エピローグ
露店が立ち並び、そこに訪れる客で賑わう大通り。
手を少し動かせば誰かにぶつかりそうな人ごみの中を、イオナ・ブランジャールは歩いていた。
身を包むアイレフォルン学園の制服には、三学年の最年長を示す徽章がキラリと輝いている。そして腰には、剣帯に下げられた軍刀が。
そのまま中央区と南区のちょうど境辺りにある、古ぼけた石造りの施設へ。
中に入り、階段を昇り、ドアを開ければそこはもう例の孤児院である。
「イオナねーちゃん!」
「皆、久しぶり!」
一斉に子供達がやってくる。実のところこの光景を見るのは数週間ぶりである。学年が上がり、実技試験やら実地訓練やらで忙しくなっていく中、流石に今まで通り毎日というのは難しくなっていた。
とはいえ、例の一件以降、《深き者》の数は明らかに減少している。やはりあそこが“巣”だったようで、残っているのは外に出ていた残党だろうというのが軍の公式見解だ。この掃討戦も、あと五年もかからずに終わるのでは無いかとすらささやかれている。
一人の少年という代償に、一つの世界は表面上は平和を取り戻したのだ。
彼ら彼女らの相手をしてやっていると、やがて奥の方から一人、初老の女性が出てきた。言うまでもなく、ここの主のガブリエラ・ツィマーマンである。
「あら、イオナちゃん。いらっしゃい」
「こんにちは、ガブリエラさん」
頭を下げると、腰の刀が金具とぶつかり、高い音を鳴らした。
「……もう、あれから一年になるのねぇ」
その刀をまじまじと見つめながら、ガブリエラが呟く。
今は鉄鞘の軍刀拵えに移されたそれは、かつてある少年が握っていた刀そのものだ。
「……はい」
そっと目を伏せ、頷く。
思い出すのは一年前のあの日。ヒュウガが炎となって海に消えた時のことだ。
……彼の生み出した炎は、問題となった建造物を文字通り焼却し、あたかも穢れを雪ぐがごとく周囲の海すらをも舐めた。
海から火が消えたのはたっぷり三日後。すぐさま隊が組まれ、これを行った少年の捜索が大々的に行われた。無論これにはイオナも加わり、何日も彼の姿を必死に探し続けた。
だが――結局、見つかったのは刀だけ。発見した時には既にその刀身から炎は失せ、冷たい鉄の肌を晒していたのを覚えている。
炎を操る《神具》としての力は既に失われていた。一度持ち帰り、詳しく調べ上げたアメリアの言によれば、そもそもこの《神具》には炎を操る力はなく、あの能力は何かしらのイレギュラーが起きた結果だったということだ。
『ここからは推測になる』
あの作戦に参加した者を集め、アメリアは言った。
『ヒュウガの《神具》には、なにがしかの存在が割り込むような形で力を与えていたのだと思う』
『……自前の《神具》を用意せずに、なんでそんなことを?』
『逆だ、阿呆め』
ジェイクの問いにぶっきらぼうに答えたのは、先に話を聞いていたらしいルーカスだった。
『自前の《神具》が用意できなかったんだ。恐らく、正規の神格ではないから』
『……正規の神格では、ない?』
『ああ。あるだろう、一つ。私たちが知ってて、且つ私たちの知るどの神話・伝承、あるいはおとぎ話にすら当てはまらない存在』
呻くような問いに、彼は氷のような冷静さでその名を告げる。
『――《深き者》だ。奴……ヒュウガの《神具》に干渉を仕掛けていたのは、その同類に他ならん』
それは俄かに信じがたい事実だった。
だって、《深き者》は人類の敵で、絶対の敵性のはずで――今まではそれが当然だった。
しかし、もしヒュウガに力を与えていたのが、本当に《深き者》の同類なのだとしたら……
『まさか……《深き者》は一種類ではない……?』
『そう考えた方が妥当』
ぽつりと零れた呟きに、アメリアが頷く。
低い声で、唸るようにルーカスは釘を刺した。
『……このことはトップシークレット中のトップシークレットだ。国家機密と言い換えても良い。もはや軍機などという器には収まらん。絶対に漏らすな。ようやく落ち着いてきた民にまた不安を植え付けかねん』
戻ってきた平和は飽くまでも表面上。
真実を知っている者は、六人の他に三伯と、一応いるという公爵だけ。各々がこの問題にどう対処するか頭を悩ませているという。
力を失った刀はイオナが所持することと相成った。
去り際、アメリアはこう言った。
『……極めてイレギュラーな状況下と言えども、《神具》がその形を残しているということは、彼が生きている可能性は大いにある。だから――』
彼女は、敢えてその先を言わなかった。
その日以来、イオナはこの刀を肌身離さず持ち歩くようにしている。
――本来の持ち主と会う、いつかその日のために。
「……馬鹿な子だったねぇ。本当に、馬鹿な子」
ガブリエラが穏やかな声音で言う。
「こんなに可愛くて、面倒見の良い子を置いてくんじゃないよ、全く」
「……」
違う、と思った。
置いていったのは、私達の方だ。
あの時、無理矢理にでも手を握って連れてくれば、もしかしたらもっと違った未来になっていたのかもしれない。
「まあ、でも」
「……?」
ガブリエラの言葉に首を傾げる。
彼女はガス灯の温かい光を見つめながら、しわくちゃの顔を笑みの形に歪めていた。
「あの子は馬鹿だけど、諦めの悪さも人一倍だったから……案外、まだしぶとく生きてるのかもしれないねぇ」
「……はい。きっと」
イオナが力強く頷いたその時だった。
「おばあちゃーん? 誰か来てるのー?」
奥の方から、新たな声が。同年代くらいの、少女の声だ。
「イオナちゃんが来てるよ」
ガブリエラが奥に向かって答えた直後だった。
「――うそっ!」
どたばたとなにやら騒がしい音が聞こえてくる。
やがて奥から顔を出したのは、赤銅色の髪を持った少女。
彼女はイオナの姿を見るなり「きゃー!」と黄色い声を上げて、
「イオナ先輩っ! お久しぶりですぅぅぅっ!」
「ちょ、ちょっと……きゃあっ!」
突撃。
イオナの制止なぞ一切耳に入ってなかった。
そのまま小さなジャンプとともに、胸元に飛び込んでくる。
……などと言えば可愛らしいものかもしれないが、冷静に考えてみると人一人の全体重がぶつかってくるのだ。たまったものではない。
当然そんなものを支え切れるはずもなく、下手人諸共床へ。倒れる瞬間、ガブリエラが呆れたようにこめかみを抑えるのが見えた。
「ペ、ペトラちゃん……。久しぶり、最近来れなくてごめんね?」
「いえいえ全然! 先輩には先輩のやるべきことがうぇへぇ……」
この少女の名前はペトラ・ツィマーマン。何を隠そうガブリエラの実の孫娘で、イオナを慕ってくれている一つ下の後輩であった。
……最後の方がなにやらおかしなことになってるのは、イオナが撫でてやった瞬間に顔をだらしなく歪めたからだ。なんだか慕い方が大分危ない気がしてならないのだが。
「ほら、ペトラ! さっさとイオナちゃんから離れなさいな! 迷惑してるだろう?」
「むー……うるさいなぁ」
ガブリエラが手を叩くと、ペトラは渋々と言った様子で離れてくれる。
最近では子供たちの中でもマセてきたのが「イオナねーちゃんとペトラねーちゃん、女の子同士なのに抱き合ってるー!」などと囃してくるのがいるので困る。その度にペトラが「なにおう! 女が女に抱きついて何の問題があるかーッ! LGBT差別反対!」などと言うのだが……。
(ペトラちゃん、私、ソッチのケは無いよ……?)
ついつい不安になってしまうイオナであった。
「ごめんね、イオナちゃん。大丈夫かい?」
「大丈夫です。好いてくれているのは分かっているので……」
心配そうに尋ねて来るガブリエラに苦笑いで答えながら、今回もやはり子供たちとぎゃーすと言い合いを始めるペトラを宥めに行く。
久しぶりにペトラやガブリエラと一緒に過ごしたその夜の帰り道。
街灯と、家々の窓や出店から漏れる灯りに照らされながら、イオナは歩いていた。
今日は満月のはずだが、空模様はあいにくの曇天だ。
「……」
久々に“彼”に所縁のある場所へと足を運んだことで、いくつかの思い出がふつふつと蘇ってくる。
まず浮かぶのは彼との日々。
短かったけど、穏やかで……しかし情熱的に燃え上がった、あの時間。
例えば、学校の廊下で何度かすれ違った時。孤児院で初めてまともに話した時。思い切って家に招いてみた時。
南区の事件では襲われてる彼を助けたし、海竜の一件では逆に助けてもらった。
作戦の時は肩を並べて多くの《深き者》を倒したと思う。その前に交わした約束は結局、守れなかったけれど。
そして――作戦の後、本気で謝ってきたジェイクの姿。
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら何度も何度も謝り続けた彼も、今では正規軍に入っている。
いつだったか、そのまま兵士の道を進み続けた理由を訊いたことがあった。
彼は、照れくさそうに後頭部を掻きながらこう答えた。
『今度は、逃げたくないんだ』
――私も、今度は逃げずに立ち向かえるかな?
その時だった。
ふと、辺りの明るさが強くなった気がした。
何事かと左右を見る。何もない。
そして上を見て――気づいた。
雲に切れ間が生まれ、そこから寸分も欠けていない月の姿が顔を出していた。
青白い月光が地上の灯火の光と混ざり合い、夜道を一層照らしていく。
「……」
なんだか、それはまるでいいことの予兆みたいで。
この先に、明るい未来が待っているような予感がして。
いつもより少し、背筋を伸ばしながら、イオナは再び歩み始めた。
(ナウアノル戦記 第ニ部 了)
【参照⇒新編第十八節の記録/国外南方の渚にて-××月××日(およそ一年前)に作成】
ふと、目が覚めた。
『……あ……』
口から呻き声が漏れる。
背で感じるのは、ごつごつ角ばった巌の感触。足の方では、寄せては返す波がぐっしょりと下半身を濡らしている。
自分は、生きて……いるのか?
あちらこちらが焦げ、ボロボロになった制服を纏いながら、思考する。
だが、もはや指先一つ動かす体力すら残っていない。
視界に霞が掛かる。このままだとあと数秒も持たないことは分かりきっていた。
『……』
そういう運命なのかな、と思った。
このままここで、燃え尽きるだけの、生。
決して、悪くはなかったと思う。
育ての親は守れたし、友人もできた。
仲が悪かった奴とも仲直りできたし、出来なかった奴にも一泡吹かせてやれたと思う。
嗚呼、でも。
でも、一つだけ心残りは、あった。
恩人との――否、好きな女の子との約束は果たせなかったな……。
『――おう、いたいた。おーい、こっちだァ』
ざり、と。
唐突に、誰かが近くの地面を踏む音が聞こえた。
眼球だけを動かしてそちらを見れば、中年の男がいた。
あちこち汚れた粗末な服を身にまとい、ほったらかされてぼさぼさになった髪と、無精髭が目に付く男。
だが……アレはなんだ?
その手の甲をびっしりと覆うのは、灰色の毛。爪は獣のように鋭く、よくよく見れば背の後ろからはふさふさとした尻尾まで覗いている。
『兄ちゃんだろ、あれやったの。スゲェな、ここまでのモンを見るのは初めてだわ!』
困惑するこちらをよそに、男はニカァと笑い、話しかけて来る。
そこに、さらに人影が一つ。
今度は年若い女性だ。見た目だけならば大体こちらと同年代……と言ったところか。やはり男と似たような粗末な服を着ているが、今度は尻尾などはない。
代わりに見えたのは――不自然に尖った耳と、鋭い犬歯。
『この子? ばば様が仰ってた炎のグレート・オールド・ワンは』
『おうとも、間違いねぇ。しかもオレらのお仲間……ああいや、厳密には違うのか? まあそんな感じだ。もっとも、ちょいと前までなら違ったろうがね』
何だ……? 何を話している?
グレート・オールド・ワン? 仲間?
何とか力を振り絞り、疑問を言葉にする。
『……アンタらは……一体……?』
『オレらか? そうだなぁ……』
男が頭をがっしがしと掻く。どう答えたものかと考えているようだったが――
『バケモノよ。見ればわかるでしょう?』
答えたのは、女。
彼女が、血のような柘榴石の瞳をこちらに向ける。
生糸のような白い髪を潮風に靡かせながら。
告げる。
『――ようこそ、ナウアノル外区へ。同じバケモノとして歓迎するわ、《生ける炎》のクトゥガくん』
了ッ! お付き合いありがとうございました!
第一部エピローグの時みたいに長文を書き連ねる元気がないので、簡単なお礼なってしまってすみません。
裏設定とかは最近某青い鳥の情報発信ツール兼SNSの方でベラベラ喋っているので、今後の読み解くカギにしていただければ幸いです。
では、第三部まで少し時間がかかりますが是非お付き合いいただければ、と。
今度は女の子主人公ですってよ奥さん!




