11話:《バーンアウト 後編》
「――カノ!」
虚空に刻まれた文字が輝き、小さな火球をあちらこちらへと飛ばす。
ジェイク・グローバーは杖を握る手に力を込めながら、額を伝う汗を拭った。
チラと他の連中を見る。
「――フッ!」
「――ヤァッ!」
まず見えたのはベンヤミンとクロエだった。槍と細剣を振りかざし、雄々しく敵を薙ぎ払っている。
……正直、この二人が名乗りを上げた時は腰を抜かすかと思うほど驚いた。同時に、何か裏があるのではないかとも疑ったものだが……ベンヤミンの真に迫った懇願に、折れたのはジェイクの方だったというわけだ。
しかし、どうやら告白してきた思いに偽りはなかったらしい。それを示すように、ベンヤミンは伝承級の力を惜しみなく振るい、ここにいる学生の中では一番の働きを見せている。それも、たんに槍で突くだけでなく、稲妻のような形をしたその穂先から、数十の鏃を分離させ、一度に多数の《深き者》を攻撃するという芸当までこなすほどだ。
クロエは……こちらは最初はあまり乗り気ではなかった。プライドが高いその性格ゆえだろうか。しかし、今ではもう果敢に《神具》で群がる《深き者》を斬り伏せ、刺し殺している。
しかし。
「有象無象が。貴様らは学習しないのか?」
鋼の様な冷徹さで、そう口にする男が一人。
この戦場においての支配者は、先に挙げた二人ではなく、まさしく彼であった。
ルーカス・ウォルター。もう一人の槍使いにして、神話級の担い手。
あるいは流動する水の刃、あるいは尖鋭なる氷の棘を自由自在且つ臨機応変に操り、周囲の《深き者》を軒並み泡へと返していく。
経験。素質。武具。それら全てが、自分たちよりも何段も上。
正しく雲の上のような存在。
そして、その最強性を支えるのは――
「……座標把握能力が落ちてる。あまり深入りはしないように」
二匹の蛇が巻き付いた黄金の杖が、すっと傾けられる。
周囲に数多の情報を記した窓を幾多も展開する、一人の少女――否、女。
アメリアはその《神具》の能力を遺憾なく駆使し、周囲の《深き者》の位置を感知。さらに先行する二人を追いそうな個体を見つけてはルーカス達に伝えるという、いわば指揮官の役割を果たしていた。
伝令の神が命を下し、海と大地の荒魂が敵を殲滅する。もはや阿吽の呼吸の境地にすら至る連携には、ただただ舌を巻くばかりだ。
視界を埋め尽くさんばかりの《深き者》が、見る見ると削られていく。
しかし、連中は意地でもここを通さないとでも言うかのように、次々に現れていく。
やれやれもうひと踏ん張りかと己の杖を構え直した時だった。
「ジェイク!」
不意に、名前を呼ばれた。声の主はベンヤミンだ。
「あんだよ!?」
「ここは僕達だけで何とかなる。先に行った二人が不安だ、追ってくれ」
「んなこと言ったってよう!」
この数を押し切れるのか、と問うよりも先に、やや後方で凄まじい炸裂音。
すわ何事かと振り向けば、ルーカスが掌大の水球を生み出しては、《深き者》の群れの中に潜り込ませ、中で氷の薊を爆発させている光景が見えた。
「……」
「……見ての通り、こっちは大丈夫。補助に行ってあげて」
唖然とするジェイクに、アメリアは淡々と、しかしどこか誇らしげに告げる。
「さあ、行け! また湧いて面倒になる前に!」
再びベンヤミンにせかされ、覚悟を決める。
「……あいよ! 油断して死ぬんじゃねぇぞ!」
「こちらの台詞だ、馬鹿め! しっかり働いてこい!」
最後に、今まではこんな時が来るなんて想像もつかなかった台詞を投げ合いながら、ジェイクは駆け出す。
ヒュウガとイオナが向かって行った、奥の巨大な神殿へと。
一方のヒュウガとイオナの方はと言えば、神殿の中に入ってからは、ほとんど敵は現れなかった。とは言え、二、三匹はいたが、それらも近づく前に射落し、斬り捨てる。
水に浸かっていたのに反して、神殿の内部は青白い火で照らされていた。ボロボロに腐食した赤い絨毯の上を、ヒュウガとイオナは真っ直ぐに進む。
途中、小さな部屋が幾つか見受けられたが、すべて無視して歩いていくと、最奥部に巨大な鉄の扉があった。両開きのそれの表面には、蛸とも人ともつかない気味の悪い生物が彫刻されている。
不自然にリズミカルな音が、扉の奥から漏れ聞こえる。あるいは、それは鼓動のような。
「……」
こくり、と。
生唾を飲み込む。手に汗が滲む。
急に、恐怖を覚えた。
抗い難い、根源的な恐怖。
何もかも放り出して、逃げてしまいたいとさえ思った。
隣へ視線を向けると、同じくこちらを見ていたイオナと目が合う。
一人なら逃げ出していたかもしれない。
……だが。
「――行くか」
「――うん」
今、ここには、二人いる。
ヒュウガの手とイオナの手が、それぞれ鉄扉の右と左を押し開ける。
そして。
……そして、二人が目にしたのは、世にもおぞましいモノだった。
部屋全体をグロテスクな肉が埋め尽くす中で、“それ”は薄い、半透明の膜に覆われていた。仄紅い表面には無数の血管がびっしりと走っている。
どういう理屈か、内部は内側から光を放っているようで、中にいるモノの姿形もシルエットながらに見て取れる。
全体的な形状としては人に似ているだろうか。しかし大きさが異常だ。ヒュウガとイオナが見上げているように、それの体躯は優に二〇メートルは超していた。それに合わせてあるのか、この部屋自体も馬鹿みたいに広い。
胎児のように丸められた体とそれに備わった四肢には、その末端に鉤爪らしきものが見受けられる。背には折りたたまれた翼のようなものがあったが、鳥のそれではなく、蝙蝠に近いか。
この世のすべての混沌を体現したかのような姿。
極大の邪悪。
しかし、誰が信じられようか。
それが、まだ生まれてすらいなかったなどと。
そしてそれは時間の問題でもあった。
唐突に、ビリッ、と何かが裂けるような音がした。
見れば膜の一部が破れて、中から鉤爪を備えた蛸の触腕のようなものが零れ落ちている。
何が起きているかなど明白だった。
「イオナッ!」
「うん!」
叫ぶとともに、ヒュウガは抜刀していた。
周囲一帯に炎が広がり、ヒュウガの瞳が炎の黄金に染まる。
イオナもまた、弓に矢をつがえて構える。
みすみす見過ごしてなどやれない。
ヒュウガが疾駆する。赤熱した刀身が闇に赤い軌跡を描く。
まるで《神具》に反応するかのように、触腕が振り下ろされる。
飛び乗ると同時に、下へ一閃。直後、触腕は焼き切られ、ぼとりと地面に落ちる。
ヒュウガが地に足を付けた直後に、先程の断面に銀の矢が突き刺さった。イオナだ。
矢を起点として莫大な神気が爆発し、荒れ狂う。
《深き者》に連なる存在にとって、神気とは即ち猛毒だ。当然、こいつとてそれは例外ではない――はずだった。
【威力規定値未満。標的『■■■■■』、討滅不可能】
直後、膜を裂いてさらに触腕が姿を現す。その数、実に六。
目の前を飛ぶ羽虫を払うかの如く、触腕が目茶苦茶に振るわれる。
およそ理性も何もない、乱雑な行動。しかし、それをこの巨躯で行うとなれば、それだけで十分な脅威だった。冗談抜きで叩き潰されかねない。
迫り来る触腕を何とか回避するヒュウガとイオナだが。分が悪い。
こちらの攻撃は通らず、相手の一挙手一投足は全て即死級である。防戦を強いられるが、その間にも奴は着実に孵化しようとしている……!
「舐め……るなァッ!」
激昂と共に刀を振り下ろすと、炎が斬撃となって射出された。それは触腕の内の一本を両断するも、他にはダメージが与えられていない。
「ッ!」
ヒュウガは唇を噛んだ。
こうなれば出し惜しみなどしていられない。
「イオナァァァァァアアアアアアアアアッ!!」
刀を上段に構え、叫ぶ。
瞬間、刀身から一際強力な炎が立ち上がり、火柱のような刃を形成する。海竜をも滅ぼした、軌道上に存在するすべてを焼き尽くす劫火だ。
意図を察したイオナが、飛び退るようにしてヒュウガの背後に移動。
直後に、炎刃が振り下ろされた。
天井まで届くそれは、部屋の壁や天井にこびりつく肉塊を焦がし、炙り、焼き払う。
そして、火炎が怪物を覆う膜へと到達する。
だが――無意味だ。
ジュンッ! と、嫌な音が辺りに響く。
ヒュウガとイオナの目が、驚愕に見開かれる。
炎は中程から断ち折られ、搔き消えていた。
「な、ん……ッ!?」
二の句が継げないヒュウガたちの目の前で、更なるアクションが起こる。
ビリィッ! と、一際大きな音と共に、遂には人の様な腕までもが現れたのだ。
横合いから触腕が来た。それを間一髪で避けるも、今度は別の触腕が土手っ腹にもろに突き刺さった。
鈍痛。背骨が軋む。
軽く五メートルは吹っ飛ばされただろうか。
……接地の瞬間に何とか受け身を取ったが、ダメージは大きい。最悪、臓腑が数個はイカれたかもしれない。
視線の先では、イオナが果敢に弓をもって触腕と戦っているが、効果は今一つの様だった。そんなことを続けているうちに、彼女までもが触腕に吹き飛ばされる。
勝てない。
そう思ったのは理性ではなく本能だった。
あの炎刃であっても、ダメだった。
それでもなお立ち向かえと言うのか。己の全てを使っても尚超えられない相手に、抗えと言うのか。
大量の触腕と、さらに腕がヒュウガ達を弾き、叩き、殴り飛ばしていく。
もう、どれほどそうしていたであろうか。
「っはぁ……はぁ……ッ!」
剣を地面に突き立て、杖代わりにしながら、ヒュウガはのろのろと立ち上がった。
額に傷を負ったせいか、血で片目が塞がれている。服の下などは青痣だらけで、骨が折れていないのが不自然なほどだ。
隣のイオナも似た様な有様だった。破れた制服から覗く肌には、痛々しい傷が数多く刻まれている。
見誤っていた。
所詮は《深き者》の延長線上で、海竜よりも一回り強いのが関の山だと、そう思っていた。
ヒュウガの視界がぐらつく。血を流した上に、力も使い過ぎた。平衡感覚が失われていく。再び立とうとした膝から力が抜けていく。
やがて、意識が闇へと落ち――。
――。
――――。
――待てよ。
【――言語位格同調】
口の端が、吊り上る。
そうとも、俺では届かなかった。
――だが。
【経路完全掌握。権能委譲範囲拡大】
ゴボ、と口から血の塊が漏れるのも気にしないで、ヒュウガは呟いた。
「……それがどうした」
「え……?」
イオナが目を丸くしてこちらを見てくる。
ヒュウガの全身に力が戻る。
体が、熱い。骨の髄から燃えているようだ。
手にした《神具》から炎が沸き立つ。
地へと刺したそれを片手で抜き取る。いつしか、ヒュウガは完全に自力で立っていた。
その時、部屋の外が騒がしくなった。
バンッ! と勢いよく扉を開け放ったのは、《深き者》ではなく、良く見知った顔。ジェイクだ。あちらの戦闘がある程度落ち着いたのだろうか?
「ヒュウガッ!」
ジェイクが、ヒュウガの名を叫ぶ。
しかし、振り返らずに応えた。
「……イオナを頼む」
「え……?」
隣にいた少女が、呆然とした声を上げたのは、血を失いすぎたからばかりではないだろう。
「な、にを……」
直後。
【融合開始。秘奥解放、『神人合一』】
ヒュウガの全身から、小さな炎が吹き上がり始めた。
「ぐ、おおォォォォォォッ!!」
苦悶の叫びを放つ、《神具》を握る手が軋む。
ギン、と振り向いたヒュウガの眼光が、ジェイクを射貫いた。
吠える。
「行、けェェェェェエエエエエエエエッッ!!」
「――ッ!」
弾かれるようにジェイクが動いた。立つことすらままならないイオナを半ば無理矢理背負い、出口へと駆け出す。
「待って、ヒュウガくんが――」
訴えるイオナの声に、しかしジェイクは強く歯を食い縛っただけだった。その口を真一文字に引き締め、一目散にもと来た道を駆け戻っていく。
やがてその姿が通路の奥の闇にきえるまで、少女はただこちらへと手を伸ばしていた。
その光景を、ヒュウガは静かに見送る。
今やその肉体は火の化身だった。全身を内から湧き出る炎が這い回り、薄暗い室内を煌々と照らす。
バリバリバリィッ! と、凄まじい破裂音が響き渡る。
見れば、一際大きな穴が膜に開き、中身の悪魔がその醜悪な顔を覗かせていた。蛸のような頭部についた、虹彩の無い瞳と目が合う。
今なら分かる。
本来知りえるはずもない知識が、頭の中を駆け巡っている。
「……なあ、引く気はないんだよな」
“奴”は、そして今まさに己と同化しようとしてる“こいつ”も、本来はこの世界にすらいるべきではない。
「いいだろう。お前が、それを押してでも受肉しようというのならば――」
嗚呼、とヒュウガは思う。
ゴメンな。
一緒にいるって約束、守れなかった――。
【――俺は実力で以て、お前を焼却する……ッ!】
間もなく、奴は孵化を遂げる。そうなればどうしようもない。
――だから、今ここで食い止める。
火焔を纏いながら、少年は駆け出す。全てを終わらせるために。
上下左右から無数の触腕が迫るのを、手にした刀で以て斬り伏せた。そのまま獣じみた跳躍、その直後彼が先程までいた場所を、鉤爪を備えた腕が粉々に砕く。
着地した先はその上腕。ゴム質な皮膚の感触に顔を顰めながら、それでも前へ進もうとする足は止めない。
ぐるん、と膜の中で奴が回転するのが見えた。
正対し、睨み合う。一歩も引かない。引く訳がない。
気合一拍、雄叫びとともに飛び上がる。
空中で取るは無我の構え。頬の横へ柄を寄せた、突きからの払いに長けた構えだ。
迎え撃つように迫る触腕を貫き、引き裂き、続く第二波、その巨腕をも斬り払う。
彼我の距離は僅か三〇メートル。半ば落下しながらも炎を纏う左手を伸ばす。
届け。届け。
その願いに呼応するように一際火焔が強く輝く。
直後、全身からあらゆる感覚が消え失せ――
薄暗かった部屋は、今は隅々まで赤く照らされている。
本来の部屋の主を除いてもう一体、とてつもなく巨大な怪物がそこにいた。
煌々と燃え盛る劫火の肉体。背丈は二〇メートルにも届こうかという巨人だ。
巨人の五指が、蛸の頭を鷲掴みにする。
ジュウッ! と音が鳴り、火がほんの少し減衰するが、しかしそれも一瞬だけだった。
巨人が、その腕を振り下ろす。
ズルリと。
まるで指一本一本が高熱を帯びた刃であるかのように。
蛸の肉体が、六つに引き裂かれる。
断末魔すら許さない、圧倒的な破壊。
そして、死都の主はただの肉塊へと変わる。
勝者となった巨人の咆哮が、どこまでも響いた。
イオナを抱えて帰ってきたジェイクに言われ、浜辺へと急ぎ帰り着いた遠征隊のメンバーは、そこで見た。
――燃えている。
中央の神殿から広がった炎は黒い街を呑み込み、周囲の海面をも舐め尽くす。
誰の仕業なのかなど、訊くまでもなかった。
「……ヒュウガ、くん」
イオナが、小さく呟く。
蓄積されたダメージは大きく、彼女の意識はそこで途切れた。
遠征作戦はこうして終わりを告げた。
七名の内、未帰還者はたったの一。
結果だけを見れば、それは奇跡なのかもしれない。大成功なのかもしれない。
だが、失われた命は。
その少年は。
一人の少女にとって、余りにも大きかった。




