十七:エピローグ
「せ、聖女の契約を――聖痕を強引に破棄させた……?」
静まり返った聖殿の中で、ユフィの声が響いた。
「聖痕は魂の契約……。因果律にでも干渉しない限り……こんなことは絶対にあり得ません……」
今のがよほど不思議なことだったのか、ユフィは難しい顔をしていた。
する髭モジャが、その長い髭をワシャワシャと揉みながら口を開いた。
「ふむ……これは聖女様の加護によるものかもしれませんな……」
「私の加護……?」
「はい。私の取ったメモによりますと……」
そう言って髭モジャは懐から小さなノートを取り出した。
そこにはさっき計測した私のステータスや加護がびっしりと書き込まれていた。
い、いつの間に……。
「聖女様のズラリと並ぶ加護の中に一つ、とんでもないものがございます。それがこの――【理の超越者】」
そこには意外にもとても綺麗な字でこう書かれていた。
【理の超越者】理外の存在である彼女は全ての理を超越可能。
「なるほど……。確かにこの加護なら、聖女の契約を破棄させることも可能なのかもしれませんね……」
ユフィは納得したとばかりに頷いた。
「とはいうものの、全ての理から逸脱しているわけではございません。重力の影響も受けておられるようですし、基本的な物理法則には干渉してないようご様子……。加えて聖女様に加護を発動したという能動的な意思も見られない……。……うぅむ、これは何らかの発動条件のようなものがありそうですな」
二人の話は難しくてよくわからなかったけど、とにかく聖女の契約を破棄させることには成功したみたいだ。
「ティアとか言ったけか……。本当にとんでもねぇ聖女だな……」
「あ、ありがと、これでリリを殺さずに済むんだよね?」
「はっ、残念だったな。召喚士との契約が切れた今、あたしはもうこの世界にはいられねぇよ」
そう言って彼女はこちらに右手を突き出して見せた。
「な、なに……これ……?」
彼女の綺麗な褐色の手は……どういうわけか薄っすらと透けていた。
彼女の手だけではない。足もお腹も顔も――徐々にだけど、確実に全てが透明になっている。
「ど、どうして……あっ」
そのとき私の脳裏に、ユフィが話していたことがよぎった。
聖女は召喚士から魔力を供給されることによって、この世界に実体化している。そして何らかの原因で魔力が尽きた聖女は――消滅する。
「ご、ごめんなさい……っ。わ、私、こんなことになるなんて……っ」
まさかこんなにすぐに魔力切れを起こしてしまう何て……思ってもみなかった。
私が何度も謝っていると、リリは大きくため息をついた。
「あーあ……。ほんっとに間の抜けた聖女にやられちまったもんだな、おい……。この邪神様を討ち取ったんだぜ? もっと喜んではしゃぎ回るもんだろう、普通よぉ?」
「こんなの……喜べるわけないよ……っ」
そうやって話しているうちにもリリの体は消えていく。
彼女という存在がこの世界から薄れていく。
「ゆ、ユフィっ! どうにか、どうにかする方法はないのっ!?」
私は何も知らない。聖女も召喚士も魔力も――聖女大戦に関する何も知らない。
でも、ユフィは違う。
ロンドミリア皇国の皇帝であり、この聖女大戦に臨んだ召喚士である彼女ならば何か知っているはずだ。
「そ、それは……っ」
ユフィは苦い顔をして視線をそらした。
でも、決して『無い』と断言することはなかった。
つまり……何か方法があるんだ。
「お願い、ユフィっ! 何か方法があるなら教えてっ! 私、こんなの嫌だよ……っ」
すると彼女は本当に渋々といった様子で口を開いた。
「……聖女同士であるならば、お互いに魔力を融通し合うことは可能です。ですがその場合だと、ティアが……っ」
「あ、ありがとう、ユフィっ!」
私はお礼を言うとすぐにリリの真横に座り込む。
「ほら、リリっ! 私の魔力を使って!」
「……はぁ?」
「てぃ、ティア……っ」
「せ、聖女様、正気でございますかっ!?」
ユフィと髭モジャの心配する声が聞こえたけれど、今はもう時間ない。
「い、急いで、リリっ!」
こうしている今もリリの体はどんどん消えていっている。足なんてもうほとんど見えない。
「ほ、本当に……いいのか?」
「いいから、ほらっ早く!」
「それじゃ――いただきます」
リリはそう言うと私の頭に両手を回すと、
「あーん……っ」
「ふぇ……?」
私の首筋を甘噛みした。
「……んっ」
不思議と痛みは無かった。
でも、何だか力が抜けるような感じがした。
それから五秒、十秒……どれくらい経っただろうか。
「……ふふっ、ごちそうさま」
リリは妖しく口元に指を走らせながら、満足そうにそう言った。
見ればリリの薄くなっていた体は、はっきりとした実体を取り戻していた。
ついでに何だか肌艶も良くなっているような気もする。
「よ、よかった……っ」
魔力の受け渡しの方法にはちょっとビックリしたけど……とにかくリリが消えなくて本当によかった。
私は立ち上がろうと足に力を入れたそのとき。
「あ、れ……っ?」
急に目まいが起こり、ペタンと尻もちをついてしまった。
「てぃ、ティア! 大丈夫ですかっ!?」
慌ててユフィが駆け寄って来てくれた。
「う、うん。一瞬ちょっとクラッとしただけ……うん、今はもう何ともないよ」
彼女の手を借りながら、今度はスッと立ち上がることができた。
「も、もう……っ。無茶なことはしないでくださいっ!」
「ご、ごめんね……っ」
時間が無かったとはいえ、ユフィに心配をさせてしまったのは事実だ。
私は素直にペコリと頭を下げて謝っていると。
「ぐ、ぐぬぬっ。我らが聖女様を垂らし込みよって、この邪神めがっ! いったい何を企んでいるのだっ!」
まさに怒り心頭といった感じで、髭モジャはリリに食って掛かっていた。
「別にぃ、なぁんにも。ただ、死なずに済むならそっちのがいいかなってだけだよ」
顔を真っ赤にしながら詰め寄る髭に対して、リリは肩を竦めて涼しげに対応していた。
「ぐぅ……っ。何という適当な動機かっ! いいかよく聞け、邪神よっ! もしもほんの僅かでも裏切りの兆候が見えたのならば、有無を言わさず即座に灰にしてくれるからな――聖女様が」
堂々と啖呵を切りながら、最後にボソリと『聖女様が』と付けた髭モジャは……言いようもないほどにかっこ悪かった。
「はぁ……裏切らねぇよ。消えたくねぇもん」
「そんな保証がどこにあるっ! 第一、貴様のクラスは邪神っ! どんな邪なことを考えているのか――」
髭モジャのネチネチとしたしつこい追及を受けたリリは、
「ちっ……。さっきから、ゴチャゴチャとうっせぇ髭だな……。自慢の髭、むしり取るぞ」
鋭い眼光で髭モジャを睨み付けた。
「ひぃっ!? せ、聖女様っ! やはりいけませんっ! この邪神、既に謀反の意思がありますぞっ!」
「あんまりしつこく問い詰め過ぎるからだよ……。ほら、リリもあんまり髭と喧嘩しないでね」
「ひ、髭……っ」
「はいはーい。ティア様の仰せのままにぃー」
リリは茶化すようにそう言った。
「も、もうっ。『はい』は一回だよ、リリ!」
「はい、わかったわかったぁー」
「『わかった』も一回っ!」
いたずらっ子な気質のあるリリに少し私が手を焼いていると、ユフィがコホンと咳払いをした。
「とにかく……いろいろとありましたが、まずは一度お城に戻りましょうか。聖女大戦の詳細な説明をティアにする必要もありますし」
「むぅ……陛下がそう仰られるのならば……っ」
髭モジャは何か言いたいことがありそうだったけれどもコクリと頷いた。
「さぁ、ティア。帰りましょうか、私たちのお城に」
「うんっ!」
こうして私の長い長い聖女大戦が始まったのだった。




