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鬼の瞳  作者: 市
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村のひととき

「はあ!?なんじゃとう!?」


「だぁかぁらぁ、この子を暫くこの村に置くって言ってんの!」


「村に置くう!?何をじゃあ!?」


「この子って言ってんでしょうがっクソ爺ぃい!!」


この遣り取りを五往復させた所で、奈津は我慢の限界に達した。汚い言葉を付け加えて大声を出す。

耳の穴に指を突っ込む久野はそんな彼女を横からなだめる。

二人の前に座る阿夜は事の成り行きがわからないのか、小首を傾げてきょとんとしていた。


三者は今、朝食の時に話し合った通りに、阿夜の滞在を報せるべく村長の家を訪れていた。

許可を貰うではなくただの報せであるのは、村長の人柄をよく知っているからこその信頼だろう。実際、それに則りこの場の雰囲気といえば、妙な蟠りもなくとても和やかだった。……奈津に関しては、些か頭に血が上っているようだが。


「――ほっほっほ。相も変わらず元気じゃのう。奈津をからかうのは楽しくてかなわん。怒った顔が達磨の様で……ぷぷぷっ」


「――こんのっ!」


耳を向けて今まで何度も聞き返していた老人はそう抜かす。その言葉を聞いて、やはり聞こえていたか、とついに立ち上がる奈津。間髪入れずに久野も立ち上がり、詰め寄ろうとする彼女を慣れた手つきで羽交い締めにした。


奈津と村長の仲は悪いという訳ではない。久野と同じく子供の頃に世話になっていた為、言ってみれば親も同然の関係性だ。

しかし村長の奈津に対する扱いはいつもからかいである為に、短気な彼女は毎度このように怒りで身を燃やさねばならない。喧嘩する程仲が良いとは言うが、奈津はこのじじいのこういった所が大嫌いでならなかった。


とはいえ、楽しい時はお互い本気で笑い合えたりもする。やはり繋がりとして考えれば、仲は良いのだろう。

じたばたともがく奈津と呆れた面持ちで抑える久野、二人を背景に、村長は話題の張本人へ視線を向けた。


「阿夜殿と言ったか。何も心配はいらん。ここの住人はこの二人同様に優しいでな、いくらでも甘えてえぇよ」


「はい。誠に感謝致します。暫しの間、お世話にならせて頂きます」


阿夜は今朝と同じく深々と頭を下げた。それに伴い、気が付いた二人は争う事を止める。


「……じゃがな、阿夜殿よ。一つだけ条件がある」


「条件?」


うむ、と口が髭で隠れた老人は深刻そうに頷く。目尻が垂れて眠っている様に見える糸目、眼は見えないのだが、確かに存在する視線は阿夜を貫く。


村長が低くドスの付いた声を出した瞬間、場の空気が徐々にぴりぴりと張り詰めてきた。先程までの悪戯好きな一面とは打って変わり、真剣な雰囲気でこの空間を支配する。その威圧からは例えようのない凄みを感じ取れた。初めて見た久野と奈津は思わず息を呑む。

普段は見せない、村の長たる威厳。

その者が口を開いた瞬間、


「そのふくよかな胸を触らせてくれ。奈津のまな板と比べて見ているとなんというか、こう……ぐふっ」


「クソ爺ぃぃい――!!」


奈津が怒り狂った。

こればっかりは久野も同じだったらしく、暴れ回る栗毛の野獣を心置きなく解放。


「ま、待てい!拳はやめるのじゃ!」


「あんたって人は……っ。そんなんでも一応は村長でしょう!?偶には真面目になったらどうなのよ!」


「何を言うか。ワシは毎日を真面目に生きておる。阿夜殿の胸を触りたいというのも真剣に真摯に考えてじゃな――」


「考え所が曲がってんのよ!て言うより尚更たち悪いわっ!」


奈津の拳骨は容赦なく村長の毛の無い頭を狙う。

それを村長は、殴られる寸前で猫の如く身を翻して躱した。糸目で奈津を見つめて、にやりと嘲笑う。


腰の曲がった高齢者とは思えない身のこなし。日々を女の尻を追いかけるのに費やして身に付けたと言われる残念な賜物。忍びの名を冠しても恥じないその挙動は奈津を翻弄し、まな板という非難で更に煽る。


「まな板言うなあああ!!」


女性らしからぬ力任せの大振り。そして空振る。

はしたなく腿を出しての蹴り。

そして空振る。


「ふむ。足は綺麗なんじゃがなぁ……。まな板が惜しいのぅ」


「ふっぎぃぃぃいい!!!」


猿みたいに叫んで奈津は激怒する。攻撃が当たらない事よりも、自分が気にしてる事をつつかれる方がとても腹立たしかった。


ここまで来ると流石に分が悪いと思ったのか、村長は家の中から外へと場所を移動した。追いかける野獣は戸をぶち壊し、まな板言うな、と叫びながら走って行く。


…………遠ざかっていくその声がやがて完全に聞こえなくなると、嘘のような静けさが人と鬼の間に残る。久野はいつものため息を吐く。やはりこうなったか、と。


「久野様」


「あ、はい。何ですか?」


「ワタクシは胸を村長様に触って頂くまで、ここに留まった方が宜しいのでしょうか?」


「いえ、今すぐ出ましょう」










―――――――――――――。










「あらよっ、と」


慣れた手つきで鎌を引く。


よく手入れが行き届いている、銀色に光る刃は引っかかりも生まず容易く動いてくれる。久野が愛用している鎌は父親が生前に使っていた物であり、またその手つきも記憶の中にいる父親のもの。真似事ではあるが、でも彼が息子であるからなのか、何年も続けている父親の技術は自然と彼のものになっていた。


成長して茶色くなり立派に米を付けた稲を刈り取り、薙いだその場に供えるように置いていく。列んでいくそれを白い細腕が丁寧に集め、ある程度の大きさで束ねて、縄で括ったらまた繰り返し供えられた稲を集めていく。


「阿夜ー、こっちもお願ーい」


「はい。只今」


奈津に呼ばれた阿夜は久野に一声かけてから、いそいそと小走りで向かい始める。道と田んぼの間にある溝、川から引いている水が流れる隙間をひょいひょいと二度飛び越え、今度は奈津が薙いだ稲をまた同じく束ねていく。


とても、目を使っていないとは言い難い働きぶりであった。初めて見た周りの村人たちは当然に口を開けたまま唖然としていたが、武芸者だと誤魔化して何とかやり過ごしている。しかしそれ以前に、阿夜の容姿が放つ美しさに皆は心を奪われていた。彼女が何者かなど、正直気にも出来ないでいた。


「――奈津。そろそろ昼飯にしよう」


切りがよい所まできたのか、ずっと曲げたままだった腰を伸ばし、提案する久野。そうしましょう、と奈津から返ってきた。


「阿夜、こっちこっち」


瞼を閉じている相手に手招きする奈津もそうだが、それに応えて正確についてくる阿夜も阿夜である。今となっては、この三名にとって特別かわった事ではなくなってしまったようだ。


「大丈夫?疲れてない?」


「お気になさらずに、奈津様。ワタクシはまだまだ働けますよ」


近くの木陰に腰を下ろす若者たち。作業を開始する前から用意していた昼食で休憩を取る。

奈津と阿夜は竹の入れ物に入った茶で喉を潤し、久野は二人の隣で握り飯を頬張る。


「……丸ばっかりだな。三角の練習したらどうだ、奈津」


「ふんっ、何よ藪から棒に。大きなお世話よ。肝心なのは味よ、味」


「まあ、それは一理あるかな。奈津の握り飯って昔から美味いから別にいいんだけどさ」


何気ない会話のつもりだったらしく、久野は再び黙々と白い球体を小さくしていく。対して、奈津が仄かに頬を染めていたなど知る由もない。


「ふふ、まるで夫婦の様で御座います。お二人は」


「はああ!?」


一番に反応したのは奈津だ。


「だ、だれがこんな奴の嫁よ!こっこっ、こんな奴なんか……!」


「はいはい。こんな奴で悪かったよ。ではまた一つ」


さして気にもしない――本当に全く持って――久野はもう一つの球体を口に運ぶ。

そんな姿に何か言いたげな幼なじみだったが、結局何も言えず、不機嫌に顔を逸らす。

くすくすと、それが見えてもいない鬼は優美に笑う。


――暖かく、平穏な時間。


清々しい日差しは明るさに反して暑く感じない。浄化を思わせる優しい光だ。時折吹く風もまた優しいもので、撫でる様に木々の頭を揺らしていく。それによって擦れ合う木の葉の音色は子守唄と同じで、目を瞑れば時間など忘れさせてくれた。


いつしか、三者は黙っているだけだった。阿夜を珍しがるみんなと何度か会話はしたが、去った後はまた静寂を繰り返す。


何も起こらず何もしない事での、平和をしみじみと感じていた。


「――あ」


そこで、奈津は思い出したように呟いた。


「奈津様、如何なされました?」


「いや、今日は山菜でも採ろうかなあって思ってたのよ。危うく日が沈むまで忘れる所だった」


「と言っても、そろそろいい時間だな。早く稲を刈って、山菜採りに行こうか」


横になっていた久野は起き上がる。そうね、と奈津も立ち上がり。阿夜もはい、と返事をした。










―――――――――――――。










「あ、綺麗な茸見っけ」


「それ毒茸だよ」


「ワタクシもそう思います」


「ふぐっ……。わ、わかってるわよ……っ」


上機嫌だった奈津は一気に冷めた。ぽいっと鮮やかな色の茸を捨て、足早にその場から離れる。無知を悟られない様に振る舞うが、赤くなって悔しそうな顔は隠しようがない。


「……それより、阿夜は本当にわかってんの?見えないのに」


「はい。不審な匂いがしますので、毒が含まれているかと。しかし、毒と云いましても、味は悪く御座いませんが」


「えっ、食べたんですか?」


はい、と久野に向かって微笑みかける鬼。

旅の最中、食べる物に困っていた時に仕方なく食した所、クセはあるが中々に美味だったらしい。そのクセが毒による味わいだったのか定かではないが、彼女にとって茸の毒程度は何でもなかったようだ。


また常識外れな発言を聞いて、けれども、久野と奈津は驚かなかった。

いや、少々は驚いたが、途端に笑い声へと移り変わったのは、阿夜に親しみが沸いていた証拠だ。


稲刈りを済ませた三者は、予定通りに山菜採りをしている。村は周りを山で囲まれた盆地である為、どこでも少し歩けばすぐ森の中となる。自然豊かなこの一帯は山菜が豊富に生えており、籠の中身を苦もなく満たす事が出来る。


木々の間隔は離れており、走り回れるほどに空間は広い。高い幹の頂上で群がる木の葉は緑色の天井、その隙間から落ちる陽光は一条の線として幾つも降り注ぐ。音もなく匂いも澄み、淡光と静寂を孕む森の中は、どこか幻想郷を思わせるよう。


「…………」


……阿夜にはこの光景が見えない。


物はわかるが、色はわからない。気配は感じれるが、風景は感じれない。彼女に世界は見えている。しかし、彼女に世界は視えていない。彼女にとっての世界とは――やはり無である。

其処には確かに何もかも、久野や奈津が見ているのと同じものが存在する。だが彼女からしてみれば、其処には何も存在しない。否定ではない。ただ、彼女が視ているものは闇だけと云う話。所詮は瞼の裏でも、彼女には立派な虚無の世界。

もし、視れたなら。もし、眼を開いたなら――


「…………」


、と考えて止めた。わからなくても、さぞ目の前には美しい風景が広がっているのだろうとは思えている。それを我が儘で壊す事は出来ない。したくない。


「阿夜さん?」


呆とする鬼に、久野が声をかけた。


「…っは、はい。なんでしょうか」


「いや、何だか心ここにあらずというか……気分でも悪いんですか?」


「あ、その……少々、考え事といいますか……」


苦笑いを浮かべているあたり、見るからに様子がおかしかった。彼女が言い淀む姿を見たのは初めてだった。


「いえ……大した事ではないのです。どうか、お気になさらずに」


「……そうですか。……あの。もし何か、ボクに出来る事でもあれば遠慮なく言って下さい。頼りないだろうけど、力にはなりますから」


と。脈絡もなく、何を悩んでいるのかわかりもしないのに、微笑みながら彼は言った。初めて出会った時と似た言葉を、全くの本心で告げた。彼女の為になるのならと、それだけの。


「――……久野様はどんな時でもお優しいのですね。奈津様との話言葉はワタクシと違って崩れますが、それでも想う気持ちはそのままで御座います」


「あ、ははは……いや、お恥ずかしい。みんなからはお人好しと馬鹿にされるんですけどね。まあ実際そう――」


「そんな事は御座いません!」


急に大きい声を出した阿夜は久野に駆け寄り、彼の隣にしゃがみ込む。


「どわっ!?……あ、阿夜さん……?」


「久野様の想うという気持ちは立派で御座います。何気ない事かも知れませんが、それは容易く真似できるものではありません。だから久野様は偉いのです。誰がなんと言おうと、ワタクシはそう思うております」


真横、至近距離で言い放つ。きりっとした眉毛と切れ長の瞼に力を込めて、鬼は人をそう褒め称えた。久野からすれば大して気にしていない話題だったのだが、彼女は真剣に説いてきた。


久野は言葉を失う。こんなにも真摯に受け止めるとは思っていなかったのと、感情的に迫ってきた彼女の気迫に押されたためだ。他愛の無い言葉に、まさかここまで反応するとは。そんな彼の頬は、次第に綻んでいく。


「……はは。今の阿夜さんも、相当にお優しいですよ。っはは」


「……ふふ。確かに。恐らく、久野様の優しさがうつってしまったのです。っふふ」


それは申し訳ない、と返して、寄り添う浅葱と燈は笑い合った。とても楽しげな声が双方だけを包み込む。


――いつの間にやら日は傾いていた。紅の一歩手前といった、薄い黄色の空。

森の中に一条となって落ちる事も出来ないほどに、陽光は弱まっている。風も吹いてきて、世界は夜へと反転する為の準備を進めていく。


「っと。そろそろ帰りましょうか」


「はい。……はて、奈津様は…」


「…あれぇ?どこに行ったんだ…」


立ち上がって周りを見渡すが、花の姿は全く見えない。この辺りに花は咲いていない為、彼女の花柄の着物はよく見栄えするのだが。


……少し、様子がおかしい。静かすぎる。元からの静けさとまた違う、まるで隠れる様な幽けさ。

心なしか空気も重たい。深い重圧に内包されて、のしかかってこられた様に体が重い。徐々に紅に近付いていく空に嫌な気がしてきて、久野が口を開いた瞬間。






「いやあああああああ――!!」






劈く叫び声が木霊した。

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