9話:《隣に立つ者》
夜。
例によってイオナの家で夕食をいただいてしまった後、ヒュウガはいつかの庭園に来ていた。
中天に浮かぶ月は少しばかり欠けてしまったようだが、足下のジャーマンアイリスは変わらぬ紅を湛えている。
いつかと同じように東屋のベンチに腰を掛ける。ここは、何故だか落ち着くのだ。
「――あ。こんなところにいた」
不意に声が聞こえてきた。ここ数日で随分と聞きなれた声。
視線を向ければ、やはりというかイオナがいた。
「隣、いいかな?」
「ああ」
頷くと、彼女は顔を綻ばせて隣に座ってくる。
……空きは十分にあるはずなのに、わざわざ詰めてくる理由はわからなかった。おかげでほとんど密着状態だ。
「……」
「……」
天井を見上げるヒュウガと、地面に目を落とすイオナ。二人の間にしばしの沈黙が流れる。
「……あの、さ」
ややあって、イオナが口を開いた。
「なんだ?」
「今日の昼のことなんだけど……」
「……ああ」
呟くように応えながら、ヒュウガは今日の昼のことを思い浮かべた。
あのままで話をするのもどうかということで、一行は応接室へと場所を移していた。
まる一日寝こけていた甲斐あってか、疲労自体は大したことはない。ただ、筋肉痛のように体の節々が傷むのは勘弁願いたかった。
やっとこさソファへ座る。その隣にイオナ。向かいにはアメリアといった具合で席が埋まっていくが、ルーカスだけは立ったままだった。
使用人(また別の人だった。一体この家には何人使用人がいるのだろう?)が持ってきてくれた紅茶を口に含み、一息ついたところで、アメリアがこう切り出してきた。
「まず、あなたの《神具》を見せて欲しい」
「……俺の?」
怪訝な顔で尋ねると、彼女はこくんと頷く。
「三伯のような例外はさておき、一般的に伝承級は神話級に、無名級は伝承級に劣る。ところが、あなたの《神具》は無名級にも関わらず、神話級や伝承級が束になっても敵わなかった存在の撃破を――それも単騎で成し遂げた」
人形のような少女の、そのオリーブ色の瞳に、品定めをするかのような冷たい光が、一瞬だけ宿る。
「そのイレギュラーがどんな存在なのか、知っておきたい」
「見ても面白くはないと思うけど……」
ぼやきながら右手を突き出す。
焔の如き紅い光の粒子が舞い、収斂され、また弾けて――現れる。
黒漆塗りの鞘に納められた、一振りの刀。
燻し銀色の、飾り気のない鍔を親指で押して……気づいた。
「あれ?」
ピクリとも動かない。
まるで錆び付いたかのようだ。鈨もチラリとすら見えない。
「どうしたの?」
「いや、海竜の時は確かに抜けたんだけど……」
イオナに覗き込まれつつ、うんうんと唸るがやはりびくともしない。
結局、鞘入りのままアメリアへ渡すことに。
「では――」
袖越しに刀を受け取った彼女の、もう片方の手に、今度は黄金の光が現れた。
二匹の蛇が巻き付いた杖。それは彼女の《神具》だ。
アメリアの右目を囲むように、黄金色の光環が浮かび上がる。
細く、白い指が鞘の中程をスッとなぞる。
「……来歴特定。東洋の鍛冶? 剣士? いずれにせよ、確かに無銘級の範疇……、――ッ!?」
アクシデントがあった。
突然、アメリアが頭を押さえて小さく呻いたのだ。
それだけだった。
それだけだったが、彼にとっては十分な理由だった。
バンッ! と青い光が弾けた。
現れた無骨な鉄色の槍の、その穂先が刀の主の眉間へと叩き込まれる――
「……チッ」
その寸前で止まった。
理由は簡単。イオナが、白銀の矢を弓につがえ、ルーカスへ向けていたのだ。
「……は?」
遅れて事態を認識したとみえ、ヒュウガが間抜けな声を上げる。
その様子を見たからか、あるいはアメリアが手で制したからか。ルーカスの手から槍が解けていく。
「失礼した。コイツが何かしたのかと思ってな」
憮然としながら謝辞を述べるルーカス。それを受けてイオナも《神具》を収めたが、目だけは相変わらず厳しく眇められている。
「……本分ではない解析を無理にしたから、支障が起きただけ。申し訳ない。これは返却する」
「あ、ああ……。無実ってことが分かってくれりゃいいけど……」
押し返された刀は、再び紅い光となって解ける。アメリアの杖もまた消えていた。
ふぅと小さな溜息をもらすアメリアに、横に立つルーカスが尋ねる。
「――どうだ?」
「……不安定。でもいける、と思う」
「?」
ヒュウガとしては何の話だかさっぱり分からない。阿保のように首を傾げるが、隣のイオナは聡くも何かに感づいたようだ。
「……彼に、何をさせるつもりですか?」
警戒心を隠そうともしない問い。しかしアメリアは直接答える代わりに、何枚かの書類を広げる。
「……現状、南区沿いの沖には謎の建造物が浮上している。《深き者》が関わっているのは明白な以上、放置はできない」
「まさか……それの対処を彼に!?」
イオナが声を荒げ、立ち上がる。
対して、アメリアの対応は静かだ。
「無論、一人ではない。少なくとも私と、そこのルーカス。望むならもう数人付き添わせてもいい」
「でも!」
「――初めに言ったはずだ。議会からの命令だと」
食い下がるイオナ。しかしルーカスの態度は冷徹だ。
アメリアが、ヒュウガを見る。
いろいろな出来事が一度に起こり、困惑しているのか。彼は俯いていた。
「……最終的にこの作戦の実行の是非は、あなたの意思に委ねられている」
「……」
「どうする? 戦うか、戦わないか。それは、私たちが強制することではない」
少年は顔を上げる。
そんなこと、訊かれるまでもない。そういわんばかりに、返答はすぐだった。
「俺は――」
イオナが顔をこちらへ向けて来る。
緑の瞳がソワソワとして落ち着かない。両の掌も強く握りしめられていた。
イオナは確認するように、問い掛ける。
「……本当に行くの?」
「ああ。そのつもりだ」
アメリアの問いへ彼が告げた返事は、『YES』だった。
『やる。やらせてくれ』
一も二もない返答。イオナの酷く驚いた顔とアメリアの意外そうな表情が印象深かった。
「でも、ヒュウガくんも私も、まだ訓練兵で――」
「いつだったか」
イオナの言葉を遮るように、語り始めるヒュウガ。
その黒い瞳は上を向きながらも、どこか別の場所を映しているようだ。
「お前は言ったよな。俺たちは生き延びなくちゃならない。人々を守る時のために、って」
「え? 言った、かもしれないけど……」
困惑しながらもそう答えるイオナの、その宝石のような瞳を見つめる。
……本当は、人々なんて大層なものじゃなくていい。
ただ――この少女を守りたいと、そう思ったのだ。
別に、彼女と特別な関係になろうなどと思い上がるつもりはない。
姫君を護る騎士になって、自己陶酔するつもりもない。
これは、ある種の道標だ。得てしまった力の、使い方を決める導。
「なら、今がその時だ」
自分で言いながら照れくさくなったが、笑ってごまかす。
そんな彼を暫し無言で見つめてから、イオナはそっとその顔に満面の笑みを浮かべた。
「……ヒュウガくんは、すごいね」
「そんなことない」
「――決めたっ」
ふいと視線を再びそっぽへ向けると、イオナが唐突に立ち上がった。
そのまま踊るようにヒュウガの目の前へ歩み、屈んで視線を合わせてくる。
「ヒュウガくんが行くなら、私も行く!」
「……は!?」
素っ頓狂な声が出た。
両目を見開く彼に、イオナはさらに畳みかける。
「ね、お願い!」
「いや、でも……」
「私、神話級だよ? 絶対役に立って見せるから!」
「それで前回死にかけたんだろ!」
思わずそう叫ぶ。
しかし、指摘されたことに対して、彼女自身思うところはあるようだった。
イオナは目を伏せて言う。
「……難しいお願いなのは分かってる。今ヒュウガくんが言ったように、前回はそれで失敗しちゃったし」
でも、と区切り、顔を上げるイオナ。
花緑青の瞳が、真っ直ぐにヒュウガを見据える。
「――ヒュウガくんに戦う事を決意させた私自身が、一緒に戦わずに、帰って来るのを待つだけなのは絶対にイヤだから」
「……」
束の間、言葉を失った。
まるでお見通しだ、と言われたようだった。
彼女は気づいていたのだ。彼が作戦を受け入れた理由を。
『イオナを守る』。
それはエルネストの願いであり、ジェイクとの誓いだ。海竜を遠ざけた後でも、ヒュウガはそう思っていた。
しかし、違う。
履き違えていた。
エルネストは言った。「あの子を支えてあげてくれ」、と。
ジェイクは問うた。「それはお前に出来るのか?」、と。
“支える”ことは“庇う”ことではない。
“助ける”ことは“護る”ことではない。
――隣に立って、その手を取ることだったのだ。
ふぅ、と溜息を一つ吐いて、半ばやけくそ気味に笑いながら、ヒュウガは口を開く。
「……ズルいな。そんな風に言われちゃ、断れない」
イオナの表情がぱぁっと明るくなる。
立ち上がり、不敵に笑いながら言う。
「力を貸してくれ、イオナ」
「勿論。期待してくれていいよ、ヒュウガくん」
優しく微笑む月の下、銀の光に照らされて、アイリスの花はそれでも紅く揺れていた。
◇◆◇
ガス灯の穏やかな灯りが照らす室内。
机の前に設置された椅子の上には、アメリアの姿があった。
ここは中央区北部に構えられた、彼女の工房。父との仲が改善された今も、仕事の前日などにはここに寝泊まりすることも多いのだ。
既にシャワーを浴びた後なのだろう。褐色の髪はしっとりと濡れ、着ている服も既に寝間着だ。
だというのに、アメリアは布団にもぐることもせず、思案顔で机の上を見つめていた。
思い出すのは今日の昼。件の少年の《神具》を解析した時のことだ。
アレは――
その時だった。
「……」
「キャッ!」
突然、背後から二本の腕がぬぅと現れ、彼女の首に巻き付く。
小さな悲鳴とともに振り返れば、見知った顔があった。ルーカスである。
「……あなたから来るなんて、珍しい」
「うるさい。茶化すな」
ぶっきらぼうに言いながら、彼はその口をアメリアの耳元へ近づけた。
「……昼間、何を視た?」
「……彼に私が取られないか、心配?」
「するか。お前の隣に立つのは私だ。他の誰にも務まらんし、務まってたまるか」
口ではそう言いつつも、どことなく苛立っている様子は丸出なのが彼らしい、と思う。
恐らく作戦の主役が自分ではなくぽっと出の無名級で、しかも賤民ということもあるのだろうが。
しかしこれ以上弄られては敵わないと思ったか、声のトーンを下げて、再び尋ね直してくる。
「……いくら慣れない解析だからと言って。あの反応はおかしい。アメリア、答えろ。何を視た?」
「……何も。何も視えなかった」
その信じ難い光景を想起しながら、アメリアは呟く。
「刀自体の来歴は視えた。でもその奥――『何故、抜けないのか』『何故、海竜を倒せたのか』『刀身に何が宿っているのか』。それらの情報は視る事すらできなかった。どころか、無理に覗こうとした直後に、弾かれた」
「……隠蔽能力か?」
「ううん。上から塗り潰す感じじゃ、ない。その逆。そもそも情報が参照できないかのように、空白になってた」
「なんだと?」
ルーカスが眉を顰める。
アメリアの《神具》は神話級。それでも解析できないとはつまり――。
「……神でも知りえない、情報」
それは、言葉にするだに恐ろしい現実だった。
「あの餓鬼が飼ってるのは、一体――」
「……」
窓から差し込んでいた月明り。
儚く、頼りないその光が、雲に覆い隠されて絶えていく。
ルーアメエロい……エロくない?
エロゲだったらそろそろHシーンが入る。僕は詳しいんだ。




