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3話 私、初知りです。

 愛梨沙が初めて魔法を使った日、エレインはルンルン顔で部屋から出て行った。そのしばらく後、アンジェリカの驚きの声が、愛梨沙の部屋まで届いてきた。


 母さんがアンジェリカに言ったのかな。それにしても凄い驚きようね。ここまで聞こえてくるなんて。確か、アンジェリカの部屋って、私の部屋の反対側よね。それも階を挟んで。


 その日の食事のとき、何故だかアンジェリカは怯えた様子で部屋に入ってきた。そして、アンジェリカは愛梨沙の頭に乗るハルトの姿を見るなり、小さく悲鳴を上げた。

「私の精霊です。」

正直、愛梨沙はアンジェリカの怯えように呆れていた。


 何か魔法関係のトラウマでもあるのかな。まあ、魔法がある世界である以上、そういう人は少なからずいそうだけど。


 アンジェリカは精霊と聞いてビクッとした。そして、その後、自らを落ち着かせるように、深呼吸をした。

「そ、そうなんですか……」

アンジェリカは言った。


 アンジェリカはそれ以上言及しなかった。そして、愛梨沙が食べ終わると、黙って部屋から出て行くのだった。


 その夜、愛梨沙が寝ようとすると、ハルトが頭に乗りっぱなしだった。どうやら、愛梨沙の頭がお気に入りのようだった。

「ねえ、ハルト。良い加減、頭から下りたらどうなの?」

愛梨沙は呆れ気味に言った。


 ハルトは愛梨沙の頭の上を1周回ると、頬を伝って下りてきた。

「ひゃっ。」

愛梨沙の頬を冷たい感触が通り過ぎた。

「ああ、ごめん。俺のこと、苦手だったんだよな。」

ハルトは申し訳無さそうに言った。

「あ、いや、別にそこまで嫌いなわけじゃないけど……」

下手したてに出られると、弱い愛梨沙であった。


 ハルトは布団の上に丸まった。

「邪魔なら消せば良い。私を維持するためにもそれなりのマナを消費するのだからな。」

ハルトは言った。


 あら。こう丸まってると、何だか可愛いわね。愛梨沙はハルトを突っついた。

「ん?何だ?」

「んーん、何でも無い。可愛いなって。」

「可愛いか……まあ、好きにすれば良い。それより、消さなくて良いのか?」

「ああ、そうね。でも、どうやるの?」


 愛梨沙は、またハルトを突っついた。ハルトはピクリとするのだが、特にそれ以上の反応はしなかった。

「私に消えろと言えばそれで良い。」

「なら、勝手に消えてよ。」

「まあな。それでも良いのだがな。」


 精霊って、随分と官僚的だね。それとも、ハルトがそういう正確なのかな。母さん、そこまで驚いて無かったし、魔法士なのかな?じゃなくても、多分、魔法使いだよね。それなら、今度、母さんの精霊見せてもらおうっと。


 愛梨沙は、そういう面倒なことも魔法使いである以上、仕方の無いことかと思い、諦めることにした。

「まあ、良いか。じゃあ、呼び出すときはどうすれば良いの?」

「それも呼ばれれば出るさ。」


 諦めたはずだった。だが、あまりの効率の悪さに、つい、イラッときてしまった。

「じゃあ、消えて。」

「うむ。」


 ハルトはすうっと消えた。

「今日はいろいろ合ったなぁ。とりあえず、寝ようか。」

愛梨沙は布団を上げると、ベッドに寝っ転がった。




 翌朝、愛梨沙が起きると、目の前に猫がいた。腹は白くて、背は灰色と黒の縞模様――いわゆるサバ白というやつである。

「お早う。」

猫は言った。

「う、うん、お早う。」

愛梨沙は戸惑いながらも言った。


 え?何この猫。うん、ハルトの感じからして、多分、この猫も精霊。じゃあ、誰の?本当に母さんの?


 そんなことより、この猫、可愛いんですけど!!ねえ、触って良いの?触るよ。


 愛梨沙はサバ白のほっぺたを突っついた。

「もう、何するんだよ~。」

と、言うサバ白であった。しかし、声は相当甘えた声であった。


 どうしよっかな~もう少し触ろうかな。だって、この猫、超気持ち良い!大人しいし、可愛いし。


 愛梨沙がサバ白を抱こうと腕を伸ばしたその瞬間だった。


 ガチャンとドアが開く音がした。


 見ると、エレインが入ってくるところだった。

「お早う、シーナ。」

「お早うございます。」

愛梨沙は慌てて、腕を引っ込めた。


 サバ白は

「あ、来たね。」

と言ったかと思うや否や、愛梨沙の頭を踏み台にして、エレインに向かってジャンプした。

「ええ、エディもお早う。」

エレインはそう言いながら、サバ白をキャッチする。そして、愛梨沙の方へ歩いた。


 エレインの腕にサバ白(エディ)はちょこんと収まっていた。

「この子はエディ、私の精霊よ。この柄は珍しんだけど、あなたには負けたわ。」

エレインは笑った。

「まあ、私も彼女でなければ出なかったさ。」

愛梨沙の頭上で突然声がした。


 あ、勝手に出てきたな。と、思う愛梨沙であった。

「でも、爬虫類は苦手です。」

勝手に出てきたハルトにちょっとムカついて、愛梨沙は意地悪を言ってみた。

「あら、そんなこと言うと精霊が可哀相よ。一生のものなんだから。」

エレインは微笑んだ。


 一生のもの!?じゃあ、精霊って変わらないの!?

「え!?そうなんですか!?」

「ええ、そうよ。ハルト……よね?こんな子だけど、よろしく頼むわね。」

「ああ、分かっている。」

ハルトは言った。


 その後、愛梨沙はエレインに言われて、食堂へ向かった。父親フィリップが戻って来るまでにテーブルマナーとまではいかなくとも、綺麗に食べれるようにしましょう、ということだった。


 エレインに付いて行き、食堂に着いた。子爵とはいえども、さすがは貴族。食堂だけで10畳はあろうという大きさだ。


 愛梨沙はエレインの隣に座った。ハルトは相変わらず、お気に入りのポジション――愛梨沙の頭に乗っかっている。

「それにしても、ハルトはそこが好きね。」

「温かいのだ。別に、背中にくっついても構わないが?」

「頭にしてくれる?」

「そう来ると思っていたよ。」


 ハルトは愛梨沙の頭の上で丸まった。ハルトとの付き合いは数時間だが、愛梨沙は既に、ハルトが頭上でどういう体制をとっているかが分かるようになっていた。


 食事はエレインに注意されるようなところは殆ど無かった。当たり前だ。エレインがいうことは愛梨沙が愛梨沙であった時からずっとしていることなのだ。「音を立ててすすらない。」だとか、「食器で音を立てない。」だとかだ。


 シーナとしては生まれて2年。だが、愛梨沙としては既に生まれてから19年、むしろ知らな方が可怪しい。そんなものは常識であった。


 ただ、エレインはそんなことを知る由もなく、終始褒めちぎっていた。始めは、そんなことで褒められても、と思う愛梨沙であったが、終わりの方になってくると、これも悪くないかもしれないと思うのであった。


 食事が終わると、愛梨沙は自室に戻った。こんな子供に自室を与えて良いのか?という疑問はあった。しかし、これといって自らに害があるわけでもない。だから、そこまで気にしていなかった。


 結局の所、異世界に来ても人は人、やれることもやれないことも大体同じだ。だから、不思議に思うことはあっても、それが害になることはまず無いだろう。というのが、愛梨沙の持論であった。




 愛梨沙は部屋に戻って、魔法の勉強を始めた。とはいっても、毎度の本――魔法士入門を読むだけだ。ついつい、早く魔法が使いたくて、愛梨沙は法規を読み飛ばしていた。


 椅子に飛び乗ると、本を開いた。愛梨沙の世界的に言うならば、A5と表現される大きさに近いその本は、愛梨沙と比べると相当アンバランスである。2歳の女児――愛梨沙――は異様に小さく見えた。


 15分程経った。愛梨沙の頭上で声がした。案の定、ハルトのものであった。

「熱心だな。」


 愛梨沙はぐうっと伸びをした。

「ええ、折角の魔法だもん。早く魔法士になりたいわね。」

「そうか、なれると良いな。」

ハルトは言った。


 ただ、法規は30分も読んでいると飽きてしまった。根っからの元理系女子(りけじょ)にとって、法規は中々手ごわかった。丸暗記というものはどうも苦手だった。


 結局、愛梨沙の集中力は開始40分を持たずに切れた。


 愛梨沙は椅子から飛び降りるように立ち上がると、本棚の前に立った。


 何か面白そうな物はないかな。


 そんなことを思って見ていると、1冊の本が目に入った。『空、第二の航路』とタイトル付けされたその本は厚さこそ薄いものの、1ページ1ページは絵本のように大きい本であった。


 表紙を見たん瞬間、愛梨沙は

「えっ……」

と言った。


 そこには、飛行船らしき乗り物が描かれていた。


 ハルトは愛梨沙の上で、不思議そうに首を捻った。

「どうかしたのか?」

「飛行船……あるんだ。」


 愛梨沙はすぐに本の裏を見た。発行年月日を確認したかった。


 建国記484年――発行は3年前だった。


 まだ、新しい。それに、この書き方。絶対、飛行船が最新鋭なんだ。じゃあ、機関車はあるの?車は?


 愛梨沙は本棚を見回した。しかし、それらしき物――飛行船・機関車・車に関する本――は何処にも無かった。


 ハルトは愛梨沙の頭から本を覗きこんだ。

「何だそれは?」

「こういうのよ。」

百聞は一見に如かず。説明はせずに、愛梨沙は本を開いて見せた。


 絵本のような見た目のくせに、その本は明らかに、子供には苦痛になりそうな内容であった。1ページ目から、1枚の絵に大量の線を引いて、ここがこうで、あそこがああで、と説明がびっしりだった。


 ハルトはいつの間にか、愛梨沙の膝に降りてきていた。


 本当に飛行船だ……入れるのは水素ガスなんだ。多分、ハイドニーって水素だよね。爆発するかもしれないってなってるし。


 ハルトが本のページを尻尾で捲った。


 今度は飛行船の機関部であった。


 機関部は愛梨沙の想像を絶する物であった。蒸気機関でも、電気モーターでも、レシプロエンジンでも、ターボファンエンジンでも、無かった。

「魔導機関……」

愛梨沙はファンタジーチックなその名前を口ずさんだ。


 構造は理解できなかった。ただ、基本構造は蒸気機関のように思えた。だが、蒸気機関よりも圧倒的に複雑で、巨大な電子回路の回路図を見ているような気分になった。


 次のページを開いた。そのページは殆どが文章だった。


 愛梨沙は、そのページに、指をしおりわりに挟んで、次のページ、次のページと捲った。パラパラと紙をめくる音だけが部屋にしていた。


 どうやら、そのページ以降は文章のようだった。その文章は、到底、説明しようとい意志が伺えない。それはそれは、熱っぽい感情的な文章であった。しかし、その文章からは、飛行船が如何に重大な発明であるかが、ひしひしと伝わってくるのだった。


 愛梨沙はふうっと溜息をいた。そして、読み終わったその本を本棚に戻した。部屋に掛けられた時計を見た。1時間近く経っていた。


 ハルトが愛梨沙の肩に上ってきた。

「空を飛べるのか。」

ハルトは独り言のように言うと、窓に目をやった。

「うん、そうだね。空……か。」

愛梨沙もつられるように窓の外を見ようとした。


 窓越しに見えたのは部屋の天井だった。窓ガラスには部屋の天井が鏡のように映っていた。

「ハルト……何も見えてないよね?」

「ああ、部屋の天井が見えるな。」

どうやら、ハルトが見ている景色は、愛梨沙と同じようだった。


 ああ、もう!私の気持ち返してよ!まあ、恋したわけじゃないけどね。でも、ちょっと、感傷的な気持ちになっちゃったじゃん。


 自分が恥かしくなった。更に、それをハルトに見られてるのがもっと恥ずかしくなって、愛梨沙は言った。

「今日はもう寝る!ハルト、消えて良いよ。」

「ああ。」

そう言った途端、ハルトはすうっと消えた。

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