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鬼の瞳  作者: 市
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幼馴染み


「おーい、奈津(なつ)ー、起きてくれー」


――月明かりに照らされる小さな農村。周りを山に囲まれた中、およそ九十名の農民が健やかに住まう、久野の生まれ故郷。


夜空には雲一つ無く、月の光が満遍なく村中を照らし出しており、目を慣らしさえすれば困るほど暗くは感じない。どちらかといえば、辺りを染めるは夜の暗闇ではなく月の淡い蒼、とても綺麗で静かな真夜中だ。

収穫の近い稲は微かな風で草原を思わせる音を奏で、近くの小川からは蛙の暢気な鳴き声、草村からは鈴虫の落ち着いた羽音が届いてくる。どこもかしこも、平穏を絵に描いた様な夜の村だった。


日が沈んでからだいぶ経っている為、民家には明かりが灯っていない。皆が寝静まり静寂と化したこの空間の一角に、彼らの声だけが木霊する。


「……起きないなぁ。困ったなぁ……」


「久野様、一体何をなされているのですか?」


久野の後ろで待っている少女は、彼の行動をまだよくわかっていない。村まで連れて来られたのに、自分の家に招き入れずに何故別の家を訪ねるのか。


余談ではあるが、立ち上がった少女は意外にも背が高かった。久野は大抵の人物なら見下ろせる程の背があるのだが、彼女との目線はさほど変わらない。顎の分だけ久野より低いと云った所。女にしては長身であり、またその体型は細くて、まるで美しさだけを追及した人形のよう。髪も着物も目を背けたくなる程に汚ならしいというのに、それでもそんな考えに至ってしまう。


「この家には幼なじみの女の子が住んでいるんです。ボクは女物の着物なんて持ってないですし、それに……ボクは男なのであなたの体を洗えませんから……彼女の世話になろうかと」


「嗚呼、左様で御座いましたか。行水ならば久野様でも構いませんが、召し物はそうもいきませんね」


「なっ…!?」


嘘を言っているようには聞こえない。あまりにも自然な感想だった。女に関する知識が乏しい初な久野は頬を真っ赤に染め上げる。それでいて彼の反応に対して小首を傾げた優しい微笑み――前髪の隙間から僅かに覗かせる少女の表情――は、彼を更にのぼせさせた。


端から見れば少女は幽霊に思えてしまう姿だ。それなのに久野は彼女の笑みで紅潮してしまう。それが今まで見た事もなく、一つとして無駄のない完璧な造形美に見えて、汚い身なりなど気にもかけられなかったからだ。

仏には下心があるのではないかと密かに思ってしまう。こんな絶世の美女を視認してしまってはそう考えても間違いではない。彼の顔色は日中ならば、逆しまになっていたのかと馬鹿にされる事だろう。


「ご、ご冗談はやめて下さい、心臓に悪い……」


「冗談?ワタクシは冗談など申していませんが――」


「ちょっとぉ……誰よこんな夜中に……」


その時、二人の後ろからいかにも不機嫌な声が届いた。草鞋のざっざっと歩く音がして、戸が開かれる。


「あ、ごめん奈津。こんな時間に起こして」


「何なのよぉ……ふぇ!?ひ、久野……っ!」


久野の幼なじみ――奈津は、まだ眠っていて当たり前の時刻に起こされ不機嫌にも拘わらず、尋ね人が彼とわかるや否や途端に覚醒した。だらしなく肩がはだけていた着物を慌てて着直す。


彼女は久野の家の向かいに住む、産まれた時からの腐れ縁だ。今は亡きお互いの両親が親友同士であった為、必然的に二人の親交は深く、周りからは早く祝言を挙げろとはやし立てられる程に仲睦まじかった。

肩にかかる程の栗色の髪、猫みたいに大きな眼、農民にしておくには勿体ない程の整った顔立ちは、町娘と言われても皮肉にならない可愛らしさであった。


「な、何よ。まさか、夜這いなんて馬鹿なまねじゃないわよね……?」


「ああ、そんな馬鹿な事しないよ」


そ、そう。と何やら腑に落ちない顔つきで奈津は眉をひそめる。


「それよりも、奈津に頼みたい事があるんだ。この子なんだけど……」


「この子って、一体だ、れ……――ふぎゃあああ!!!」


久野が横に退いて、後ろに立っていた影を視認した瞬間、奈津は勢い良く後退して戸を激しく閉めてしまった。ぼろぼろで汚れた着物を着てぼさぼさの長い髪を垂らした長身の影を見れば、その反応は当然の事だった。

加えて、月明かりで憧憬が蒼に染まっていようと、その影の主は風貌が元から汚い為に文字通り黒一色なのである。彼女からしたら、その真っ黒な人の形をした影はとんでもない怨霊か何かに見えた事だろう。


「待てよ奈津!何で逃げるんだよ!」


「ばばばば馬鹿じゃないの!?あああんたの後ろのそれ、なん、何なのよぉぉ!??」


戸に手をかける久野。だが内から抑えられていて開くに開けない。奈津は声を震え上がらせて、必死に戸の前で拒絶していた。


「この子は――……あーえー……た、旅人だよっ。泊まる宿が無くて困ってるんだ!」


「確かに旅はしてきましたが、ワタクシは――」


「ああいや、ここはボクに任せて、あなたは待っていて下さい」


少女に余計な事を言わすまいと、久野は左手で戸をこじ開けようとしながら右手で少女を制止する。鬼などと話したら、更にややこしくなってしまう故に伏せたのだが。彼の気配りも理解できず、そんな姿に彼女はやはり小首を傾げる。


「開けてくれ奈津ー!」


「嫌に決まってんでしょー!」


「?」


二人の攻防を前に、少女には疑問符ばかり。一体なにをしているのか、二人は何を争っているのか、初めて人里に足を踏み入れた彼女には知るよしもない。



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