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竜の胎教  作者: 獅兜舞桂
3/10

* 3 *


(……? )

 光を感じて目を覚ますと、そこは、見慣れない純和風の部屋だった。状況が掴めないモネ。しかし、

(…ああ、そうだった……)

すぐに思い出す。ここは竜国で、この部屋は自分の部屋だ、と。

 時計は見当たらないが、窓の障子の向こうの明るさ具合で、もう朝だと判断し、モネは起き上がる。

 自分が寝ていた布団を元通り押入れに仕舞おうと、一旦、掛け布団を退け、敷布団を三つ折して持ち上げた。

 と、そこへ、

「モネ様、おはようございます」

寝室には2ヵ所、隣接するそれぞれの部屋とつながる襖の出入口があるが、玄関から見て黒テーブルのある部屋の奥の部屋側の襖の向こうから、コリの声。

 静かに襖が開く。襖に手を掛けて正座したコリと、モネは目が合った。

 途端、

「モネ様! 」

コリが血相を変えて立ち上がり、

「私が、いたしますから! 」

モネに向かって突進して来ると、モネの手から敷布団を奪い取った。

 コリの、その意外な迫力に呆然としてしまうモネ。

 そんなモネに、コリは取り繕うように、ニッコリ笑みを作り、

「間もなく朝食になります。お着替えになって、お待ち下さい」

言ってから、テキパキと布団一式を片付ける。それから、今回もカイ様が、ご一緒されたいとのことですが、と、モネに伺いを立て、OKの返事を持って、離れを出て行った。


                *


 朝食の席で、昨日とは違う黄色いジャージを身に纏ったカイが、モネをジーッと見つめている。しかし、目は合わない。モネの、首から下を見ている。

(……? )

 モネが、何だろう? と思っていると、やがて、カイは口を開いた。

「モネ、それ、昨日と同じ服だよな? 」

  カイの言うとおり、モネが、今、着ているのは、高校の制服のブラウスとスカート。モネも正直、気にはしていた。制服なのだから、通常、ブレザーとスカートは、その学期中、ずっと洗わずに、毎日、同じものを着ている。ブラウスも、まだ暑くないこの季節、汚れてさえいなければ、2日くらいなら続けて着たりもするが、昨日は色々あって、汗をたくさんかき、見た目にも汚れた。他人からは見えないが、その下に着ている下着などは、本来、毎日替えたいものだ。他に持っていないのだから仕方の無いことだが、指摘され、ああ、そんなに見た目に分かるのだ、と、少し恥ずかしくなり、俯くモネ。

 カイ、心の奥を探るようにモネを窺い、

「悪い。気にしたか? 」

それから目を逸らし、子供が言い訳をする時のように、ボソボソと、

「…そんなつもりじゃ、なかったんだ……」


                *


 モネは、城敷地内の、中門、という名称らしい、昨日通った2つの門のうち内側の小さめの門の外で、カイと、待ち合わせた。

 午前中は予定が無いということで、モネの服を買うため、カイが、モネを町へ連れて行ってくれると言うのだ。

 汚れの目立つブラウスのままでは恥ずかしいのではと気を遣い、自分の粗末な物などでよろしければ、と言いながらコリが貸してくれた、コリの私服のブラウスに着替え、中門外側で、朝食後に一旦、母屋へ戻ったカイを待つ。

 少しして、中門の左手側後方の生け垣の陰から、1台の、丸みを帯びた型の白い普通乗用車のような乗物が出て来、モネの前で停まった。

 後部座席のガラス窓が開き、そこから、カイが顔を覗かせ、

「モネ、乗れ」

言ってから、座席を、空いている奥へと詰める。

 運転席に座っていた紺色の作務衣姿の初老の男性運転手が、急いだ様子で降りて来、後部座席のドアを開け、モネに頭を下げた。

 カイが、モネに向かって、もう一度、

「乗れ」

 その言葉に頷き、モネは、運転手が開けて待ってくれているドアをくぐり、カイの隣に乗り込んだ。

 運転手は後部座席のドアを閉め、運転席に戻る。

 カイは、中門のほうをチラチラと、しきりに気にしながら、運転手に、早く車を出すよう言った。

 何を、そんなに急いでいるんだろう? と、モネが思った、その時、中門が開き、怖い顔をしたムタが現れ、モネを睨み据える。

 固まるモネ。

 カイが、もう一度、運転手を急かした。車は急発進。


 モネとカイは、竜国最大とカイの自慢する、城から車で30分ほどの距離にある商店街へ向かっていた。

 その車中、窓から車の外を眺めていて、一度、乗合車両と擦れ違ったきり、1台も他の車を見かけなかったことを疑問に思ったモネの、その疑問そのままの素直な質問に、カイは、竜国の中で自家用車を持っているのは自分だけだ、と、自慢げにでなはく、むしろ、ちょっと恥ずかしそうに話す。自家用車を持っているのは、何だか自分ばかりが贅沢をしているようで嫌なのだ、と。自分的には、移動は乗合車両で充分なのだが、自分が乗合車両に乗ることで、空席が無い時には、他の乗客に席を譲らせてしまったり、自分の乗り降りの際などは、他の乗客だけでなく運転手にまで、いちいち立ち上がって頭を下げさせることになり、色々と迷惑をかけることになるから仕方ないのだが……と。

 カイさんなら、自分だけが自家用車を持ってたら自慢しそうなのに、と、モネは思ったが、すぐに、そういえば、と、気がついた。カイさんが今まで自慢したものは、竜国の人たち皆で分け合えるようなものばかりだった、と。カイの、そんな一面に、モネは感心する。

 と、カイ、

「ところで、モネ。中門まで、どうやって来た? 」

唐突に話を変える。

(どうやって、って……)

 普通に母屋に行って、母屋の玄関から出て歩いて来ましたけど……? モネが、そう言うと、カイは、

「離れから母屋に向かう途中にさ、道が二股に分かれてるところがあるだろ? そこを母屋に通じるほうじゃないほうへ歩いてくと、中門のすぐ手前に……母屋の玄関側から見て右手側の木戸から出てくることになるんだ。オレと出掛ける時は、今度から、その道を使うといい」

言って、最後に、母屋を通ると途中でムタに捕まる確率が高いからさ、と付け加え、イタズラっぽく笑った。


                *


 車は商店街に到着。

 他の人の通行の妨げにならないような場所に車を停めて運転手が降りて来、モネ側の後部座席のドアを開けた。

 カイは、一度、尻を浮かせて、ズボンの後ろポケットからキャップを取り出し、目深に被る。これを被っていれば、周囲の人たちに自分が王族の長・カイだと気づかれずに済む。気づかれれば気を遣わせてしまうことになるから、と言いながら……。

(王族の長って、大変なんだ……)

と、モネは、しみじみ、カイを見つめる。

 キャップを被った自分をバックミラーでさり気なく確認したカイから、降りるよう促され、モネはハッとし、急いで降りた。

 続いてカイが降り、運転手に礼を言って歩き出す。

 モネも同じように運転手に礼を言ってから、カイを追った。


 道路を挟んで両側に、精肉店、鮮魚店、青果店、食堂、生花店、書店、雑貨店など、様々な専門店が軒を連ね、大勢の人々が行き交う中を、

「どうだ、賑やかだろ? 」

などと、自慢げに話しながら暫く歩き、カイは、1軒の店の前で足を止めた。

 そこは、わりと大きな衣料品店。紳士服・婦人服・子供服・下着類・その他小物と、種類ごとにキッチリ売場を分けてある広く明るい店内に入り、カイの後について婦人服売場へ。

 好きなものを選べ、と言われ、モネは、最少限必要な物を思い浮かべる。今、持っている制服や下着なんかを数に入れると、昼間着る普段着は2組、パジャマは洗濯して、もし乾かなくても、昨晩借りた来客用の寝間着を、また借りればいいだろうから、1組。あとは、下着を2組と靴下を2足……それくらいだろうか。

 思い浮かべた頭の中のリストをもとに、まずは、と、今いる婦人服売場で普段着を選ぼうとするモネ。

 と、その時、モネは、モネのすぐ近くの陳列棚のシャツを畳み直している、エプロンを身につけた店員らしい女性の、カイをジッと見る視線に気づいた。

(? )

 そのモネの視線に逆に気づいた店員らしい女性は、モネに会釈し、急いだ様子で立ち去る。

(? ? ? )

首を傾げつつ、モネは再び、普段着選びに戻った。


 少しもしないうちに、店員らしい女性は、同じく店員らしい中年の男性を連れて、小走りで、モネたちのいるほうに向かってやって来、陳列棚の陰に中途半端に隠れて、カイを見ながら、

「あちらです」

小声で言う。

 店員らしい男性は、分かった、と、短く返し、それから1人で陳列棚の陰から出て来、ハンガーに掛けて吊るしてある服を見ているカイに背後から歩み寄って、

「お客様、恐れ入りますが……」

 声を掛けられて、振り返るカイ。

 男性、

「私は、この店の店主で、シムと申す者です。失礼ですが、お客様は、王族の長・カイ様でよろしいでしょうか? 」

 質問に対し、カイが、そうだが、と答えると、店主であると名乗った男性は深々と頭を下げ、

「わざわざ足をお運びいただき恐縮です。ご所望の品をおっしゃっていただければ、お届けに参りましたものを」

 カイ、紳士的な笑みを作り、

「出掛ける前に、うちのムタにも同じことを言われたよ。でも、コイツに」

言って、チラッとモネに視線を流す。

 つられてモネを見る店主。

 続けてカイ、

「町を見せてやりたくてな。若いから、賑やかな場所が好きだろうと思ってさ」

 店主は、然様でございましたか、と、相槌を打ち、

「では、もしかして、こちらが噂の、人間の世界からいらした姫様で……」

 カイは、

「ああ、モネという。よろしく頼む」

と返してから、ハタと気づいたように、

「…って、噂になってるのか? 」

ちょっと驚いた様子。

 店主は慌てたように、

「あ、特に悪い噂ではございません。私の知り合いに、昨日、モネ様を見かけた者がおりまして、お可愛らしい姫様だと……。そして、つい先程、ナガ様がお買物にいらした際に、少し詳しく話して聞かせて下さいました」

 カイは、そうか、と納得。

 店主は、ホッと小さく息を吐き、

「ところで、どのような物を お探しで? 」

 カイが、モネが普段着や下着類の着替えを持っていないため買いに来たのだと説明すると、店主は、そういうことでしたら、と、さっきモネの近くの陳列棚でシャツを畳み直していた、今は棚の陰からこちらを窺っている、やはり店員だった女性を呼んだ。


 女性店員のアドバイスを受けながら、モネは、ジーンズ1本と膝丈のタイトスカート1着、カットソー2枚に、薄手のカーディガン1着、パジャマ1組、つけ心地の良さそうな素材の下着2組、靴下2足を選んだ。

 カイが会計を済ませてくれるのを待ち、モネは、カイの後について店を出た。

 店の外まで見送りに出てきてくれた店主と女性店員の、ありがとうございました、の言葉に、カイ、

「気を遣わせて、すまなかったな」

 店主は大急ぎで、

「とんでもございません」

もう一度、ありがとうございました、と、深々と頭を下げる。

 モネは、そんなカイと店主のやりとりを見ていて、周りの人たちも大変だけど、王族の長って、カイさんって、本当に大変なんだな、と思った。


                *


 まだ見送り続ける店主と女性店員の視線を背に、車を停めたのとは反対方向に歩き出すカイ。ひたすら、ついて行くモネ。

 豆腐屋の前に、行列ができていた。

 カイが、

「今、若者の間で流行の、デンガク、とかいう、歩きながら食べる食べ物だ」

手短に説明をすると、買ってきてやるから待っていろ、と言い置いて、行列の最後尾に並んだ。


 何の気なく辺りを眺めながらモネがカイを待っていると、豆腐屋と隣の乾物屋の狭い隙間から、見覚えのある白衣姿の男性が出てきた。サナだ。

(サナさん! )

会えると思わなかった、と、驚き、偶然を喜びながら、

「サナさんっ 」

モネは人波を縫い、サナに駆け寄る。

「モネ……」

サナも、少し驚いた様子で、

「どうして ここに? 」

 モネは、カイさんと買物に来たんです、と答え、サナさんは? と聞き返す。

 「僕は往診だよ。豆腐屋の御隠居が体調を崩されてね、かなりのご高齢だから、一人で養生所まで来れないし、息子さんたちも、お店が忙しそうで、付き添うのが大変そうだったから、僕のほうから来たんだ」

 サナは、そこまでで一旦、言葉を切り、辺りをキョロキョロ見回してから、

「それで、カイ様は? 」

 モネが、デンガクを買うために並んでくれてます、と答えると、サナ、カイ様が? と、驚いた表情を見せてから、モネの元いた方向を見、

「とにかく、ちゃんと、元いた場所に立ってなきゃ。買って戻って来た時にモネがいないと、カイ様が心配するよ? 」

 確かにそうだ、と、モネは反省した。元の場所から今いる場所は数メートルしか離れていないが、人通りが多く、見えにくい。

 サナの言葉に頷き、元の場所に目をやるモネ。

 行き交う人々の隙間に、既に元の場所に戻ってきて右を向き左を向き後ろを向き、モネを捜しているらしいカイの姿が見えた。

 カイが、あっちを見そっちを見、の流れで、こっち、モネのいる方向を見たところで、モネと目が合った。

 モネの隣で、サナがカイに向かって頭を下げる。

 じっと、モネとサナのほうを見ているカイ。

 サナは頭を上げ、

「ほら、戻って」

そっと、モネの背を押した。

(今度、いつ会えるの……? )

別れを惜しんで何度も何度もサナを振り返りながら、モネは、カイのところへ戻った。


 カイが買ってきてくれたデンガクというのは、味噌が塗られた串刺しの豆腐。

 流行に倣い、歩きながら食べるモネとカイ。

 歩を進めるにつれ、次第に、騒がしい音が聞こえてくる。

 その騒がしい音の出どころは、見渡せる範囲内でもっとも大きく最も派手な建物と、その建物の隣の、それより少しだけ小さめの建物だった。

 大きいほうの建物入口前で足を止め、カイ、

「モネは、今、歳はいくつだ? 」

唐突に聞いた。

 モネは、ワケが分からないまま、

「? 16歳、ですけど……? 」

 それを聞き、カイは、ちょっと難しい顔になり、うーん、と唸って、

「微妙だな……」

 モネは、

(? )

 その無言の問いに答えて、カイ、

「ここは、遊技場って言って、大人が健全に賭け事を楽しむための娯楽施設なんだ」

途中から独り言のように、

「楽しいところだから連れてってやれば喜ぶかと思ったけど、酒も飲めないくらいだし、モネは、まだ、子供の部類に入るのかな……」

ブツブツ。本当に真剣に頭を悩ませているのが伝わってくる。

(そんなに、悩まなくてもいいのに……)

 モネは、少し距離を置いた場所からのようにカイを眺めながら思った。別に、賭け事なんてしたくない。せっかく連れてってもらっても、多分、カイさんが期待してるほどには喜べない。勝ったとか負けたとか、はっきり言って、どうでもいい。勝敗なんかで夢中になれそうにない、と。

 悩み続けるカイを、モネが眺めること数分、カイは、ようやく結論を出したようで、モネを見、親指で隣の建物を指しながら、

「隣は、子供向けの娯楽施設になってるんだが、寄ってくか? 」

言って、そちらへと歩く。

 ついて行ったモネが、入口のガラスのドアを覗くと、そこは、普通のゲームセンター。こちらも、モネは、あまり興味が無い。

 それを感じ取ったのか、カイ、

「だったら、あっちに行ってみるか? 」

これまで歩いて来た、そのままの進行方向を指差し、

「見せたいものがあるんだ」


                *


 商店街を歩いて抜けると、同じくらいの幅の別の道とぶつかった。

 その別の道の向こうに、1階建ての横に長い建物と、建物の左右から、どこまで続いているのかが確認できない遠くまで伸びている生け垣。生け垣の、ほんの少し奥の空中に、2条に張られた太めの電線のようなものが、生け垣とワンセットのように、左右に、どこまでも続いている。

 カイの後ろについて、ぶつかった別道を渡り、建物の左側の生け垣の、すぐの所まで行って見ると、生け垣の向こうには線路があった。生け垣と平行に並び、同じく確認出来ない遠くまで伸びている。

 その時、遠くから、ガタターン、ゴトトーン、ガタターン ゴトトーン、と、音。

 音は次第に近づいてくる。

 やがて、音と共に、右手側から深緑色の電車がやって来、その先頭を建物の左端に合わせて停まった。

 建物は駅のようだ。電車が停まって少しすると、電車に乗っていた人たちだろう、建物から、大勢の人と、その中の一部の人の押す台車に載せられた荷物が、いっぺんに出てきた。

 それから、また少しして、電車は左手方向へと出発。

 モネとカイの目の前を通り過ぎて行った電車は3両編成で、最後部車両には窓が無く、代わりに、他の車両のものと比べて、かなり大きめのドアが2つついていた。電車の屋根には2本のポールが平行する形で取り付けられており、空中の電線のようなものに接している。

 モネの隣で、カイが電車を満足げに見送ってから、

「今、通過して行った乗物は、鉄道車両てつどうしゃりょう、って言うんだ。名前の由来は、見てみろ」

言って、生け垣の向こうの線路を指差し、

「この鉄の軌条、つまり鉄の道、略して鉄道。その上を走るから、鉄道車両。動力は乗合車両と同じで電気だけど、車体が大きい分、それだけ大きな電力が必要で、充電では間に合わずに、屋根の上の集電装置で上の架線から電気を取り入れながら走ってるんだ。決まった場所しか走れないが、一度に多くの人や物を運べるという利点がある、竜国の交通の要だ」

途中からは、モネのほうも見ずに陶酔気味に語った。そして、話が一段落ついたところでモネを見、自慢げに、

「どうだ、素晴らしいと思わないか? 人間の世界では考えられないだろう? 」

(……)

 モネは、あいまいに笑って、その場を過ごした。人間の世界にも、似たような物……むしろ、もっと高度な技術で作られた物がある。だが、それをカイに言ったところで何の意味も無いし、カイを傷つけることになるかもしれないと思ったからだ。


 カイは、もう1本、今度は左手側からの鉄道車両を見送ってから、

「よし、帰るか」

言って、来た道を引き返す。

 モネもカイに続き、車の所まで戻った。

 車の運転席では、運転手が本を読んでいた。

 その様子が車の外から分かるくらいまでモネとカイが近づくと、運転手は2人の存在に気づいたらしく、慌てて本を助手席の上に置き、車を降りて、後部座席のドアを開け、頭を下げた。


                *


 モネとカイが城へ戻ると、中門の前でムタが腕組みをし、待ち構えていた。

 中門前に車が横付けになるのを待ってムタは腕組みを解き、後部座席のドアを開け、座っていた位置的に先に降りるカイに向かって、

「お帰りなさいませ」

丁寧に頭を下げた。そして、カイが車から降りきるのを待ち、

「カイ様、本日お聴きになられる予定の講演の会場への道が工事中とのことで、迂回しなくてはならなくなりましたので、お急ぎ下さい」

カイを中門の中へと急き立てながら、まだ車から降りる途中だったモネをキロッと振り返る。

 その視線の冷たいこと。

 モネは一瞬凍りついてしまいながらカイとムタを見送った。

 運転手が、取り残されたモネに気を遣ってか、急いだ様子で車から降りて来、後部座席のドアに軽く両手を添えて頭を下げた。

 モネは運転手に礼を言いながら車を降りて中門を入り、中門を入ってすぐ左側の、行きの車の中でカイから教えてもらったばかりの、庭園に入れる木戸を開けた。


              *


 モネが、離れまで数メートルのところまで戻って来た時、離れのほうから、何やら楽しげな複数の男性の笑い声が聞こえてきた。

(……誰? )

首を傾げつつ、離れの門をくぐるモネ。

 と、広縁の手前の地面の上、ドッカとあぐらをかき、おにぎりをほおばっている、昨日と同じ作業着姿のシイと、同じく地面にあぐらで、おにぎりをほおばる、シイと同じような作業着上下姿の20歳前後くらいの男性3人。シイの隣に、小さな子供を背負った30代前半と思われる女性が、しゃがんでいる。

 シイが、自分の手に持っているおにぎりを指でつまんで小さくちぎり、女性の背の子供の口元へと持っていった。

 子供が、条件反射のような感じで、ポカン、と口を開ける。

 シイは、フッと笑みを漏らしながら、その口に、ちぎったおにぎりを軽く押し込んだ。

 モネは驚いた。子供に向けられた、シイの表情。とろけそうな、とでも言おうか……、その子供のことが可愛くてたまらないのだと、言われなくても分かる顔。この上なく、優しい顔。

 モネは、

(こんな顔も、するんだ……)

あまりの驚きから、門をくぐった地点で立ち尽くしてしまう。

 子供が自分の口もとを指さしながら、自分を背負っている女性を無理な体勢で覗き込んで、

「とーしゃん、とーしゃん」

 女性も、首から上だけで無理に子供を振り返り、優しく穏やかな声で、

「そう、お父さんがくれたの。よかったね」

言ってから、顔を元の方向へ。

 その時、立ち尽くしていたモネは、女性と目が合う。

 女性がモネのほうを見たことでか、やっと、シイもモネの存在に気づき、

「おう」

ドッカリと地面に落ち着いたまま、声を掛けてきた。

 モネは会釈で返す。

 女性はシイに視線を送り、無言の問い。

 返してシイ、

「この離れの主のワガママ姫だよ」

 シイさんは、昨日のハンカチの一件の自分の発言から、まだ、こんなことを言うのか、と、モネは思った。言われた本人でもないのに、ちょっと、しつこい。自分が悪いのは事実だから仕方ないのかもしれないけど、ちょっと、いい加減にしてほしい、と。

 そんなモネの前で、女性は、シイの言葉に小声で、ちょっと! と言いながらシイを軽く肘で突き、急いだ様子で立ち上がると、モネに向かって深々と頭を下げ、

「私はシイの妻で、ナオと申します。シイがお世話になっております」

 シイ以外の男性3人も正座に座り直し、地面に額をつけるようにして頭を下げた。

 そこへ、

「ナオ、座れ」

シイが低く静かに、妻・ナオに言い、それから3人の男性にも、

「お前らもだ。こんなのに頭を下げる必要なんか無い」

 シイの静かな迫力に圧されるように、ナオは腰を下ろし、3人の男性も顔を上げた。

 代わってシイが立ち上がり、モネに向ってゆっくりと歩いてくる。その目は、まっすぐにモネを見据えて……。

(…何……? )

モネは、思わず半歩分ほど後退った。昨日、サナの養生所で、シイに宙吊りにされたり襟ぐりを掴まれたりした恐怖が、よみがえっていた。

 シイは、30センチの距離まで近づいてモネを見下ろし、

「お前、いくら王族だからって、ワガママが過ぎるだろ」

 モネは、シイの話が全く掴めない。ただ、怖い。どうやら、昨日のハンカチの一件のことではなさそうだ。何故なら、あの時は、まだ、モネ自身もサナもシイも、モネを人間だと思っていた。王族だから、とか関係ない。

 シイは話を続ける。

「今日中に離れに風呂をつけろなんてさ……。確かに、風呂の取り付けは1日あれば何とか出来るけど、そのせいで、サナの養生所の改築が遅れるよ。……まったく、風呂なら母屋にあるだろ? それで充分じゃねーのか? 」

(何の話? )

モネは、やはり話が掴めない。ただ、本当に、怖くて、怖くて……。

 怯えるだけのモネに、シイは、イラついた様子で、

「昨日の夜、ムタを通して発注してきただろ? 離れに専用の風呂が必要だから明日中に取り付けてくれって」

(知らない、けど……)

モネは首を横に振る。

 シイは、少し驚いたように、

「お前じゃないのか? 」

 モネ、頷く。

 シイ、もう一度、

「本当に? 」

 モネ、もう一度頷く。離れに専用の風呂が必要などと、モネは思っていない。母屋の風呂は広すぎて少し寂しいが、別に嫌ではない。

 シイは、フッと目の力を緩めた。

「そう、か……。悪かったな。オレの思い込みだったみたいだ」

 モネは恐怖から解放され、ホッ。

 シイは、ちょっと申し訳なさげな顔になり、

「オレの中で、お前って、生意気でワガママな印象だからさ、つい、他人と一緒の湯を使いたくないとか、母屋まで行くのが面倒くさいとかの理由での、お前自身の発注だって思い込んじまったんだ。本当、悪かった」

(生意気でワガママって……)

それで謝ってるつもりなのだろうか、と、モネは思ったが、まあいいや、と、軽く首を横に振って見せた。

 シイは腕組みをし、考え深げに、

「じゃあ、カイ様か、ムタからの発注ってことか……」

言ってから腕組みを解き、

「ま、どっちでもいーけどな。……とにかく、悪かったよ」

考えることを放棄。

 モネは、

(多分、ムタさんだよね……)

 ムタがモネを嫌いなのかどうかは分からないが、モネが母屋に部屋を持つことを反対したこと、カイに、モネと食事を共にすることを反対したこと、ついさっき町に行った時にも、反対するムタからカイが逃げてきたといった様子だったことから、ムタが、モネをカイに近づけたくないと思っているとは、自信を持って言える。だから、ムタが、出来るだけモネの母屋に来る回数を減らすべく、離れに風呂を作ろうと考えたのだろう、と。

 そこへ、

「モネ様」

背後の門のほうから、コリの声。

 モネ、振り返る。

 コリ、

「お帰りでしたか。お出迎えも出来ず、申し訳ございませんでした。すぐ、昼食を用意するよう言ってまいります」

言って、たった今くぐって来たばかりのはずの門を再びくぐり、庭園へ出て行った。


 カイは忙しいらしく、昼食に同席しなかった。

 1人での食事は、竜国に来て以来初めてのこと。

 モネは、少し物足りなさを感じながら、食事を済ませた。


                *


 昼食後から、モネも、予告無しに急に忙しくなった。


 まだモネが食後の茶をすすっているところへ、玄関から、

「ごめん下さい」

との声。

 コリに迎え入れられ、茶をすすっているモネの前に現れたのは、3原色プラス黒・金・銀の派手な色の衣装を身に纏った5人の男女。見た目にハッキリ年齢の多いほうから3人が、それぞれ、タイコのようなもの、タテブエのようなもの、ギターのようなものを持っている。

 モネの目の前に並んだ彼らを、コリが、

竜国舞踊団りゅうこくぶようだんの方々です」

紹介した。

「モネ様に、竜国舞踊を習得していただくために、お越しいただきました」

 モネは、

(ブヨウ? って、舞踊? …私が、踊るの……? )

 嫌だな、と思った。

 モネはダンスが苦手だ。何だか、恥ずかしくて……。これまでも、幼稚園のおゆうぎと小学校の運動会でのフォークダンス、中学の体育の授業内のものくらいしか、ダンス経験は無い。

 しかし、コリから、竜国舞踊とは竜国の伝統的な踊りであり、祭りの場や宴の席では必ず踊られるもので、原則、その場にいる全員が参加。29日後のモネのお披露目の宴でも、やはり踊ることになっており、当然、モネも踊らなければならないのだ、と聞かされ、仕方ないか……、と、諦めた。

 食事をしていた部屋と、その奥の部屋の間の襖を全て取り去り、黒テーブルを隣の部屋に運んで作った広いスペースで、まずは手本と、年の多い3人の演奏で、若い男女2人が、ペアで踊って見せてくれた。

 テンポの速い明るい曲に合わせ、クルクルクルクル回ってばかり、といった感じの踊り。見ているだけで目が回りそうだが、それほど難しい感じではない。

 手本を見終え、早速、モネは、コリを相手役に、舞踊団の若い2人が踊るのを横目で見ながら踊った。

 コリも舞踊団の人も、モネの踊りを褒めてくれた。

 やはり恥ずかしいが、何となく、楽しくも感じた。


 舞踊団の人たちは2時間ほどで帰り、入れ代わりに、作法の先生だという、和服をキリリと着こなした初老の女性がやって来て、今日のところは、とりあえず、と、美しい所作の大切さについて説き、余談として、王族独特のマナーの話を聞かせてくれた。

 王族独特のマナーについて聞いていて、モネは、自分が今朝、コリに対して申し訳ないことをしたと気づいた。

 王族独特のマナーで、身近に必ずいる身の回りの世話をしてくれる人の仕事を奪ってはならない、というものがあった。つまり、今朝のように、自分で出来るからといって、布団を片付けたりしてはならないということ。王族にそのようなマナーがあるように、きっと、身の回りの世話をしてくれる側の人たちには、王族に布団を片付けさせたりしてはいけない、というようなルールがあるに違いない。だから今朝、コリは、すごい迫力で、モネから布団を奪い取ったのだ。

 全然知らなくて、悪いことをしてしまった、と、反省した。

(勉強、しなくちゃ……)

 竜国は、まだ丸1日ほどだが実際に暮らしてみて、人間の世界と大して違わないと感じていたが、その、少しの違いの中の大切なことや、竜族なら知っていて当然のことを、ちゃんと知って、自分も傷つかず他人も傷つけないよう、無難に過ごしていけるようになりたいと思った。竜国で生まれ育った人にとっては当たり前で、だからこそ大切なこと……常識。大体、それほど大切なことかどうかは分からないが、モネは、自分が何者なのかすら、よく分かっていない。竜族の、能力別に分けられて何種かある種族のうち、自分は、王族、という種族で、現在、王族は自分とカイしかいない、ということくらいしか分からない。王族なんて、何だかエラそうな名称だし、周りの人たちも、エラい人を扱うように扱ってくれるが、実際には、どの程度のミブンなのか、とか、自分も、サナやシイやムタや、昨日、養生所で会った人々のように、何かを操る力を持っているのか、とか……。

「私、なんにも知らない……」

モネが、そう呟くと、作法の先生は、

「これから、ゆっくりと学ばれていかれたらよろしいかと存じます」

言って、上品に笑み、モネが何者であるかについては、ちょっと付け足して、といった感じで教えてくれた。

「王族の長であらせられるカイ様は、竜国の実権を握られているお方です。モネ様は、それに次ぐ地位にあられ、他の種族の長であられるムタ様、ナガ様、サナ先生、シイ様と、制度上同列、慣例上、少し上のお立場にあられます。能力としては、基本的に私共、他の種族がお護りいたしますので必要ございませんが、防御面に長けていらっしゃるはずです。転ばれたりなされば、お怪我もされますが、他の種族の能力によって傷を負われることはございません。他の種族の能力によって傷つくことが無い……つまり、最も強い種族。それが、王族の王族たる所以なのでございます」


 作法の先生が帰ると、次にやって来たのは、牛乳瓶の底のような厚いレンズのメガネをかけた、白髪の、かなりの年齢と思われる男性。

 彼は学問所の所長で、モネの学力調査のため、学問所の卒業試験問題を持って、モネを訪ねたとのことだった。

 早速渡された問題用紙に視線を落としたモネは、

(? ? ? ? ? ・・・・・)

溜息。

(分かんないよ、こんなの……)


               *


 夕食の席で、カイは、まず最初に小さな碗の酒を飲み干してから、

「さっき、出先から戻った時、中門のところで学問所の所長に会ってな……」

 所長は、モネの学力調査の惨たんたる結果を、カイに伝えたそうだ。

 惨たんたる結果、と言っても、全部が全部出来なかったわけではない。文字の読み書きや計算などの分野は、竜国で使用されている言語が日本語で、計算のルール(? )も人間の世界と同じ、しかも、レベル的には小学校卒業程度なため、高校生のモネは、当然、パーフェクトだった。出来なかったのは、竜族の歴史や竜国の地理分野、それから、生物や天文に関する分野……チンプンカンプンで、白紙のまま出した。

(だって、竜族についての歴史年表の虫食い問題とか、火族かぞくが炎を放出する仕組みを答えよ、とか、分かるわけないんだけど……)

 しかし、学問所は義務教育。つまり、学問所の卒業試験問題は、常識問題。作法の先生が来た時に勉強の必要を感じた事柄に通じるものがある。

(やっぱ、勉強しなくちゃなあ……)

勉強しなければならないコトの多さに溜息を吐き、

(常識を、ちゃんと身につけて無難に過ごせる日がくるのは、いつだろう……)

箸がすすまないモネ。

 そんなモネに、カイ、

「気にする必要は無い。竜国で育ったわけじゃないから、その分野は出来なくて当然だ。これから、少しずつでも勉強していけばいい」


               *


 夕食を終え、カイは母屋に戻り、モネは、シイが取り付けてくれたばかりの離れの風呂に入った。

 風呂は、やはりムタの発注だったらしく、カイは昨日と同じようにモネを母屋の風呂へと誘い、断られるまで、その存在すら知らなかった。

 風呂のことを知って、カイは、

「そうか。…まあ、そのほうが、モネも自分の好きなタイミングで気兼ねなく入れて、いいかもな……」

少し、寂しそうだった。

 板張りの脱衣所と木製の浴槽がある風呂場の、2間からなる新しい風呂は、離れと外観のイメージがシックリくる、離れ裏手に造られた独立した建物。家族の風呂といった感じの広さが落ち着く。

 湯にゆっくりと浸かりながら、モネは、この風呂を造るためにサナの養生所の改築が遅れる、というシイの言葉を思い出し、自分が頼んだわけではないが、申し訳なく思った。


               *


 風呂から上がると、モネは、昨日と同じく早々に布団に入った。

 何だか今日は疲れたと、自覚があった。横になると、気持ちいい。

 深く息を吐くと同時、急速に、体の中身が、敷布団に吸い込まれていく。

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