十六:聖女の聖痕
リリが倒れたことにより、黒い甲冑の人たちに大きな衝撃が走っているようだった。
「お、おいおいアレって……?」
「完全に白目を向いてる……」
「う、嘘……だよな? これは何か悪い夢だよなっ!?」
小さなざわめきは次第に膨れ上がっていき、それが大混乱になりかけたそのとき。
「……てっ、撤退っ!」
一人の黒い甲冑が声高に叫んだ。
「全軍に告ぐっ! 邪神の時空間魔法が完全に消滅する前に! 今すぐドミーナ王国へ撤退せよっ!」
多分あれは偉い人なんだろう。
命令を受けた黒い甲冑は、回れ右をして聖殿の真ん中に空いた黒い穴へ次々に飛び込んで行った。
そうして先ほどまで騒がしかった聖殿は一瞬にして静まり返る。
「てぃ、ティアっ! 怪我はないですかっ!?」
「う、うん。私は何ともないよ」
「そうですか、よかった……っ」
そう言ってユフィは私をギュッと抱き締めた。
柔らかくていいにおいがして――とても心が落ち着いた。
すると今度は鼻息を荒くした髭モジャが駆け寄ってくる。
「さ、さすがは聖女様っ! 一部の無駄もない完璧な動きでございましたっ! 達人同士の勝負は一瞬で決着がつくといいますが……いやはや、見事という他ありませんな!」
髭は興奮した様子でそう褒めちぎった。
でも今はそんなことよりも。
「そ、そうだ、お医者さんは!?」
リリの状態がとても気掛かりだった。
(かなり手加減をしたので、死んではいない……はずだけど……)
今も泡を吹いたままで、意識を取り戻す兆候は全く見られない。私のような素人の目でも危険な状態であることがわかる。
するとその問いに答えたのは、いつものように博識な髭だった。
「問題ありません。聖女は召喚士からの魔力供給を常に受けておりますので、即死クラスのダメージを受けない限り絶命に至ることはありません。おそらくそう遠くないうちに完全復活を遂げるでしょう。その前に――」
ギロリと。髭モジャは鋭い目付きでリリを見ると、
「今、ここで仕留めてしまいましょうぞ。目を覚まして大暴れでもされては厄介でございます」
いつもとは違う、とても冷たい声でそう言った。
「し、仕留める……?」
仕留めるっていうのはその……『殺す』ってこと……?
「そ、それはさすがに……。ね、ねぇ、ユフィ?」
同意を求めるように彼女へ視線を向けると。
「……ごめんなさい、ティア。これは戦争なんです……」
そう言ってユフィは私から目を背けた。
「そ、そんな……っ。そんな、殺さなくたって!」
私の叫びは聖殿の中に嫌に大きく響いた。
「……も、もしかしたら一緒に戦ってくれるようになるかもしれないよ?」
もしかしたらリリは悪い召喚士や黒い甲冑の人たちに脅されて、無理やり戦わされていたかもしれない。もしそうなら、ドミーナ王国から解放された今、一緒に戦ってくれる可能性だってある。
しかし、そんな私の安直な考えは、髭によってバッサリと切り捨てられた。
「お言葉ですが聖女様……それは絶対にあり得ません」
「ど、どうしてですかっ!?」
「それは――」
髭モジャが口を開きかけたそのとき。
「……っ。こ、ここは……?」
リリがゆっくりと目を開いた。
「だ、大丈夫なの、リリ!?」
彼女は震える手で何とか上体を起こすと、
「……はっ、ざまぁねぇな。負けたのか……」
悲しそうな表情で一人笑った。
「ね、ねぇ、リリ。あなたはもう私たちに攻撃なんてしないよね? 約束、できるよね!?」
「……はぁ? 何言ってんだお前?」
「だ、だってそうしないと……。リリはその……こ、殺されちゃうんだよ!?」
「だろうな。それがどうした?」
本当に、それがごく自然かのようにそう言った。
「そ、『それがどうした』って……死んじゃうん、だよ……っ? もうおいしいご飯も、温かいお風呂も、フカフカのベッドで寝ることもできなくなっちゃうんだよっ!?」
私はつい熱くなって、目尻に涙を浮かべながらそう叫んだ。
「はっ、おいおい、なんだそりゃ? 憐れみか?」
「違うよ……っ。憐れみとか、そんなんじゃないよ……っ!」
私はリリの目を真っ直ぐ見つめると、
「ちっ……。全く、調子狂う奴だな……」
彼女はそれから逃げるようにして視線をそらし、ポリポリと頬をかいた。
そして大きく舌打ちをして、どこか呆れた表情でユフィの方を見た。
「ほら、ロンドミリアの召喚士様よぉ。ちゃんと聖女大戦のルールを――聖痕の契約を教え込んどけよ。負けた上に同情されてるこっちの身にもなりやがれってんだ」
ユフィはコクリ頷くと、諭すように優しい声色で告げた。
「ティア……。あなたがとても心の優しい聖女様だということは、心が痛くなるぐらいよくわかりました。でも、ごめんなさい……リリさんを見逃すことはできません。『聖痕』がある限り、どこまでいってもリリさんはドミーナ陣営の聖女。いつ裏切るかわからないのです」
「そ、そんな……っ」
私が言葉を失っていると、そこへ追い打ちをかけるようにリリはさらなる情報を付け足した。
「加えて聖痕の契約は、その陣営のために命を賭して戦うことを誓ったもの。――寝返った瞬間、契約違反を犯したとして、あたしの体ははじけ飛ぶんだよ。木っ端みじんにな」
「はじけ……飛ぶ……っ」
「ほら、わかったら、さっさと殺せ。これ以上時間をかけると、あたしが完全復活しちまうぜ?」
そう言ってリリはごろんと大の字になって寝そべった。
(な、何かあるはず……っ。きっとこの絶望的な状況をひっくり返す、凄い案があるはずだよ……っ。そうじゃないと……こんなのあんまりだよ……っ)
私は必死に頭を巡らせた。
これまでの人生の中で多分一番頭をグルグルと回した。
(……あっ、そうだ)
すると本当にたまたま偶然、とある名案がフッと浮かんできた。
「そ、それならその聖痕って奴を消せば、リリを殺さなくて済むんだよね!?」
今回のリリを殺すか殺さないかという話の大元にあるのは、聖女と召喚士を結ぶ『聖痕』という契約だった。それならその契約さえ無くしてしまえば、この話の大前提は崩れることになる。
するとユフィはどこか悲しい表情を浮かべたまま口を開いた。。
「……リリさんの体にある聖痕から、赤い糸が飛び出ているはずです」
私はジッと目を凝らしてリリの体を見ると。
「……あ、あった」
確かに彼女のお腹のあたりから、細くて赤い糸のようなものがぴょこんと飛び出ていた。
その先は地面に突き刺さっており、どこに繋がっているかまではわからない。
「その赤い糸が聖女と召喚士を結ぶ聖痕の契約です。確かにティアの言う通り、これを破棄することができればリリさんをその……殺す必要はありません。……しかし、それは絶対に不可能なんです。聖痕の契約は魂の契約――いかなる方法をもってしてもこの契約を破棄することはできません」
ユフィは悲し気にそう言ったけれど……何故だか私はそうは思わなかった。
(こんな細い糸ぐらいハサミか何かでチョッキンと斬れそうだけど……)
何ならちょっと強く引っ張ったら、切れてしまうような気さえした。
(も、ものは試し……だよね?)
私は赤い糸をグッと両手で握り込み、
「ちょっとごめんね、リリ」
彼女に一言断りを入れてから、
「んー……よいっしょっ!」
それを思いっきり、力いっぱい左右に引っ張った。
すると。
ぶちっ
安っぽい音と共に赤い糸はパッサリと切れた。
「あっ、切れた……っ!」
「う、うそ……っ!?」
「ば、馬鹿なっ!?」
「……お、おいおい冗談だろ?」
ユフィに髭モジャそれにリリも――三人は目を丸くして私の方を見ていた。




