十五:聖女と腕力
昔、お父さんとお母さんが言っていた。
「いいか、ティア。『レベル』というのは絶対的な強さの基準だ。これだけは絶対に忘れてはダメだぞ?」
「お父さんの言う通りですよ。レベルが百違えば、圧倒的な技量の差でもない限り決して勝てません。レベルが千違えば、何をどう足掻いても勝つことは不可能です。だから、相手のレベルが自分よりも遥かに低いときは、ちゃんと手加減をするんですよ?」
「うん、わかった! でも、私よりレベルの低い人なんて早々いないんじゃないかな……?」
「「…………」」
「ところでお父さんとお母さんは何レベルなの?」
「え、えっと……それはだな……。ま、ま……まぁまぁなレベルだな、うんっ!(ど、どうする母さん!? もう本当のことを言ってしまうか!?)」
「そ、そうね……。でも、ティアよりはとっても高レベルよ!(嘘をつくしかないでしょう! まだまだ親の威厳というものがあるんですからっ!)」
あれから何度か聞いてみたけど、結局二人ともレベルを教えてくれることは無かった。
(リリのレベルが500に対し、私のレベルは9999。9999-500は……あれ、いくつだろう?)
疲労が溜まっているのか、頭に霧がかかったように計算ができなかった。
(……でも、とにかくとっても大きな差であることは間違いない)
9999と500――少なくとも千以上の差はあるはずだ。
お父さんとお母さんが言っていた通りだとするならば、きっとまともな勝負にもならない――すっごく手加減しなければいけない。
(でも……。手加減と言っても、どれくらい……?)
当然ながら、こんな風に誰かと戦ったことなんて一度もない。
夏の暑い日に畑の草を必死にむしってたのが、多分私の人生史上最大の戦いだ。
(ど、どうしよう……)
そんな風に頭を抱えていると、背後にいたユフィが小さな声で話しかけてきた。
「……ティア。ここは一度、時空間魔法で撤退します。爺やが魔法を組み上げるまでの五分間、時間稼ぎましょう。私も微力ながら補助魔法にて、サポートさせていただきます」
じ、時空間魔法? 何だか凄そうな名前だけれども……私の頭はもう一つの魔法の名前でいっぱいだった。
「ほ、補助魔法……っ!?」
「え、えぇ……。これでも私は召喚士として様々な魔法を習得しています。闘神であるティアにはそのステータスをより発揮するために<腕力強化><耐久強化><敏捷強化>の三重強化を行います」
「さ、三重強化……っ」
ただでさえ大き過ぎるレベルの差があるのに、これ以上強化なんてしちゃったら……。手加減していても、うっかり殺してしまいかねない……。
(な、何て言って断ろう……?)
そんな風に私がアワアワとしていると。
「作戦会議もそこまでにしときなぁ!」
そう言ってリリは漆黒の旗を大地に突き立て、そこに黒くて大きな紋様がくっきりと浮かび上がった。
そうして彼女は、嗜虐的な笑みを浮かべてポツリと呟いた。
「――跪け」
すると次の瞬間。
「きゃっ!?」
「ぬぉっ!?」
ユフィはその場でストンと尻もちを付き、髭モジャはグラリとバランスを崩した。
後ろに控えている白い甲冑の人たちの多くも、何故かその場で倒れ込んでいた。
別に地面が揺れたわけでも、突風が吹いたわけでもない。
何も起きていないのに、リリが旗を地面に突き立てただけで――みんな地面にへたり込んでしまった。
「な、何をしたの?」
一人だけ平気な私がそう問いかけると、リリはくつくつと肩で笑いながら口を開いた。
「なぁに、ここら一帯をあたしの支配領域にしただけさ」
「支配……領域……?」
「あたしの加護――【邪神の旗印】の本質は『支配』。この旗印が刻まれたモノに触れている奴は、みんなあたしの支配下に下るのよ。まっ、わかりやすく言えば強化も弱体化もあたしの望むがままって話さぁ」
「そ、そう言われれば……」
何とも言えない脱力感……があるような……。いや、ないような……。
(……いや、ある。確かに、ある!)
いつもより十分早く起きてしまったかのような……ほんのちょっとした気だるさが。
「さすがに聖女に対しては、少し効きが悪いようだが……。ふっ、その暗い顔……。立っているのがやっとって感じだな?」
「えっ? いや、全然そこまでひどくは……」
「はっ、強がりはよせ。顔をにそう書いてあるんだよ」
「そ、そうなんだ……」
そんなに私は疲れた顔をしてるのかな……?
昨日はすっごい温泉に入ったばっかりで、いつもよりお肌の艶がよくなったと思ってるんだけど……。
確認するように、ペタペタと自分の顔を触っていると。
「そんじゃ、そろそろ始めるかぁっ!」
リリは地面に突き立てた旗を引き抜くと、それを振りかぶってこちらに突撃してきた。
「てぃ、ティア、逃げてっ!」
「せ、聖女様っ!」
ユフィと髭モジャの悲鳴のような叫び声が聞こえた。
(と、とにかく戦わなきゃっ!)
後ろには大事な大事な、初めてのお友達――ティアがいる。あと髭も。
私は戦う態勢を取ろうと、とにかく拳をグッと握ってファイティングポーズのようなものを作った。そうして戦う覚悟を決めたところで――気付いた。
(……あれ? まだ来ない?)
どういうわけか、リリは本当にゆっくりとこっちへ走ってきている。しかし、その歩みはまるで亀のようで……ここまで到着するのにまだ軽く十秒以上はかかりそうだった。昔、お父さんとお母さんと一緒にやったチャンバラごっこでもこの数倍は早い。
そのまま少しボーッと見ていると、私の顔を目掛けてこれまた本当にゆっくり旗が振り下ろされた。
(よ、避けていいん……だよね?)
私はそれをかなりの余裕を持って右に避け、彼女の額目掛けて手加減をしたチョップを繰り出す。
「ご、ごめんなさいっ!」
そう言って放ったチョップは、リリの額を直撃し。
ミシッ
「ごぱっ!?」
まるで玉子を潰したような、人の頭から鳴ってはいけない音が響き――リリはゆっくりと倒れた。
「だ、大丈夫っ!? ご、ごめんねっ!」
慌ててリリに駆け寄るけど、頭には大きなたんこぶが出来ている。そして何より、白目をむいて泡を吹いていた。意識不明の重体だ。
「だ、誰か、お医者さんはいませんかっ!?」
そう叫びながらキョロキョロと周囲を見回した。
しかし、誰も何の反応も返さず、みんな石像のように固まってしまっていた。
「「「………………はっ?」」」