一:聖女召喚
「お父さん、お母さん。ちょっと水汲みに行ってくるね」
「おぉ、いつも助かるよ」
「気を付けてね、ティア」
「はーい」
毎朝、近くの小川で水を汲んでくるのは私のお仕事だ。
「んー、今日もいい天気」
朝のおいしい空気を胸いっぱいに吸い込み、下り坂をリズムよく降りていくと目的地である小川に着いた。
透き通るように綺麗な水が、太陽の光を反射してキラキラと光っている。私はそれを鏡代わりにして、身だしなみをチェックする。
うっすらとピンクがかった金髪はお父さん似。少しだけ幼い顔立ちはお母さんにそっくり。セミロングの髪は、黒いリボンで後ろに結い上げたハーフアップ。髪の結び方はお母さんにいろいろと教えてもらったけど、これが一番動きやすくてしっくりくる。
「よっこいしょ……っと」
私は川縁に水汲みバケツを寝かせ、水が満タンに入ったところで持ち上げる。
すると次の瞬間。
「……え?」
足元に奇妙な円陣が広がり、緑色の光を発し始めた。よくわからない文字が刻一刻と形を変え、光はどんどん強くなっていく。
「わ、わわわ……っ!?」
慌ててその場から離れようとするが……少し、遅かった。
「きゃっ!?」
一際まばゆい光が発せられたかと思うと――。
「あ、あれ……、ここは……?」
私は教会のような、荘厳な雰囲気を放つ大きな建物の中にいた。
それも何やら高い台座の上に立っているようで、眼下には甲冑を纏った大勢の兵士がいた。
見れば、白い甲冑と黒い甲冑が入り乱れていて、戦っているみたいだった。
「お、おかしいなー……。夢……かな?」
確か私は日課の水汲みに行っていたはずだ。
(……うん、間違いない)
右手には水が満タンに入ったバケツがしっかりと握られている。ほんのついさっきまで家の近くの小川にいたことは間違いない。
それなのに今は何やら訳のわからないところにいて……。
(これは……水を汲みに行ったところから夢だったのかな?)
うん、きっとそうに違いない!
となれば、こんな変な夢から早く覚めて、現実に戻らなければならない。
水汲みバケツを床に置き、両手で頬っぺたを引っ張っていると――。
「せ、聖女様……っ!」
「……ふぇ?」
髭モジャのおじさんが近寄ってきた。彼は髪・眉毛、そして立派に蓄えた顎鬚――すべてが真っ白な初老のおじさんだ。
(い、今……聖女様って言った……?)
すると髭モジャは、恍惚とした表情で一歩また一歩とこちらに近寄ってきた。
正直、物凄く怖い。不審者とはこういう人のことを言うんだと初めて知った。
恐怖心から一歩たじろぐと、彼はバッと後ろを振り返り、私と同年代ぐらいの大きな杖を持った可愛らしい女の子に声をかけた。
「く、クラスは……クラスはいったい何ですか!? あの美しい金髪からして――雷神、太陽神それとも――創造神ですか!?」
すると可哀想に、髭モジャに詰め寄られた女の子は、視線をそらしながら本当に申し訳なさそうに口を開いた。
「すみません……闘神、です……」
その瞬間。いろいろなところからため息が聞こえた。
見れば髭モジャも周りの白い甲冑を着た大勢の人たちも一様に落ち込んでいるようだった。
「あぁ……よりにもよって闘神とは……。……最悪だ」
髭モジャは膝を付き、愕然とした表情でそう呟いた。
心底がっかりしているようだった。
どうやら私はお呼びではないらしい。
すると黒い甲冑を着た人たちが大きな声で高らかに笑い始めた。
「ぷっ、あっはっはっはっはっはっはっ!」
「よりにもよって最低最悪の闘神とはなぁ!」
「定刻になる前に焦って召喚したツケが回ったな、ロンドミリアよ!」
「お前らも知ってるよなぁ!? この聖女大戦において、過去たった一度も闘神が勝ち残った例はねぇ!」
「これでお前らロンドミリア陣営は終わりだっ!」
多分、私への嘲笑も混じっているんだろうけど……。
正直何を言われているのか全くわからないので、特に何も感じなかった。
あるのはただ「置いてけぼりだなぁ……」という孤独感だった。
(もう……帰っていいのかな……)
さすがにこんな状態でずっと放置されっぱなしもつらい。
私は勇気を出して、この場で一番偉い人っぽい髭モジャに声をかけてみた。
「えっと……すみません。元いた場所に帰してもらえないでしょうか……?」
「「「っ!?」」」
その瞬間、空気が凍った。
どういうわけか、全員が私の方を驚愕の眼差しで見つめている。
あれ、何かおかしなこと言っちゃったかな……私。
「闘神が、喋った……?」
どこからかそんな声が聞こえた。
い、いやいやいや……。そりゃ喋りますとも……私をいったい何だと思っているんですか……。
すると黒い甲冑の人たちが慌ただしくざわつき始めた。
「まさか、あの聖女……異物かっ!?」
「馬鹿な!? 異物など歴史上ほんの数体しか確認されていないんだぞ!?」
「くそっ、ロンドミリアめ……何て悪運の強い奴だ……っ」
そして息を吹き返した髭モジャが、大きな声を張り上げた。
「まだだ、まだ希望は残った! これより契約の儀へと移る! 何とか時間を――時間を稼いでくれ!」
「「「うぅおおおおおおおおおおおおおっ!」」」
髭モジャの声に応えた白い甲冑の人たちは、雄叫びをあげながら黒い甲冑に向かって突撃していった。
地鳴りのような恐ろしい雄叫び。
刀と盾がぶつかり合う甲高い音。
思わず耳を塞ぎたくなるような悲鳴。
これが昔話に聞く戦争というものなのだろうか。
(どうしてこんなことを……)
混乱の極みに達した私は、ただそれを呆然と見ていることしかできなかった。
すると黒い甲冑を来た人たちの方が強いのか、白い甲冑は一人また一人と倒れていった。
「ぐ、ぐぬぬ……っ。邪神の旗印か……っ」
戦況が芳しくないためか、髭モジャは苛立った様子で自慢の髭をわしゃわしゃと掻き回した。
「ユフィ様……かくなる上は私が前線に出ます。その間に、何としても聖女様との契約を!」
「はいっ!」
髭モジャは杖を持った女の子にそう言うと――軽やかな足取りで高台から降り、混戦の中へと突入していった。
見た目によらず、何と軽快な髭であろうか……。
私が遠目に髭モジャを眺めていると――。
「私はユフィ=ロンドミリア。聖女様をこの世界に召喚した召喚士です」
目の前の杖を持った可愛い女の子――ユフィさんが優雅な所作でお辞儀をした。私と同じ十代前半ぐらいだろうか。身長もだいたい同じ。背中までの伸びる美しい金髪は、とても手入れが行き届いていて手ぐしでもスッととけそうだ。白を基調とした修道服は、ところどころに青のアクセントが利いていてとても似合っている。
「こ、これはどうもご丁寧に。私はティア=ゴールドレイスです」
対する私はどこかぎこちない動きで、ペコリと頭を下げた。
「早速ですが、聖女ティア様。あなたの願いは何でしょうか?」
そもそも私は聖女でもないし、「様」と呼ばれるほど偉くもない。一般家庭に生まれた、ただの村娘だ。聞きたいことも、訂正しなければならないこともたくさんあるが、今はどうやらかなり切羽詰まっている様子。私は仕方なく、そのまま会話を続けることにした。
「ね、願い……ですか?」
「はい。私の召喚に応じた以上、ティア様にはどうしても叶えたい願いがあるはずです」
「は、はぁ……」
そう言われましても別段これといった願いなんて無……いや、ある。今、どうしても叶えたい願いが、私にはある。
それは――。
「……お家に帰りたいです」
私は今の率直な願いを口にした。
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