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乖離

作者: Dombom

*夢の中の出来事を現実に合うように組み替えたらこんなことになってしまったので実際の団体、組織、個人とは一切関係のないフィクションです。

*また医学的に間違った用語、知識が含まれていますのでご了承願います。

 もう腕時計は15時を回っていた。昼飯を摂るには少し遅い時間だった。だが、仕方がないと矢場崎は言い聞かせた。環状線でうっかり寝過ごしてしまったのだろう。本来ならば1時半頃に昼飯にありつけた筈なのに、と、内心舌打ちした。

 最近寝過ごしたり、仕事中ボーッとしていることが多い。疲れのせいか・・・余計仕事が遅くなり、残業が増える。「仕事が多いわけじゃないのに・・・サボってんじゃないの?」と周囲からの目も冷たい。どいつもこいつも・・・この前だって、身に覚えのない仕事の進捗状況を聞かれて、勝手にキレられた上、納期間近の仕事を押し付けられたこともあった。嫌がらせか!

「なんだってんだよ。」

 電車の中で寝ていた筈なのに、体が重い。矢場崎は行きつけの定食屋へ行くのをあきらめた。本格的な食事を夕食へと回すことにして、とりあえず何か飲もう。そう考えた俺は駅前のコンビニで喉の渇きを癒すことにした。

 幸い、時間が経ちすぎたからか腹の方はそれほど空いてはいない。だがそれと引き換えに、さっきから口の中にこびりついたようなトマトの微妙な酸味が不快だった。

 トマトは嫌いだ。小さい頃、体調を崩した時に無理に勧められて食べたトマトが悪かった。一口でトマトをもどした俺は、あれ以来トマトを口にしていない。だから口からトマト臭がするのも、体調が悪いせいだ。きっと無意識に、あの日のことを思い出しているからだろう。錯覚だ。

 コンビニ店内をたむろする女子高生のキィキィ声が頭を引っ掻くようで酷く不快だ。目がチカチカしてくる。

 矢場崎は透明《クリアガラス》な戸を開けて、陳列されたペットボトルを物色する。水・・・はあんまりだ。牛乳・・・牛乳にしよう。その方が良い。

『今ならコスメキャンペーン中!三枚溜めてボーナス商品を・・・』

 店内に流れるBGM、軽薄なアナウンスが俺の神経を逆なでする。イライラしすぎだ。

 俺がパック牛乳をレジに持っていくと、店員があからさまに嫌な顔をした。俺の後ろにはさっきの女学生連中が化粧品の類を大量に抱えて並びつつある。そんな化粧品なんて、いくら塗ろうが無駄なのに。

 それにしても躾の成っていないバイトだ。

「牛乳だけっすか。」

 背の低い女店員は酷く気だるげに聞いてきた。なんなんだこいつは?俺が見たその目は酷くうんざりした様子だった。

「ああ、そうだよ。」

 と、俺は答える。後ろのガキども見たく、たくさん買った奴ならいいのか?忙しいときに一個買う程度で手間を増やすなとでも?

「一点で232円です。」

 あまり長居したくない。さっさと会計を済ませようと矢場崎は財布を開いた。俺は普段小銭をあまり持ち歩かない。邪魔だからだ。だがポケットから取り出した財布から、ジャラジャラと小銭が鳴る・・・小銭?そして小銭入れの裏に挟まっているのはレシートだろうか?どこかで買いものでもしたか?

「お客様?」

「・・・ああ。はい。」

 こんなに小銭を持っていたっけか?俺は財布から小銭を手に広げ、カウンターの小銭受けに置いた。

「こちらお釣りになります。」

 そう言って店員は俺にレシートと20円を渡した。俺は財布の中の覚えのないレシートを取りだし、一緒に捨てようとした。取り出したレシートの日付は今日のものだった。

 俺は普段受け取らないレシートを受け取り、古い方も合わせて袋に突っ込んでそそくさとその場を去った。

 矢場崎は路地裏に入ると、袋から乱雑にパック牛乳を取り出した。封を毟るように開けて口に付け、一気に呑み込んだ。

 クソッ!なんだか知らないが気分が悪い!

 矢場崎は普段レシートなど受け取らない。だが、さっき財布に挟まっていたレシートが気にかかる。結露したペットボトルに張り付いているそのレシートにはサンドイッチ、そして「トマト」パスタの文字。そしてその印字時間は・・・1時半。千円払って釣りは354円。

「はぁ・・・はぁ・・・。」

 何だ・・・これ。身に覚えのないレシート、その印字に合う小銭がさっき、財布の中にはあった。普段小銭を持ち歩かない俺の財布にだ。それに、それに、「トマト」パスタ?俺が?

 俺が喰ったのか?トマトパスタを?一時間半前に?

「あり得ない。」

 誰かに嵌められたのか?そもそも俺は電車に・・・電車で乗り過ごして・・・

 いや、いったん帰って来たのか?そしてさっきのコンビニで昼飯を食べて、駅まで行ってまたコンビニに戻ってきた?・・・そんな馬鹿な話があるか?

 トマトの匂いがやたらと鼻につく・・・

「うえ・・・」

 一気飲みした牛乳が胃から上がってきた。「トマト」の匂い付きでだ。

「うぷっ・・・うげぇろろ・・・」

 矢場崎は路地裏の側溝に嘔吐した。

「ゲホッ!」

 トマトの匂いが強くなる。

「ゲホッ!うおえっ・・・」

 吐物の細切れの麺と、ペースト状になったパン、そしてトマトの"赤"。それらは牛乳に乗せられて、下水の中へ消えて行った。

「あの、大丈夫ですか?」

 と、他人の声がする。

「はぁ・・・はぁ・・・ああ?!」

 嘔吐の苦しみに身を震わせながら、矢場崎は振り返った。

 そこには日傘を差した女性が一人。こちらを心配そうな目で見ていた。

「見んじゃねぇ・・・どっかいけ・・・ウッ!」

 排水溝になおも嘔吐し続ける矢場崎。吐物は既に胃液の、刺す様な酸味だけになっていた。

「訳分かんねぇよ・・・」

 めまいが酷い。俺は・・・


「うっ・・・つ。」

 ハッとして俺は目を覚ました。硬いベッド、ごわついた布団。ここは何処だ?

 矢場崎は身を起こし、辺りを見る。部屋の大きさは4畳半程度。壁に固定されたテレビ、そして柵付きのベッド。床には安物のスリッパ。

 スリッパを履いた俺は、立ち上がり、窓に手をかける。良く見ると二重のはめ込み式だ。ハンマーで殴ったって開きそうにない。窓の反対側には覗き窓のあるドア。そして、天井には円形のカメラ。ここには俺が知ったものは何もない。ただ俺が着ているパジャマを除いては。

「どこだ・・・ここ。」

 刑務所・・・は無いか。俺は窓と反対側の扉に手をかけた。スッとドアがスライドする。矢場崎はドアがほとんど何の抵抗もなく開いたのに少し驚く。

「病院・・・か?にしてはちょっと違う気もするが。」

 普通の病院のあの塩素臭い消毒臭はあまりしない。むしろ、介護施設とか幼稚園とかそういう感じに近い雰囲気だ。矢場崎はちらと廊下を歩く病衣の人を見る。

 ぼさぼさの頭をした女性、目の焦点が合っていない男、そして廊下にへたり込んでいる老婆。その老婆に声をかけ、担ぎあげるジャージの女性。その若い女性だけは比較的身綺麗で、名札を首から下げていた。

「さあ、おばあちゃん、ちょっとここに座っておいてね。」

 と、ジャージの女性は老婆を抱え上げて近場の椅子に座らせる。

 その場所、デイルームには角の取れたイスとテーブルが並べてあり、そこには同じくうつろな目をした老人、比較的しっかりとした姿勢で折り紙を折る老婆、外見からは性別の読み取りにくい患者が涎を垂らしてテーブルに手をこすりつけていた。

 安全帯のついた椅子に座らされた老婆は「うん。」と短く答えた後、やはりうつろな目で虚空を見ていた。方やジャージの女性は少し進み、名札を壁の読み取り機にかざす。ピーッっと音が鳴り、自動ドアが開いた。

 自動ドアは比較的早い速度で開いた。

 「もしかしてあれ、こっちからじゃ開かないのか?」そう思うと同時に、矢場崎は駆け出していた。

「え?ちょ、ちょっと!」

 慌てたのはジャージの女性だ。足音がするから振り向くと、そこに矢場崎が駆け込んできたからだ。

「ちょっとストップ!矢場崎さん!ストップ!」

 俺は制止を聞かず、閉まりかけの自動ドアに片手を滑り込ませた。

 安全装置が作動し、自動ドアは再び開く。あっけにとられる女性をよそに、俺は再び開いた自動ドアをゆっくりくぐった。ドアは閉まる。

「困ります!こんなことされたら!矢場崎さん戻ってください。」

 と、女性はやや語気を強めて話す。

「先生との面会はまた明日ですよ。さあ、矢場崎さん。お願いですから。ね?」

 やけに馴れ馴れしいが、俺はお前なんて知らない。見たこともない。ましてや頼まれる義理もない。

「お前は何だ?馴れ馴れしいな。」

 何か妙だ。

「何言ってるんですか。さあ!」

 と、ジャージの女性は俺の手を掴む。騒ぎを聞いたのか、近くの詰所的なところから同じような意匠のジャージを着たガタイのよさそうな男と、他の女性が出てきた。俺を捕まえるつもりなのか?ここは何処なんだ?俺は何をされているんだ?

 この場所は何だ?パッと見る限り、出入り可能な場所はここの自動ドアしかない。これじゃあ閉じ込められているようなもんじゃないか。

「何だよお前。気軽に触るなよ!」

「ちょっと!」

 俺は、ジャージ女の手を振りほどき、少し距離を取った。他の二人も視界に入れる。

「いいか、俺に触るな!それと、説明しろ。何で俺はここに居るんだ。誰が連れてきた?」

 「え?」と、ジャージ女は気の抜けた声を出す。戸惑った顔をするが、その顔が俺を余計に苛立たせた。

「おい…」

「分かりました。今先生をお呼びしますから、出来たらそちらの椅子におかけ願えますか。」

 詰所から出てきた二人のうち、ガタイのいい男が答えた。

「・・・。」

 俺の前にガタイのいいジャージ男は進み出て来る。そして名札を見せた。俺はちらと名札を見る。

『北西中央総合病院 看護主任 紀野屋 陽二』

「やっぱり、病院・・・なのか?」

 入院してるのか、俺は。あれか、あの嘔吐の後倒れでもしたのだろうか。

「矢場崎さん、ここがどこか分かりますか?」

 ジャージの男に誘導されるまま、矢場崎は病院によくある長椅子に腰掛けた。

「分からないね・・・病院ってことぐらいしか。」

 そうですか。と、ジャージ男はすぐにこう答えた。

「何も心配することはありません。すぐに先生をお呼びしますので、しばらくそこにお掛けください。」

「・・・分かりました。」

 俺は何も言わずにこの場から去ってしまうべきか?いや、さっきのような自動ドアがもう無いともいえないし、監視カメラもある。妙な騒ぎは起こしたくない。仕方がない。そうして俺は、その『先生』が来るのを待った。


「お入りください。」

 数分後、俺はパソコンと幾つかの機材が置かれた小部屋に通された。部屋にはさっきの『紀野屋』と、パソコンの前に座っている白衣の男がいた。

「ああ、矢場崎さん。担当の松嵐です。とりあえず今の病状について話しますね。」

 と、医師らしき恰好の男は名札を見せて名乗った。

「病状?いや、それよりも今俺はどうなってるんですか。そもそも何でこんなところに居るんだよ。」

 と、俺は『松嵐』に尋ねる。

「分かりました。けれど、とりあえず病状説明から入るほうが分かりやすいと思います。その他の話はもう一回お話ししますので。質問はそこからと言うことで。」

 そう言うと『松嵐』はパソコンにIDと短めのパスワードを入れて電子カルテを立ち上げた。

「矢場崎さんは入院したとこのことは覚えてらっしゃる?」

 カチッ!カチッ!と、クリック音を刻み、画面に新しいウィンドウをいくつか立ち上げながら松嵐が問う。

「・・・あんまり。路地で吐いてたとこまでは覚えてるけど、それからは・・・何日寝てたんですか、俺は。」

 入院、してたらしいが、俺には病院で何かされた記憶も何もない。皆して俺のことをたばかっているようにしか思えないぐらいだ。

「あー。そうかー。そうなりますかねー。」

 と、モニタを見ながら『松嵐』はなんともつかない返事をした。

「まあ、最初から行きますか。」

 そう言って『松嵐』は矢場崎に振り返った。


「10月31日、三日前ですね。えー。矢場崎さんは救急車で当院のキューガイに運ばれまして。脳出血等も考えられたので採血と頭のCTをされましたが・・・」

 カチカチと『松嵐』は画面をクリックし、俺に見えるように画面を傾けた。

「ちょっとカリが低いですけど、他は問題なかったみたいですね。」

 松嵐は数字の羅列と白黒の脳の画像を画面に映す。が、俺にはそれが何を意味するのかさっぱり分からない。ただ、いくつか並んだ数字は大体が黒字で表示されているが、「血清K」と書かれた部分だけ青色で表示されていた。これが脳出血と関係があるのだろうか?

「脳出血・・・ですか?」

 と、俺は尋ねる。あの嘔吐は脳出血とかのせいなのか?矢場崎は無意識のうちに頭を触る・・・特に変わったところは無い。

「あー。いや、脳出血は無いですよ。」

 『松嵐』がマウスをドラッグすると、白黒画像が切り替わり、輪切りの画像がコマ送りで表示された。

「これね、脳のCTなんですけど、出血とかがあるとここの黒いところが白くなります。けど、そういう所見はありませんし、梗塞とかだと黒くなるんですけど、そんな所見もありませんね。」

 そう言う『松嵐』は言いつつ、画像を切り替えてゆく。矢場崎は切り替わる画像を見つつ、周囲の白い円状の所と左右二か所の白く映っているところを指差した。

「ここは?」

「ああ。そこは骨と石灰化です。石灰化は脳の中に有りますけど、まあ生理的変化によるものです。問題ないですよ。」

 と、松嵐は答えた。なら・・・頭も、血の検査も何もなかったということか?って言うか何時そんな検査がされたのかも覚えていない。

「じゃあ何が悪いんだ?っていうかそんな検査何時したんだ?頭も血も大丈夫だったって言うのに、どうして三日も経ってるんだよ!」

 訳が分からない。そもそも全部ねつ造なんじゃないか?

 最初っからそうだ。訳の分からない場所に閉じ込められてて、見覚えのない奴から気安く声を掛けられ、やった記憶のない検査の結果を出されて。何かヤバイ薬でも投与されて、意識を失ってたんじゃないのか?

「お気持ちは分かりますが、まあ、落ち着いてください。」

 と、『松嵐』は答えた。そして「まだ退院は出来ません。」と続ける。

「何故です?別に悪いところはないんだろ?もう訳が分からない。ここから出してくれ。」

 一周回って俺の疑問は戻ってきた。何故こんなとこに入院しているのかと。

 俺は『松嵐』を睨む。こいつも、そして俺の横に立っている『紀野屋』も本当に医者や看護師なのか?ドッキリかなんかじゃないのか?

ふーんと、『松嵐』は大きくため息をついた。

「率直に聞きますけど、最近記憶が飛んだり、身に覚えのないことが起こったり、言われたりしたことはありますか?」

「・・・今がそうだよ。」

 俺はいら立ちを隠せず、そう答えた。

「いえ・・・いえ、今もそうですが、これまでです。」

「これまで?」

 「そうです。」と、『松嵐』は答えた。

 記憶が飛んだ・・・知らない仕事、知らない因縁、消える時間・・・見覚えのないレシート、食べたはずのないトマト料理・・・そして、全く知らないのに馴れ馴れしいジャージ女・・・

「何なんですか?皆して俺をハメようとしてるのか・・・それとも俺、やっぱり病気かなんかなんですか?」

 すると、『松嵐』は答えた。

「矢場崎さんには『聞かない権利』と言うものもあります。」

「なんだよそれ。」

 訳が分からない。

「この病気にはかなり誤解と偏見がありまして・・・癌みたいな病気と同じように病名告知に同意がいるんです。少なくともこの病院では。」

「癌?告知?もう何なんだよ。はっきり言えよ。」

「勿論、矢場崎さんの病気は癌ではありません。けど、後のこともありまして。立ち合いとして看護師の『紀野屋』にも立ってもらってるんです。」

 ジャージの『紀野屋』が頷く。俺はさっきから見張りみたいに立つこの男が酷く不快だった。

「いいんですね?」

 何故何回も聞くんだ?俺は少々苛立っていた。さっきから脳出血かと言えば違う。癌かと言えば違うと来た。そんなに話したくないなら話さなくていいのに。もう禅問答も飽き飽きだ。

「ああ。さっさと言えよ。癌だろうがなんだろうが逃げたりなんかしない。」

 俺がそう言うと、『松嵐』は直ぐに「分かりました。」と答えた。

 勿体つけていた割に、反応はあっさりとしている。そして俺が何かを言う前に『松嵐』はさっさと話し始めてしまった。

「率直に言いますと、矢場崎さんの病名はカイリセイケンボー、そしてカイリセイドウイツセイショウガイと考えられます。」

「・・・は?」

 さっぱり分からない用語をいきなり言われても、分かる訳がないじゃないか。

「その病気って何だよ?出鱈目言ってるんじゃないだろうな?」

 そんな病気聞いたことないぞ。からかってるのか?ここのやつら皆して・・・

 すると『松嵐』はもう慣れっこだと言わんばかりにこう答えた。

「簡単に言うと、そうですね。いわゆる『二重人格』です。」

 ・・・は?


『ええ。ええ。じゃあ仕方ないね。分かりました。』

『念のため撮影させてもらってますけど、このまま良くなれば使いませんから。』

『あ、はい。分かりました。』

『まあ今のところ病状は落ち着いていますし、脳波も異常ありませんから、このまま検査が済み次第退院。通院加療に移ってもらえると思います。』

『そうですか。いやー。びっくりしました。マンガみたいで。』

『そうですね。いきなり知らない場所に飛ばされたり時間が過ぎていたら困りますもんね。』

『ええ。それになんか嫌じゃないですか。』

『嫌とは?』

『だって、あれでしょ?僕の中の別の人が「出てる」分だけ僕の寿命が浪費されてるってことでしょ?そんなの嫌じゃん。耐えられないし、気味が悪いよ。』

『そうですね。私もそう何人もこの病気の患者さんを見た訳じゃないですけど、たいていの方はそうおっしゃいますね。』

『でしょ?困るんだよねー。いきなりなんか仕事だーとか押し付けられてもサ。ぜーんぜん分かんないし。何か周りの目が痛いからテキトーに座ってるけどさ。もうやんなるの。こうパーッと遊びに行きたいよね。』

『その当たりはちょっと致し方ないところもありますが・・・まあ、社会復帰のプログラムとかもありますし、ソーシャルワーカーの方とかもチームに入ってくださっているので、一緒に治していきましょう。』

『はーい。それじゃセンセ。よろしくお願いします。』

 画面に映る映像はさらに続いて行く。

「・・・これが俺か?ホントに『俺』なのか?」

 画面にはどう見ても俺としか言いようのない男が、さっきの『松嵐』と喋っている映像が映っていた。画面に映る「男」の顔はその表情のせいかやや若く見える。だが、その顔、背格好は俺そっくり・・・いや、俺としか言いようがない。

「何なんだこいつは、クソッ!」

 画面に映る「俺」は一挙一動、歩き方、喋り方全てが俺とは異なっていた。言うなれば出来の悪いコピーを見せられているようで、酷く不快だった。

「訳がわかんねぇよ・・・こいつのせいか?」

「ご理解いただけましたか?」

 と、『松嵐』が言う。矢場崎は頭を抱える。

「俺の時間、こんな奴に盗られてたのかよ!あの時も!あの時も!全部!全部こいつのせいだ!」

 ダン!と、俺は拳をテーブルに打ち付ける。『松嵐』と『紀野屋』は俺から少し離れたところに立っているが、咎めることは無い。

 さっき俺が「二重人格」だと説明された部屋の隣で、俺は「ビデオ」を見せられていた。俺じゃない「俺」の姿を。

 「最悪だ。」と、俺は頭を抱える。

 思えば思い当ることは沢山ある。

 訳の分からない時間の飛び、受けた覚えのない納期の迫った仕事、説明のつかない同僚の態度・・・今回の入院騒動。

「なあ、先生!こいつをどうにかしてくれ!手術とかさ、何かあるんだろ!」

 俺は画面の中で不快な言葉を垂れ流し続ける「俺」を指差しながら『松嵐』に詰め寄った。『紀野屋』が一歩踏み出してきたが、『松嵐』は手でそれを制した。

「残念ですが、今のところ明らかに有効とされる治療法はありません。」

「そんな・・・じゃあ何のために入院してるんだよ!」

 どうしようもないって言うのかよ・・・もうどうすればいいんだよ・・・

「それに一つ言っておきますが・・・」

 『松嵐』は首を振りながら答えた。

「この画面に映っている『矢場崎さん』も、矢場崎さんなんですよ。」

「まずはそれを受け入れることから始めましょう。」

「何言ってんのか・・・もう分かんねぇよ。」

 矢場崎は肩を落とし、うなだれた。


スーツ姿の男がスマートフォンを片手に、交差点を歩いていく。

その髪はやや白髪交じりだが、その顔は少し幼い。若白髪だろうか?

「マンガみたいなもんじゃないよ。」

「二重人格なんて不便なもんさ。」

「え?使い分け?」

「ばかじゃねーの?そんなん出来る訳ねーだろ。いきなり変わるんだよ。」

「いや、変わるって言うか・・・そうだな、変わってる間は『死んでる』んだ。」

「え?大げさだって?」

「でも考えて見ろよ。あいつに乗っ取られてる間はさ、何もしてないのに寿命が減って行ってるんだぜ?」

「殺人だよ殺人。気付かないうちに毒を盛られてるようなもんだ。」

男は横断歩道を渡り切り、ふと車道の方を振り返った。

「え?ああ。まあな、まあ、なんとかやれてる。」

「うん。分かった。とりあえずはサ。じゃ、切るわ。"僕"も仕事あるしね。」

青の歩行者信号は点滅し、ついには赤に切り替わった。

停止していた車が動き出し、人の流れも向きを変える。当たり前のように、当たり前のことは進んでいくのだ。

男は軽く画面を拭き、スマートフォンをポケットに仕舞った。そして人ごみに紛れ、やがて見えなくなった。

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