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ナウアノル戦記  作者: 真倉流留
第1部 鉄騎駆る氷槍
2/27

2話:《神具》

 自由都市が国家の礎であったがゆえに王こそ存在しないものの、ナウアノルでは古くから――それこそ中継貿易を行っていた時期から連綿と身分制度が受け継がれている。その下で、国民は三つの階級に分けられ、その権利を規定されてきた。

 第三は賤民。権利はなく、ただ虐げられるべしとされた“賤しき民”。

 第二に平民。国の庇護下に在りて、重く見られるべしとされた“善良なる民”。

 そして第一――貴族。あらゆる特権を認められ、尊ばれるべしとされた“貴き血族”。

 しかしながら、貴族と一口に言っても、その実情は家によってかなり異なる。

 広大な領地を所有し、いくら使っても底の見えぬ程の財を擁する者もいれば、平民のそれとも見劣りする小さな家に住み、あらゆる出費を切り詰めて尚爪に火を点さねば糊口も凌げぬ者もいる。

 前者の代表が例えばブランジャール伯爵家だとすれば、ルーカスの生家であるウォルター男爵家は正しく後者の一員だった。

 没落の原因など分かり切っている。

 とはいえ、別に何代前が散財したとか、生業としていた産業が衰退したとか、そういう訳ではない。

 ただ、兵を生み出せなかった。

《深き者》に対抗できる者が生まれなかった。

 ――詰まるところ、神に選ばれなかったのだ。



◇◆◇



「荷物運び、だと?」

 昼休みの図書室で、ルーカスが不機嫌そうな声を上げた。

 ただでさえ悪い人相を一層悪くする彼の視線の先には、手乗り感すらあるミニサイズ女子生徒。言うまでもなくアメリアである。

 アメリアはこてん、と可愛らしく首を傾げながら、

「……ダメ?」

「断る」

 バッサリと切り捨てるルーカスに、慈悲の心は無かった。

 彼は近くの本棚から本を取り出し、開く。

「いいか、アメリア。私には使命がある」

 古びて、薄く黄ばんだ紙面に目を通しながら続ける。

「それは、兵士として武勲を立て、ゆくゆくは我が家の再興を行うという極めて重要な使命だ。私はそれを望まれているし、そのためにこの学園にいる」

 そこまで言って、ルーカスの目がスッと細められた。数瞬の間をおいて、その先の言葉を紡ぎだす。

「それが、一族の中で唯一《神具(アストラ)》を持って生まれた私の、義務だからだ」

神具(アストラ)》。

 曰く、具現した神の威光。

 曰く、神話に描かれし超常の武具。

 それは、《深き者》の出現と全く同時に人に宿るようになった一種の異能だ。

 前提として、《深き者》は通常の兵装によるダメージを瞬時に回復してしまう驚異的な再生能力を持つ。だからこそ、人類はその版図を急速に縮小し、海沿いの地域をほとんど全て失ってしまった訳だ。

 そんな《深き者》に対して《神具(アストラ)》は絶対の効力を持つ。

神具(アストラ)》の放つ神気は《深き者》の再生を妨げ、人に常人を超える能力を与える。その力を駆使し、《深き者》を討滅することこそが力を得た者の責務であった。ルーカスらが籍を置くアイレフォルン学園は、《神具(アストラ)》を持つ少年少女を《深き者》と戦う戦士へと育て上げる、謂わば兵学校のようなものだった。

 しかし、戦う力とは何時の時代も権力と切っても切れぬ関係にある。元来身分制が存在したナウアノルにおいて、《神具(アストラ)》の所有者を出せなかった家が没落していくのに不思議は無い。

 そんな家系に初めて生まれた、《神具(アストラ)》を持つ子。

 その子にかかる期待や重圧はどれ程のものか――察するに余りある。

 ルーカスもそういう子の一人だった。

「……という訳だ。悪いが、他をあたってくれ」

 そう言ってひらひらと手を振るルーカスに、アメリアは尚も食い下がる。

「どうしても、ダメ?」

「ああ」

「……私、あなたの他に頼みごとができるような人がいない」

「知るか」

「あなたに断られると、とても困る」

「くどいぞ」

 キロリと、ルーカスが本から顔を上げて少女を睥睨する。

 これ以上関わるつもりはないとばかりに再び本へ目を――

「報酬も払うけど」

「何故それを先に言わない」




 仕方が無いのだ。

 どのような大義を並べ立てようと、先に立つものが無ければ何も為せないのだ。

 そんな訳で。

 ルーカスは、アメリアに連れられ、ナウアノル北区にある国際駅へと足を運んでいた。

 ……かつて貿易を中心産業としていたナウアノルの食料自給率は決して高くはない。各国間との連絡手段は死活問題ともいえた。かと言って、《深き者》が蔓延っている海路を使うのは下の下だ。

 それを解決しているのが、この各国間を結ぶ超長距離鉄道だった。

 南に海を臨むナウアノルにとって北区は最も内陸――つまり最も安全だ。その点で、この立地は都合が良い。

 さらに、土地柄の面でも好条件だった。

 ナウアノルは東西南北と中央の、五つの『区』という行政単位に分割される。

 そして、当然ながらその区ごとにも特色というものが存在する。

 例えば海沿いの南区であれば国防に関わる施設や産業が盛んであるし、自然の色濃く残る東区は高級貴族の避暑地として人気だ。大きな泉を持つ西区は水産業や、あるいは水源そのものとして国に貢献しているし、中央区は国政庁やアイレフォルン学園を抱える国家の中枢とされる。

 そして北区はと言えば、商工業の発達が著しいことで古くから知られている地域であった。

 新たなる時代の到来に、まさにうってつけの場所だったと言えるだろう。

「荷物とやらが舶来品とはな」

 貨物用の線で列車が到着するのを待ちながら、隣のアメリアにそう言い放つルーカス。

 休息日だというのに制服姿なのは、別にこの服装が気に入っているからではなく、他に外出用の服を持っていないからだ。

「別に、嗜好品ではない……」

 極貧貴族の意地の悪い言い方に口を尖らせるアメリア。こちらが制服姿なのは外出用の服が無いからではなく、単純にこの服装が気に入っているのだろう。

 そうは言ってもこの少女、羽振りが良いのは確かである。

 さもありなん。彼女の父は元は名の知れた技師であり、娘であるアメリアも幼い頃より機械いじりへの才を見せていたという。

 ナウアノルにおいて機械を扱える人材はまだまだ貴重だ。その能力を使い、アメリアは簡単な修理工を営んでいるのだという。

 とは言え、アメリアは平民なのである。貴族なのに万年貧乏のルーカスにしてみれば面白くない。

 自然とつっけんどんな態度をとってしまい、場の空気が悪くなっていく。

 その時だった。

 カン、カン、カン、と屋上から甲高い鐘の音が連続して鳴る。

 それに混ざって聞こえるのは、正規兵の叫び声。

 ――敵襲、敵襲ゥーッ!

 ――市民は非難を! 戦闘員は応援頼む!

 ピクリ、と。

 ルーカスの瞼が動いた。

 隣を見れば、こちらを見上げていたアメリアと目が合った。

「行くぞ」

「……ん」

 交わす言葉はそれだけで十分だ。

 先程までの険悪な空気は霧散し、今ここにいるのは青年と少女。二人の戦士。

 どちらからともなく駆け出す。向かう先など、確認するまでもなかった。




 元来自治都市であったナウアノルは、その外周を城壁で囲まれている。

 時代は変わり、防ぐ相手が王権でなくなった今も、その重要性は計り知れない。

 その上から臨めるのは瓦礫の山と化した旧市街地と、遥か遠くの異国まで通ずる一本の線路。

 しかし、今この瞬間に限って言えば、もう少し違う物も見ることができた。

 目に付くのは線路の上だ。十に届くかという貨車を従えた機関車が、不自然なことに何も無いところで止まっていた。

 それだけならば機関トラブルも疑えるかもしれないが、そんな生易しい事態ではないことはすぐに知れた。

 列車の周囲を取り囲み、その先頭に何匹も何十匹も群がっているのは、世にも奇怪な怪物だった。

 その印象を一言で表すならば海の悪魔、というのが正しいだろうか。あるいは両生類と人の中間と言った方が良いかも知れない。ゆうに三メートルは超える身の丈に、ぶくぶくと膨れ上がった四肢とぬめりとした光沢を放つ暗緑色の皮膚。蛙にも魚にも似た、飛び出た目と分厚い唇がことさらにその醜悪さを主張する。

《深き者》である。

 そんな光景を、ルーカスはじっと見つめていた。

 いっそ冷淡なまでに静かに、青い瞳が怪物の群れを映す。

 とん、というわざとらしい足音とともに、彼の隣に人影が現れる。アメリアだ。

 その小さな両手の内には一本の杖が握られている。二匹の蛇が巻き付いたそれは、神話において数多くの役割を果たす伝令の神の《神具(アストラ)》。

 ちらとアメリアの視線がこちらを向く。準備はできたという合図か。

 返事の代わりは、ルーカスの右手に灯る青い光だった。

 淡い光が起点から伸び、細く長いシルエットを形作る。

 そして――弾けた。

 散る光の中から姿を現すのは、無骨な鉄色の槍。

 ミシリ……と鍛え上げた肉体に力が宿る。槍の形をした《神具(アストラ)》の恩恵が、ルーカスの全身に巌のような頑強さを与える。

 次の瞬間には、ルーカスは高くそびえる城壁から一息に飛び降りていた。

 常人であれば必死の高度。五体を風が叩き、服の端や髪がばさばさとはためく。しかし、彼の顔に恐れの色はない。槍の穂先を下へ向けながら、流星の如き高速で落下していく。

 そして、着地と同時に、その直下にいた《深き者》の脳天を鋭い切っ先で貫いた。

 おまけと言わんばかりに足で頭部を踏み潰す。

「あ、助か――」

 背後から声。今しがた殺した怪物と交戦していた兵士だろうか。

が、そちらへは一瞥もくれてやらずに次の獲物へ向けて駆け出す。

『先走らないように』

 不意に、アメリアの声が耳元でした。

 次いで変化が訪れる。

 ルーカスの右目を囲むように、黄金色の光の環が浮かび上がったのだ。同時に、視界ががらりと変化した。

 右上の端には小さな地図。その上に踊る複数の光点は、青が友軍、赤が敵、そして中央にただ一つある白はルーカス自身を現している。

 更には目に映る味方と《深き者》はそれぞれ青と赤の線で縁取られ、《深き者》に関して言えばご丁寧に戦闘のガイドが光線で示されている。

 全てアメリアの《神具(アストラ)》の能力だ。それ自体に戦闘能力は無いが、戦線の兵士に対し様々な情報的補助を行い、戦局を有利に導く。これが百人規模に展開できるというのだから凄まじい。

 その補助のおかげか、先に地上で戦っていた正規兵の動きが格段に向上する。負けじとルーカスも示されたガイドに沿って槍を標的に叩き込んでいく。

 近場の敵を片端から突き刺し、あるいは切り裂きながら、より敵が多い方へ進み続け、気が付くころには異様に《深き者》が集中している地点に辿り着いていた。

 十や二十では下らぬ怪物の群れ。しかし、ルーカスは一切の迷い無く突撃をかける。

「おい、そこの学生! 前に出すぎだ!」

 やや遠くに離れたところにいた正規兵の一人が、制止の声をかけてきた。ルーカスの地位は言うなれば訓練兵だ。その行動が、彼には無謀に見えたのかも知れない。

 知ったことか、と心の中で毒吐く。

 そもそも、ルーカスにとっては好都合(・・・)なのだ。

 酷く生臭い息とともに、意味不明な叫びを上げてこちらへ殺到する《深き者》達。その中の一匹に、深々と槍を突き立てる。

 直後だった。

 件の一匹の内側から透明な花が咲き、周囲の同類をまとめて串刺しにしていく。

 花の正体は鋭い氷の棘だ。半球状に広がる無数の氷柱が、アザミのように広がっている。

 それだけに留まらない。殲滅の役目を終えた氷の花は一瞬で融解すると、今度は流動する水の刃と化して周囲を縦横無尽に駆け巡る。

 ルーカスの《神具(アストラ)》の能力(ちから)は実に単純明快だ。槍を起点とする水の操作。これに尽きる。

 しかし、その応用性は群を抜いて高かった。敵の体組織に含まれる水分をも支配下に置き、己の武器として扱う。単騎にて大軍を蹂躙する様は、その力の源であるという、ある神話系における三大神の一角の威光を確かに感じさせる。

 ルーカスやアメリアが学生の身でありながら正規兵をも凌ぐ力を見せつけることができるのは《神具(アストラ)》の性能差によるところも大きかった。

神具(アストラ)》はその源流となる存在の霊格によって三段階に分類される。

 下級霊を源に据える無名級。

 上級霊や英霊を源に据える伝承級。

 そして、神格を源に据える神話級。

 ルーカス達の《神具(アストラ)》は言うまでもなく神話級に位置づけられる代物であった。故にこそ、たった二人の訓練兵が、この戦場を支配する。

 水の刃が周囲の《深き者》を肉片に変えていく中で、ルーカスは槍を槍を構え直す。穂先が指す方向には列車の要――機関車があった。

 呼応するように水の一部が穂先に集まり、アメリアの力で視界に映る標的の姿が拡大される。照準完了。

 ルーカスが槍を突き出すのと同時だった。

 集中していた水が一息に飛び出る。その軌跡には氷が形成され、一条の長大な氷柱が生み出される。

 その氷柱は機関車の車窓を貫いて進み――

 そして、今まさに機関部へと拳を振り降ろそうとしていた《深き者》の脳天を、串刺しにした。

 それが決定打となった。

 あちらこちらに群れていた異形の集団が、にわかに散り始める。戦局を不利と悟るだけの知性はあるようだった。

「追撃を――」

『待って』

 町を避けるようにしながら南へ、つまり海の方へ姿を消していく《深き者》達。それに尚も追い縋ろうとしたルーカスを、アメリアが止めた。

『深追いは危険』

「……しかし」

『遠くに行かれると、私の補助も届かなくなる』

 食い下がるルーカスに、とどめの一言。

 いかにルーカスといえども、あれだけの大軍を相手にしてアメリアのサポート無しに立ち回るのは流石に無理があるのは本人も承知していることだった。ついでに言えば、《神具(アストラ)》で強化されるとは言っても、疲労の蓄積までは誤魔化せない。

 そうこうしている間に、見た目に似合わぬ素早さでもって《深き者》は次々と姿を消していく。

「……チッ」

 忌々し気に舌打ちを一つ。しかし、それ以上は何も言わずに踵を返す。

 ヒビが入り、所々が捲れ上がった石畳の道を、ルーカスの足が踏み躙る様に進んでいった。



◇◆◇



 城壁の向こうに沈みゆく夕日が、まばらに雲のある空を茜色に染め上げる。

 その下を、ルーカスとアメリアは並んで歩いていた。

《深き者》の死体は、泡になって消えてしまう。実際に死体が溶けていく様はもう見慣れたが、泡が放つ臭気は慣れそうもない。

 二人がそれぞれ引いているのは、大きな木箱の乗せられた荷車。《深き者》の一件で随分と遅くなってしまったが、元々北区にはこの荷物を取りに来たのだ。積み荷が無事なのは幸いだった。

 持ってみると中々に重い。ルーカスは心中で納得した。これを二つも運ぶのはアメリアには負担が過ぎる。

「……それで? これをどこまで持っていけばいいんだ」

 仏頂面でそう問い掛けるルーカス。先刻、《深き者》への追撃を止められてからずっとこの調子だ。理屈は分かるし、正しい判断だったのは認めるが、どうにも感情が追いつかないのはなんだかんだ言っても彼がまだ少年であるからなのか。

 そんな様子は先方にもとっくに伝わっているらしく、彼女は彼女ぶぅと頬を膨らませながら応じる。

「この近く。私の工房」

「自分の工房を持っているのか……」

「空いているところを、定額を払って借りているだけ。悪い?」

「贅沢な」

 ふんと鼻を鳴らせば、アメリアの頬がさらに膨れ上がる。

 知り合ったのが二年前。戦闘で組むようになってからは一年と十ヶ月は経つが、二人の関係性はほとんど変わった憶えがない。

 普段は喧嘩仲間。戦闘時には相棒。

「貧乏貴族」

「黙れ成金」

 悪態を吐き合いながら街路を進む二人の頭上では、いつの間にか夕焼けの空が紫に変じつつあった。

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