5話:《鉄騎》
「アメリア!」
ごった返す生徒の波の中にその姿を見つけて、ルーカスは叫んだ。
今、彼の制服の上には要所要所を保護する軽鎧が装備されている。人込みを掻き分けてこちらへ向かってくる相手もまた同じく。戦闘に赴く際の、本来の出で立ちだ。
「状況は?」
何とか目の前までやってきたアメリアは開口一番そう問うてきた。
その声色には、僅かならぬ焦燥の色がある。
「発表の通りだ。北区壁内に《深き者》が侵入した。まだ範囲はあまり広がっていないようだが……連中は、着実に中央区に向かってきているらしい」
「具体的には、どのあたりがやられている?」
努めて冷静に振る舞うルーカスだったが、アメリアの勢いは止まらない。
半ば詰め寄られながら、その問いに答える。
「……壁から少し離れた浄水施設だ」
途端、アメリアの顔が青くなった。
浄水施設は東西南北各区に一つずつしか存在しない。そこが破壊されたとなれば、仮に《深き者》を殲滅できたとしても、北区の被害は計り知れぬものとなる。
しかし、彼女が焦る理由はそこではない。
そこから中央区までのルート上には――
「私の、家……」
「……ああ、そこを通る可能性が高い」
「対抗部隊は到着しているの!?」
悲鳴のような叫びを上げるアメリアへ、ルーカスは対照的に小さな声で答える。
「……いいや。正規兵の詰所から離れているせいか、対抗戦力は、まだ」
「ッ!」
弾かれたように身を翻し、駆け出そうとする彼女の手を、すんでのところでルーカスの手が掴んだ。
「止せっ! 生徒は今回の件に対して中央区の防衛に努めるように命令が下されている。第一、お前の《神具》は補助特化だろう。行ったところでどうなる!?」
「でも、それじゃあお父さんが……ッ!」
言葉に詰まる。
――彼の取り得る選択肢は二つ。
一つ。命令に従って中央区の守りに徹する。
一つ。北区へ向かい、《深き者》の進行を食い止める。
前者を取れば彼女の父は死に、後者を取れば命令違反。
その二つを吟味し。天秤に掛け。
考え、考え、考え――。
ふぅ、と小さな溜息を一つ吐く。
吐きたくもなる。
だって、彼は今、今までの功績を帳消しにしかねない行動を取ると決断したのだから。
「……足じゃ間に合う保証は無いぞ」
ぼそりと、吐き捨てるように呟くと、アメリアの目が大きく見開かれた。
彼の言葉に秘められた真意を察し、その意味を正しく理解しているからこそ。
「……ありがとう」
「礼は事が終わってからだ」
そっけなく言い放ちつつ、そっぽを向くルーカス。
自分でも、らしくもないことは分かっている。
だが――放っておけなかったのだ。
理屈では説明しきれぬ感情。それを隠すように、言葉を紡ぐ。
「で、実際にどうする? 馬車なぞ私は持っていないし、列車も運休だ。交通手段は無い」
「……宛ては、ある」
返ってきたのは、意外な返事だった。
眉を顰めるルーカスを、オリーヴ色の瞳が真っ直ぐに見据える。
「着いて来て」
連れてこられたのは、例の工房だった。
但し、部屋ではなく、その作業場である。
「おい、本当にここに何かあるのか?」
荷物運びを頼まれた時に入ったことはあるが、中には特に移動に使えそうな装置にの類は無かったと思う。
ぞんざいな問いに対して、アメリアは、
「これ」
言いながら、あるものを指で示す。
それは、作業場の壁のそばにぽつんと置かれていた。
高さは……大体ルーカスの腰ぐらいまでだろうか。長さや幅は馬一頭分ほど。そんな物体が、オイルやらなにやらで汚れた布に覆い隠されている。
「元々はお父さんが設計して、組み立ての途中で投げ出してしまったものだけど……この間運んでくれた部品で、完成した」
ぐいっと、アメリアが布の端を掴む。
そのまま強く引いて――中の物が、姿を露わにする。
ソレは、見たこともないような代物だった。
ガス灯の光を反射して、鈍色に輝く金属製のボディ。
正しく馬の胴のような本体部(?)から前後に伸びる細い脚の先には、これまた鋼鉄製のスポークとリム、そして多少は見るようになったものの、今でもやや珍しいゴム製のタイヤを備えた車輪。
後輪の横には、挟むように二本の筒が飛び出ており、よく見るとそれはパイプで本体へと繋がっている。
……これはルーカスもアメリアも知り得ぬことだが。
もしもナウアノルの文明レベルがもう少し発展していたら、あるいはソレをこう呼ぶ人もいたかもしれない。
即ち――オートバイ、と。
「……鉄の、騎馬」
見たままの印象を述べるルーカスに、アメリアは静かに頷いた。
ボディ上部に革が貼られたシート部分にそっと跨る。
と、視界に変化があった。
右目の周囲に黄金色の光の輪が現れ、同時に目に映る機械の各部に、その名称と操作方法が浮かび上がる。
アメリアの方を見やれば、その手には二匹の蛇が巻き付いた杖が握られている。彼女の《神具》による補助の応用だ。
手順に従って動かしていくと、くぐもった炸裂音が本体から鳴り始める。
(機関も蒸気ではないのか……!)
思わず感嘆した。
現在ナウアノルで使用されている機関は、ルーカスが知る限り蒸気機関のみだ。
であれば、これは全くの新機関。世紀の発明であろう。
「エンジンの調子も良好。これなら行ける」
様子を見守っていたアメリアも、手ごたえを感じたように頷いた。
次いで、正面に設置されている大扉を、片方だけ開く。
「――乗れ!」
ルーカスが短く叫ぶのとほぼ同時に、アメリアが後ろに飛び乗る。
彼女の細い腕が腹に巻き付き、しかと固定されたのを確認して、ルーカスは最後の操作を行う。
加速器、解放。伝達器、接続
後輪横の筒から排気が噴き出し、車輪が回転を始めた。
そして。
腹に響くようなエンジン音が勢いを増し、タイヤが床を踏み鳴らす。
前進――!
◇◆◇
「はァ……っ、はァ……ッ」
北区の貧民街。
アメリアの父――ジョセフ・サージェントは、息を切らしながら走っていた。
無理もない。安全だったはずの壁内に《深き者》が現れ、あまつさえこちらに向かっているのだから。実際に、彼の隣人は既にその殆どが何処かへ逃げ出しており、辺りに人影はない。
彼がここに残っていたのだって、家の奥で自棄酒をあおっていて、外の喧騒に気づかなかったというのが実情だ。
しかし。
(クソッタレ……)
体が思うように動かない。
ここに来て、長年強い酒に溺れ、不摂生を続けていたツケが回ってきた。
「……こんなところで……くたばってたまるか……ッ!」
ぐらつく視界の中、壁に手をつけて体を支えながら、何とか前へ踏み出した直後だった。
辺りに魚が傷んだような臭気が漂い始める。
そして――目と鼻の先の角からぬぅとソイツが顔を出した。
蛙のような、魚のような、膨れた顔に飛び出た目玉。ぬめりと粘液をまとう肌。
まぎれもなく、《深き者》だった。
『……ァァァ……』
分厚い唇が開いて、粘性の高い唾液とともに嗤うような吐息が漏れ出た。
心なしか、《深き者》の口の端が吊り上がっているように思える。
「ヒッ……」
ジョセフの顔が強張った。喉から小さな悲鳴が漏れる。
慌てて逃げ出そうとするが、足がもつれて上手くいかない。
その場に転げたジョセフの体を、《深き者》の影が覆う。
ヤツの醜く膨れた腕に力が籠められるのが、素人目にも分かった。
《深き者》の膂力は人のそれを優に超える。そんなもので殴り掛かられたら、非力な一般人などどうなるかは火を見るより明らかだ。
(ああ、チクショウ……)
拳を振り上げる《深き者》を目の当たりにしながら、ジョセフは静かに思う。
(結局、アメリアと喧嘩したままだったなァ……)
脳裡を過ぎるのは、娘との記憶ばかり。
彼女に迷惑をかけ続けていた報いか、と諦観とともに目を瞑る。
その時。
「……?」
ふと耳に届く、低い音。
地鳴りか、はたまた遠雷か。
否、違う。その音ははっきりと分かるほど、確実にこちらへと近づいて来ている……?
怪訝に思い、薄く目を開く。
直後だった。
今まさにジョセフへ殴り掛からんとしていた《深き者》の横っ腹に、何かが猛スピードで激突する。
奇天烈な――しかし見覚えがある形をした機械。昔、自分が設計図に描いた姿。
ガギィンッ! と。
大分遠くまで吹き飛ばされた《深き者》の体に、無骨な鉄色の槍が突き立てられる。
その槍を機械に跨ったまま握る、銀の長髪に青い瞳の男。
そしてその後ろで二匹の蛇が巻き付いた杖を抱えつつ、男にしがみついているのは――。
「アメ……リア……?」
名前を呼ばれ、少女が振り返る。
片時も忘れぬ、忘れられぬ彼女は静かにじっとこちらを見つめながら、言った。
「助けに来たよ、お父さん」
や、だって僕、バイクとか運転したことないし。