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2話 私、爬虫類は苦手です。

 愛梨沙はエレインの膝に座って本を読んでいた。文字が殆ど日本語だったせいもあり、本を読み聞かせてもらうようになってから、数ヶ月で文字が読めるようになっていた。結果、2歳児が母親の膝の上で本を読むという謎の光景が完成したのである。


 愛梨沙の読んでいる本はいわゆる魔道書というやつだ。タイトルは『魔法士入門』となっていた。

「ねえ、シーナ、何で私の膝の上で読むの?」

エレインは聞いた。

「母さんが私を膝の上に乗せるんですよね?」

愛梨沙は質問に質問をぶつけた。だが、もっともな意見であった。愛梨沙を膝の上に座らせたのはエレイン自身なのだから。


 愛梨沙が本を読んでいると、やってきたエレインが、愛梨沙を持ち上げて膝に座らせたのである。昨日も、今日も、そして一昨日もそうであった。


 エレインはわざとらしく頬を膨らませた。

「むうっ、そういうことは言わないのっ。母さん、泣いちゃうわよ。」

「そうですか。」

「あ、そうやって母さんを無視する。」

エレインは愛梨沙の頬を突っついた。


 愛梨沙はビクンとした。その途端、体と大きさの比があっていないその本は、数ページ目くれた。突然触られるのは、苦手だった。

「やめてください。」

愛梨沙は割とマジで言った。本のページがめくれたことに、それなりにムカついていた。

「ふふ。」

エレインは笑うと、愛梨沙の頭を撫でた。


 この愛梨沙の愛読書——『魔法士入門』は魔法士を目指す者ならまず読むべきと言われる本だ。それどころか、魔法使いを目指す者もまず読むべきとされているほど、有名かつ王道な本なのである。


 魔法士は国家資格であり、取れば准貴族確定、貴族が取っても、より箔が付く資格だ。国公認の魔法使いというわけだ。


 愛梨沙は、こちらの世界での名でシーナ‐ロレンソ――フィリップ‐ロレンソ子爵の娘というポジションであった。


 子爵は貴族の中では下から2番目とあまり良い地位ではない。女であるということも愛梨沙の不安因子であった。女の貴族にどの程度の力があるのか分からなかったからだ。


 そういうことに加えて、愛梨沙――飛島とびしま愛梨沙ありさ――という名で暮らしていたときには味わうことがなかったということがあり、愛梨沙は魔法に興味を持っていたのだ。


 今日は読み始めてから3日目である。本は1/3ほど読み終わっていた。序盤、法規的なことが多くて、中々読み進められなかったのである。

「母さん、母さんは魔法士なんですか?」

愛梨沙は相変わらずの如く他人行儀に聞いた。自分の母親だと分かっていても、どうにも親近感を感じられなかった。


 まあ、こういう本を持ってるってことはそうなんだろうけど。と、愛梨沙は思った。


 エレインは言った。

「ええ、そうよ。」

愛梨沙の予想通りだった。

「私は魔法士になれるでしょうか?」

愛梨沙はついでに聞いてみることにした。

「うーん、それは私にも分からないわ。」

「そうですよね。」

愛梨沙は言った。


 魔法使いには家系の影響が少なからずある。それは本人の努力ではどうしようも無いところだ。それは、男である——XY染色体がある——とか、女である——XX染色体がある——とかと同じように、先天的に決まってしまっているのだ。


 愛梨沙はエレインの膝からぴょんと飛び降りた。そして、自分のベッドに向かった。既にベビーベッドでないそのベッドは、アンジェリカの静止を押し切ってエレインが設置したものだった。


 アンジェリカいわく、まだ柵が無いとどこに行くか分からないということだった。しかし、愛梨沙が「大丈夫ですよ。わざわざ部屋から出たりしませんよ。むしろ出て何のメリットがあるんですか?」と言ったため、エレインが設置してしまったのだ。


 うーん、まだ、体力が無いか……仕方が無い、今日は寝よう。


 愛梨沙はベッドに転がると、すぐに寝付いた。




 翌朝、愛梨沙が起きると、まだエレインは部屋に来ていなかった。


 愛梨沙はベッドから飛び降りると、本棚に向かった。そして、一番下の段にある『魔法士入門』を取り出すと、ベッドに持って行こうとした。

「いかんいかん、折角、目が良くなったのに、また悪くなったら元も子もない。今度はちゃんと姿勢良く読もう。」

と、独り言を言うと、部屋の椅子によじ登って座った。


 本は後ろに行くに連れて、図表が多く、技術的な内容になってきた。それに比例するように、愛梨沙のリーディング速度も上がっていった。


 愛梨沙が読み始めてから1時間ほどして、エレインが部屋に入ってきた。

「ごめん、ごめん、遅くなって……って一人で読んでる!」

そうエレインが驚いたとき、既に愛梨沙は本の2/3を読み終わっていた。

「ほぇ?」

突然の声に愛梨沙はこの上なくマヌケな声で応答した。というか、昨日も似たようなやり取りのすえに膝に乗せられたのだ。わざわざ、応答する気も無かった。

「シーナ……そうよね、一人で読めるものね。」

エレインはうんうんと一人納得したように頷くのであった。


 そして、エレインは続けた。

「――そうだ、そろそろ、あなたの父さんが帰ってくるそうよ。予定だと、1週間後らしいわ。」

「そういえば……一度も父さんに会ったことありませんね。」

あ、そういえば。と、思う愛梨沙であった。

「そうよね。父さんあんまり家に帰って来ないからね。でも、あなたが生まれて1,2週間はいたのよ。」


 その言葉に、通りで知らないわけだと愛梨沙は納得した。愛梨沙が愛梨沙としての意識を持ったのは生まれて3週間ほどしてからなのだ。


 愛梨沙はその話に別に興味がわかなかった。ああ、父さんが帰ってくるのか。と、思うのだか、記憶に無い人物が帰ってきても、別にこれといった感動は無いのである。


 愛梨沙はすぐに、読書に戻った。




 結局、あの後、愛梨沙は例によって例のごとくエレインの膝に乗車させられた。母さんって私を膝に乗せるのが好きなのかな。ペットじゃないんだけどな。と、愛梨沙は思った。


 2/3を読み終わった愛梨沙が残り1/3を読み切るのに時間はいらなかった。


 愛梨沙は本を読み切ると、机の上にあった万年筆とインクを取り、床に座った。

「シーナ、どうしたの?」

エレインは不思議そうに聞いた。


 それに愛梨沙は答えなかった。愛梨沙は新しいことを知ると試したくて仕様が無くなる性分なのだ。


 魔法は精霊を召喚して、契約することで、使えるようにするのね。百聞は一見にしかず。この場合はWrite&Runとでもいうのかな。いや、Draw&Runか。別にそんな表現関係無いんだけど。


 愛梨沙はさっき見たばかりの魔法陣を一気に床に書き上げた。


 エレインはそのありさに唖然としていた。そして、はっとした時には既に、床には盛大な魔法陣が書かれていた。


 魔法陣は、円形というより、電子回路に近い。曲線だらけの回路図といったところである。


 愛梨沙は左手を床に突くと、力を込めた。本には「魔法の力の根源たるマナ、または魔素が――」と書いてあったが、そんなことに愛梨沙は興味が無かった。結果が同じなら——できるなら——理解する必要は無い。理解は後からやって来る。というのが愛梨沙の考えなのだ。


 ただ、魔素マナを流すという感覚がよく分からなかった。だから、とにかく力を入れてみたのだ。電子回路と同じなら電圧さえかければ、電源が持つ限り、電流は流れるはずだ。愛梨沙は魔法も似たようなものだと、本から結論付けていた。


 そして、実際、愛梨沙の予想は的中していた。


 愛梨沙の腕には、今まで感じたことが無い感覚があった。内側から絞り出されるようなその感覚はこの世界に来る前、愛梨沙が愛梨沙であったときにも感じたことが無い感覚であった。比較的近い感覚を上げるなら感電だろう。筋肉がぎゅうっと収縮する感じはかなり似ていた。違う部分は、体の内側から外側に向かって何かが流れる感覚があることであった。


 愛梨沙は興奮でもっと力を入れようとするが、すぐにめた。回路に過剰な電圧をかけてはいけない。それは、電子回路を扱った者なら常識であろう。そして、電子・機械工作をよくした愛梨沙にとって、それは一度死んだぐらいでは拭いさることができない程に、体に染み付いていた。


 突然、魔素マナが流れなくなった。


 あれ?急に抵抗が大きくなった?うーん、どうしたものかな。


 愛梨沙がそう思った次の瞬間、魔法陣は白く輝き出した。そして、光が消えたとき、そこにはトカゲのような生物がいた。


「あれ?本に載ってたのと違う。」

愛梨沙は本の内容を思い出していた。確かに、トカゲが出ることがあるとは書いてあった。しかし、目の前にいる精霊と思わしき生物はイメージと違っていた。


 黄土色をした鱗は、1枚1枚が大きく、ややトゲトゲとしていた。松ぼっくりのようである。目はクリっとしていて、ぬいぐるみのようであった。そして、体長は25センチメートル程であった。


 そのトカゲはスルッと、愛梨沙の腕を伝って愛梨沙の頭に乗っかった。

「きゃっ。」

愛梨沙は思わず声を上げた。正直な話し、愛梨沙は爬虫類が得意ではなかった。脊椎動物の中では、両生類の次に苦手とする分類である。


 エレインはそんな我が子を見て、クスクスと笑うのであった。

「凄いわね、シーナ。それに、そんな精霊、見たこと無いわよ。」

エレインは言った。驚きを通り越して、もはや笑うことしかできないという感じであった。


 すると、愛梨沙の頭で、精霊トカゲが回って、エレインの方を向いた。

「『そんな』とは何だい。私は彼女に呼ばれて現れたまでだ。彼女の魔力はとても安定していた。だからこそ、私がすぐに来ることができたのだ。大体の魔法使いはこの精霊召喚が酷いもので、私は出たいとも思わないがな。」

中々、口の悪い精霊を召喚しちゃったかしら。まあ、良いでしょう。レアなやつみたいだし、きっと強いわよ。


 精霊トカゲは再び愛梨沙の頭上で180度回ると、愛梨沙の膝に下りた。

「ところで、私に名前を付けないのか?」

「え?名前を付けるの?」

「ああ、そうだ。それで、初めて契約が成立するのだからな。」

「うん、分かった。」


 愛梨沙はしばらく考えていた。この図々しい態度、ちょっと可愛いけどキモい見た目……うん、私にそういうネーミングセンスは無いな。じゃあ、普通に付けましょうか。

「そうね、ハルトでどうかしら?」

愛梨沙は普通に(・・・)名前を付けた。それはあくまで愛梨沙の普通であった。

「珍しい名前だな。分かった。契約成立だ。」

ハルト(トカゲ)は言った。


 とっさに思いついたLinuxコマンドがhaltだったなんて言えないな。と、愛梨沙は思うのであった。そして、自分が魔法を使えたと思うと、ついニヤついてしまうのであった。

精霊のモデル?ああ、当然○○○○○トカゲですよ。

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