4話:《花園への招待状》
事件から数日たっても、アイレフォルン学園には重苦しい空気が漂っていた。
無理もない。あれだけの大災害が起きた直後なのだ。友人を亡くした者、親類を亡くした者、そして恋人や想い人を亡くした者も多いだろう。
そんな学園の、前衛科訓練棟の横にある小庭で、ヒュウガはぼんやりと空を見上げていた。
空は、あの日と同じく分厚い雲で覆われている。
あの時、イオナに言われた言葉を反芻する。
――生き延びなくてはならない。いずれ、この身を賭して、人々を守る時のために。
ほぅ、と溜息を一つ。
彼女は言った。いずれ、と。
であれば、こんな自分にもいつかは来るのだろうか。力なき人々を背に庇い、《深き者》を討ち倒す、そんな時が。
ヒュウガには想像できない。
神話級と無名級。いや、そもそも《深き者》と自分の差を、克明に理解してしまったから。
そこまで考えてふと思った。
イオナ自身は、どうなのだろうか。
あれほど強力な《神具》を持つ彼女も、こんな風に無力感に苛まれたことはあるのだろうか。
なぜだが少し、彼女に会いたくなった。
が、すぐに思い直す。会ったところでしょうがない、と。
ヒュウガは首を小さく振ると、棟の中へ帰るために歩き出した。
一日が滞りなく過ぎていく。
今日の日課はもう終わりだ。生徒の多くはもう帰路についていることだろう。
ヒュウガがいるのは、荷物置き場と化している本校舎の教室だ。
夕日で仄赤く染まった雲を窓越しに見つめる。
……我が事ながら、少し感傷的になっているなとは思うが、初めての実戦での失態は、彼の心にある種の傷を確かに刻んでいた。
今日何度目かわからない溜息を吐きながら、教本が入った学生鞄を肩に担ぎ、教室の扉を開ける。
「……――でね」
薄暗い廊下を歩いていくと、とある教室の中から話し声が聞こえてきた。声から判断するに同年代の女子らしい。
それだけなら特に気に留めることなく通り過ぎていただろう。
が、次の一言がヒュウガの足を止めた。
「――ブランジャール先輩、この前の事件でも大活躍したってね」
ブランジャール。つまりはイオナのことだ。
思わぬところから飛び出た名に、ヒュウガは半ば無意識で耳に意識を集中させてしまった。
少女たちの会話はなおも続く。
「ああ、あの神話級の弓持った先輩? 素敵よね、あの人!」
「ねー。聞いた話だと、《深き者》に殺されかけた無銘級持ちを助けてあげたとかなんとか」
「知ってる。たしかアイツでしょ、賤民出の男。エーレンベルク先輩に目を付けられてる」
「それは初耳。そっかー……アイツだったのか」
「ブランジャール先輩も東洋系の血が入ってるからついつい助けちゃったのかもね」
「――賤民なんて放っておけばいいのに」
教室から漏れ聞こえる笑い声に、ヒュウガは半ば無意識にした唇を噛んだ。
もう、慣れた。ベンヤミンのグループに限らず、この街では賤民なんてこんな扱いだ。
廊下に自分がいることを少女たちに悟られないように、努めて気配を殺しながら再び足を動かし始める。
◇◆◇
ところで。
感傷的になった時、ヒュウガは決まってある場所へ赴く。
それは彼にとって半ば実家じみた場所でもあった。
実はヒュウガ、幼い頃に両親を失っている。
父親はヒュウガがまだ生まれぬ頃に事故死。残された母は女手一つで何とかヒュウガを育てようとしたが、世間からの風当たりと、働きすぎで心身ともに弱ってしまい、やがて病気で帰らぬ人となった。
あわや路頭に迷いかけたヒュウガだが、今もこうして生きているのは、そこを救ってくれた人のおかげだ。
その人が経営しているものこそが、彼にとっては第二の我が家でもある孤児院であった。
(寮に入ってからは行く機会も薄れちまったけど……)
南区にある寮から、中央区へと続く道を歩く。
そこは、古ぼけた石造りの施設。大昔には公民館として使われていたという建物だった。
中へ入り、二階へ。
扉の向こうから漏れ聞こえる喧噪に、嫌でも懐かしい気分にさせられる。
そこで気づいた。
「……ねーちゃん……」
「……はいはい……」
聞こえてくる子供たちの声の中に、一つだけ随分と大人びているものがある。声の感じからして、ヒュウガと同年代の女だろうか。
はて、同期で未だに孤児院に残ってるやつはいただろうかと首を捻りつつ、ドアノブに手をかける。
「ガブリエラさん。久しぶり――」
再会の挨拶とともに扉を開ける。
中にいたのは以前とは数人か顔触れが変わった子供たちと、彼らを優しい眼差しで見守る初老の女性。
そして――。
「えっ!? ヒュ、ヒュウガくん……!?」
こちらを向いて、目を丸くしている、黒髪翠眼の少女。
即ち。
「イ、イオナ・ブランジャール……?」
先日助けられた、まさにその人だった。
「そっか、ヒュウガ君もここの出身だったんだ……」
驚愕の邂逅から数分後。
壁際に並んで座りながら、ヒュウガとイオナは言葉を交わしていた。
視線の先では、子供たちがじゃれ合っている。
「ああ。……というか、ブ――イオナも結構ここに来ていたんだな」
ヒュウガがイオナのことを名前で呼ぶのは、ここの人たちの前で名字呼びはやめて欲しいという本人たっての希望があったからだ。
三伯の中でも『剣聖』は主に意思伝達の役割を担っている。それ故か、ブランジャールの家名を知らぬ者の方が少ない。
イオナ自身、それを重々承知しているのだろう。さらに言えばここの子供たちはその多くが賤民だ。変な意識を持たれたくはないという気持ちは、ヒュウガにも理解できる。
「うん。少し前から」
「そっか……。ありがとうな」
「え?」
イオナが小首を傾げた。どうやら、何に対して礼を言われたのか分かってないらしい。
「いや、この間の時もそうだけど……ここのガキンチョたちの面倒見てくれて、ってこと。正直、寮に入ってからここに来ることはあんまなかったし、俺がいた時どころか、前に寄った時からも大分経っちまったから、俺とはほぼ初対面みたいな連中は多いんだけどさ」
子供の中の一人がヒュウガの視線に気づいたようだ。恐る恐るといった様子でこちらを伺ってくる。
その子に笑顔で手を振ってやりながら、続ける。
「それでも、ここは俺の家で、こいつらは俺の兄弟みたいなもんだからさ」
「いやいや、そんな……私はここに、好きで来ていたから」
「――本当に、イオナちゃんには助かってるよ」
あたふたと手を振るイオナに、今度は横から声がかけられた。
声の主は言うまでもない。この孤児院の主、ガブリエラ・ツィマーマン女史だ。
「毎日毎日、わざわざここまで来てくれてねぇ。つい先日の事件の時だって真っ先にここの救助に来てくれたし、どこかの誰かさんとは大違い」
「っせーな、俺だって一応ここは見に来たんですー!」
もっとも、ヒュウガがここを訪れた時には既にもぬけの殻になっていたが……なるほど、あれはイオナが先に来てくれていたからだったらしい。
実を言うと、今日ここを訪れたのはどうなっているかの確認も兼ねていた。被害者名簿にガブリエラの名前が無かったので、ほぼ確実に無事であることは確認が取れていたのだが、やはりどうしても自分の目で確かめたかったのだ。
「ああ、そうそう」
髪を掻き上げるヒュウガを尻目に、ガブリエラが手を叩いた。
「イオナちゃん、時間は大丈夫かしら? そろそろ遅くなるけれども」
「えっ!?」
慌てて窓の外を見れば、街路はもう随分と暗くなっていた。いつの間にやら、随分な時間が過ぎてたらしい。
「わわ……もう帰らなきゃ。失礼しました!」
上ずった声を上げて、イオナが荷物をまとめ始める。
その背中をぼんやりと見送ろうとしていたヒュウガの頭を、バシリと叩く者が一人。言うまでもなくガブリエラだ。
「ってェな。何だよ」
「何だよはこっちの台詞だよ、ヒュウガ。夜道に女の子一人で帰らせるつもりかい? 見送ってきなさい」
「はぁ!?」
今度はヒュウガが目を丸くする番だった。
「んな、大袈裟な……昔ならともかく、今は街灯だって整備されてるじゃねぇか」
ナウアノルの治安は時間帯よりも地域に左右される。夜遊びに出かけられる場所など歓楽街ぐらいなものだ。自分から足を踏み入れなければ問題はほとんどない。
そもそもアイレフォルンの制服を着ている時点で、彼女が《神具》を持っていることなど馬鹿にでもわかる。《神具》持ちであれば、無名級だって並みのゴロツキなど歯牙にもかけない。いわんや彼女が持つそれは神話級なのだ。
しかし、ガブリエラは首を横に振った。
「大袈裟なもんかい。転ばぬ先の杖というだろう? 何かあってからじゃ遅いんだよ」
「俺は杖じゃねぇ……」
屁理屈をこきながらむくれて見せる。
しかし――。
「あ、あの……」
困ったような小さな声が聞こえてきた。
イオナである。
どうやら今の会話を聞いていたらしい彼女は、おずおずと遠慮がちに口を開いた。
「ヒュウガ君が嫌じゃなかったら……来てほしい、かな?」
「……あ゛-……」
思わず天を仰ぎ唸る。
その言い方は、反則というものだ。
イオナに着いていき北区へ。
思った通りというかなんというか、道中にて特に危険な目には合わなかった。
だから言ったろーにと口を尖らせつつ足を進める。
「――着いたよ、ここが私の家」
と、やや前を歩いていたイオナが立ち止まり、手で横を示した。
促されるままにそちらを向き――絶句する。
そこは、まさしく豪邸であった。
まず目に付くのは何と言っても巨大な門だ。ナウアノル最大級の敷地を持つアイレフォルン学園の正門と比べても遜色ない。それどころか、あるいは上回っているのではないかと思わせるほどの威容。
白亜に照り輝くその素材は、大理石だろうか。巨大さに比例して太い門柱には、とある神話の一場面が写実的かつ繊細な彫刻で表されている。
格子状の門扉から臨める敷地内もまた凄まじい。広大な庭には種々の草花による花園が設けられており、その中央には石畳が丁寧に敷き詰められた幅広の道が、さらに奥の邸宅まで続いている。色とりどりの花々の群れを切り拓くかのようなそれは、古の預言者が起こしたという海割りを彷彿とさせた。
……イオナの家が大貴族だという事は知っていたし、それを考慮してある程度までは想定していたが……流石にこれは予想外だった。流石は三伯という事か。とことん庶民、或いはそれ未満なヒュウガにとって、この光景は凄すぎてむしろクラッとする。
「お、おう……。じゃあ、俺はこれで」
頭をふらふらと揺らしながら、ヒュウガが来た道を戻ろうとした時だった。
はしと、何かに手を掴まれる感触。
驚いて振り返れば、イオナが一歩前に歩み出て、ヒュウガの手を取っていた。
「ん、な……ッ?!」
「ヒュウガくん」
予想もしていなかった出来事と、握ってきた手が柔らかいやら温かいやらで目を白黒させるヒュウガに、彼女は笑顔のまま――しかし、心なしか少し高い声で――言った。
「今夜は、私の家で夕食を食べていってくれないかな?」
女の子の家に突るイベ多いな?




