十:聖女の夜
あれからどれくらいが経っただろう。
ゆっくりと目を開けるとそこには、知らない天井があった。
どうやら仰向けになって寝かされているらしい。
「うっ……。こ、ここは……?」
まだぼんやりとした意識の中、ゆっくりと上体を起こすと。
「あっ、ティア、目が覚めたのですね」
私の横に座っていたユフィが、ホッと胸を撫で下ろした。
「ユ、フィ……? こ、ここは……?」
「安心してください。私の私室です」
「……そっ、か」
完全に上体を起こし切った私は、背面のベッドボードに体を預けて座った。
「もう起き上がっても大丈夫なんですか?」
「うん、多分大丈夫だと思う」
両手をグーパーさせてみても、若干動きは鈍いけれどしっかりと動いてくれている。
「それにしても……私はどうしちゃったのかな? あんな話の後だったから、魔力が尽きちゃったのかと思って怖かったよ……」
「私も心臓が止まるかと思いました……。ですが、安心してください。城内の医師に診せたところ、ただのぼせちゃってただけみたいですから」
「えっ!? そ、そうだったんだ……っ」
思い返せば……お風呂の中でいろいろと長い間話し込んでいた気がする。
「はい。急にお湯の中に沈んでいくものですから、もうビックリしたんですよ?」
「ご、ごめんね……。それと、ありがとう。もしかしてずっと横にいてくれたの?」
「だ、だって、お友達……ですから。これぐらいは当然ですよ!」
ユフィは少し照れ臭そうに笑いながら、そんな嬉しいことを言ってくれた。
そうしてちょっと会話が落ち着いてきたところで、彼女はとんでもないことを言った。
「それにしても……本当に美しいお体ですね」
「……え? …………~~っ!?」
その言葉の意味を正しく理解した瞬間。火が付いたように顔が真っ赤になった。
私はあの温泉の中で倒れたのだ。
しかし、今現在、私の体は濡れてもいないし、清潔なパジャマを着た状態でベッドにいる。
つまり……誰かが私の体を綺麗に拭いてくれた……ということだ。
「あ、ご安心ください。すべて私一人で介抱いたしましたので、誰一人として他の者の目に触れてはいませんから」
「そ、そっか……っ」
多くの人に裸を見られていないと知ってホッとした部分もあれば、友達に全てを見られてしまった恥ずかしさ半分だ。
「うぅ……もうお嫁に行けない……」
掛け布団をガバッと抱え込み、真っ赤になった顔を隠す。
「ふふっ、それでは私がもらってしまいましょうかしら?」
「……え、えぇっ!?」
わ、私とユフィが……そ、そんなこと……っ。
そうして、めいいっぱい想像を膨らませたところで――。
「うふふっ、冗談ですよ」
彼女は悪戯っ子のようにクスクスと笑った。
「も、もう! ちょっと本気で考えちゃったじゃないっ!」
「あはは、すみません。あんまりにも可愛かったものですから、つい」
「『つい』じゃないよ、もう!」
私がぷくーっと頬を膨らませると、ユフィは「ごめんなさい」と言って両手を顔の前に合わせた。その仕草がとっても可愛かったので……仕方がないから許してあげた。
そうして二人で楽しくお話しをしていると、ユフィが思い出したかのように声をあげた。
「あっ、そうだ。ティア、喉は乾いていないですか?」
「そう言われると、何だか乾いてきたみたい……」
一度意識をしてしまうと、急速に喉が乾燥していくようだった。
「そうですか。では、ちょっと待っていてくださいね」
そういうとユフィは立ち上がり、部屋の隅に置かれている直方体の大きな箱の中から、精巧な作りのガラス瓶を二本取り出した。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがと……冷たっ!?」
そのガラス瓶は、今までずっと川で冷やしていたみたいにキンキンに冷えていた。
うっかり落っことしそうになったところを何とか両手でキャッチし、まじまじとその中身を見る。瓶の中には少し薄めたオレンジ色の液体が詰まっていて、とても綺麗だった。
「こ、これは……?」
「お風呂上りに飲む一般的な飲料です。フルーツ牛乳と言って、とってもおいしいんですよ?」
そう言って彼女は、ガラス瓶のついている紙の蓋を器用に剥がし、ゴクゴクとその中身を飲み始めた。
「……ふぅ。とっても甘くておいしいです」
「な、なるほど……」
ユフィの真似をして、紙の蓋を指で取り外す。
初めてのことなのでちょっとだけ苦戦したけど、何とか綺麗に外すことができた。
いったいどんな味がするのか全くの未知だけど……。ユフィもおいしそうに飲んでいたし、きっと体に悪いものではないはずだ。
「い、いただきます……。…………っ!?」
意を決した私がそれを口に含むと――そのあまりの衝撃に思わず目を見開いた。
程よいさっぱりとした飲み口。
キンキンに冷えた圧倒的な喉越し。
果実のほんのりとした甘味が後を引く。
お風呂でのぼせてしまった体にこれは……おいし過ぎた。
「ゆ、ユフィっ! とってもおいしいよ、これっ!」
興奮気味にそう話すと、彼女は嬉しそうにはにかんだ。
「ふふっ、それは良かったです。明日はコーヒー牛乳を準備しておきますので、お楽しみになさってくださいね」
「こ、コーヒー牛乳……!?」
あの苦いコーヒーに牛乳を……!?
(そんなのおいしいはずが……)
――いや、わからない。こればっかりはわからない。
(で、でも、コーヒーに牛乳を加えるなんて……)
なんという悪魔的な発想であろうか……。
シャワーの件といい……ロンドミリア皇国は、私のいた世界よりも遥かに進んだ技術を持っているのかもしれない。
(恐るべし、ロンドミリア皇国……っ)
私が一人そんなことを考えていると。
「ところでティア、明日は少し一緒に来てもらいところがあるのですが……よろしいでしょうか?」
ユフィが明日の予定について話しかけてきた。
「えっと、どこに行くつもりなの?」
「聖殿です」
聖殿――確か、初めて呼び出されたときにいたあの大きな建物の名前だ。
「べ、別に構わないけど……何をするつもりなの?」
さっきの一件であそこはもうほとんど廃墟みたいになっていたはず。
いつ崩れてしまうかもしれないような危険な建物には、正直あまり行きたくなかった。
「いえ、ティアの聖女としてのステータスを正確に測りたいなと思いまして」
「聖女としてのステータス……?」
そういえばあのお風呂で、少しそんな話をしたような記憶がある。
聖女には固有のステータスがあり、召喚士であるユフィにはそれが見えるとかなんとか……。
「一応、私の目にも『ぼんやり』とですが、見えてはいるのですが……」
ユフィは少しの間、ジーッと私の顔を見つめて……難しい表情を浮かべた。
「どうしてでしょうか……。ティアのステータスを『はっきり』と見ることができないんです……」
「そ、そうなの?」
「はい……。ですが、今回はご安心ください。神殿の機能を利用すれば、ティアのステータスをしっかりと確認することができますから」
それからちょっとした雑談を少しの間したところで、
「そろそろいいお時間ですし――今日はもう寝ましょうか」
ユフィはそう言いながら、私のいるベッドの隣に座った。
「い、一緒に寝るの……っ!?」
「はい。召喚士と聖女様は……という例の伝統です」
クスリと笑いながら、ユフィはそう言った。
このベッドは大きなダブルベッドだから窮屈さを感じることはない……ないんだけれど……。
「あっ、もしさっきみたいにどうしても嫌なときは、遠慮なく言ってくださいね?」
「う、ううん……大丈夫だよ」
同じ女の子同士だし、夜一緒のベッドで寝るのは……ギリギリセーフ、だと思う。
「ふふっ、ありがとうございます」
そう言って彼女は私の右隣で横になった。その綺麗な金髪からは、ほんのりと石鹸のいいにおいがした。
「ほら、ティアも」
ユフィはポンポンとベッドの上を優しく叩いた。
早く一緒に寝ようという意味だ。
「う、うんっ」
そうしてモゾモゾと掛け布団の中に入り、ゴロンと寝転がると。
バッチリとユフィと目が合った。
「……何だか、ドキドキしますね」
「そ、そうだね……っ」
私は基本家では一人で寝ているので、横に誰かがいるというのは……何というかとても新鮮な感じだった。
「では明かりを落としますね」
「うん、ありがと」
ユフィが枕元にあった長方形の板を操作すると、部屋の明かりが消えて真っ暗になった。
「おやすみなさい、ティア」
「うん、おやすみ、ユフィ」
最初は胸がドキドキして寝られないんじゃないかと不安だったけど……。
今日はいろんなことがあって疲れていたせいか、ゆっくりと瞼が落ちていき――気づけば夢の中だった。