* 9 *
水の無い金湖の周りに、湖底に、集まった、数えきれない人々が、大きく傾いた太陽の、微かに赤みを帯びた終末の輝きを斜めに受けながら、「カイ様からの大切なお話」を待っていた。
「お待たせいたしました」
人々から少し離れたところで、その様子を見守る、モネ、カイと、各種族の長、副長のもとへ、タムケ商店の男性がやって来、
「無事、運び終わりました」
言って、公園の方向に目をやる。
そこには、見事に出来上がったダンボールの壁。中身は、族印を隠すための化粧品1千万個。
昨日、月を眺めるモネの隣で、ナガが、何故、族印を隠すのですか? 1千万個もどうなさるのですか? という男性の質問を、明日のカイ様のお話を聞くまでのお楽しみ、と、軽くかわし、代金のことはムタに言ってね、と言って、ムタから睨まれながら注文していた。
「苦労しましたよ。1千万個も数を揃えるのは……。他の店に聞いてみたり、製造元の在庫を確認してもらったり……」
男性の言葉に、ナガは、ご苦労様でした、と、ニッコリ笑って返し、ついでだから、そこにいる人たち全員に、足りなかったら、1家族最低2個の計算で配ってくれる? と、金湖の周りの人々と湖底の人々に目をやりながら、全然ついでにならないことを頼んでいた。最後に、代金を1割上乗せしていいから、と、耳もとで囁いて……。
*
シイと地族の副長の手で、急遽、土の演壇が造られた。
モネは、
「モネも、こっちへ」
と、サナに導かれて移動し、各種族の長、副長と共に、その演壇の脇に控える。
カイが演壇に立った。
いよいよカイから、集まった人々へ、竜国が消滅する事実と人間の世界への移住の決定が伝えられるのだと思うと、モネは緊張してきた。この話を聞いて、人々は、何を思い、どんな反応を見せるのだろう、と。当然、人々が強いショックを受けることを想定し、それによって起こりうる様々な事態への対処法も、昨日のうちに話し合い済みだが、もし、想定している以上の大変なことが起こったら……。自分は、その時、キチンと対応出来るのだろうか、と。
それまで普通にザワついていた人々が、演壇上にカイの姿を認め、一斉に口をつぐみ、直立の姿勢をとって注目する中、カイは、拡声器を通して、竜国が消滅する事実と人間の世界への移住の決定を伝えた。
モネは、自分の隣に立つサナをはじめ、他の、演壇脇に控えている長、副長たちが、自分と同じく緊張しているのを感じる。少しの変化も見逃すまいと、神経を研ぎ澄まし、人々に注意を払っているのが分かる。
しかし、意外と、カイからの話を聞いた人々の反応は薄く、人々が、どう感じたのか、モネには全く伝わってこなかった。だが それは、カイの前であるということで、意識的に、カイの決定に少しでも批判的な要素のある感情を抑えてのことだったらしく、カイが演壇から下り、代わってムタが詳細を説明し始めると、人々は再びザワめきだした。
ショックのあまりか、丁度、モネの真正面で、若い女性が卒倒した。
昨日話し合った対処法に則り、身体にショックが現れた人の手当て担当のサナが駆け寄る。その補助を担当するモネも続いた。
サナの指示の下、女性の衣服を緩め、体勢を、そっと変えさせるモネの耳に、周囲の人々の声が入ってくる。
母親に向かって、
「ねえ、おかあさん。カイさまは、なんて、おっしゃられたの? ムタさまは、なにを おっしゃってるの? 」
と聞く、全く話が呑み込めていない小さな子供。
中年の男性5人組は、
「消滅しちまうんじゃ、仕方ないなあ。死ぬよりゃいいよ」
「人間の世界も、皆で行くなら悪かないだろ」
「そうだな、元々は人間の世界に住んでたんだもんな」
「そうか? 人間の世界は悪いから、こっちに住むようになったんだろ? 」
「お前! せっかくオレらが何とか納得しようとしてるのにっ! 」
などと話し、その横で、初老の女性は、すすり泣く……。
ムタによる詳細の説明が終わり、ナガが、タムケ商店の男性が人々に配った化粧品と同じものを手に、族印を隠す実演を始めると、モネのすぐ横にいた、かなり歳の多い男性が、手にした化粧品を見つめながら、連れの中年女性に、
「族印を隠してまで人間の世界で暮らすくらいなら、このまま、ここに残って、竜国と一緒に消滅出来んかなあ……」
と呟き、涙ぐんだ。それは昨日、サナが、人間の世界に移住、などということを言い出した時に、モネが、そんなことを言いだす人がいてもおかしくない、と想像した、そのままの言葉だった。モネが想像していた、もう1つ……モネを悪く言う言葉は、どこからも聞こえて来ない。移住することに決まった以上、モネを差し出せば竜国は救われるはずだったなどと人々に伝える必要性は全く無いため、モネ本人とサナ、昨日モネを捜していた8人以外は誰も知らないからだ。
モネは何だか申し訳ないような気持ちになり、その歳の多い男性のほうへと向き直って口を開こうとした。
と、その時、誰かがモネの二の腕をクイッと掴んだ。
振り返って見ると、
(サナさん……)
サナだった。
サナは、静かに首を横に振って見せる。
そこへ、
「誰か、オレの族印に塗ってくれないか」
カイが、化粧品を顔の横まで持ってきて見せながら、モネのいるほうへ歩いて来、
「貴方がいいな。塗ってくれるか? 」
竜国と一緒に消滅したいと言っていた男性に声を掛けた。
男性は、
「カイ様……」
非常に驚いた様子で2・3歩後退り、地面に平伏した。
カイは、男性のすぐ前まで歩き、しゃがんで、
「塗ってくれるか? 」
繰り返し、顔を上げた男性に、自分の手にしていた化粧品を差し出す。
男性は、暫しカイを見つめてから、恐る恐るといった感じで、カイの化粧品に手を伸ばし、蓋を開け、中身を指に取ると、震える手でカイの額に塗った。
カイは、ありがとう、と軽く礼を言ってから、しっかりと、男性の両目を見つめ、
「貴方のように年齢を重ね、人生経験豊かな方は、これから人間の世界で暮らすにあたり、その存在だけで、歳の若い者に安心感を与える大切な存在だ。一緒に、人間の世界に来て欲しい。……来てくれるな? 」
男性は、涙を溢れさせながら、何度も何度も頷いた。
カイは、ポン、と軽く男性の肩に手を乗せ、立ち上がる。
カイは予定外に、再び演壇へ登ると、族印を隠す実演中のナガから拡声器を借り、
「皆、聞いてくれ」
カイの声に、人々は一瞬で静まり、演壇のほうを向いて姿勢を正す。
カイは一度、首だけを、ゆっくりと動かして、人々を見渡し、
「若い親が小さな子供を守り、子供の笑顔が親の心を癒し、仲の良い親子の姿が見ている者の気持ちを穏やかにし、その温かな視線が、また親に子供を守る力を与えるように、ひとりひとり、誰もがかけがえの無い、大切な存在だ。人間の世界に移住するなどという重大な事柄を、こんなふうに、寸前になって突然発表したことは、申し訳ないと思っている。長年暮らした家に最後の別れを言いたかった者もいるだろう。どうしても手放したくない物を置いてきてしまった者もいるだろう。許してくれとは言わない。だが、そうしたのには理由がある。オレは、1人も失いたくなかったんだ。ヤケを起こして自殺などする者が出るのを防ぎたかった。皆揃って人間の世界へ行きたかったんだ。分かって欲しい」
そこまでで一旦、言葉を切り、カイは、もう一度、人々を見渡してから、
「皆で、人間の世界へ行こう! 竜族の、新しい一歩を踏み出そう! 」
あちらこちらで、息の漏れる音、唾を飲み込む音。
そして、数秒の沈黙の後、人々の間から、割れんばかりの拍手が沸き起こり、カイと竜族を称える大歓声が上がった。
(…カイさん…スゴイ……! )
目に見えない、熱く力強い何かが、自分も含め、その場にいる人々全員を包み込み、ひとつにまとめたのを、モネは感じた。
(スゴイ……! )
感動で、体が震えた。
*
日が完全に没した。
隣に立つサナが空を仰いだのにつられ、モネも、上を見る。
(…リュウシン……)
リュウシンが、上空に姿を現した。
ほとんどの人が、リュウシンの姿を初めて見たのだろう。その場が、どよめく。
直後、視界が大きく揺れた。