10話:《バーンアウト 前編》
作戦当日。
一週間ほど与えられた期間の内に、準備は全て済ませた。身体も既に本調子だ。
朝靄で煙る南区仮設城門前の広場。そこが集合場所だ。
石畳の道を、イオナと二人、隣り合って歩く。
「……ね」
「ん?」
不意に、イオナが声をかけてきた。
彼女は真っ直ぐに前を向いたまま、静かに言葉を続けた。
「もしも、この戦いで平和になってもさ……私と一緒にいてくれる?」
「……」
海に近いだけあって、靄はかなり濃い。
見つめる先も対して遠くまでは見通せない程だ。正しく五里霧中、と言ったところか。
答えは決まっていた。
「――ああ、勿論だ」
「……ありがとう。絶対だからね」
やがて門の殆ど目の前に来た辺りで、漸く他の連中の姿が見えてくる。
まずいたのは、正規兵の制服に身を包み、要所に防具を装着したルーカスとアメリアだ。二人の横には……何だ? まるで馬車の天井を外して、車輪だけをくっつけたかのような、奇妙な形の乗り物らしき物が鎮座していた。
到着した二人の姿に、先に反応を示したのはルーカスの方だった。
「来たか」
「おはようございます。あの、それは……?」
「これか」
イオナがおずおずと尋ねると、ルーカスはその謎の機械をちらと見る。
「一応、軍機だから詳しい構造とかは話せんが……今回の移動手段だ。距離が距離だから徒歩じゃ無謀。かと言って、馬がやられたら荷物になるだけの馬車も具合が悪い。三伯の方々に何とか都合を付けてもらった」
「はあ……」
その軍機をこんなところで堂々と晒していいのかという疑問が一瞬湧いたが、よくよく考えてみれば先の事件で南区から人はかなり減っている。加えて、この靄だ。思ったよりも人の目は無いのかもしれない。
「しかし――結局四人、か」
半ば舌打ち混じりに、ルーカスが呟く。今回ばかりは苦い顔も隠しきれていない。
南区の襲撃から日が浅い。そして――最終的に倒せたから良い、というものでもなかった。
端的に言えば、此度の遠征に名乗りを上げる者がいなかったのだ。
さすがに皆無という訳ではなかった。が、それは無名級。先の戦いを実際に経験してはいない人々だ。
戦場に立って、相見えた者ならばわかる。
《深き者》を唯一撃ち滅ぼせる、最強の武器が……《神具》が碌に効きもしなかったのだ。
兵士にとってみれば、もはや精神的支柱を折られたにも等しい。
その矢先のことである。海竜と同じ、あるいはそれ以上の強敵が達はだかるであろうと容易に予想がつく作戦に、誰が同行したがるというのか――。
一同に、重苦しい空気が漂う。
「……予想は出来ていたこと」
アメリアが諦めるように頭を振る。
「とは言っても、この人数はやはり……せめてあと三人――」
ヒュウガがボヤいた時だった。
「――なら、ちょうどよかった」
背後から、唐突に声が投げかけられた。
年若い、少年の声。ヒュウガにとっては、あるいは最も馴染み深い声だったかもしれない。
ジェイク・グローバー。
恐らくは、唯一正しくヒュウガの『友人』と呼べるであろう彼が、そこにいた。
「……ジェイク、何しに来た?」
「決まってんだろ。ついてくんだよ、俺達も」
「達……?」
引っかかって、覚えず訝し気な表情になる。
が、すぐに気づいた。
ジェイクの後ろに、もう二つ。人影が見える。
「――ッ!」
その仔細が見えた時、思わず息を飲んだ。イオナも目を丸くして、驚愕を露わにしている。
「久しいな、ヒュウガ。ブランジャール嬢」
靄の中から現れたのは、アイレフォルンの制服に身を包んだ少年と少女。
前衛科で何度か一緒になった――そして、すれ違う度に嫌がらせを仕掛けてきた二人。
即ち、ベンヤミン・エーレンベルクと、クロエ・ベルナールである。
「……どういう風の吹き回しで? エーレンベルク殿」
「ベンでいい」
警戒心剥き出しで尋ねるが、返ってきたのは意外な言葉だった。
これは何事かと一層眉を顰めるヒュウガに、ベンヤミンは歩み寄る。
そして――直後、さらに予想外の出来事が起きた。
バッ! と。ベンヤミンがヒュウガに頭下げてきたのだ。
「まずは、今までの非礼を詫びる」
さらには謝罪の言葉まで飛び出してくる始末だ。見れば、クロエも一拍遅れて頭を下げて来る。今までさんざ煽られてきた身としては唖然とする以外に何もできない。
「……これはまた、なんで突然?」
困惑しつつも問う。
ベンヤミンがゆっくりとその顔を上げる。
「……二度にわたる南区への侵攻で、気づいたんだ。僕達がすべきことは、家名を嵩に着て他者を見下すことではなかった」
訥々と語る彼の表情は、至って真剣だ。
「僕達は、今までの行いや振る舞いに対して、償いがしたい……いや、それも正確ではないな」
頭を振る。
そして。
貴族の少年は、賤民の少年へ告げる。
「協力させてくれ、ヒュウガ。僕はこの街のために戦いたいんだ」
「――ってこった。俺も、前回は旨いところだけ持ってかれて正直不満だしな」
肩をすくめながらジェイクが続けた。
おどけてるようだが、確かな芯が感じられる声色だった。
彼は、穏やかな笑みを浮かべながら、言う。
「だからよ、せめて今回ぐらいは手伝わせてくれよ。ダチ公」
「……」
どうしたものかと正規兵二人組の方を見るが、アメリアは瞑目して何とも言わない。一方、ルーカスはと言えば……彼らの発言に何か思うことでもあったか、苦々しい表情で空を仰いでいた。
「……」
隣に視線を移す。
当然ながら、そこにはイオナがいた。ちょうど先方もこちらを向いたようで、彼女の、花緑青の瞳と目が合う。
イオナが、静かに頷く。全てを任せると言わんばかりに。
「……参ったな」
思わず頭の後ろを掻いた。
つい先日もそうだった。どうにも、自分は押しに弱いらしい。
「――こっちこそ、頼む。お前らの力を貸してくれ」
「っ、おうよッ!」
ジェイクが、ニィと笑顔を見せた。ベンヤミンやクロエと言った面々も、ほっと胸を撫で下ろしている。
「……では、靄が晴れる前に出発する」
決まったという空気を察したか。それまで無言を貫いていたアメリアが、口を開いた。
次いで、背後の乗り物の、後ろの方の座席に入っていく。前の座席の左側――操縦桿らしきものがごちゃごちゃと付いた席には、ルーカスが付いた。
倣うように、イオナ、ベンヤミン、クロエ、そしてジェイクと、次々に後ろの座席に収まっていく……が、中々手狭に。
結局ヒュウガは余った席、つまりルーカスの隣に座った。
仮設の城門の脇に併設された、比較的小さな通行用の鉄門へ。どうにも蒸気機関ではない動力を使ってるようで、慣れない振動が車体を揺さぶる。
門番の正規兵には話が伝わっていたか。奇妙な車が来てもさして驚きもせず、彼らはその扉を開く。
鉄の扉があちこちを軋ませて、開け放たれる。
瞬間、黄金の光が差し込んできた。
それは正面を向いて左側――すなわち東の水平線から今まさに昇っている太陽の光だ。四方を囲まれてない壁外では、風が靄をとっくに払っていたようだ。
ヒュウガたちにとっては、生まれて初めて見る“日の出”の光景。
しかし――今はその美しさに目を奪われている時ではない。
七人それぞれの双眸は、ただ一筋に同じモノを睨みつけていた。
沖合に浮上した、黒い異形の神殿。
「――征くぞ!」
合図をしたのはルーカスだった。
そして、年若き戦士たちをのせた“自走車”は、瓦礫塗れの道を踏みしめて進み始める。
遠雷のようなモーターの駆動音を鳴り響かせながら、“自走車”が荒れ切った大地を走る。ゴムのタイヤが水たまりを蹴散らし、虚空へ無数の雫を浮かばせる。
すでに太陽は水平線から離れ、東の空は青々とした輝きを放っている。
「つーか、ジェイク達は学校どうしたんだよ?」
ふと、気になって尋ねるヒュウガ。今日は平日。学生には授業があるはずだが……。
返ってきた返答は簡潔。
「サボった」
「無断欠席だ」
「……胸張って言うことじゃねーだろ」
思わず呆れてしまう。男連中があんまりにあんまりな態度を取る中、クロエだけは恥ずかしそうに俯いていた。意外と常識人なのかもしれない。
そこで、ルーカスが口を開く。
「――談笑しているところ悪いが」
「?」
「来るぞ」
慌てて前方へと向き直った直後、それは視えた。
遥か地平の先を埋め尽くす、醜悪な異形の軍団。
水っぽい、膨れ上がった体をまるでバリケードのように並べた大量の《深き者》が、行く手を阻んでいるのだ。
これに比べたら、南区すら生温い。
思い知らされる。
ここは、既に奴らの領域。
しかし――
「……私は手が離せん。アメリア」
「了解」
少女の手に、黄金の杖が現れる。
「イオナ・ブランジャール、補助するので可能な限り敵を減らす。接敵後はヒュウガ、ベンヤミン・エーレンベルク、クロエ・ベルナールの三名を軸に対応。ジェイク・グローバーは私と一緒に補助に回って」
――ここには、既に幾多の視線を潜り抜けた者が二人。
『了解!』
各々の声が重なる。
ベンヤミンの手には、瀟洒な彫刻が施された長槍。
クロエの手には、繊細にして華麗な細剣。
ジェイクの手には、無骨で質素な杖。
イオナの手には、銀の煌めきを湛える弓。
そして。
【敵性確認――権能解放認可】
何か、囁き声のようなものが聞こえた。
同時に、ガチリと、何かが外れる感触。
ヒュウガのオニキスの瞳が、再びトパーズの色に変わる。
鍔を押してやれば、先日は抜けなかったのが嘘のように、滑らかに鞘から赤熱した刃が晒される。
「……ッ!」
朝の冷気を、焔が払う。
それが開戦を告げる狼煙となった。
まず白銀の矢が次々と撃ちだされた。いつかの南区で見た、光の雨が降り注ぐ。
数体の《深き者》がなすすべもなく泡へと消えていく。
「凄……」
「ありがと」
思わず呆けた声で呟くジェイクに、イオナが微笑む。
「――突っ込むぞ」
ルーカスの警告。直後に、金属の車体と膨れ上がった《深き者》の肉が激しくぶつかり合う。
馬力に物を言わせて薙ぎ払おうとするがそれでもしつこくしがみつく個体も数体いた。
それを――
「シッ!」
「セェァッ!」
槍と細剣の突きが叩き落す。
しかし、前方一面にはまだまだ大量の《深き者》が広がっている。
「……チッ」
厄介な、と舌打ちするルーカスの隣に、立ち上がる影。
ヒュウガだ。
彼は刀を下段に構えながら、
「――一気に削る。準備ができるまで、守ってくれ」
「おうよ!」
応えたのは、ジェイクだ。
身を乗り出し、杖で虚空に文字を刻み、叫ぶ。
「スリサズ、アルジズ、ギューフ……ついでにウルズだ! ぶちかませ!」
文字が、ヒュウガに加護を与える。
濁流のように襲い掛かる《深き者》の群れ。その中で一点、ヒュウガのいるとこだけには奴らの手が及ばない。前半に刻まれた三つの文字が、魔手を阻む。
そして、最後の文字は――
「ッ!」
刀身に纏わりつく炎が勢いを増す。同時に、腕の筋肉が軋みを上げる。ありとあらゆる力が増強されているのだ。
チラと背後を見れば、杖で何とか《深き者》を押し返していたジェイクが、こちらに向けてウィンクを一つ。
ありがとう――これならば十分だ。
「ラ……ァァァァァアアアアアアアアッッ!!」
咆哮と同時に、横一文字に刀を振るった。
刀身で渦巻いていた炎が、剥がれるように放たれる。
焦熱地獄も斯くやという炎が、薄く、刃の様になって広がり、《深き者》の群れを焼き切っていく。
「これで!」
道は開けた。
が、そこで更なる問題に直面する。海面が、目と鼻の先まで迫っていたのだ。
考えてみれば当然だ。沖合にある目的地へ、かなり速いスピードで向かっていたののだから。
さすがにこの“自走車”と言えど、海を渡る力は備わってはいまい。
「おい、杖の餓鬼! ジェイク!」
どうするのかと思っていると、ルーカスがジェイクの名を呼んだ。
「は、はい!」
「お前、ハンドル変われ! やり方はアメリアの指示に従えば問題ない」
「えっ!? ちょっ――」
返答などもはや聞いてなかった。
むんずと制服の詰襟を掴みあげられ、強制的に運転席に叩き込まれる。
一方のルーカスはと言えば、いつの間にか右手に槍を持ち、“自走車”の前面の上に立っていた。
目前に迫った海面に向けて、ルーカスが槍を突き出す。
その穂先が、薄く水面に触れた直後のことだ。
バキバギバキィッッ!! と、海面が派手に凍りつき、一帯を氷の大地と変えた。
それにとどまらず冷気はさらに沖へと続き、とうとう遥か先、目標の建造物までの道を築き上げる。
「行け! そのまま!」
ルーカスの叫びに従い、半ば滑るようにして“自走車”が進む。先程の一撃が熱の地獄ならば、今度は氷の地獄、コキュートスだ。
凄まじい揺れに、ハンドルを握るジェイクはもちろん、社内の全員までもが必死にしがみつき――
やがて、何かにぶつかるような凄まじい衝撃と共に、車体の動きが止まった。
「……車を潰す気か。前見て減速器踏め、阿呆め。着いたぞ」
上から投げ掛けらるルーカスの呆れ声に、恐る恐る顔を上げる。
まるで、全く違う世界に迷い込んでしまったかのような光景だった。
まず目に飛び込んでくるのは、分厚い氷が食い込んだ巨岩――否、それはよくよく見れば加工された“建材”だ。
あちらこちらに存在する、幾何学から全く逸脱した、奇怪な建物の数々。海水によって濡れた道の存在が、それが辛うじて“街”なのだという事を示す。
ぐにゃりと曲がりくねった道の先にある、これまた奇妙な形をした一際巨大な建造物は、神殿かあるいは王の居城か。なんにせよ、見ているだけで正気を削られそうなそれは、その威容から容易にこの“街”の核であることが窺えた。
それらの全ては深い海の底のような暗緑色によって染め上げられている。
「……なんだ、これ……?」
思わず、呆然と呟いてしまう。
正直、予想を遥かに超えていた。
《深き者》と人間は、決して相いれない。そんな事実を突き付けられたかのような、絶望的な感性の乖離が、そこに具現していた。
そこで、肩に手が置かれた。ジェイクだ。
彼は頬に汗を垂らしながら、前方を見つめて言う。
「おい、ヒュウガ。呆けてる時間は無いみたいだぜ」
彼の視線を追う。
絶望的な光景を目にした。
ずるり、と。建築物の陰から、大量の《深き者》が現れたのだ。
その数は一〇〇や二〇〇では到底効かない。視界の続く先、その果てまで、ただただ蠢く肉塊に埋め尽くされていた。
――もう一度あの炎を使えば。
そんな考えがヒュウガの心の中に湧き上がる。
しかしそれはリスクを伴う選択でもあった。
当たり前だ。先の海竜戦で、ヒュウガは戦闘後に意識を失っている。まるで自分を燃料としているかのように、力を使えば使う程激しく消耗していく……そんな力である危険性は否定できない。
だが、いくら正規兵の神話持ちがいると言っても、この数では消耗戦だ。人数が絶対的に少ないこの状況下では極力避けたい……。
数秒の躊躇の後、ヒュウガの手が鞘に収まった刀の、その柄に延びていき――
《深き者》の群れに、躍り出るものがあった。
手にするは瀟洒な彫刻が施された長槍。ヒュウガは知らなかったが、それは光神の子である英雄の威光だ。
その身を包むのはあちらこちらに金の刺繍がある黒い詰襟。アイレフォルン学園の男子制服だ。
彼は――ベンヤミン・エーレンベルクは、その槍で最も手前にいた《深き者》を突き、ちらとヒュウガの方を見て、言った。
「主役は君だ、ヒュウガ」
舞うように。ベンヤミンは槍を頭上で一回転させて、構え直す。その穂先が向く方向は言うまでも無い。
「――であれば、端役は最高のステージを用意することに専念しよう」
ベンヤミンに続いて、ジェイクやクロエも前に出る。
「行け、ヒュウガ! ここは俺達がなんとかする!」
「私が協力するからには、ちゃんとケリつけてきなさいな!」
杖で打ち据えながら。細剣で斬り裂きながら。
「ちまちまと……もっと効率的に蹂躙してみればどうだ? 学生」
「私はここでこの人達の補助をする。ヒュウガ、イオナ、あなたたちは奥へ」
氷刃を漂わせながら。黄金の光を纏いながら。
あれだけ密集していた《深き者》の群れに、隙間が生まれていく。
その中の一つへ向かって、ヒュウガとイオナは駆け出す。
こちらに気づいて追って来ようとしてきた《深き者》もいたが、それらは全て他の戦士が押さえ込み、彼らが届かぬ位置までくれば斬り払った。
二人が走り抜けた直後、見計らったかのように隙間は再び埋まっていく。
一瞬だけ、その光景を見守ってから、再び走りだす。
どこまでも続く、昏い道。その奥の、歪な黒い神殿へ向けて。
ジェイクは今まで書いた中で最高の脇役




