3話:《コンフリクション》
日は巡り、次の休養日。
中央区のとある喫茶店のテラス席に、向かい合って座るルーカスとアメリアの姿があった。
学園からも近いこの喫茶店は生徒にも人気のスポットだ。洒落ている内装と歴史を感じさせる赤煉瓦造りの壁が多少の贅沢感を演出している。
この場所を指定したのはアメリアだった。要件は言うまでもなく先の報酬である。ここでの食事がそれという訳だ。
欲を言えば現金が望ましかったが、昼食代が浮くと考えれば納得できてしまうのは身に染み付いた貧乏根性のせいかは分からない。
「……こういう店に来たことはなかったが、悪くはないな」
紅茶のカップから口を離し、ルーカスが言う。
どれだけの戦績を残そうとも、学生に実践参加の報酬が出ることはまずない。一つには、生徒の約九〇パーセントが入居している寮の維持費が馬鹿にならないこと。もう一つには、小遣い欲しさから生徒同士の小競り合いが起こることを避けるため、というのが理由である。青少年が不要な大金を持てば自ずと風紀も乱れる。当然の措置と言えた。
とはいえ、生徒が戦闘を「面倒くさいもの」と認識されてはそれはそれで困る。そのため、学園を卒業し正規兵になる時には、それまでの戦績が入隊時の地位に大きく関係するようになっている。よくできたシステムである。
「これなかったの間違い」
「黙れ」
アメリアが混ぜっ返したり、ルーカスが睨みつけたりしている間に、注文していた物が届いた。
ルーカスの目の前にはサンドウィッチ、アメリアの目の前には林檎のパイが置かれる。
この、パンの間に具材を挟んだだけの料理が中々に値が張るので驚きだ。人は究極、芋と水だけで生きていけるのに。実践者のルーカスとしては、釈然としないような、泣きたいような不思議な感覚である。
「……ん」
「はい」
どちらからともなしに、お互いのメニューを一部交換する二人。トレード・レートはパイ一切れに対しサンドウィッチ一.二個。砂糖の類は輸入品であることを思えば妥当なところだろう。
パイはデザートとして後に回し、サンドウィッチを齧る。焦げ目が薄くついて狐色になったパンに挟まれているのは、シャキシャキとした葉野菜と香辛料で味付けされた燻製肉だ。豪華な。そう感じてしまうのが我が事ながら涙を誘う。
「うまい」
「うん、さすが」
正直に感想を述べると、アメリアも頷く。外観ばかりではなく、人気を得るだけの実力もあるようだ。
軽食の類であるせいか、あるいは純粋に美味だからか、あっという間に消えていくサンドウィッチ。その最後の一欠片をゆっくりと咀嚼し、紅茶とともに飲み込む。
さて、と先程の交換で得たパイに目を向け――気づいた。
フォークが無い。
当然といえば当然である。パイを注文したのはアメリアなのだから。
とは言え、まさか手掴みで食べるわけにもいかず、どうしたものかと悩むルーカス。
そんな彼の視界に、ふと入り込むものがあった。
サンドウィッチに刺さっていた、串である。
「……」
唾を飲み、震える手で串を手に取る。
そして木製のそれをゆっくりとパイに突き刺し、口元へ――
ポロリ。
「あ」
パイが滑り落ちた。思わず間抜けな声が漏れる。
そして、パイはそのまま重力に引かれて落下。べちゃりとルーカスの膝の上に着地した。
慌てて手で取り除くが、時すでに遅し。黒いズボンに、糖と蜜が致命的な汚れを残す。
「…………」
成り行きを見守っていたアメリアが、そっとハンカチを差し出した。
◇◆◇
中央区にほど近い北区の街路を、ルーカスが歩いていた。
ポケットには、先日アメリアから借りたハンカチが入っている。そのまま返すのは忍びないので、洗ってから返すことにしたのだ。
それだけなら学園で返せばいいようなものだが、生憎と今日は互いの授業の時間が合わない日で、どうにも都合がつかなかった。
かと言ってあまり長くものを借りているのも気分が悪い。幸いに、直接出向いたことは無いが、大雑把な住所だけなら伝聞情報で知っていた。
(このあたりのはずだが……)
立ち並ぶ建物を横目で見る。
あちらこちらが汚れた壁に、割れたところを木の板で隠したりなど間に合わせの修理のままほったらかされている窓。狭く、薄暗い通りにちらほらと見受けられる住人達の暮らし向きも芳しくないように思える。治安も余り良さそうな印象は無い。俗にいうスラム街というやつか。
ろくに舗装もされてなく、でこぼことした石畳の道をさらに進む。
と、一軒の家に辿り着いた。
構えは周りの家とあまり変わらないか、気持ち綺麗な程度。窓から覗くカーテンもボロ布を継ぎ接ぎしただけのものだ。
表札に刻まれた文字には見覚えがある。『Sargent』。アメリアの姓。
「……?」
思わず小首を傾げる。
何かの機材らしきものをわざわざ外国から取り寄せたりすることができるものだから、アメリアの家は平民の中でも裕福な方なのだと思っていた。が、目の前にある家は率直に言ってルーカスの実家よりも荒れている。
怪訝に思いながらも、傷んだ木製のドアをノックする。
しばらくして、ギィ……と軋んだ音を立てて、中から見知った少女が出てくる。
アメリアだった。
「……ルーカス?」
「ああ、突然邪魔して済まないな」
驚いたように目を見開くアメリアに、努めて平静に挨拶をする。
そのまま手短に用件を伝えようとして――
「帰って」
――予想外の返答が来た。
「……何?」
眉を顰めるルーカス。いつもの言い合いとは雰囲気が違う。どうしてかはわからないが、彼女は明らかに焦っていた。
単なる拒絶というわけでもない。そもそも、彼女の感情は最初からルーカスに向いていない。
「早く帰って……!」
「……何故だ?」
「とにかく早く! 今日は――」
「――客か? アメリア」
しゃがれた男の声が、中から聞こえた。
次いで、小柄なアメリアの背後から、新たな人影が現れる。
白髪交じりの刈込みの髪に、皺の深い顔。汚れたつなぎをだらしなく着崩した初老の男だった。どこか投げやりな印象があるその男は、年齢から察するにアメリアの父だろうか。
彼は、ルーカスの姿を認めるなり腹立たし気に鼻を鳴らす。
「……あの学園の奴か。名前は?」
「……初めまして。ルーカス・ウォルターです」
ぞんざいな訊き方が癇に障ったが、それでも努めて冷静に名乗る。
直後だった。
ピクリ、と男の眉尻が動いた。
「……ウォルター?」
確かめるような呟きを耳にして、今度はアメリアがぶるりと身震いする。
「? それが何か――」
おかしなリアクションに、そう尋ね返した時だった。
男の細い腕が、突然掴みかかってきた。
「ッ!」
慌てて払いのけ、後ろへ後ずさる。
前を見れば、男が憤怒の形相でこちらを睨みつけていた。
「何か、だぁ? 気取りやがって。何をしに来た、貴族めが!」
無精髭が生えた口が開かれ、路地中に大声が響いた。騒ぎを聞きつけて、周りの住人が窓や玄関からこちらを窺いはじめる。
「アメリアァッ! お前、貴族なんかと付き合っていたのかァッ!」
状況が呑み込めないルーカスが目を白黒させている間に、怒号の矛先はアメリアへ変わっていた。
黙って俯いているアメリアに、男はさらに詰め寄る。
「お前、奴らのせいで俺達がどれだけ人生を狂わされたか知っているよな。連中の身勝手で俺達はこんな生活をしてるっていうのに……なのにお前はッ!」
再び男が手を伸ばす。今度はルーカスではなくアメリアへ。
さすがに看過できず、間に入ろうと立ち上がる。
が、すぐにその必要はなくなった。
パチンッ、と。
高い音とともに、アメリアが男の腕を叩いたからだ。
「――いい加減にしてッ!」
絶叫だった。
普段の物静かな彼女からは想像もできないような、感情を剝き出しにした叫び。
「いつもお父さんはそればかり! どうして恨むことだけしかできないの!? だったらもっと凄いものを造って、見返してやればいいじゃない!」
オリーヴ色の瞳から涙が溢れ、白い頬を伝う。
「お父さん、昔はそんなじゃ無かった! お母さんが死んじゃっても、仕えていた人に成果を全部奪われても、それでも何とか新しい道を探そうと頑張ってた!」
いつの間にか泣き始めていた彼女は、最後に父と呼んだ男の顔を真っ直ぐに見つめた。
「誰かへ恨み言をぶつけるだけで、何もしないお父さんなんて、私はもう見たくないッッッ!」
そう締めくくると、アメリアは走り出していた。雑多に家が並ぶ路地の角を曲がり、その姿はあっという間に視界から消え失せる。
恐らく初めて聞いたであろう娘の本音に、アメリアの父は、暫く呆気にとられたような表情をしていた。
が、やがてよたよたと玄関へ戻ると、振り返りもせずにドアを閉めてしまう。
始終を見守てっいた隣人たちの視線は、最後に残ったルーカスへ集まった。