6話:《ミスト》
北区の捜索権を無事に確保したまでは良いが、問題はそこから先だった。
何しろ、広い。国際鉄道の駅があるという特性上、北区はある種ナウアノルという国家の玄関口的な役割も有しているからだ。その上、様々な工場や商店が建ち並び、またそこで働く労働者の住居も備えていると来れば地形も当然入り組んだものになっていく。そんな環境で人を探すというのは予想以上に骨が折れた。
そうこうしている内にも一日、また一日と日が過ぎていく。ルーカスとアメリアの結婚式の日取りが決まったと聞いたのは一週間前だったか。ふと気がつけば、いつの間にかその当日になっていた。
「……」
商店で賑わう街道を歩きながら、イオナは唇を噛む。
この一週間、ずっと隊員で手分けして探している。
それでもまだ、見つからない。
「ッ」
ふと唇に痛みが走った。同時に、錆の少ししょっぱい味が口の中に広がる。どうやら顎に少し力を入れすぎてしまったらしい。
手首に巻いた小さな時計に目を向ければ、針は十一時を少し過ぎたあたりを示している。
上司二人の結婚式が始まるのは午後。つまり、そこが今日のタイムリミットだ。二人はこちらを慮って「来なくてもいい」とは言ってくれているが、直属の上司だ。そういうわけにもいくまい。
焦燥が、強くなる。
突き動かされるように、イオナの足が速くなる。
そこで。
「せ、先輩……ちょっと待ってくださいぃ……」
べそべそと半泣きの懇願が聞こえた。
もう一人いるのを完全に忘れていた。
「ご、ゴメンねペトラちゃん!」
「いえ、こちらこそ申し訳ありません……」
先程述べた特性上、北区は人通りが決して少なくない。少し身長が低めなのもあって雑踏に飲まれてはぐれてしまいそうになっていた部下の、その手を取ってなんとかこちら側に引き寄せてやる。
本当の目的が別にあるとしても、しかし現在の壁内での活動は「行方不明事件による警邏」という一応の建前が存在する。そして、警邏は多くの場合二人以上で行うのがセオリーだ。犯人が複数人いたり、一人が何かへの対応を行っている際にもう一人が別の対応へ備える為など理由は様々だが……。
今回のイオナの相方はペトラだった。これはメンバーの戦力がなるべく均等になるように配分した結果でもある。《神具》の等級だけ見ればこちらに偏っているようだが、ペトラは戦闘要員ではないので妥当な組み合わせと言えた。
「見つかりませんね……」
「……うん」
肩で息をしている彼女を休ませるために壁よりの、人通りが比較的穏やかな場所へ。
額を拭いながら話しかけてくるペトラに、イオナは弱々しく頷いた。
道行く人々に目をこらしても、やはり彼の姿は見えない。
今日もまたダメか、と諦めかけた時だった。
ふと、視界に映る灰色。
それはボロボロに汚れたマントの色だ。
「ヒュウガ……くん!?」
思わずその名を叫ぶ。
すると、弾かれたようにその人影は人気の少ない路地裏の方へ走り出した。
「っ、ゴメン、待ってて!」
「えっ、あれっ、イオナ先輩!? ちょ――」
後輩の言葉が耳に届く頃には、もう身体が動いていた。
今度こそ逃がさないために、イオナは強く地を蹴る。
◇◆◇
「――……」
「緊張しておりますな」
「っ! い、いや……」
初老の着付け役にそう声をかけられて、ルーカスは慌ててタキシードのタイを落ち着きなく弄っていた手を離した。
「ほっほ、無理もございませぬ。なにせ、人生一番の晴れ舞台ですからなぁ」
「……」
そんなルーカスの様子を見るのが楽しくてたまらない、といった様子で着付け役が笑う。照れくさくなって思わず頭を掻きむしりたくなったが、折角整えた髪型が台無しになりかねないのでなんとか自制する。
とは言え、落ち着かないものは落ち着かないのだ。
改めて自分の服装を見下ろす。
正規兵制服以上に眩しい純白のタキシード。中のシャツこそいささか明るめの灰色といった色だが、正直ジャケットとズボンでトントンだ。さっきまで指で弄っていたタイも細長いアレではなく、いわゆる蝶ネクタイという型。こんなもの、まだほんの小さな子供で、それこそ実家に棲んでいた時につけていた以来である。
「まあまあ、そこに座って、お茶でも飲みなさい。今お淹れいたしましょう」
「あ、ああ……」
勧められるままに用意されていた椅子に腰を下ろす。
こちらのリハーサルは済んだ。今頃、アメリアが彼女の父のジョセフとともに彼女の側の段取りを確認していることだろう。
だろう、というのは、今日は式場に入って以来まだアメリアと顔を合わせていないからである。
これはアメリア側からの要望であった。
『折角のドレスだもの。本番までお預け』
そう言って、からかうように微笑んでいたのを思い出す。
はてさて、小さな姫君はいかにも自信ありげといった様子だったが、一体どんなドレスを選んだのだろうか……――。
「新郎殿」
「はっ! な、なにか……?」
再び、着付け役の声で現実に戻ってくる。これではもはや『気付け役』だ。
「いえ、紅茶が入りましたので。冷めぬうちにどうぞ」
「あ、ありがたい……」
差し出されたカップに口をつける。鼻腔に広がる爽やかな香り。普通の紅茶ではなくハーブティーの類らしい。
「スカルキャップ、というハーブです。種を取り寄せて、ここの庭で育てております」
説明を聞きながら一口。少し苦みが強い。
だがなるほど効果は確かだったのか、それとも単純に自分が乗せられやすいだけか、幾分緊張が和らいだ気がする。
ふと、窓へ目を向ける。
今はまだ晴れているが、東の空には雲が目立つ。夜頃には天気が崩れるかも知れない。
(式の最中に降らなければ良いのだが)
ルーカス自身ももちろんだが、今回の挙式を一番心待ちにしていたのはアメリアだろう。本人は隠しているつもりだったのだろうが、周りに人がいない時に良く鼻歌を歌っていたりカレンダーを確認したりしているのを度々見かけていたのだ。
そこまで嬉しそうにされるとこちらとしてはなんだか気恥ずかしいのだが、同時に彼女をがっかりさせたくないという気持ちも強くなる。
空模様の心配をしながら、ルーカスはハーブティーの残りを嚥下した。
むせた。
◇◆◇
入り組んだ路地をイオナは駆ける。
整備が行き届いておらず凸凹とした、道路を軍靴が蹴る。
いつの間にか、北区でも人通りの少ない、奥まった地域に来てしまっていた。街灯もなく、荒れた家が多い。
それでも気にせず走る。
視界のずっと先には、ずっと追いかけていたあの人の姿がある。
まるでこちらを撒こうとしているかのようにジグザグと様々な角を曲がっていく彼に、なんとか追い縋る。
十分か、それとも一時間か。あるいは一分も経っていないのか。
もはや時間すら分からなくなるほど、一心不乱に彼の姿へ足を動かす。
そうして、最後の角を曲がった時だった。
「――ッ!」
やっと、追いついた。
前も左右も家の壁に囲まれた行き止まりに、探し人が佇んでいる。
姿は分からない。全身を襤褸切れのようなマントで覆い隠してしまっているからだ。だがそれが逆に、この間目にした『かつての少年によく似た男』の服装と被る。
「ヒュウガ、くん……?」
恐る恐る声をかけながら歩み寄る。
肯定はない。だが、否定もなかった。
人影はただ、無言で立っている。
「……ヒュウガくんなんだよね……? どうして何も言ってくれないの……?」
返事はない。
ヒョッとして、こちらのことなんか忘れてしまっているのかも知れない、と、ゾッとする想像が脳裏によぎる。
(そんな……)
そんなことがあってたまるか。
なんの為に、自分たちはここまで来た?
なんの為に、私は彼を追いかけていた?
全部、全部。
謝るんだ。あの時に手を離してしまったことを。
文句を言ってやるんだ。一緒にいてくれるって約束を一方的に破ったことを。
――それすらも、忘れてしまったなんてことは、絶対に許せないから。
小走りになって駆け寄る。
今度は、相手も逃げなかった。そのことに安堵と、同時にやはり不安も感じてしまう。
「ねぇ、こっちを……」
向いて、と言いながらその肩に手を置こうとして、
「ッ!」
寸前で、飛び退く。
気がついた。
違う。これは、違う。
「誰……!?」
警戒を強め、糺すように問を投げかける。
「あなたは、誰……ッ!?」
確実に分かるのは、一つ。
これは、絶対にヒュウガではない――!
◇◆◇
北区。
貧困層が多く棲む区画の、さらに裏路地を一人の男が歩いていた。
襤褸切れのようなマントで身体を包み隠した男。ヒュウガである。
(さて)
努めて足音を消しながら、ゆっくりと進む。
……彼が今になってこの国に帰ってきたのは単なる里帰りなどでは、ない。ある明確な目的がある。そのために、玄関代わりの北区から忍び込んで、わざわざこうして目当ての場所までえっちらおっちら歩いてきたわけだ。
が、ここで一つ問題が。
「……あれ? これこっちの方向であってるんだよな!?」
さっきまでの静かな歩行はどこへ行ったのか。後頭部を掻き毟りながら思わず声を上げる。
そう、道に迷っていたのだ。
元々異様な身なりである。人目を避けるべくできるだけ裏路地などを歩いていたのが徒となったか。気がつけばこの複雑な町並みによって方向感覚を完全に狂わせられていた。
はてさてどうしたものかと途方に暮れていると、ふと耳にかすかな物音が届いた。
出所へ目を向けると、一際細い路地があった。薄暗さも今いる道の比ではない。
だが。
スッと琥珀の瞳が細められる。
暗闇の奥に、誰かがいる。
出で立ちはこちらと似たようなもの。全身を覆う襤褸切れに、顔を隠すように深く下ろされたフード。こちらに背を向けているので委細は分からないが、どうやら腕まで包帯でぐるぐる巻きにしているらしい。大層な手の込みようだ。まるでこちらを意識しているように上から下まで揃えてきている。
相手は、路地の陰で蹲っていた。
「よう。具合でも悪いのか?」
努めて気さくに、声を投げる。
返事は、ない。
「ところでさ、さっきから気になってるんだけど――」
だが、いい。そもそも返事を求めているわけではない。
ヒュウガが、すっと右手を前に突き出す。
その人差し指は、相手が手に持っているソレを指さしていた。
まるで枯れた木の枝のようだった。
決定的に違うのはそれがあまりにも生々しく、まだ肉の形を保っていること。
そう。
襤褸切れの端の向こうに覗くものは。
「その腕、どこのどいつの?」
直後。
暗がりでしゃがむ相手の背がブルリと震え。
バサッ! と。
解れと痛みだらけの布きれを引き裂きながらソレが現れる。
数本の骨格と、節の間に薄く膜のように広がる皮からなるそれは、図鑑で見たことのあるコウモリとかいう動物の翼に似ている。
だが決定的に違うのは、ソレがどこまでも黒い、あるいはゴムのように生物感のない素材でできた皮。
もはや隠す必要はないとばかりに包帯が解け、フードが脱ぎ捨てられていく。
「……な、に」
「やっぱり、か」
全く同じ時間の、しかし少し離れた場所で。
イオナは、呆然と呟く。
ヒュウガは、得心とともに頷く。
二人それぞれの前で、人影が正体その正体を晒した。
ソレは、顔のパーツが全て滑り落ちたように欠けた、無機的な肉体と先程の翼、そして鉤爪を備えたモノ。
生物と認めるのすら躊躇するような、生理的嫌悪を煽る悪魔。
「ご主人様の差し金か? なぁ、《夜鬼》」
ヒュウガが、その名を口にする。
「《深き者》……? ッ、まさか、ここで起きてる行方不明事件は!」
イオナが、真実の一端に辿り着く。
そして。
北区大正門を見下ろす丘の上に張られたテントの中で、クロフィが跳ね起きた。
彼女は慌てた様子で相方を叩き起こしながら丘の頂上に登る。そこからナウアノルの中央区までを一望できる、いわば自然の物見櫓。
そこから城壁の向こうを見下ろす紅い瞳には、街から黒い虫のようなものが次々と飛び上がる光景が映っている。
その総数、決して百は下るまい。
飛び上がったソレは、北区の上空で次々に合流してまるで黒い靄のような塊を築き上げていく。
知っている。
彼女は、知っている。
――あの靄の全てが、今まさにヒュウガたちが出会った怪物なのだ。
唇を微かに震わせながら、クロフィはそっと呟く。
「始まった」




