1話 私、転生してました。
愛梨沙が気が付いたとき、目に入ったのは見知らぬ天井であった。そして、次の瞬間、何者かに抱き上げられたのを感じた。人間、それも女性であることは声から判別できた。しかし、それ以上は分からなかった。要は視覚情報が皆無だったのだ。
ああ、通りでこの天井に見覚えが無いわけだ。だって、見えてないんだもん。あれ?でも、何で私、抱き上げられてるの?
目を細めるも、ピントがイマイチ合わない。視界の悪さに、愛梨沙はメガネをかけ忘れたなと思った。だが、メガネのかけ忘れにしては違和感があった。
ボケてはいるけど……分裂はしてない。たしか、近視と乱視だったはず。そう、昔、月を数えたら7個見えてたもん。今の愛梨沙に近視の症状はあったが、乱視の少女は無かったのだ。
そんな愛梨沙が自らが置かれた状況に気が付いたのは、それから1ヶ月以上経ってからだった。
思いがけないこととは、本当に思いがけないときに、思いがけない場所で、思いがけない形で、起こるのである。TPOを一切わきまえてないのだ。
愛梨沙は1ヶ月以上、とある疑問と対峙していた。なぜ、私は動けないのか。そして、周りの人間がこんなに大きく感じるのか。この2つだ。
愛梨沙はふと、気が付いたのだ。自らがベビーベッドの中にいることにだ。その瞬間、愛梨沙の記憶の回路が繋がった。
「あっ。」
愛梨沙は声にならない声を上げた。それは一種の吸気音であった。
悠太が持ってたラノベでこんなストーリーあったな。そうそう、主人公は異世界に転生してて、とりあえず、そこで生活する話。まさか……ね?そんな訳ないよね?
そんなとき、愛梨沙はまた人間の女に抱き上げられた。一旦一つのことに気づくと、それは強化ガラスにヒビを入れたときのように、一瞬で広がっていった。
何で、私、この人のおっぱい飲んでるの?いや、だってそれは私のお母さんだから……お母さん!?あれ?何で?でも、この人、お母さんだよね?
そんな問答を一人で繰り返した。
すると、今まで自分が当たり前にしていたことがどんどん可怪しいことに思えてきたのだ。
そして、最終的に、その大量の「何で?」は愛梨沙に一つの結論を授けたのだ。
ああ、本当にここって異世界なんじゃないかな。愛梨沙はそう思うのであった。
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「シーナ、また勝手に部屋から出て……」
エレインは言った。
「へへ、母さん、ごめんなさい。」
そう、悪びれも無く言うのは愛梨沙であった。
既に愛梨沙が転生してから半年が経ち、愛梨沙もこの生活に慣れてきていた。
良かった。私が初めての子供みたいだから、生まれて1年と立たない子供が話したり、工夫して動き回ったりしても怪しまないみたい。次男次女じゃ、天才だの何だのと騒がれて大変そうだもんね。
母親は愛梨沙を持ち上げると、ベビーベッドに連れて行った。
しばらくして、メイドのアンジェリカが食事を持ってきた。最近、流動食が食べられるようになった愛梨沙は、まだまだ母乳頼みだが、それ以外を食べられることに喜びを覚えるのであった。何を隠そう、母乳を飲むのは気まずかった。
「シーナ様、食事のお時間です。」
アンジェリカはそう言って部屋に入ってきた。
愛梨沙は様付けされるのがこそばがゆくて、一度、アンジェリカに呼び捨てで良いと言ったのだが、直ることはなかった。
食事を食べさせながら、アンジェリカは言った。
「この歳で話せるなんて……」
「別に良いじゃない。人それぞれよ。」
「そういうものなのかしら。」
「そういうものよ。」
アンジェリカは「あっ。」と手を口で覆った。
「あらいけない。私ったら、また、シーナ様となれなれしく。」
その途端、愛梨沙の食事は宙を舞った。ベッドの縁に置いてあった食器がアンジェリカの手にぶつかったのである。
食器はそのまま床に落ちた。
運が良かったことと悪かったことがある。まず、運が良かったことに、食器は金属製だった。おかげで割れることはなかった。そして、運が悪かったことに、愛梨沙の食事は全て床に食された。
結果、愛梨沙の食事は20分ほど延期されてから開始された。今度は、アンジェリカは話さなかったし、落とさなかった。




