1話:《ルーカスとアメリア》
物々しい書架が立ち並ぶ中を、一人の男が歩いていた。
狼の毛皮を思わせる銀の長髪を後方へ撫で付け、一房だけくくったという特徴的な髪形をした男だ。所々に金糸の刺繡が施された黒の詰襟という出で立ちは彼が学生であるということを示しているが、すらりとした長身とごつごつと骨張った顔、そして鋭い青の双眸はもはや成熟しきった男性という印象を強めている。
名をルーカス・ウォルター。ここ――アイレフォルン学園の三年生にして、ウォルター男爵家の嫡子である。
幾つかの書架を抜け、目当ての本が収まっている棚へ辿り着いてみれば、先客がいた。
男子の詰襟と揃いの色に染められたセーラー服。ブレード飾りは金に色取られ、黒い布地に赤いスカーフが映える。ここまでを見れば同じ学園の女子だが、異様に小さい。ともすれば幼年学校の生徒に思われそうな程だ。ぱっつんと切り揃えられた褐色の髪や、台座に乗って必死に最上段へと手を伸ばす姿がより一層「幼い」という印象を強めている。
小さく嘆息するルーカス。知った顔だった。
彼は爪先立ちになってぷるぷると震えている少女の後ろに立つと、ひょいと腋を掴んで持ち上げてっやった。たかいたかーい。思い浮かんだ言葉は胸の内に留めておいた。
少女はといえば、いそいそと目的の本を取り出すと、肩越しにこちらを向いて、一言。
「……礼を言う。ルーカス」
「どういたしまして、だ。アメリア」
互いに目当ての本を手に入れた二人は、近くにあった机に向かい合って座った。
周囲に人影はない。当然だ。窓から差し込む陽の光はとうに橙色に染まっている。こんな時間まで図書室に残っている者はそうそういない。
ふと、ルーカスは目の前の少女――アメリア・サージェントの顔を見た。
不機嫌そうに細められたオリーブ色の目に、固く引き結ばれたへの字口。驚くべくは、一つ一つのパーツを言葉で説明すればよろしくない表情の代表例であるのに、その全てを組み合わせると途端にあどけなさを残した愛らしい顔立ちが生まれることか。つくづく思うが、こいつ本当に同級生なのだろうか。
ふと、視線に気づいたか、アメリアが本から顔を上げた。
「……何?」
「いや、何も」
じとっとした視線とともに寄越された問い掛けにぶっきらぼうに答えると、彼女は不満げでありながらもそれ以上の追及は止してくれた。
自分も手元の書物に目を落としながら、ルーカスは思う。
平和だ。
実に、平和な一時だ。
――この世界が、今まさに滅びへと向かっているのも忘れてしまう程に。
ナウアノルという国が存在する。
かつて港町として栄え、貿易の要としての役割を果たしていた都市国家。
東西南北を問わず、老若男女を問わず、様々な土地から様々な人が立ち寄り、大いに賑わっていたという国。
ナウアノルは地上の楽園だった。
そう、楽園だったのだ。
恵みをもたらしていた海から、あれが――《深き者》が現れるまでは。