4話:《思い出》
――子供の頃、父はアメリアにとって正しく理想の父親だったと思う。
まだ幼いアメリアが自分の仕事に興味を示せば、空いた時間を見つけてちょこちょこと機械をいじる技術を教えてくれたことを憶えている。
あの頃は、彼は自分の仕事に誇りを持っていた。あの頃は、彼は本当に家族の幸せを考えていてくれた。
あの頃は――彼は、とても輝いて見えた。
泣きながら走り続ける内に、アメリアの足は自然とあるところへ向かっていた。
中央区の北部に居を構える、工房。
これだって、元々は父の仕事場だった。
物資を運ぶのに使う大扉。その脇にある玄関から中に入り、薄暗い作業室の隅で蹲る。
辺りは鉄とオイルの匂いで満ちていたが、もう嗅ぎ慣れたものだ。
そっと目を閉じる。
今はもう、何も考えたくない。
…………。
……。
……。
……?
ふと、眩しさで目が覚めた。
どうやら泣き疲れで眠ってしまっていたらしい。
赤く腫れているであろう目尻を擦ろうとして――気づいた。
自分の体に、何か大きな布が被せられている。
広げて見れば、それは見憶えのある黒い詰襟。言うまでもなく、アイレフォルン学園の男子制服だ。
そう言えば、と思い出す。
自分は先程、眩しさで目が覚めたと自己分析した。
しかし。
私は、ここに入った時にわざわざ灯りなど点けただろうか?
はっと顔を上げる。
部屋に設置されたガス灯が穏やかな光を放ち、部屋を照らしている。
そして、部屋の出入り口の近くには――。
「やっと起きたか」
「……ルー、カス……?」
同年代にしては随分と大人びた、よく知る少年。
彼はシャツ姿で壁に身を預け、こちらを見ていた。
◇◆◇
アメリアが使用している工房には、泊まり込みで作業するための生活スペースがくっついていた。
少々手狭だが、一人で生活する分には問題なさそうだ。豪華なことに風呂まで付いている。
その風呂をアメリアが使っている間、ルーカスは用意された椅子に座って、小窓から街を照らす月を眺めていた。
最初は、どうにも自分のせいで彼女ら父娘の関係が拗れてしまったようで、放っておけずにアメリアを追いかけてしまったのだ。
途中、彼女を見失ってしまったが、先日の荷物持ちでここに連れられていたのが功を奏した。
ダメ元で来たのだが、玄関の扉が半開きだったのでもしやと思い覗いてみれば、案の定アメリアがいた。
そのまま鍵も掛けずに年頃の少女を放置して帰るわけにもいかず、せめて彼女が起きるまではここで見張り役をしてやろうと思って残っていたのだが……
『……もう少し、一緒にいて』
アメリアにそう頼まれ、今に至る。
一応、ルーカスも寮生である。
が、そもそも夜になると店など軒並み閉まってしまうせいか門限管理などはそこまで厳しくなく、一日程度であれば帰宅時間が大幅に遅れたり、あるいは外泊ということになってもあまり問題ではない。
……いや、男と女が一つ屋根の下というのはそれはそれで問題なのだが……今は考えないことにする。大丈夫。何も無ければいいのだ。
と、奥の方で浴室の引き戸が開く音がした。
暫くの衣擦れの音の後、寝間着姿のアメリアが脱衣所から姿を現す。
寝間着の端からチラと覗く白磁のような肌は薄く紅潮し、ほんのりと色づいている。思わずルーカスの心臓が小さく跳ねた。
「……あなたも、入る?」
不意に投げ掛けられた言葉で現実に引き戻される。
いけない。こんな幼児体型娘に欲情していては、変態の誹りを受けてしまう。
ルーカスはどぎまぎしつつも「あ、ああ」と頷き、逃げるように浴室へと向かった。
入浴中もまた試練だった。
よく考えれば、今の今までアメリアが入っていた風呂場である。濡れた床や少し温くなった浴槽も中々に刺激的だったが、生暖かさの残る椅子や湿ったバスタオルなどは、なんかもう、形容に困る。
それでも何とか身を清め、アメリアが用意してくれた長ズボンを寝間着代わりに身に着ける。上半身には麻のシャツを拝借した。
ルーカスでも問題なく着れる辺り、前の居住者――恐らくは、あの父親が残していたものなのだろう。
部屋に戻ると、アメリアは既に布団の中に入っていた。室内灯は消され、ベッドサイドの小振りなキャンドルランタンが薄く寝室を照らしている。
「……風呂、ありがとな」
「ん」
短く言葉を交わし、先程の椅子へ座り直そうとして――バサリ。
アメリアが、ベッドの掛布団を半分程捲り上げた。
おまけにちょっと壁際へと身を引き、空いたスペースを手でポンポンと叩いてくる。
「……入れ、と?」
「そんなとこにいたら湯冷めしてしまう」
「いや、そうは言っても流石に……」
ぶっちゃけ、添い寝までして理性を保てる自信が無い。
かろうじてその言葉は飲み込むが、アメリアは誘う手を止めない。
終いには、とうとう伝家の宝刀を抜いてきた。
それ即ち。
「…………ダメ?」
――上目遣いでおねだりポーズである。
ガラガラと。
ルーカスの鋼の自制心も、音を立てて陥落した。
もうロリコンでも何でも好きに呼ぶがいい。
ふらふらとベッドに入り込むと、今度はぴとりとアメリアが寄り添ってくる。
あったかいやら柔らかいやらなんかいい匂いがするやらで、気を抜けば今にでも彼女を襲ってしまいそうなルーカスを押し留めたのは、小さな呟き声だった。
「……もう少しだけ、甘えさせて」
「……なあ、聞かせてくれないか」
思い切って、尋ねることにした。
「お前のお父上は、私の家名に――貴族であるということに強く反応していた。一体、何があったんだ?」
「……」
数瞬の沈黙。しかしルーカスは何も言わずに待つ。
やがて、アメリアは訥々と語り始めた。
「……ちょっと、長い話になる」
――父は、ある貴族の下で働く技師だった。
その貴族というのは、上級とまではいかずとも名のある家の者で、父はそこで抱えの技師の親方を務めていた。
今考えれば、少なからず恵まれていたのだろうと思う。
遅生まれの一人娘だった私は、両親の愛情を一身に受けて育った。
そんな暮らしが一変したのは、思えば母の病死が起点だったかもしれない。
葬儀を終えた後も、父は私のために一生懸命働いていてくれた。
けれど――。
『どういうことですか!? この新機関の設計は私が……ッ!』
『どうもこうもない。さる高貴な方がこれを望んでいらっしゃるのだ、黙って差し出したまえ』
真夜中に父と、仕えていた貴族がそんな言い合いをしていたのを聞いた時には、まだ幼くて何の話か分からなかった。
後に知った。父は、自分の発明を奪われたのだ。
恐らく裏にあったのは貴族同士の汚い遣り取り。
父の設計したそれは、完成の暁には、よりエネルギー効率の良い蒸気機関として世に広まるはずだった。無論、採用されれば生み出す財は計り知れない。
そこに目を付けた連中がいたのだろう。雇い主だった貴族がその後貴族議会の要職に就いたという話を聞いたことがあるから、賄賂の代わりのようなものだったのかもしれない。
父は最後まで抵抗した。
しかしながら、雇用者と被雇用者の間には覆しがたい力関係があるのが世の理だ。
結局、家族は立場を追われた。
それでも何とか生き延びるためにこの工房を見つけ、そこで仕事を続けていた父だったが――ついにその時が来た。
そうだ。
私が、神具を発現させたのだ。
元々、我ながら勘がよく働くと思うことはあった。
それがまさか……神具の恩恵だったとは。
妻は死に、発明は奪われ、守るべきものは自分の手元から離れていく。
完全に目的を失ってしまった父は――物事を全て諦めて、ただただ恨み言を繰り返すようになってしまった。
「……長々と語ってしまったけれど」
ほう、と。
アメリアが一つ、溜息を吐いた。
「父と、貴族との間にあった確執は、多分、そこまで重要ではないんだと思う」
いつの間にか、月は随分と高くなっていた。
ランタンの中の蠟燭もとうに燃え尽き、窓から差し込む仄青い月光のみが、ベッドの上の二人を照らす。
「人はいずれ、死ぬ。子供はいずれ、巣立つ。そんなこと、少し考えれば分かるはずだったのに」
「……」
ルーカスはアメリアの胸の内を思い、目を瞑る。
少女の父は、頑固だったのかもしれない。
少女の父は、不器用だったのかもしれない。
だけど。
彼女が知っているのは、優しくて、一生懸命な、その背中だったから。
――きっと、今の姿を見たくなかったのだ。
◇◆◇
一夜をともにしたとは言え、男女の関係があったわけではない。
結局次の日にはルーカスも寮へと戻ったし、学園での仲も大きく変わるということもなかった。
アメリアは工房から通学をしているらしいが……これ以上、自分が深入りすることもないと、そう思っていた。
しかし。
しかしだ。
忘れてはいないだろうか?
今、ここは戦場で。
今、彼らは戦士で。
然れば――彼らの平穏は長くは許されず。
結論から言おう。
ナウアノル北区の城壁内に、《深き者》が現れた。
あの夜から、たった数日後のことだ。
ルーカスのイメージ
・何か強そう(小並感)
↓
・赤貧貴族
↓
・ドジな赤貧貴族
↓
・ドジな赤貧ロリコン貴族 ←NEW!