5話:《隔たり》
西の空が宵闇色に染まり始める中、北区への通路をイオナ・ブランジャールは歩いていた。
街角では新聞屋が号外をばら撒いていた。足下に落ちたそれを何とはなしに拾い上げてみれば、見出しには『連続行方不明事件! 原因不明。目撃情報求ム』と物騒な文言が躍っていた。
いくら兵士とは言えイオナも年頃の女性である。本来はこのような記事を見れば、夜道はしっかりと気を引き締め、警戒しながら進まねばならない。だが、今の彼女にはそれだけの余裕もなかった。
原因は言わずもがな二人の上司の婚約である。
正直、あの二人がそう言う関係にあることは薄々ながらも感づいていた。あの年齢で住んでいる場所も同じだと聞いていたし、長年組んできた相棒というのは有名な話だ。自然、邪推ながらそういう関係も考える。
しかし、実際にそうだとなった時の衝撃は大きかった。
別にルーカスに恋煩いをしていたわけではない。
ただ、不器用ながらも幸せそうに並ぶ二人の姿を見て、唐突にある少年と自分に当て嵌めてしまったのだ。
それ以降、胸に浮かんでくのはただひたすらに三年前のあの瞬間。
……あの時、彼が身を呈してくれたから、今の平和がある。そんなことは分かっている。分かっているのだが、それでも考えてしまうのだ。
もし、あそこで私も残っていたら――否、そうじゃなくてもいい。
もし、あそこで、彼の制止を振り切ってでも止めていたら。あの手を掴んで、無理にでもこちらに引きずり出していけば。
この隣を、彼が歩いていることもあったのだろうか……?
その時だった。
「……?」
ふと、横合いから感じる視線。
そちらを見ると、大通りから逸れた脇道が目に入った。
いる。
誰かがこちらを見ている。
人影は、襤褸切れのようなマントで全身を覆っていた。切れ間から覗く二の腕には薄汚れて黄色くなった包帯と、その奥に焼き付いた、痛々しい火傷の痕。
はっと顔へと目を向ける。
随分と長い間ほったらかしにされていたのだろう。ボサボサと伸び、くすんだ髪の色は黒。そして、揺らめく焔のように輝く、琥珀色の瞳――。
知っている。
私は、この人を知っている。
だって――
「ヒュウガ、くん……?」
――あなたを、ずっと探していたんだから!
だけど。
「……」
スッ、と。
彼は身を翻してしまう。
「っ、待って!」
追い縋る。駆け出す。間に合わない。数十センチが遙かに遠い。
彼を追って曲がり角を過ぎると、もうそこには影も形も残ってはいない。
「……っ」
煙のように消えてしまった彼を思い、唇を噛む。
頭上では、鉛色の雲が瞬く星空を覆い隠していた。
「……それは、マジなのか?」
翌日。
中央区の軍本部、そのなかにある小会議室にジェイクの声が響いた。
この小会議室は予約さえしておけば、小隊以上の単位なら一時間は自由に使える。イオナから余り公にしたくない報告があるというので集まったのだが……。
心なし震えている彼の前で、そのイオナが小さく頷いた。
「確かに、あれはヒュウガくんだった……と、思う」
答える彼女の声にはどこか力がない。当然だ、とペトラは思う。なにせ、ずっと探していたはずの相手が見つかったと思ったら、先方はこちらに声を掛けることもせずにどこかへ行ってしまったと言うのだから。
「……全く、帰ってくる気なのかそうじゃないのか」
「でも、やっぱり人違いだったのかも――」
「それで」
ぼやくジェイクとなだめるように手を振るイオナだったが、そこに割り込むようにクロエが声を上げた。
「……どうするの?」
「――……」
イオナだけでなく、隊の全員が黙り込んだ。
もしイオナが見たのが本当に『あの少年』だったとして、そうなればこのまま壁の外を探し回るのは不毛だ。なにしろ、一番の目当てである彼が既にこの国の中にいるというのだから。
しかしそれはあくまで彼ら自身の目的でもあった。別に上層部から受けた特命ではない。実際に今日までの活動は調査と《深き者》の名目を掲げて行っていたものでもある。ここで突然国内を探すのは難しいと思われるが――。
「……」
そこでベンヤミンが無言のまま立ち上がる。
「え、ちょっ! どこ行くの!?」
そのままツカツカと出口に向かっていく彼の背中に、クロエが焦ったように声を掛ける。
振り向いた彼の顔にはどこか呆れたような色が色が浮かんでいた。
「決まっているだろう、ヤツを探しに行く」
「独断専行はマズいって!」
「知るか」
鼻を鳴らして答えるベンヤミン。いよいよもってお師匠さんの悪癖が移っているなぁなどと呑気な感想を抱いている場合ではない。さすがにジェイクも「おいおい……」と立ち上がって彼をなだめに行く。
「待てって、とにかく上の許可をもらわねぇままに動くのはマズいだろ」
「懲戒処分バンザイだ。僕は行くぞ。探す気がないならほっといてくれ」
「……あぁん?」
逆にそれがカチンときたのか、ベンヤミンの態度がさらに硬化する。応じるようにジェイクの目付きも鋭くなった。クロエが慌てて宥めようとするが、一触即発というまでに張り詰めた空気は欠片も和らがない。
「ちょっと、やめてよぉ……」
止めようとイオナも立ち上がり――そのポケットから小さく折りたたまれた紙が転がり落ちた。
気づいていない様子の彼女に変わり、ペトラがそれを拾う。ビラのようだ。なんとはなしに開いてみると、そこに並んでいた文字は、
「あれ?」
思わず漏れた呟きに、騒動一歩手前だった隊員たちが一斉にこちらを向く。
「あ? どうした」
「いえ……」
問うてきたジェイクに、ペトラはそっとそのビラを見せた。
見出しに踊るのは連続行方不明事件を報じる文字。
さて、ここで一つ補足をしておこう。
ナウアノルという国家において、軍隊と警察組織は基本的にイコールで結ばれる。これは《神具》を持つ者が犯罪を起こす可能性を考慮しつつ、しかし《神具》所有者を可能な限り軍へと所属させるための苦肉の策でもあるのだが……。
では問題。
原因不明の連続行方不明事件が起きている時に、警察組織はどのような行動に移るか。
「これ、使えるんじゃないですか?」
数十分後。
いつもの上官二人が詰める執務室から出てきた五人。
先頭を歩くイオナの手には、『壁内警備任務参加申請書』と書かれた一枚の紙。
上官のサインの横には、承認を示す印が押されていた。
◇◆◇
北区は商工業が最も発達している地域だ。
同時にそこには経営者と労働者が存在し、さらに突き詰めれば貧富の差が他の地区よりも激しいということを意味している。
そのどちらかというと「貧」と呼ぶべき地域にある一軒の寂れた酒場に、一人の男がいた。
襤褸切れのようなマントを被った、包帯と火傷だらけの姿。
このあたりの人間は知らないだろう。
三年前には、ヒュウガと呼ばれていた男だ。
出された水を呷る彼に、カウンターの奥にいた店主が時折迷惑そうな視線を投げかける。ただ彼のあまりに異様な出で立ちに中々強く言い出せないようでもあった。ヒュウガはヒュウガで申し訳ないとは思いつつも振る袖がないのでどうしようもない。
硬水なのか、いささか口当たりが重い水を嚥下し、一息つく。
そこで、窓に己の顔が写っているのに気がついた。
3年もの間ろくに手入れをしなかった荒れ放題の黒髪と、その下で輝く琥珀の瞳。そして――
「ッ!」
慌ててフードを目深に被り直す。
その下には、痛ましい火傷の痕が黒々と残っていた。
……三年前のあの日、ヒュウガは《神具》の最奥に触れた。
だが、それはどうあっても人の身には余るモノだ。
人間の肉体を強制的に神の力に調整する秘術。その代償は決して小さくはない。
今も、彼の身体の中では、煌々と焔が燃えさかるような熱さが消えずに残っている。
これでも、外区を名乗る人々の教導を受けてからは大分マシになったのだが……。
「……」
そっと手に視線を落とす。
黄ばんだ包帯を捲れば、やはり火傷の後が刻まれた肌が現れる。
脳裏に浮かぶのは昨晩再会した彼女の姿。
記憶の彼方にあるかつての姿と比べても、格段に美しく成長していた。
女神の恩寵を受けたが如き少女。
ずっと、会いたかった。
せめて、あの時の約束を果たせなかったことを謝りたかった。
けれども。
「……会えるかよ、こんなんで」
対する自分の、なんと醜いことか。
多分、彼女は拒絶しない。そんなことで撥ね除ける人ではない。頭では理解できている。
それでも「もしも」「万が一」、そんな想像が足を竦ませる。
「……なっさけねぇなぁ」
ポツリと。
思わず、口からそんな言葉が漏れる。
「情けねぇなぁ、俺」
焔は、いまだにこの身のうちで蠢いている。
北区大正門近辺。
潮風に当てられ続けたが故か赤錆にまみれたその鉄門を見下ろせるような小高い丘がある。兵士たちの巡回ルートの、わずかに存在する間隙となっているそこに、簡素な布で作られたテントが一張りあった。
その横の大岩に背を預けながら、ぼうっと空を見上げる男がいる。
何度も着回されて、あちこちが解れと継ぎ接ぎだらけの装束に、そこから覗く獣のような体毛が生えた耳や手の甲、そして何より臀部から伸びるふさふさとした尾が嫌でも只者ではないことを示している。
男が腰に下げたポーチから持ってきていた保存食を取り出して口に運ぶ。
「ねぇ」
そこに、声がした。
あん? とそちらを向けば、少女からやっと大人に手をかけたような年頃の女が一人。身なりは男に似ていたが、こちらは獣のような特徴の代わりに木の葉のような形に尖った耳と不自然に伸びた八重歯、否、牙を持っている。瞳は濁った血のような石榴色。
クロフィ、と呼ばれる少女だ。
「……ヴォルフ、アンタ何食べてんの?」
「見てわかんね?」
ヴォルフ、と呼ばれた男が今まさに口に咥えようとしてたそれを小さく揺らす。
赤黒い木の皮のようなそれは干し肉だ。
「いや、そうじゃなくて」
だが、クロフィが求めていた解答はそうではなかったらしい。
「何の肉よ、それ」
「んあー……?」
訊かれて、間抜けな声が漏れた。
はて、なんだったか。
ぽくぽくぽくと思い出すために頭をひねる。
しばらく後に、ヴォルフは口を開いた。
「わかんねぇ」
「ええ……」
若干引き気味のクロフィの声などどこ吹く風。もっそと謎の肉を口に放り込む。食べて気づいた。食感的に多分鹿だ。
「食う?」
「……いい」
言いながらぬっと暫定商品名自家製鹿だと思しきなんかの肉のジャーキーを差し出すが、クロフィは受け取らなかった。彼女の性格は集落でも有名だ。プライドが高く、人から余り物を貰おうとしない。そういう青っぽいところが、疲れたおっさん目には幾ばくか眩しくも見える。
その時だった。
パチリと、クロフィの紅い瞳に映る景色が変化する。
「また出歯亀かぁ?」
「うっさい、仕事よ。ちゃんと彼が仕事を完遂してくれるかどうか監視するの」
囃し立てるとキレ気味の返事が返ってきた。これが件の『彼』の前だと幾分大人しくなるんだから罪な野郎だなぁと思わず呑気な感想を抱いてしまう。
その瞳に映るのはこことは離れた別の場所の風景だ。千里眼のスケールダウンといったところか。それが、彼女の備える異能力の一端。
そして、今彼女が見ているのは恐らく、この間まさにあの北区に入っていった青年――ヒュウガであることは反応から容易に知れた。
壁内に入る前……いや、彼の感覚では「帰る」前なのか。その時の彼は、以前の知人たちと再会できることを、どこかで期待しているようにも思えた。
だが――。
(ま、そんなに甘くねぇっぺなぁ)
「……馬鹿ね」
一体どんな姿を見たのか。
呆れたように。憐れむように。あるいは慈しむように。
クロフィが、囁くようにこぼした。
「あなたは、もう決定的にこちら側なのよ」
お久しぶりです、どうも。はっと気がつけば凄い間が空いてしまっていた……申し訳ありません。皆の神父です。今回ちょっと文字数が少なくなってしまったのですが、リハビリがてらということでご容赦ください。




