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※この作品は、『金の光月の旅人』の姉妹編です。同じ世界の別の場所、別の時代、別の子供たちのお話です。
※ストーリー的には独立しているので、『金の光月の旅人』未読でも読めます。 両方読んでくださる場合、どちらを先に読んでも構いません。
※前作同様、拙作『イルファーラン物語』と背景世界を共有しています。
イリューニンの北、ビューランの浜辺には、沖へ向かう海流が断崖を抉るように流れてゆく場所があり、その断崖の裂け目の下に、〈風使い〉たちだけが秘密の隘路を通って降りて行くことができる、隠された小さな砂浜がある。弔いの夜、花で飾られた海人のなきがらは、形ばかりの筏のような死出の小舟に乗せられて、仲間たちの手でその秘密の入江に運び込まれ、しめやかな哀悼の調べとともに静かに海に押し出される。この葬送の浜辺から、夜の引き潮に乗って世界の果ての西の大洋へと旅立ったものはすべて、いかなる力の働きによってか、二度と此岸に戻ることはないという――。
(『イルファーラン物語』より)
◇◇◇
夜の海に、上弦の月が光の道を作っています。半月だから、満月の時ほど明るくはないけれど、海が鏡のように凪いでいるので、光の道は、まるでその上を誰かが歩いてやってきそうなほどにくっきりと見えました。冬も近いこの時期に、海がこんなに凪いでいることは、このあたりでは、とてもめずらしいことでした。
――この道を歩いて、海の向こうの精霊の島から、死んだ父さんや母さんが歩いてきてはくれないだろうか。ぼくたちを迎えに来てはくれないだろうか。こちらへおいでと、海の上から手をさしのべて――
ひとけのない小さな入江で、幼い妹と寄り添って岩の上に座り、トーシャはぼんやりと考えました。
――ぼくは母さんと手をつなぎ、父さんはあの強い腕で歩き疲れた小さなミヤを抱き上げて、みんな一緒に精霊の島に歩いて行って、そこでいつまでも、みんなで幸せに暮らすんだ。死者たちの住まう永遠の楽園、精霊の島で。そこにはいつも花が咲き、甘い果実が実り、浜は魚で溢れているという。そこでは誰も、こんなふうに飢えることも、寒さに凍えることもない――
水際で砕ける月影に、トーシャは、精霊の島に押し寄せる銀の魚の大群の、きらめく鱗を夢見ました。
本当なら、冬の初めの今ごろは、トーシャたちの村も、フリカ魚の水揚げで賑わっているはずなのでした。
今年十歳のトーシャは、自分が小さかった頃のフリカの季節の浜の賑いを覚えています。けれど、五歳の妹のミヤは、その頃はまだほんの赤ん坊だったので、フリカの季節の賑いを、全く覚えていないのです。最後にフリカの群れが来たのは、もう四年も前のことですから。
今年も、去年も、一昨年も、沖の漁場にフリカの群れは来ませんでした。フリカの水揚げ量にはもとより当たり年と外れ年がありますが、三年も続けて群れがまったく来ないなど、そんなことは生まれてこの方なかったと、村の年寄りたちも口々に言っていました。
しかも、今年は、初冬のフリカだけでなく、初夏のヌーア魚も、去年まではちゃんと獲れていた秋のズッカ魚さえも、あまり獲れなかったのです。
――海はこんなに静かで、月はこんなに綺麗なのに、なぜ、海に魚がいないのだろう。西の涯にいます〈風の王〉サワートヤルは、なぜ、その忠実な民であるぼくたち〈風使い〉のもとに、いつものように魚を送ってくれないのだろう。祈りが足りなかったのだろうか。みんな、いつも以上に必死で祈ったはずなのに、いったい何が足りなかったのだろうか。お祭りの日に海に投げ込む奉納の花輪の数が? 波間に浮かべる蝋燭の数が? 祭壇に捧げた穀物や果物が? ……今年は、あれで精一杯だったのに。村中のどこを探しても、捧げられるものはあれしかなかったのに。それとも、誰か、何かサワートヤルの怒りを買うようなことをしたのだろうか。だからぼくたちは、もう、ぼくたちの王に見捨てられたのだろうか。もう、彼の民ではないのだろうか――
思いに沈むトーシャの耳に、静かに打ち寄せる波の音だけが繰り返し響きます。
寄せては引いてゆく夜の波は、引き際に、海中に立つ巨人の胸像の形をしたワジャル岩の周りで密やかに沸き立ち、白い泡が儚く渦を巻いては、暗い海に溶けてゆきます。
こんな、月だけが白く冴えわたる夜の海辺にいると、まるで自分たち以外のすべてが死に絶えているような気がしてくるのでした。まるで、人間がみんな滅びてしまった後のような……。
トーシャがこの〈送りの浜〉で母を見送ったのも、こんな美しい月の夜でした。
北の海辺でささやかに漁を営む〈風使い〉たちは、地上に墓を持ちません。
彼らは、仲間の亡骸を、花で飾った仮拵えの小舟に乗せて、彼らの葬送の場である、ここ〈送りの浜〉から、哀悼の調べと共に海に送り出すのです。
トーシャの母も、二年前、そうやって夜の海へと旅立ってゆきました。
母は、農村から嫁いで来た女でした。どのようないきさつでか、たまたま知り合った〈風使い〉の男と恋に落ち、家族の強い反対を押し切って、家出同然に嫁いで来たのです。そして、若くして寡婦となった後も実家に戻ることなくこの村に留まり、慣れない浜仕事に無理して明け暮れたあげく身体を壊して、ほどなく夫の後を追うように死にました。
農村の人々は〈風使い〉を忌んでいるから、〈風使い〉に嫁いだ母は家族と縁を切られており、もし戻りたいと思っても、戻る家も無かったのでしょう。
それでも母は一族の寡婦として村じゅうの扶け合いの輪の中で生かされていたのですから、トーシャたち母子の暮らし向きだけがよその家より特別苦しかったわけではないのです。厳しい北の海に生きる〈風使い〉たちの結束は固く、村には、身内の寡婦や孤児を飢えさせて自分だけ贅沢をしているような人間は、一人もいません。ただ、フリカが獲れなくなって以来、村じゅうのみなが同じように飢え、凍えていたというだけで。
やつれ果て、痩せこけた母の亡骸の、頬は厳しい海風にさらされて老婆のように皺深く、かさかさに乾いていたけれど、小舟いっぱいの野の花に埋もれ、月の光を浴びたその姿は、透き通るように美しく見えました。
その頃、すでに食料の蓄えはほとんど尽きていたので、精霊の島に着くまでの〈渡海りの御饌〉として小舟に積み込むことができたのは、わずかばかりのひねこびた小芋の黴の生えかけた切れ端だの、からからにひからびた干し魚の小片、それに、湿気った麦粉を水で練って茹でた小さな団子だけでした。けれど野の花だけは、その年も変わらず咲いていて、母の亡骸が埋もれるほどに、ふんだんに飾ることができたのです。
それからふたりは、父の親族の家に引き取られました。継父母の家は子沢山で、その頃には村の他の家もすべてそうだったとおりに貧しかったけれど、彼らはふたりを当然のこととして受け入れ、自分たちの実の子と同じように扱ってくれました。
この村では、継子はありふれています。海で死ぬ男がとても多いから、ふた親を亡くした子供が親族に引き取られることも、寡婦となった母親が子連れで再婚したり親族の元に身を寄せることも、当たり前のことなのです。自分の子だって、いつ誰かの継子になるかわかりません。血縁の孤児の面倒を見るのは、〈風使い〉たちにとって、当然のことなのでした。
けれどその後も不漁が続き、養父母の家でも食料が底をつきました。子供たちも毎日総出で日がな一日岩場を漁って、普段なら食べない硬い海藻やたいして腹の足しにもならない泥の味のする小さな貝を集めたり、近隣の山野の木の実や野草をあらかた採り尽くしたりもしましたが、冬になれば、山野は雪に覆われます。採ったものはその日に食べるだけで精一杯だったから、冬に向けての蓄えもありません。冬場は海が荒れ、漁に出られる日が少ないし、そもそも、このあたりでは、フリカの季節を過ぎたら、獲れる魚はわずかです。
そうして、しばらく前のある夜ふけ、たまたま小用に立ったトーシャは、継父母が疲れはてた小声で相談しているのを聞いたのでした。
一番上の娘をイリューニンの娼館へやろうか。ここにいて厳しい冬に飢え凍えて死ぬよりも、少なくとも物が食べられ服が着られる場所にやるほうが本人のためでもあるだろう、と。
幼いトーシャも、娼館がどういうところか、薄々は知っていました。
村の外に働きに出た子供たちも夏至や新年のお祭りには里帰りしてくるけれど、娼館に売られた娘だけは、決して帰って来ることがないということも。
優しい義姉が隣家の少年とほのかに想い合っていることを、トーシャは知っていました。もし彼女が娼館に行ったら、そんなふたりは、もう会えなくなるのです。
もしかしたら、自分たちが家を出ていけばそうならなくてもすむのではないかと、トーシャは考えたのでした。
せめて自分たち二人分の口が減れば、と。
本来、この家は、もう二人分、食べる口が少なかったのだから――と。
幼い無分別で、次の夜、トーシャは、妹を連れて養家を出ました。
何も持たず、誰にも告げず、夜明け前の闇に紛れて。
家を抜け出す時、寝ている継父母に小声でこれまでの礼と別れを告げました。継父母は、もしかすると彼らが出ていこうとしていることに気付いていたのかも知れませんが、頭から掛布を被ったまま、動きませんでした。薄い掛布の下で継母が泣いているような気もしましたが、引き止められることはありませんでした。
眠たがる妹を背に負って、トーシャは歩き出しました。
どこへゆくあてもなかったけれど、どこかで、妹とふたりだけで生きようと思っていたのです。
どこか農村へ行って、畑仕事でも手伝わせてもらえないだろうか。納屋になりとも寝泊まりさせてもらえないだろうか――そんなあてもない算段とともに、もしかしたら農村で母の縁者に会えて迎え入れてもらえるかもしれないという淡い期待もありました。
母は故郷の話を一切しなかったので、母がどこの村の出身かも知りませんでしたが、いずれにせよ近隣のどこかには違いないので、訪ねた村が偶然母の故郷であることは、十分にありえるはずです。
母が生家と縁を切られていることも、自分たちが生まれたことや父が死んだことはもちろん母自身の死さえ生家には伝えられていないだろうことも、農村も今年は不作で余裕がないことも、全部知ってはいましたが、一族の結束固い〈風使い〉の子供であるトーシャには、肉親の絆が無視されることがあろうなどとは、想像できなかったのでした。
そして、もし農村に仕事がなければ、どこか町へ行こうとも考えていました。
町へ行けば、きっとなんとかなるだろう。まずは、自分が知っている唯一の町、一番近いイリューニンへ。それでもだめなら、どこか、もっと南へ。冬でもほとんど雪が積もらないという実り豊かな南部、たとえば、首都イルベッザへ。夜中でも灯火の絶えることのない、想像もつかないほど大勢の人が住んでいる、とてつもなく大きく賑やかな都だというから、子供二人くらい、紛れ込む場所はきっとあるだろう――
そんな、自分でも甘いと分かっている見通しで歩き始めてはみたものの、近隣の農村でふたりを雇ってくれる家など、もちろんありませんでした。すでに収穫を終えて冬に向かう今、人手の必要な農繁期は過ぎていたし、農家はたいてい子沢山で、十歳の子供にできる仕事なら自分の子供にさせるまでです。しかも、今年は不作で、よその子供にまで食べさせる余分な食料など、どこの家にもありません。それで、たいていは剣もほろろに追い払われました。ときには魚臭いと嫌がられもしました。家族に内緒でドアの陰で少しだけパンの欠片をくれた若いお嫁さんや、ひとときでも寒風の凌げる部屋に入れ、自分たちの貧しい食事である薄いスープを分け与えてくれた老夫婦もいたけれど、母の故郷であるはずの農村に、ふたりの居場所はありませんでした。
家から家へ訪ね回るうちに見知らぬ村で夜を迎え、途方にくれたふたりは、村はずれの家の納屋に忍び込み、そこで寝ていた大きな犬に寄り添って一夜を明かし、夜明けと共に起きだしてきた主人の怒鳴り声に追い散らされて村を出ました。
そんな日を何日も繰り返し、あげくにたどり着いたイリューニンで、ふたりはただ、人ごみに圧倒されて道端に立ちすくむことしかできませんでした。空腹にふらつく足でまごまごと往来を横切ろうとして馬車に轢かれかけ、慈悲を求めて見知らぬ家の戸口を叩こうとして犬に吠えかかられ、やむにやまれず屋台の食べ物を盗もうとして怒鳴られ、しかたなく物乞いをしようと路傍に座り込んでみたら、あっという間に寄ってきた襤褸を着た少年たちの一団にすごまれ、小突かれて、たちまち追い出されました。
自分たちより幾つも年上ではないだろう少年たちの、村では見たことのないような荒んだ眼差しが、罵倒の言葉よりも振り上げられた拳よりも怖くて、トーシャは抵抗することも声を上げることもできずに、腕の中にミヤを庇って、ただ逃げ出したのでした。
途方に暮れて、行く宛もなくとぼとぼと通りかかった魚市場の前で、魚の臭いに、村が思い出されました。
もはや、さらに南に向かう気力も尽きていました。
ふたりは、苦労してやってきた道を、足を引きずって引き返し、ぼろぼろになって村に帰りつきました。
けれど、いまさら養家には戻れません。
行き場のないふたりは、夜陰に紛れて人目を避け、村人だけが知っている隘路を抜けて、崖に隠されたこの入江に身を隠したのです。