の目には映らない。
他の闘技者であっても、その全てを捉えられる者はいないほどに。
ヘリオの"収束炎剣"と、ベイリルの"無量空月"。
炎太刀と風太刀による剣戟。その合間に混ぜられる体術と駆け引き。
そのスピード&パワーは……何重にも織り込まれたような軌跡しか残さない。
お互いに防御・回避は最小限に……動きの全てが、次の攻撃へ繋がるような動き。
豪壮極まる、大味だが圧倒的速度の一撃――そして一撃の交わり。
思考が介在する余地もない、ただ二人だけの世界。二人にだけ感じられる世界。
刹那をさらに無限に切り刻み続けるような、そんな時間感覚の中で――
数えきれないほど……想いの込められた剣が繰り返されていく。
「ドゥゥオォオオオルルラァアアアアアアアッ!」
「くぅぅうぅうおおおおおおおおおオオオオッ!」
双方出し尽くしていく中で、少しずつ差が出始める。
超神速の世界の中であっても、新たにリズムを掴み始めたヘリオ。
ただ読むだけではない。誘い、導き、乗せていくのが本分。
この攻防に呼吸する合間などなく、考える余裕など存在しない。
しかし天賦の才と努力により培われたそれは、不確かなものさえ掌握しつつある。
ミックスアップし、お互いが限界を超えることで得られる境地。
人を超えし領域へと踏み込み、優位性が確立される――その瞬間であった。
ベイリルのその行動だけは、リズムとして全く読めなかった。
拍が無い――ただいつの間にか、予備動作なしに懐へと密着されていた。
それはベイリルにとっても、完全なる識域下での動きであった。
彼もまた限界を超えて、偶発的に無念・無想・無我・無心へと至っていた。
初めて魔術を覚えた、かつての時のように――
前哨試合で闘った少女が、意識的にゾーン・トランス状態に入ったのにも似て――
太刀風を手の中から消し、一歩踏み込んで、ヘリオの右腕と肩口を掴んでいたのだった。
無拍子――"竜巻一本背負い・雷"。
右の肘関節を挫き折られつつ、ヘリオの体が背中から叩き付けられていた。
無意識ゆえに意識的に出すトドメの蹴りはなく、ただただ全力全開の投げ。
地面が一部陥没するほどに強烈な、幼少期に何度か練習台になり、受け身を覚えさせられたその術技。
お互いに出し切っていたがゆえに、その一撃で勝負は決した。
衝撃によって吐き出せる息は、空っぽの肺にはなかった……お互いに声もない。
終わってみれば――その時間は、ほんの十数秒程度に過ぎなかった。
しかし観客達にはその10倍には感じられ、本人達には100倍以上であった。
心と魂を燃え滾らせた余熱と、酷使した肉体を冷ますように撫でる心地良い余風の中で――
「ッたく……たまンねえな――"男の世界"、だったっけか」
「別に漆黒の殺意はないから違うけどな」
ベイリルの差し出された左手を取り、ゆっくりと立ち上がるヘリオ。
それ以上交わす言葉はなかった。実況も解説も観客の声も、二人の耳には入らない。
ただただこの闘争の余韻を、全身で味わい尽くしていたのだった。