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鬼の瞳  作者: 市
13/25

残酷な引き裂き


「――久野様、これは如何でしょうか」


「ふむふむ、これはふきですね。淡白だけど味わい深いんですよ、これ。ボクの好物です」


「ふぐっ。先を越された……」


「へっ。奈津、いま何か言った?」


「なっ何でもないわよ!」


――阿夜がこの村にやってきてから、四日が経つ。


自分の目的をあの日の夜に捨て去った彼女は、この村に住む事を決めていた。いつか問題を起こすかも知れないが、その時は自分だけで立ち向かって皆を守るという誓いも立てての決意だった。


かくして、もうすっかり村人とも打ち解け、皆は彼女の事を快く思っている。久野と奈津と揃って歩く事が当たり前の光景となり、立派な村の一員となっていた。今日も畑仕事を協力して終え、今は山菜採りを兼ねて、阿夜に食べられる野草を教えている所だ。


「あった!美味しそうな茸っ!」


「だからそれは毒茸だって」


「気配が毒々しく思われます。奈津様」


「ふっぐっ……、じ、冗談よ冗談……」


暫し青色の茸を睨みつけ、仇敵を葬り去るが如く力任せに投げ捨てる。鼻息を荒くして山菜採りを再開する奈津。


「あ、奈津。あんまり遠くに行くなってば」


「うっっさいわねぇ!あんたはお母さんかっつの!」


舌を出して一瞥した奈津は、大股で足早に森の中へと進んでいく。


「……何を怒ってるんだ、あいつ」


「ふふ、ワタクシが先に山菜を見つけたからで御座いましょう。実は、奈津様とどちらが先に見つけられるか勝負をしていたのです」


「ああ、成程。だからか。――って、奈津!だから一人で行く、な……」


彼の言葉も虚しく、桜色の着物は遠くでずんずんと歩き続けている。この前に羆と遭遇したというのに、肝が据わっているのか無頓着なのか。

久野は全く……、と呆れたため息をついて後を追いかける。それに阿夜も続こうとして、立ち止まった。


「――――」


遠くから、良い香りが漂ってくる。


青臭さも混じってはいるが、清々しい甘い香り。彼女の嗅覚で微かに感じる、のであればそれなりに遠方。しかしそれ程の距離からでも漂ってこれるそれに、少々興味が沸く。


阿夜は久野に一声かけようとしたが、彼は既に離れていた。その背と香りのする方向を交互に見て、彼女は謝る様にお辞儀をしてから、香りの方向へ歩き始めた。

気が済んだら戻ればいい、二人の気配は容易く探れる、そう思った彼女だった。










―――――――――――――。










「――……」


森を抜けると、そこには一面に野原が広がっていた。村がすっぽりと収まってしまう広さに、阿夜の腰まで伸びた植物が白色と黄色の小さな花を所狭しと咲かせている。

風で揺れる光景はさながら花の海を思わせ、そしてその香りは心を和ませた。


阿夜は笑みを浮かべながら、その中へ足を踏み出す。――さらさらと柔らかい波を掻き分けていく。掌を下にして表面を撫でるように触れた。くすぐられるみたいでとても気持ちがよい。その内に楽しくなってきて、足取りは舞う様に軽やかなものになっていく。


彼女には風景も色もわからない。しかし花は知っている。


甘い香りと華奢で柔らかい花弁、多彩な種類がありその形も千差万別。母が偶に持ってきてくれた事があるそれが、彼女は昔から好きだった。

わからないものはわからないままでもいい。花に関して、阿夜はそれがいいと感じていた。何故なら彼女の想像の中では、花は色鮮やかに咲いていたから。


とは言いつつも、彼女は色を知らない。産まれた時から瞼の裏の色しか視たこと無い為に、他の色は夢の中ですら現れてはくれない。

だから彼女の想像する色が色と呼べるものなのかは定かではない。彼女自身もそれが色というものなのかは知る筈もない。


けれども、闇でもない――もしやすると、闇ではないからこそ阿夜は花が好きなのかも知れない。

穴蔵を照らしてくれる様なその虚像に、どこかしらの救いを見いだすように。


「ふふっ」


花にも負けない可憐な微笑み。抑えきれない嬉しさが零れた綻び。

申し訳御座いません、と謝ってから一輪だけ手に取る。鼻に近付けて優雅に香りを楽しむ。


「――よい香りで御座います。御二人の為に持ち帰りましょう。……久野様、喜んでくれるでしょうか」


そう呟いてから、きょとんとした。我ながら何故そんな事を付け足したのだろうと、小首を傾げる。


…………――と。


よほどに楽しんでいたのか、後ろの気配に遅れて気が付いた。


「どなたで御座いますか?」


「あいや、これは失礼。花の中に一際美麗な花が咲いていたので、思わず魅入っていたのでありまする」


振り向き問えば、男はそう言った。背が低いのか、やや下の方から声がする。


「怪しまないでほしい。ただの旅人でありまする故。して、ついでに一つ訊ねてもいいでありまするか?」


とても落ち着いた声だった。でも印象としては、蛇を思わせる。


「はい。お構いなく。ワタクシが知る範囲であれば良いのですが」


「いえいえ、わからなければそれでいいでありまする。この辺りで、見知らぬ者を見なかったでありまするか。例えば、人間に思えないようなモノとか」


サァーー、と風が吹く。妙な臭いがする。


「いえ。申し訳御座いません。ワタクシには存じ上げかねます」


阿夜はお辞儀をして謝った。厄介事にはならないように、と久野から言われていた忠告通り、嘘をついてやり過ごそうとした。――自分の事だと、思った。



「そうでありまするか。いや、これは失礼。時間をとらせてしまって悪かったでありまするな」


「いえいえ、お気になさらず」


お互いにお辞儀をした。男はではっ、と言って踵を返す。その背に向かって、阿夜は気になっていた事を訊ねてみた。

それがどういう意味かわからなかったのだ。でもそれが何なのかわかる。だから気になって質問した。質問して、しまった。


「お待ちください。ワタクシからも一つ宜しいですか?」


「む、何か?」


「どうして、刀を抜いておられるので御座いますか?」


「――――」


男は固まった。と同時に、風が死んだように止む。


最初から……気配に気付いた時から感じていた鋭い感覚。そしてそこから漂ってくる鉄ではない鉄の臭い。何かしらに使用されたであろう刃物を剥き出しにされながらも、阿夜は礼儀正しく質問に答える事を優先していた。


「――嗚呼。やはり、貴様が真祖か」


切狐は頬を吊り上げた。


阿夜は喫驚した。思わず手に力が入り、揺れた花びらがひらりと落ちる。

それが落ち行く下には、既に彼女の懐に潜り込んでいた鬼の姿。音も無く、花の海に一切の波すら立てず、最初から其処にいたかの如く。


「ッ――!」


おぞましい程の殺意が這い上がってくる感覚。理性的な考えなど捨てて、後方へ逃避する事だけに全力を尽くす。


――瞬間――鋭い風が顎先を掠めた。何が通り抜けたかは嫌でもわかる、阿夜は留まらずに更に後方へと距離を取った。


「……ほうほう。その若さで中々の反応。やはり真祖は違うのでありまするな」


ニタニタと笑う鬼一つ。躱された事に歓喜する瞳は舐める様に阿夜を見つめる。


「しかし。……どんな化物かと思えば、まさかこんな小娘とは……、変に気落ちしたのが馬鹿みたいでありまする」


ツラツラと嗤う鬼一つ。打って変わって今度は突き放す様に見つめる。


「……ワタクシを、殺しに来たので御座いますね」


「うむ、御名答。理解が早いのは良い事でありまする」


くるりと左手に携えた短刀を逆手に持ち替える。

全長一尺二寸、

刃渡り八寸、

両刃造りで黒塗りの合口拵え、

袖の中に仕込まれたそれは暗殺に用いられる武器であり、切狐という鬼もまた暗殺を主とする戦闘を得意としていた。


彼は仲間達からこう呼ばれている。――静寂の童子。文字通り静まり返った子供……ではなく、静かに殺害する悪童、という意味合い。


「――さて、真祖の小娘。大人しく死ぬも良し、抵抗して死ぬも良し、だが己の身を弁えているのであれば、前者を選ぶが世の理。貴様はどうしたいでありまする?」


刺す様な目線。切狐の周りの花はその波動に当てられて飛散する。一夜の内に城一つもぬけの殻にする程の鬼の威圧は伊達ではない。


「…………」


阿夜は黙って話を聞いていた。

何が言いたいのかは理解出来る。大人しく死ね、と正面からの殺意がひしひしと教えてくるから。そして自分の存在を全面的に否定される理由も、反論できない程に悲しく理解していた。


「……ワタクシは」


しかし――


「死にとう御座いません」


彼女は言った。

背筋を伸ばし、こんな時でも礼儀正しい立ち姿で。


……なんて烏滸がましい。鬼の禁忌が消えたくないとぬかす、世界の毒が無くなりたくないとほざく。それは有無を云わずに処刑を執行されてもおかしくない我が儘。未来永劫を呪われても仕方のない言動。


……だが、なんて尊い夢。


彼女は死にたくない、言葉の通り、生き永えたい。何故なら――彼女には暮らす場所ができた、仲間ができた、大切な友達ができた。それらと余生を送ると――送りたいと決めた彼女は、自分の存在を認めた上でも、死にたくは無かった。

かけがえない、失いたくない出逢いだったから。


「…………かっかっかっ!死にとう御座いません……かっかっ、大いに結構。抵抗してくれた方がソレガシも楽しみでありまする!」


天を仰いで大口の笑い。彼が悪童たる由縁は此れ、暗殺者のくせに殺し合いをしたがる性分。それに加えて、殺した相手の血肉を愉快に喰らう様も含まれているが、阿夜はそんな事、知る由もない。






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