8話:《新たなる任務》
見知らぬベッドの上で、ヒュウガは目覚めた。
真っ先に目に映ったのは、布に覆われた……天井? いや、それにしてはやけに低い。
上体だけを起こし、周りを見まわす。
瀟洒な装飾が施された壁。大窓から差し込む陽の光を反射して、ピカピカと照り輝く床。額に収められた絵画の下に備え付けられた暖炉では、つい先程まで火が灯っていたのだろうか。白く灰になった薪が数本見える。
身を預けていたのは笑えるくらいデカいベッドだった。となれば、先程のは天蓋か。
勿論、一賤民であるヒュウガのベッドに、そんな大層なものはついていない。というか、寮の備品だ。
はてと首を捻ったところで気づく。
腿の上に、なにやら重みを感じる。
視線を向けると、イオナが、彼の足を枕にする格好で寝こけていた。
「……ははっ」
思わず笑いがこぼれる。
なんとか、ジェイクやエルネストとの約束を守れたらしい。
と、その声が切っ掛けになったか。
「んぅ……」
イオナが呻き声をあげて薄目を開いた。
寝ぼけ眼がヒュウガの姿を捉える。次いでその目が大きく見開かれ――
「ヒュウガくん!」
ガバッと。
唐突に抱き着かれた。
「ん、な……っ!?」
突然のことに目を白黒させるヒュウガ。
無理もない。セミロングの髪から漂う仄かに甘い石鹸の香りや服越しでもわかる柔らかい体や服の隙間から覗くなまっちろい肌は年頃のオトコノコをどぎまぎさせるには十分過ぎた。というか、この胸板に押し付けられた一際柔らかい部位は――
そこまで考えた辺りで、頭を振って思考を強引に打ち切る。危険だ。これ以上想像すると帰ってこれなくなる。
だがそんな少年の心などイオナはお構いなし。なんとか顔だけを離してくれたが、今度は至近距離で見つめ合う形になってしまい、これはこれでなんというか、アレだ。
気にしていないか、あるいは気づいていないのか。イオナはお構い無しに捲し立てる。
「大丈夫!? 痛いところとかない!? 気分は――」
ギィ……、という音が矢継ぎ早に繰り出される言葉を遮った。
それは馬鹿みたいにでかいこの部屋の、これまた大きな扉が開く音だった。
イオナとともに視線を移す。
褐色に塗られた扉の隙間から、使用人がこちらを窺っていた。ちょうどヒュウガやイオナと近いぐらいの少女だ。いわゆるメイドというやつか。
さて、ここで改めて状況を整理しよう。
今、ヒュウガとイオナはお互いの息がかかるほどの至近距離で見つめ合っている。さらに言えば、イオナは直前までヒュウガに抱き着いていた。
そしてそれは、そこに至るまでのやり取りを把握していない第三者から見れば、あるいは恋人同士の逢瀬にも見えなくもない訳で……
「え……、あっ」
イオナの表情が凍る。
固まる彼女に、メイドは顔を少し赤らめて言う。
「……お取込み中申し訳ございませんでしたっ!!」
「ちょ、ちょっと待――」
バタム、と。
弁明しようと伸ばされたイオナの手空しく、部屋の大扉は閉じられてしまう。
イオナが錆びついた機械仕掛けの人形のような動きでこちらを向いた。
先程の少女よりも数倍紅潮した頬。若干潤んだ瞳と目が合う。
「……」
「……」
気まずさを限界まで濃縮したような空気が、部屋を満たしていった。
「さっきはごめんね……」
「い、いや。謝ることは無いと思うけど……」
心なしか、先程よりも重々しい声でイオナが謝る。なんと言うか、どよーんという擬音が似合いそうな雰囲気だ。自然、こちらの言葉もつっかえてしまう。
時は過ぎ、昼時。
先程とは別の使用人が運んできてくれた昼食も食べ終え、ヒュウガとイオナは改めて向かい合っていた。
そこで、気を取り直すようにイオナが咳払いを一つ。
「えーっと、じゃあ改めまして……おはよう、ヒュウガくん。無事で良かった」
「……ああ、ありがとう」
聞けば、海竜との戦闘で疲弊し、気を失ってしまったヒュウガを自宅に引き取ってくれたのがブランジャール家だという話だった。ヒュウガとしては構わなかったのだが、彼の自室に勝手に出入りするのも気が引けたらしい。
中でもイオナは、熱心にヒュウガの看護をしてくれていたらしく……一晩中、付き添っていてくれたという。議会へ出る前に一度だけ顔を出したエルネストが、いかに彼女がヒュウガを心配していたかを笑いながら教えてくれた。まあ、それを横で聞いていた当の本人は先程のように真っ赤になっていたのだけれども。
「イオナの方はどうなんだ?」
「私は平気。治療効果のある《神具》を持っている人が正規兵にいたから、治してもらったの」
そう言って、足の付け根に視線を落とすイオナ。薄手のストッキングから透ける肌を見れば、なるほどもう腫れは引いているように思えた。
「そうか……。何はともあれ、間に合ってよかった」
「……う、うん。その、ありがとう」
途端、イオナが頬を赤く染めて、視線を横にずらした。
そう言う反応をされると、こちらまでなんだか気恥ずかしくなってくる。
「……」
「……」
頬を掻くヒュウガと、なかなか視線を戻さないイオナ。再び、二人の間に妙な空気が流れ始め――
「――いちゃいちゃは終わった?」
「えっ!?」
「おわっ!?」
唐突に、第三者の声によって打ち砕かれた。
慌てて辺りを見回せば、少し離れたところにちっこい少女が二人を眺めるようにしてしゃがんでいる。
その出で立ちは奇妙の一言だった。特別に誂えられたと思しき正規軍の士官制服の上から、ぶかぶかの白衣を羽織っている。
「い、いつの間に……」
「ほとんど最初からいた」
頬に冷や汗を流すヒュウガに、その少女はややムスッとした表情で答える。ぱっつんと切り揃えられたおかっぱも相まって、目つきの悪い人形のようにも思えた。
「えっと、お嬢ちゃん。どうしてここにいるのかなー?」
女児の扱いに慣れているらしいイオナが、少女と目の高さを合わせるようにしゃがみながら笑いかける。
しかし、それを見て少女はさらに頬を膨らませてぶっきらぼうに言う。
「私は子供ではない。むしろ、貴方たちよりも年上。大人」
「えぇ……?」
訝しげに声を上げたのはヒュウガだ。耳聡く聞きつけたらしい少女がキッと鋭く睨んでくる。
「――信じがたいのは理解できるが、まあ納得しておいてくれ。話が進まん」
そこで、新たな人物が部屋に入って来た。
こちらは男。見上げるような長身を正規兵の制服で包み、特徴的な銀の長髪を後方へ撫で付け、一房だけくくった、青い瞳の青年。
「貴方は……?」
突如現れた見知らぬ二人に、やや警戒した様子で尋ねるイオナに、青年は慇懃に礼をした。
「自己紹介が遅れたことを詫びよう。俺の名はルーカス・ウォルター。そちらはアメリア・サージェント。ナウアノル議会から、訓練兵・ヒュウガに対しての命令を通達しに来た」
『……え?』
今度こそ、ヒュウガとイオナの声が被る。
揃って目を丸くする二人へ向けて、何故かアメリアが「えっへん」と胸を張ってみせた。
◇◆◇
時は数時間ほど遡る。
「――それは彼の役目ではないッ!」
三伯同士が会議を執り行う部屋とは違う、広く、煌びやかな議場。
ナウアノルの国政を司る議会の、その壇上で、エルネストは声を荒げていた。
相対するのは瀟洒な貴族服に身を包み、髪や髭まで整髪料で整えている初老の男性。
『剣王』ザカリー・クロムウェル。
貴族派の急先鋒としても名が知られる彼は、対照的に余裕の笑みを湛えながら言う。
「エルネスト。しかし、これは“誰かがやらねばならぬ”のだよ」
「だからと言って、それをまだ若い少年に負わせるなど……!」
震える声でなんとか反論を紡ぎ出す。
……彼がここまで焦らせているもの。それは、今回の議題だった。
前回の海竜事件と、南区沖合に現れた謎の建造物。
一回目の被害への対応(実を言うと、先日の北区視察も避難の受け入れ先の確認が目的だった)で間に合わなかったが、今日、ようやっとこの件に対しての対策が本格的に論じられることとなったのだ。
海竜に関しては既に討伐済みであったので、それほど問題にはならなかったが、沖合のモノについては現在進行形の案件だ。
実のところ、アレの浮上以降、正規兵たちから「《深き者》の攻勢が激しさを増している」という報告も上がってきている。海竜事件の爪痕も深い今、対処は急務と言えた。
――最悪、三伯の総出撃も視野に入れなければ。
密かな決意とともに臨んだ会議。
だが。
開始早々、貴族の議員がこう切り出してきた。
『海上の建造物。アレは、先の海竜戦で戦っていた賤民にでも任せればいいのではないか?』
当然と言えば当然の発想だった。
あれだけ強大な敵を倒せる戦力がある。
しかもそれは、特別に重要な職務を受け持っているわけでもない一介の学生で、さらに言えば被差別民……賤民だ。
エルネストのように現階級制に疑問を持つような少数派ならともかく、多くの国民――あるいは議員でさえも、それを酷使することに眉を顰める者は、残念ながら現状、この国には少ない。
その後の流れが決まるのは一瞬だった。
まず、貴族の議員のほとんどがこの意見に賛同した。
次いで、平民議員も三分の二を超える人数が同調。
中立派も差し引けば、エルネストのようにこの案に反対しているのは全会の一〇パーセントにも満たないという状況に。
「そもそもッ、此度の一件は本来我々三伯が解決に当たるべきものであって――」
「――否」
それでも尚、なんとか意見を通すために声を張り上げるエルネストだったが……彼の声を遮るものがあった。
ザカリーではない。
それは、議会にはおよそ似合わぬ物々しい鎧に身を包んだ、巌のような大男だった。
「……ダリウス」
「否である。エルネスト」
小さくその名を呼ぶと、『剣豪』の異名を持つ男はゆっくりと頭を振った。
「吾輩達三伯は“攻め込む”力ではない。“対処する”力である。前回は対応が遅れこそしたが――それは、政は本来我々の役儀ではなかったものを、いつの間にか履き違えていたが故にすぎぬ」
「……」
ダリウス。ザカリー。そしてエルネスト。
この三人の地位は、今の一世代前――即ち、今よりも《深き者》の侵攻が激しく、国防のシステムが整っていなかった時代に「国を護る英雄」として活躍したことに由来する。
そしてその役目は――「国を襲う難事に対する、最終防衛戦力」。言うなれば“盾”だ。
自ら敵地へ赴き、先手を打つというのは“矛”の役目であり、本質的にお門違い。ダリウスの主張は歴史的根拠を考慮すれば真っ当と言わざるを得ない意見なのだ。
「……だが、このような大事を……!」
「卿の言わんとすること、その思いも理解できる。しかし、これは断じて我々が出る幕ではないのだ。――ザカリーよ」
そう告げた後、ダリウスはもう一人の三伯へと視線を移した。
「なんだ」
「折衷案を出したい」
「……いいだろう」
「訓練学校も出ておらぬ小童に此度の大任、果たしきれるとは思えぬのもまた事実。故に――軍から特に優秀な人物を数人、援護として出すというのはいかがか」
「なるほど? だが、何故数人に限る? そして、人選は?」
ザカリーの問い掛けに、ダリウスは低い声で、
「人数に関しては先の海竜戦の教訓だ。あそこが彼奴らの巣であるとすれば、そこにはあの悍ましい怪物をも超えるモノが在る可能性は高い。であれば、半端な戦力は足手纏いになる危険性が高い。最低でも伝承級が望ましい」
淀みなく紡がれた回答に、ザカリーは小さく頷く。
「ふむ。して、二つ目の答えは」
「一年前の壁内侵入事件。あの時、ある神話級の青年が大層な戦果を挙げた。例えば、彼などは如何か」
「……」
ピクリ、と。
ザカリーの眉が片方、僅かに持ちあがる。
ダリウスの言う青年のことは憶えている。確か、貴族に名を連ねていた家の出だったはずだ。
そしてこの任務、危険は必至だ。弱小とは言えそのような場所へ貴族の子息を送り込むのは、貴族派として、ザカリーは頷きたくないのだ。
しかし、ここで首を横に振ると、今度は平民議員や、平民に同情的な貴族議員からも不信感を持たれかねない。
故に。
「…………分かった」
ややあって、ザカリーは小さく頷いた。
「但し、後に本人らの了承はとることにするが――ダリウスの案を、私は支持する」
俄かに議場が騒めく。
エルネストもまた、驚愕に目を見開いていた。
『本人らの了承をとる』――。
無論、ここにはヒュウガ自身のそれも含まれなくてはおかしい。感情論として彼を軽んじる者は多かろうが、道理を通さなくてはならないのが政治の場。いかに権利が制限されていようとも、賤“民”は根本的に国民の一人なのだ。
「……他に案のある者は?」
それまで高座から一切を見ていた議長の老人が、議場全体へと厳かに問い掛ける。
シン、と静まり返る議場。もはや、反論を唱える者はいない。
エルネストでさえも、だ。
たっぷり間をおいてから、議長は再び口を開いた。
「――よろしい。では、ダリウス卿の案で決を採りたい。各自、賛成か反対の旨を投票すること――」
結果は賛成が四五七。反対が二八。
これにより、正体不明の建造物に対する、反攻作戦が正式に計画されることになる。
三伯のそれぞれの方向性は
エルネスト→階級制に異論
ザカリ―→貴族至上主義
ダリウス→軍人としての判断を重んじる
といった感じで、実はダリウスが最も在り方としては正しかったり。
ちなみに貴族は基本的に世襲で、平民は選挙で議員が出ます。賤民に参政権はありません。
また定数を超えてはいけないため、傍流貴族や、弱小となった貴族は議員としての席を剥奪されたり、半強制的に台頭した貴族に譲らされたり。ルーカスくんちは後者で、議席はございません。世知辛い……。
それはそうと、議会のはずなのに他の議員の影が薄すぎるぞう……?




