十三:聖女と転校生
それから私は朝から夕方までは、聖サンタクルス女学院で授業。
放課後お城に帰ってからは、ユフィや髭モジャに教えてもらって復習。
夜になれば泥のように眠るという、とてもとてもハードな毎日を送っていた。
そして今日もいつものように学院で授業を受ける。
「ふわぁ……っ」
時刻は朝の八時四十五分。
授業開始まで後十五分だ。
(うぅ、眠たいよぉ……)
先ほどから、ずっと欠伸が止まらない。
そうして私がゴシゴシと目元を擦っていると、
「ずいぶん眠たそうですが、大丈夫ですか? もしかして、昨日はあまり寝付けなかったとか……?」
心配そうな表情を浮かべたユフィが、優しく声をかけてくれた。
「うん、昨日はちょっと遅くまでやってたからね……。ふわぁ……」
昨日は寝るギリギリまで勉強をしていたから、少し寝不足気味なのだ。
「……勉強に精を出すのはとても素晴らしいことですが、ティアはティアのペースで進めればいいと思います。『聖女様』はこの世界のことを知らなくて当然なのですから、そんなに焦らなくても大丈夫ですよ?」
「ありがとう。でも大丈夫。魔法の勉強はとっても楽しいから」
私が最近ずっと勉強に精を出しているのは、何も周りから遅れているからというわけではない。
ただ純粋に――魔法の勉強がとても楽しかったからだ。
「そうですか、ティアは頑張り屋さんですね」
「そ、そうかな?」
「はい、とても素敵だと思います」
「あ、ありがと……っ」
真正面からこうもはっきりと褒められると、少し照れてしまう。
そうして二人で楽しく雑談に華を咲かせていると、
「おはよーっす」
教室の扉がガラガラと開かれ、ノエル先生が入ってきた。
(あれ、まだ十五分も前なのに……珍しいな)
先生が来るのはいつも授業開始ギリギリ、もしくは少し遅刻してからなのに……。
何故か今日に限って、いつもよりかなり早く来ていた。
クラスのみんなも少し不思議に思ったのだろう。
教室のあちこちで、小さなざわめきが起こった。
教壇に立った先生は、
「……ほぅ。まだ授業開始までずいぶん時間があるのに、まさか全員揃っているとは……感心感心!」
きょろきょろとクラスを見回して満足そうに頷いた。
「よし! それじゃ少し早いが、朝のホームルームを始めるぞー! 何と言ったって今日はビッグニュースがあるからな!」
そう言って先生は、みんなに着席を促した。
(ビッグニュース……なんだろう?)
全員が自分の席に着席したところで、
「みんな喜べ、新しい友達が増えるぞ! 転校生様のお出ましだ!」
その瞬間、クラス中がざわざわと騒がしくなった。
(一年生のこんな時期に転校だなんて……何か家庭の事情でもあったのだろうか?)
私がそんなことを考えていると、先生はパンパンと手を打ち、教室の扉へと視線を移した。
「はい、それじゃ入ってくれー」
すると扉はガラガラと開き――一人の女の子が入ってきた。
私たちと同じ純白の制服に身を包んだ彼女は、とてつもない美少女だった。
長い髪を後ろで結ったハーフアップ。
うっすらとピンクがかった銀髪。
やや小麦色に焼けた健康的な肌。
見間違えるはずもない。
転校生はドミーナ王国の邪神――リリ=ローゼンベルグだった。
「り、リリッ!?」
「まぁ!?」
予想外の事態に私たちが思わず声を挙げると、
「おっ、いるじゃんいるじゃん! 暇だったから遊びに来たよん」
こちらに気付いたリリは、いたずらっ子の笑顔を浮かべた。
「ど、どうしてリリがここに!?」
「どうしてって……私がここにいちゃ悪いのかよ?」
「そ、それは……っ」
常識的に考えれば……あまり良くないことだと思う。
リリはここロンドミリアの人ではない。
敵国――ドミーナ王国の聖女だ。
そんな彼女がたくさんの学生が通う学院を出入りするのは……さすがに危険だと思う。
「そ、そもそもどうやって入学したの!?」
「そんなの、あのヒゲに命令したに決まっているだろ?」
そう言って彼女は懐から、小さな手帳を取り出した。
そこには『リリ=ローゼンベルグ』と書かれており、その横には大きな学院の印鑑が押されていた。
間違いない、リリの生徒手帳だ。
どうやら本当に正当な手続きを経たうえで入学してきたらしい。
(だ、大丈夫……だよね?)
リリのクラスは邪神。
ユフィから『邪神クラスは思想が歪み、邪悪なことを好む』と聞いている。
(もし何か気に入らないことがあったら、暴れ回ったりしないだろうか……)
そんな風に不安に感じていると、ノエル先生が呆れた様子で口を開いた。
「こらこら……。他のみんなが困っているぞ。まずは自己紹介をしてくれよ」
「おっと、そうだな。――あたしはリリ=ローゼンベルグ、暇だったから遊びに来た。よろしくな」
こうして不安しかない授業が始まった。
だけど――その結果は私の予想とは大きく外れたものになった。
一限目にあった基礎魔法理論の授業。
先生がいつものようにサラサラと板書を書いていると、
「おいおい、しっかりしろよ。水魔法の基礎理論ミスってるぞ?」
リリは肩肘を付きながら、そんなことを口にした。
「……おっと、すまん! 氷魔法の理論と混ざってしまってたな! 悪い、みんな。今から書き直す方が正しい奴だ」
先生のミスをすぐに指摘し、授業を正しい方向へと導いた。
そして続く、実戦魔法の授業では、
「――祖よ、大霊が囁きをここに示せ」
誰よりも丁寧で、誰よりも美しい魔法を発動させた。
それは私でも『違い』がわかるほどに優れた魔法で、ノエル先生も手放しで褒めていた。
「あ、あの……リリさんって、勉強できるんだよね? お願い、金属魔法の応用理論をわかりやすく教えてくれないかな?」
「ったく、しょうがねぇな。アレは魔法溶液と金属の混合比率が大事なんだよ」
休み時間にはクラスメイトの質問に次々に答えていた。
態度と口はちょっと粗雑だけど、そこに目をつぶりさえすれば、どこからどう見ても優等生だ。
「り、リリって勉強できるんだね……っ」
「す、凄まじいまでの学習能力と理解力。さすがは聖女様ですね」
予想が大きく外れた私とユフィは、素直な感想を漏らした。
すると今の会話が聞こえていたのだろう。
「当然よ。何と言っても、あたしの『知能』はAだからなぁ?」
リリは何故か『知能』という単語をいやに強調して、ニヤニヤしながら私の方を見た。
その顔は明らかに意地悪を言っている顔だった。
(ど、どういうこと……!? リリは私の知能がFだって知らないはず……っ)
まさかと思った私は、ユフィの方をバッと振り返る。
「ち、違いますよ! 私は何も喋ってません!」
彼女はブンブンと首を横に振った。
そんな様子を見たリリは、ククッと楽し気に笑った。
「ヒゲが頭を抱えてたぞー? 何とか知能Fから上昇させることはできないかってな」
「あ、あの髭モジャ!」
どうやら私が気にしている知能の情報を漏らしたのは、髭モジャのようだ。
(まさか、リリより先にあの立派な髭をむしりとることになろうとは……っ!)
私は胸の内に怒りの炎をたぎらせながら、なんとか午後の授業を受けたのだった。
■
その後、今日の授業が全て終わり、お城に帰った私はすぐに髭モジャの執務室へと向かった。
執務室の前には、真っ白な鎧に身を包んだ衛兵が立っていた。
「すみません! 中に髭はいますか!?」
「ひ、髭……?」
「は、はいっ! カロン様でしたら現在、執務室で政務に取り掛かっております!」
どうやら髭は中にいるみたいだ。
「それはよかったです。中に入ってもいいですか?」
「もちろんでございます、聖女様!」
「ささっ、どうぞこちらへ!」
そう言って二人の衛兵は扉を開けてくれた。
「ありがとうございます」
執務室へ入ると、その一番奥にある大きな仕事机に座る髭モジャがすぐ目に入った。
「おやおや、これは聖女様! 私の部屋にお一人でいらっしゃるとは、珍しいですね。いったい、どうなされたのですか?」
こちらに気付いた髭は、スッと椅子から立ち上がり、何食わぬ顔で近付いてきた。
「髭モジャ! 私の知能がFなこと、リリに喋ったでしょ!」
「えぇ、それがどうかしましたか?」
「ど、どうかしましたかって……。そりゃどうかするよ! 私の頭が良くないことが、バレちゃったでしょ!?」
「恐れながら聖女様は『闘神』でございます。知能が足りていないのは、クラスが明らかになっている時点で自明のことかと……」
髭はごく真っ当で、反論のしようのない正論を返してきた。
「……」
「……」
なんとも言えない沈黙が降りる。
「う゛ー、えいっ!」
やり場のない怒りを抱えた私は、髭モジャの本体である髭を力いっぱい引っ張った。
「はう゛っ!?」
しかし、見た目同様に根のしっかりと髭のようで、たった数本しか抜けなかった。
「と、とにかく絶対に他の人には言わないで!」
「か、かしこまりました……っ」
こうして悪しき髭を成敗した私は、気分を変えるために少し外の空気を吸いに行くことにしたのだった。