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 何かあてがあったわけではありませんでした。他に行くところがなかっただけです。他の人に見つからずにとりあえず隠れていられる場所の心当たりが、ここしかなかったのです。もちろん隠れていてどうなるものでもなかったし、寒風吹きすさぶ浜辺は、いつまでもいられるような場所ではありません。けれど、ろくにものも食べずに長い距離を歩き通した子供たちは、ここまでたどり着いた時には、もう、まともに歩くこともできなくなっていました。ことに、痩せこけた幼いミヤは、もう立っていることさえやっとで、ぐずる気力もなく、虚ろな瞳でふらついていました。そんなミヤを、どこかで休ませてやりたかったのです。たとえどんなに寒い場所ででも、腰を下ろさせてやりたかったのです。

 それに、ここに来れば、父母の面影に、わずかでも触れられるような気がしたのでした。

 地上に墓を作らない〈風使い〉たちは、死者を偲ぶ時には、この〈送りの浜〉へやってきます。果てしない蒼海が彼らの墓所であり、砕ける波が墓標なのです。死者への手向け花も、この浜辺から海に投げ込まれます。そんな記憶がトーシャをこの場所に導いて、それからふたりは手近な岩に座り込み、わずかばかりのぼろ布をかき集めて身を寄せ合い、そのままぼんやりと沖を見ていました。


 かじかんだ指先を互いの手で温め合えば、妹の手がひどく乾いて荒れているのが哀れで、トーシャは悲しくなりました。

 そして、ふと、かつて一緒に遊んだことがある町の少女の柔らかな白い手を思い出しました。


 あれはまだ毎年フリカが捕れていた頃、トーシャが今のミヤくらいだった頃のことです。

 村から少し離れたところに、都会の金持ちたちが別荘を構える保養地があって、貝を採っているうちに浜伝いに遠出しすぎたトーシャは、いつのまにかどこかの屋敷に面した浜に紛れ込み、波打ち際で貝殻を拾っていたその家の子と友だちになったのでした。トーシャと同じ年頃の、見たこともないような綺麗な服を着た、夢のように可愛い少女でした。身体が弱いので、夏の間、蒸し暑いイルベッザの淀んだ空気を避けて、この海辺の別荘に、乳母を伴って療養に来たということでした。

 トーシャはそれから数日、その浜に通って、ふたりは連れ立って貝殻を拾ったり、砂浜に棒切れで絵を描いたりして一緒に遊びましたが、やがてそれが少女の乳母の知るところとなり、遊ぶことを禁じられました。

 それは、ただ、トーシャが貧しい子供だったからだけではありません。トーシャが〈風使い〉の子供だったからです。

 少女の乳母は、少女に『〈風使い〉は賎しい民だから口をきいてはいけない』と言い渡したのだそうです。


 〈風使い〉が外の人々からときに蔑まれ、排斥されることは、子供のトーシャでも知っていました。

 それは、彼ら〈風使い〉が、女神エレオドリーナと男神タナートの間に生まれた赤子である〈風の王〉サワートヤルを主と崇めているからです。

 〈生命の女王〉エレオドリーナと〈死者の王〉タナートは双子の兄妹なので、一般の神話では、サワートヤルは兄妹の近親相姦で生まれた許されざる罪の子であり、その罪を背負って不具の身に生まれたために、生まれてすぐに名前さえつけられぬまま篭に入れて西の海に流されたと言われて、表立ってはその存在さえあまり語られることがありません。語られる場合も、有象無象の精霊や土地神、部族神たちの一柱と見做されて、軽視されます。

 『サワートヤル』というのは、〈風使い〉たちの古い言葉で、ただ『流されしもの』という意であり、名前ではありません。

 彼らの神は、名を持たぬ神です。

 だから〈風使い〉たちは、しばしば、『呪われた罪の子を崇める罪の民』などと忌まれるのです。


 けれど、〈風使い〉たちは、『流されしもの』サワートヤルを、由緒正しい神々の嫡子であると信じています。

 他の、森の王だの川の王だのは、その地の気が自然と凝っていつのまにか生まれた精霊たちの、その力がさらに寄り集まって形をとった単なる精霊の親玉だけれど、〈風の王〉は違うのだと。自然から勝手に生まれた精霊ではなく、正当な神々の息子、しかも、もっとも力ある、もっとも位の高い二柱の神々の間に生まれた、そのひとり子であるのだと。


 ――尊い神々の間に生まれたものが、その父母神がたまたま兄妹であったからといって、賎しいわけがない。穢れていたり呪われていたりするわけがない。そもそも、神々の間には、人間のような近親婚の禁忌など、ないのだ。なぜなら、神々に禁忌を科すものなど、存在しないのだから。人間に禁忌を課すのは神々である。その、至高の神々に、誰が禁忌を課すというのだろう。禁忌を課すものがいないのだから、禁忌はないのである。人間に課されるような禁忌など、神々には必要ないのだ。

 神が罪を犯すことは、ありえない。どんなことであれ、神のすることが罪であるわけがない。神のすることは常に正しいのだから、神がそれをしたなら、それは、人にとってはともかく、神にとっては罪ではないことなのである。ただ、兄妹での婚姻はあまりに神聖で、神々のすることだから、人間はしてはいけないというだけなのだ。

 それなのに神が罪を犯したなどと言う人々は、なんと冒涜的で不信心なのだろう。世の中には、『〈風使い〉は生命の女神エレオドリーナを信じずにその罪の子などを奉じるから不信心者だ』などというものがいるが、自分たち〈風使い〉は、サワートヤルを主と奉じているからといって、決して生命の女神を信じていないのではない。女神を蔑ろにしているわけではない。むしろ、外の人々より強く崇め、慕い、信じているはずだ。だからこそ、自分たちは、エレオドリーナが罪を犯したなどとは信じないのだ。エレオドリーナは全き慈愛の女神であり、常に正しく偉大であり、そんな女神のすることに、罪や間違いはありえないのだから――


 これが、〈風使い〉たちの言い分です。


 ――サワートヤルは、体は不具であるが、その代償として、風に乗って自由に世界を翔けめぐる力を有し、神々から海を――太陽を映して青く輝く果てしない海原と、その下の光の届かぬくらい世界のすべてをその領土として正式に封じられた、正当な海の主なのだ。その居所である西の涯の島は、決して流刑地などではなく、神と精霊たちの住まう神聖な永遠の理想郷なのだ。流刑地に押し込めるなら、風に乗ってどこへでも行ける力など、与えられるはずがない。そんな力があったら、流刑は意味をなさないのだから。だから、サワートヤルは、流刑にされたのではなく、祝福されて領地に赴いたのだ。

 そもそも、彼を産んだエレオドリーナ女神は、凡そあらゆる誕生を祝福すべき出産の女神である。すべての生命の偉大なる母である。すべての命を自分の赤子として慈しむ、愛の女神である。とりわけ、小さいもの、弱いもの、虐げられたものをこそひときわ愛するはずの聖母である。そんな女神が、自らの腹を痛めた我が子を、愛さないわけがあるだろうか。慈しみ、祝福しないわけがあるだろうか。

 ましてや不具の子である。他のものより不自由に生まれついた我が子を、女神が、より一層、慈しまないはずがない。その子にどこかが欠けていれば欠けているものの分だけ、よりたくさんの愛を注ぐのが、母なるエレオドリーナであるはずだ。

 だから、女神が我が子の不具を厭って海に捨てたりなど、するはずがないのだ。そんな話を信じて喧伝するなど、女神に対する冒涜である。女神は、不具の息子を、ひときわ深く愛したはずなのだ。きっと、特別に慈しんだはずなのだ。だからこそ、わたつみという、この世で一番美しく豊かな広大無辺の領土を、幼い我が子に与えたのだ。

 海を知らずに生きている人々は、海を、ただ、世界の涯て、この世の周縁の寂しく危険な辺境としか思っていないが、我ら〈風使い〉は知っている――海が地上のどこよりも広く豊かな恵みの領土であることを。そんな豊かな領土を、女神はその愛し子に与えたのだ。それが愛の贈り物でなくて何だろう。

 そして、父神タナートもまた、この息子を愛したはずだ。

 女神エレオドリーナと男神タナートは、後には仲違いして相争うようなるが、この時には、契りあって子を設けたのだから、きっと愛しあっていたのだ。タナートが妹であるエレオドリーナに一方的に邪恋して追い回していたとする神話もあるが、そうだとしても、少なくとも男神は女神を恋い慕っていたはずだ。ならば赤子の誕生を嘉し、幼い息子を愛おしんだはずだ――


 そんなふうに、〈風使い〉たちは信じているのでした。


 〈風使い〉だけに伝わる神話では、〈死者の王〉男神タナートは、幼い息子の旅立ちに際して、精巧で美しい、からくり仕掛けの小鳥を贈ったと言われています。無数の小さな宝石で飾られた金銀細工の小鳥は、繊細なその翼を楽しげに羽ばたかせながら、世にも美しい声でやさしく子守歌を歌って赤子をあやし、眠らせたといいます。

 父神は、我が子を愛していたから、そんな美しく愛らしい贈り物をしたのでしょう。

 そして女神エレオドリーナは、もちろん、男神とのいきさつがどうであれ、生まれた赤子は愛したはずなのです。エレオドリーナは、すべての命を無条件で愛し祝福する生命の女神であり、出産と赤子の守り神であり、あまねくすべての命の聖なる母なのですから。


 ――そもそも、たとえどのようないきさつによって産まれたものであろうと、誕生した命は、みな祝福されてしかるべきなのだ。いかなる不義不倫の果てに孕まれた罪の子であろうと、それは父母の不義、父母の罪であって、生まれた子の罪ではない。だから、おさな子を乗せて海に流した篭は、きっと、流刑の船ではなく、母のかいなのような、やさしい愛の揺りかごであったのだ。清らかな花々で飾られ、聖母の愛に包まれた、美しい、愛らしい、小さな揺りかご。そういう、心づくしの、愛のこもった可愛い小さな船で、女神は我が子を、その領土へと、幸せを祈って旅立たせたのだ。

 ちょうど我々〈風使い〉が、小さな子供が死んだ時、ちっぽけな死出の小舟を可愛らしく飾り付け、玩具や菓子を積むように、サワートヤルの小舟は、きっと、おさな子の心を慰めるべく美しく飾られて、甘い果実や菓子を溢れんばかりに積みこんでいただろう。おさな子はその愛らしい揺りかごの中に、暖かく柔らかな産着で包まれて注意深く横たえられ、額に祝福の口づけを受けて、やさしい母の手で、広い海原に、そっと送り出されたのだろう。美しい白い小舟の舳には、父神からの愛の贈り物である宝石づくめの銀の小鳥が止まって、水先案内を務めるともに、美しい子守歌を歌っていただろう。きっと女神は、付き添いの、やさしい風の精霊たちに、この子をよく守って西の島まで無事に運んでやっておくれと、心を込めて命じただろう。たどり着くべき新しい天地での我が子の幸せを、強く、強く、祈っただろう――


 〈風使い〉たちはそのように信じて、その美しい場面を、古来より繰り返し炉辺に語りつぎ、歌に歌ってきました。舳先に銀の小鳥を止まらせた美しい白い小舟の絵が数限りなく描かれて家々の祭壇を飾るその下で、月明かりに照らされて波間を漂う夢の揺りかごを歌ったやさしい子守歌が、親から子へと口伝えられてきました。


 それらの歌は、本当は、昔、今よりもっと不漁が続いた苦難の時代に、間引いた赤ん坊を海に流した悲しい思い出を歌ったものだったといいます。我が子を海に捨てねばならなかった母親たちの心を宥める歌であったのでしょう。

 〈風使い〉たちに伝わる古い子守唄が、幸せの島を目指す祝福されたおさな子を歌ったやさしい歌のはずなのに、どこか悲しい旋律なのは、たぶん、そんなわけです。旋律は悲しいけれど、言葉として歌われるのは、あくまでも、愛されて旅立つ穢れなき神の子の希望に満ちた旅路であるのは、母たちのせめてもの祈りなのです。


 今でも、〈風使い〉の村では、死んで生まれた、あるいは生まれてすぐに死んだ赤子、わけても不具の子は、幼いサワートヤルの物語を再現するものと尊ばれて特別ていねいに海に送られ、嘆きに沈むその母は、神の子の地上の母の役割を果たしたもの、女神エレオドリーナの代理を務めたものと称えられ、その子を海に送り出したことを誇りにしろと慰められます。サワートヤルは、その赤子を送られたことを嘉したまい、その子を送り出した村に、より多くの魚の群れを、より一層の恵みを送ってくれるのだから、と。

 そういう赤子たちは、サワートヤルに特別に愛されて、風に乗る小さな翼をその背に授かり、精霊の島で、永遠のおさな子としてサワートヤルのもっともそば近くに侍る権利を得、世界の終わる時まで何一つ悲しみを知らずに楽しく歌って暮らすのだと言われています。おさな子たちの穢れない歌声は母を知らぬサワートヤルの孤独を癒やし、時に嘆きに荒れる海を鎮めるのだと言います。

 その言葉で、傷心の母たちは、ささやかなりとも慰められるのでした。

 そうして、女たちは、〈おさな子〉サワートヤルの旅立ちの子守唄を、きっとこれからも歌い継いでゆくのです。


 〈風使い〉たちは、そんなふうに、サワートヤルを海の支配者、精霊の島の主、風の精霊たちの王にして自分たち〈風使い〉の守護者であるものとして、変わらぬ信仰を捧げてきたのでした。

 彼らは、サワートヤル配下の風の精霊と契約を結び、その守護を得ることで、精霊の助けを借りて自分の船の帆のまわりの風を操る力を与えられると信じています。

 〈風使い〉の少年たちは、十五になると、それぞれ『自分の』精霊を持ち、船に乗ることを許されます。

 精霊は、普段は目に見えないけれど、小さな清らかな、半ば透きとおった乙女の姿をしているのだと言われています。運の良い男や、自分の精霊に特別愛された男は、ときに精霊の姿を夢で見ることができると言われていて、実際、自分の精霊が夜の眠りの中に立ち現れた、あるいは祭りの熱狂の中で火影にその面影を幻視したと目を輝かせて語る男――たいていは精霊と契約を結んで間もない青年たち――も、しばしばいます。

 だから、〈風使い〉たちは、自分たちは〈風の王〉の嘉したもう民であり精霊に特別に選ばれた一族であるとして誇りを持っているのです。

 その誇り高さは時に閉鎖性と結びつきもしますが、たとえ外のものから蔑まれようとも、彼らの誇りが揺らぐことはありません。

 たとえその頃のトーシャのような、幼い少年であっても。


 だからトーシャは、あの時、

「あんたは『賎しい』の?」と、小首を傾げて不思議そうに問う少女に、そんなことはない、と答えたのでした。

「でも、もう、君のばあやさんから見えるところで遊ぶのはやめようね、君が叱られるから」

 そう言うと、少女は、トーシャと額が触れるほど間近に顔を寄せて、真剣な顔で頷きました。

「うん、じゃあ、あんたとわたしが友だちなのは、ふたりだけの秘密ね」

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