九:聖女の願望
「聖女……大戦……?」
聞いたことも無い言葉の登場に、私は小首を傾げた。
「国家の威信を懸け、聖女様の力を借りた代理戦争――それが聖女大戦。我がロンドミリア皇国を含めた六つの大国が覇を競う、百年に一度の戦いです。この聖女大戦に勝ち残った聖女様は、何でも一つ願いを叶えることができると言われています」
「何でも一つ……」
思わずゴクリと生唾を飲む。
「現状、ティアさんが無事に元の世界に帰還する方法は、これしかないと思います」
でも、『大戦』ってことは戦うってことだよね……。
今思い返せば、さっきの白と黒の甲冑は聖女大戦の戦いの一つだったのかもしれない。
(そんなの……私に出来っこないよ……)
私はどこにでもいる普通の村娘だ。およそ戦いと呼べるものとは、これまで何の関わりもない。
お父さんとお母さんから護身術は教えてもらっているけど……。そんなのきっと国同士の戦いには何の役にも立たない。
(つまり現状、実質的に家に帰る方法は……ない)
途方に暮れた私は、大きなため息とともにがっくり肩を落とした。
すると――多分、私を元気づけようとしてくれているのだろう。
ユフィさんは明るい声で、少し話題を変えようとしてくれた。
「せ、聖女大戦のお話はお風呂を上がってから、というのはいかがでしょう? せっかくのお風呂ですし、ゆっくりと体を休めてみるのもいいかもしれませんよ?」
「そう、ですね……」
せっかくこんなにいいお風呂に入っているんだから、もっとゆっくりと楽しまなければもったいない。
なるべく嫌なことを考えないようにブルブルと頭を振っていると、ユフィさんはポンと両手を打った。
「そうだ! ティアさんは、何か欲しいものなどございませんか? どうぞ遠慮なく何なりと言ってください」
欲しいもの……かぁ。
私はあまり物欲が無い性質なのか、こういうときパッとすぐに思いつくものが…………あった。
そういえば小さい頃から一つだけ、ずっと欲しかったものがある。
(……うん。こんな機会は滅多にあるものじゃないよね……?)
私は勇気振り絞ってお願いすることにした。
「そ、それじゃ、ユフィさん……もし、よろしければ……お友達になってくれませんか?」
「お、お友達……ですか?」
ユフィさんはキョトンとした顔で、ポツリとつぶやいた。
「はい。実は私、家がとっても田舎にあって同年代のお友達が一人もいなかったんですよ……。ですから、もしよければお友達になってくれませんか?」
「も、もちろんです! 私なんかでよろしければ、ぜひお友達にしてください!」
そう言って彼女は私の両手をそっと握ってくれた。
「ありがとうございます、ユフィさんっ」
初めてのお友達ができた。
それだけで心がじんわりと温かくなった。こんな大変な状況でも、きっと何とかなるんじゃないかと思えてきた。
(私は今まで友達がいたことが一度もない……)
でもそれがどういうものかは、お父さんとお母さんから聞いている。友達はお互いに泣いて笑って助け合って――そして絶対に裏切ってはいけないもの。
「じゃ、じゃあその……っ。お互いに敬語はやめにしませんか……?」
私がやや興奮気味に提案したそれは――。
「いえ、私とティアさんではつり合いが取れませんから、そういうわけにはいきません。もちろん、ティアさんは敬語無しで大丈夫ですからね」
ばっさりと切り捨てられてしまった。
……こういうところでユフィさんは少し、というかかなり強情だった。
でも、友達なのに敬語で話し合うのは……やっぱり他人行儀な感じがする。それに私だけが一方的に気安く話しかけるのも……それはそれで距離感がチグハグなような気がして嫌だ。
だから、少しだけ我がままを言ってみる。
「お友達なのに、敬語で喋るんですか……?」
「うっ……そ、それは……っ」
ユフィさんの目が少し泳ぎ始めた。
(き、効いているっ! これは手応えありだ!)
きっとユフィさんも本心では、『友達同士が敬語』という状況がおかしいと思っているんだ。
(……あともう一押し)
私はわざとしょんぼりした感じで問いかけた。
「何でもお願いを聞いてくれるんじゃ無かったんですか……?」
「う、うぅ……っ。……わ、わかりました。それがティアさんの望みであるなら、全力で叶えさせていただきます!」
少し自棄になったような、冗談めかした口調で、ユフィさんは了承してくれた。
「ありがとうございます! それじゃこれから私のことは気軽にティアって呼んでくださいね?」
「わ、わかりました……っ」
するとユフィさんは何度か深呼吸をした後、少し照れているような、困ったような顔でポツリとつぶやいた。
「てぃ、ティア……?」
伏し目がちに、どこか気恥しそうに私の名前を呼んだユフィさんは――抱きしめたくなるほどに可愛らしかった。
「うん――よろしくね、ユフィ」
そうしてお互いの名前を呼び合ったところで、ユフィは優しい笑みを浮かべながら口を開いた。
「友達……ふふっ、何だか奇妙な感じです」
「え、どうして?」
「実は……ティアと同じで、私も友達と言える存在はこれまでは一人もいませんでした」
「そうなの?」
お城の中にあれだけの人がいるんだから、きっといっぱいお友達がいると思ったんだけど。実際はそういうわけじゃないみたいだ。
「はい。私はこのロンドミリア皇国の皇女。生まれたその瞬間から、ずっと他国から狙われ続けていて……まともに友達を作れるような環境ではありませんでした。実際に一度誘拐されかけたこともあります」
「そ、それって大丈夫なの!?」
「そのときは爺や――さっきの髭の立派なカロン=エステバインが寸前で異常に気付き、無事にこと無きを得ました。それ以降は警備体制をさらに強化し、特に問題は起きていません」
「よかった……っ」
それにしてもあの髭モジャ……間違いなく変な人ではあるけど、実は凄い人でもあるようだ。あの立派な髭は見掛け倒しではない……。
「でも、私は本当に嬉しいです。私の初めての友達が……ティアのような優しい子で」
そう言ってユフィは大輪が咲いたような笑顔を浮かべた。
「そ、そう……かな?」
そんな風に真正面から言われると……何だかとっても照れ臭かった。
「はい、ティアはとっても心の澄んだ人です。目を見ればわかりますよ」
「あ、ありがとう」
「これからもずっと一緒にいましょうね、ティア」
「……う、うんっ!」
そんな風に言ってもらえて本当に嬉しかった。
本当にとっても嬉しかったんだけど……。
さっきからずっと引っ掛かっていることがあった。
「でもね、ユフィ……さっきからずっと敬語なんだけど……」
目を細めて、ジト目でユフィの顔を見ると。
「す、すみま――ご、ごめんなさい。今までずっとこういう喋り方でしたから……中々勝手がわからなくて……。これでも十分に砕けた喋り方をしているつもりなんですけど、慣れるまだ少し時間がかかりそうです」
「わかった。それじゃちょっとずつでいいからお願いできる?」
「もちろんです。申し訳ありませんが、もうちょっとだけ待っててくださいね?」
「うん、ずっと待ってるよ」
そうしてお話しがひと段落したところで、ユフィはゆっくりと立ち上がった。
「ねぇ、ティア。そろそろ別の温泉にも入りませんか? まだまだ他にもいろいろなものがありますよ」
「うんっ」
ユフィに続いて、私も湯船から立ち上がったそのとき。
(あ、あれ……? なんだか目が……)
世界がグラリと揺れた。
その揺れはどんどん大きくなっていく。
自分が今立っているのか座っているのかもわからないほどに。
(あっ、これやばい、かも……? もしかして魔力が尽き……ちゃ…………った?)
「ティア……? ティア……!?」
だんだんと薄れていく意識の中で、ユフィが私の名前を必死に呼ぶ声が聞こえた。
(ごめんね、ユフィ……せっかく、お友達に……なれた、のに……っ)
「め、目を開けて……起きてください、ティアっ!」
そうして私の意識は、静かに暗闇へと沈んでいった。