獣と聖石と
ハレ…魔王見習い
アンヌ…シスター
ラグナ…天使
けも第八話 獣と聖石と
夜――。
酔っぱらいの男が、ヌアンの裏通りを千鳥足で歩いていた。
「はぁ~、満月がきれいだねっと」
顔を真っ赤に染めて、ふらふらと満月を眺めていた。
「これなら、オオカミ男が出てもおかしくはないな~」
あはは……と笑っている。
くすくすという忍び笑いが聞こえてきて、男は振り返った。何者かが立っていた。
「誰だぁ?お前はぁ?」
「あなたの言うように、こんな満月は気を付けた方がいい」
「なんだとぉ?」
「月の明かりが大好きなものだっているし」
それに、と付け加える。
「こんな、魔物だって潜んでいるかもしれないしね」
何者の後ろに金色の目が爛々と輝いている。その目に驚いて、男は後ずさりをする。
「な、なんだ!そいつは!」
一気に男の酔いは吹き飛んでしまった。
「これ?」
くすくすという笑い声が聞こえる。
「“獣”さ」
「ひぃ……!」
短い悲鳴をあげて、男は回れ右をして逃げ出そうとする。
「無駄だよ」
その声と同時に、“獣”が男を襲った。
次の日――。
ハレが朝起きてみると、城内が騒がしかった。何事かとハレは使用人に聞いてみた。
「昨夜、男が何者かに襲われたみたいですよ」
「襲われたって、大丈夫なのか?」
「えぇ……ただ、魔力を奪われたようで……」
そう言って使用人は言葉を濁す。
「魔力が……?」
ハレが首をかしげていると、じいの部下のロイがやってくる。
「こんな所にいらっしゃたのですね」
「どうした?」
「ハレ様。今、街が危ないので、決して街まで行かないで下さい」
「あ……襲われたって話、本当か……」
ロイは頷いている。
「魔力を奪うんだろ?」
「はい。ハレ様に何かあれば、テトラス様に何と言い訳すればよいのか……だから、行かないで下さい」
ロイが強く念を押す。ハレは、その言葉に、うっ、と呟く。
「わ、分かったよ。い、行かなければいんだろ?」
「はい。今日は、城でゆっくりして下さい」
ロイに強く言われハレはしぶしぶ自室に戻って、ベッドに寝転んだ。
――人が襲われたのか……。
ハレは、本を読みながら、先ほどの話を思い出していた。
――この街は、そんな魔力を奪う奴なんていないんだけどな。
ヌアンの街は比較的、治安がよく、そんなことをするものなんてあまり見かけない。そのために、今回の事件は何か嫌な予感がする。
最近、やたら、教会関係者がこの街に来ている。アンヌは明らかに教会の者だ。それにミルカも教会関係者だ。そうなると、彼と一緒にいたラグナも教会関係者なのかもしれない。じいの言葉を信じるわけではないが、やはり、教会関係者は何か怪しく思える。
――ま、アンヌはそんなこと考えそうにないけどな。
そう思って、ハレは再び、本に視線を落とした。
のんびりと本を読んでいる時だった。ドアをノックする音が聞こえる。ハレが返事をするとドアが開いた。やってきたのは、アンヌだった。ハレは驚いて、起き上がる。
「どうしたんだ?アンヌ」
「ハレに相談があって……」
アンヌの表情は暗い。
「相談?」
「えぇ……昨日の夜。人が襲われたって聞いたでしょう?」
「あぁ。それがどうした?」
「実は、その犯人が私、じゃないかって」
「はぁ!」
あまりに意外でハレは思わず、叫んでいた。
「なんでアンヌが……!何かの間違いだろ!」
「えぇ……教会のものだから信用できないって」
アンヌは泣いていた。大粒の涙がアンヌの頬を濡らしていた。
「そんな……!」
ハレは決意する。
そして、ハレはアンヌの側により、アンヌの肩に手を置いた。
「大丈夫だから!一緒に犯人を探そう!そして、アンヌの無実を晴らそう」
ハレの言葉にアンヌが少し笑顔を見せて、頷いた。
「うん」
ハレはアンヌを連れて、こっそりと城を抜けだした。
街に降り立つ。そこはいつもと変わらない様子で、活気に満ちていた。ハレは安心して、ホッと胸をなでおろした。
しかし、
「この厄病神!」
町の住民の誰かが、アンヌを見て叫んだ。それに、呼応するかのように、その声が広がっていく。
「なんでこの街に来たんだ!このシスターめ!」
「お前なんかが来なければよかったんだ」
人々が次々とアンヌを責め立てる。ハレは驚いた。こんなことは初めてだった。
「帰れ!教会の者なんて!」
「帰れ!」
アンヌは泣きそうだった。ハレは思わず叫んでいた。
「お前ら!何が証拠に、アンヌが悪いって言うんだ!」
ハレのその言葉に街の人々が口々にこう答える。
「そのシスターが来てから、この街は教会の者に頻繁に襲われるようになった」
「これは全部シスターのせいだ!」
彼らの答えには正当な理由というものがなかった。そこにあるのは、ただの偏見や思い込みだけだ。長年の偏見はハレが思っている以上に大きくて、それを打ち崩すのは容易ではないと、実感した。
自分を、偏見に満ちた自分を見ているようで、ハレは辛い。
強く、拳を握り締めた。
「じゃ、俺が、これがアンヌの仕業じゃないってことを証明すればいいんだな?」
住民たちがハレの言葉にざわめき出す。
「あなたは、魔王の……」
ハレはその言葉を制して、言った。
「俺が証明するから、そうしたら、アンヌを責めるのをやめろよ」
ハレの有無を言わせない言葉に住民達は黙りこむ。
「アンヌ、行こう。まずは、その襲われた人の所だ」
「えぇ……」
アンヌが頷いた。
襲われた男は街の病院に入院していた。
受付で、許可を取り、彼と面会できるようになった。
病院は割と大きい所だが、古い建物であちこちに亀裂が見える。その男の病室も長年のシミが天井に残っていた。
男は、ベッドに上半身を起こして、ぼんやりとしていた。担ぎ込まれた時は、出血もあったが、大した怪我ではなかったらしい。しかし、魔力が完全に奪われてしまっていた。そのせいか、気力が抜けてしまったようになっているそうだ。
「あの……」
ハレの声かけに、男は緩慢な動きで振り向く。
「あぁ……あんたは、誰だ……?」
男はやる気のないような声で問うた。
「俺は、ハレ、といます。こちらは、アンヌです」
ハレの紹介にアンヌが一礼をする。
「ハレ……あぁ、確か魔王の」
「はい」
「それで、そんなやつが何の用だ?」
「あなたが、昨夜、何者かに襲われた、と聞いて……」
男は、ぼんやりと天井を見上げて、ゆっくりと答える。
「確か、飲んで帰っている途中だったな……」
「それで、あなたは一体何に襲われたのですか?」
その問いに男は、ぼんやりと考え込む。
「さぁ……なんだったか……暗くて、よく分からなかったなぁ……」
襲われた時のショックでその時の様子が、混乱しているのかもしれない。そう思ってハレは男から、聞き出すのを諦めようとした。その時、
「そういえば、なんか、獣のような、そうじゃないようなものだったなぁ……けど、何か違和感があったような……」
「違和感……?」
ハレの問いに、さぁ、なんだったかな……と男は呟いた。
「……そうですか。ありがとうございます」
一礼して、ハレとアンヌは病室を出た。
病院を出て広場のベンチに座ってハレは腕を組んでいる。
「さっきの違和感ってのが気になるな……」
「えぇ……」
隣のアンヌも先ほどの話は気になっているようで、頷いている。
「しかし、あの様子じゃ、覚えてなさそうだな……」
ハレは溜息をついた。
犯人を見つけようにしても手がかりがないのでは、どうしようもできない。お手上げ状態だった。
「あ、シスターのお姉ちゃん!」
街の子どもたちが、アンヌを見つけて叫んだ。
「あら、あなたたちは……」
「お姉ちゃん大丈夫?」
子どもたちが駆け寄ってきて、口々にアンヌに声をかけている。
「大人の人たちが、みんなお姉ちゃんを悪く言っているから」
「僕たちは、そんなことないよ!だって、お姉ちゃん優しいもん」
その言葉に、アンヌの顔にうっすらと涙が見える。
「うん。ありがとう」
アンヌが微笑んで、何度も子どもたちに「ありがとう」と言っていた。
「おい、ところで、お前たちは、何か聞いてないか?」
ハレの問いかけに、子どもたちがアンヌの時と態度を変えて、答える。
「えー……さあ、知らないよ~」
明らかにハレは子どもたちに見下されている。
「お前らな……」
子どもの一人がふと思い出して口に出す。
「あ……でも、そういえば、俺のお兄ちゃんがなんか言っていたな」
「なんだ?それは?」
ハレが問うと、子どもが手を差し出す。
「なんだ?その手は……」
「教え賃。くれるよね」
「……」
子どもに足元を見られて、ハレは口の端をヒクつかせている。
「……ジュース代ぐらいでいいだろ?」
子どもがチッチと指を振る。
「それに、お菓子代とつけてくれなきゃ」
――このガキめ。
と、内心思いながら、ハレは懐から財布を出す。
「……これでいいだろ」
そして、小銭を取り出して、子どもの手に乗せる。子どもは、お金を見て、
「足りないよ」
「はぁ?」
「みんなの分も」
カチンと頭にくるが、押えて、お金を追加した。
「お兄ちゃん、昨日、裏路地で友達と遊んでいたんだ」
子どもたちは、ハレからもらったお金で早速、ジュースを買って飲んでいる。
「その時に、なんか声かけられたって」
「……誰に?」
ハレはやる気なさそうに子どもに聞き出す。
「知らない。若い人だったらしいけど、覚えてないって」
「顔も?」
「うん。全部」
その言葉に、ハレは疑問に思う。何か特徴ぐらい覚えていそうなものなのに、と。
「けど、その人が言った言葉は覚えているって」
「なんて?」
「『力が欲しくない?何でもできる力を』だって」
「え……?」
「お兄ちゃん、怖かったからいらないって言ったけど、友達の一人が欲しいって答えたんだって」
「それで……?」
ハレは真剣に話を聞いていた。
「その友達は、その人についって行っちゃた。まだ、家に戻ってないみたいだよ」
「……」
ハレは考え込む。
――“力”か……。何かきな臭いものを感じるな……。
アンヌも何か思うところがあるようで、不安そうな顔をしている。
――まさか……。
ハレは立ち上がる。
「アンヌ、俺行って確認したいことがあるんだけど……」
ハレは、アンヌとともに、宿屋に向かった。そして、ラグナの部屋をノックする。
返事が聞こえて、ラグナが顔を出した。
「あれ、君たちは……」
何の用だい?と愛想よく質問する。
「ちょっと聞きたいことがあって……」
「聞きたいこと?」
ハレは頷く。
「ラグナって、神官?」
ラグナはハレの問いに笑って答える。
「どうしてそう思うの?」
「ミルカは自分が神官だって言っていたから。ラグナもそうかと思って」
ハレの返答に、ラグナは軽く笑う。
「ミカちゃんが神官だからって、俺が神官だとも限らないよ」
ラグナの言葉にハレは言葉に詰まった。そして、困惑した。
その様子がおかしかったのか、ラグナが笑いだす。
「そんな顔しなくとも……まぁ、君の言う通り、俺は神官だよ」
「……!じゃあ、少し聞いていいか?」
「なに?」
「聖石って知ってる?」
「……何だい?それは」
ラグナは少し、間をおいて答えた。声音も心なしか、低い。
「増強剤みたいなものだよ」
ハレはラグナの変化を見過ごしてはいなかった。
「ふうん。そんな物があるんだ」
ラグナは愛想笑いを浮かべている。
「それで、それがどうしたの?」
「いや……昨夜、男の人が襲われたんだ。何者かに」
「あぁ、そうらしいね」
「もしかして、関係があるかと思って」
ハレはラグナの様子をじっと見ていた。ラグナは、軽く笑う。
「さぁ、俺はそんなこと知らないし」
「……そうか」
ハレはラグナが何か知っている、と思った。
――こちらの考えを読まれている。
きっと、ラグナは口を割らないだろうと、ハレは確信していた。おとなしくハレは引き下がろうと、アンヌに目をやったときだった。
「そうそう」
ラグナが口を開く。
「さっきの話だけど、そんなもの持っていたら、自分に使って、魔王を殺すよ」
ハレはその言葉に戦慄が走る。
「でも、そうしないってことは、何か違う考えがあるって、俺は考えるけどね」
「……」
「まぁ、まずは、その何者かの捕獲をすることだね。魔力を狙っているみたいだから、君は気を付けるんだよ」
くすくす、とラグナが笑った。
宿をでて、ハレとアンヌは大通りを歩いていた。
「あれは、絶対に怪しい」
ハレは腕を組んで、しきりにうなずいていた。
「そして、俺が魔王だってことを知っている」
「えぇ、けどラグナさんがやったていう証拠がないわ。それに、仮に、もし本当にラグナさんが犯人だとしても、どうして、助言をするようなことを……」
アンヌの言うことは確かにハレも疑問に思っていたことだ。
これでは、捕まえろと言わんばかりだ。もしくは、捕まらない自信があるのか。
ハレはううん、と唸る。
ラグナは、優しいい奴だとハレは思っていた。だから、今回のことは、ハレはラグナが犯人だと思いたくない。しかし、あの様子では、そうだとは言い切れない。
「まいったな……」
ふう、と溜息をつく。
「取り合えず、ラグナの言ったとおりに、捕獲してみるか」
夜――。
ハレは城に戻らずに、ヌアンの街をアンヌと共に張り込んでいた。
「今日も来るかな……」
ハレは空を見上げて、呟いた。満天の星空に、満月に見える月、何事もなければ城の星眺室でのんびりと仰ぐのが一番なのだが、そういうわけにもいかない。
「しばらく様子を見てみましょう」
アンヌは少し緊張した面持ちで、辺りを見渡していた。ハレとアンヌは裏路地を歩く。
「ねえ」
アンヌが口を開く。
「やっぱりラグナさんが犯人なのかな」
アンヌがぽつりと呟いた。
「……さあね」
そう言って、ハレは天を仰いだ。
グルルル……
そういう獣の唸り声が聞こえて、ハレとアンヌははっとした。
そして、振り返る。そこには、獣がハレたちを見据えていた。
「な、なんだ。あれは!」
獣は、獣とは言い切れなかった。ヒトの姿を残している。半獣、という言葉の方が当てはまるのかもしれない。
「これが……!」
獣が、ハレに跳びかかった。
ハレはとっさに剣を抜いて、それを盾にする。獣がその剣に咬みついた。
「ハレ!」
獣はハレを押し倒す。ハレは必死に獣に負けまいと押し返そうとする。
「くそ!」
ハレは押し返して、剣で獣を払う。獣は後ろに跳び、ハレを見据えていた。
「ハレ!あの獣は!」
アンヌが声を上げる。
「あの獣は、人よ!聖石の力を感じるわ!」
その言葉に、ハレははっとして獣を見た。
「ってことは、あいつから聖石を抜き取らないと……!」
ハレは剣を構えなおす。眼を閉じ、そして、深く息を吐いた。
獣が襲いかかる。ハレは、目を開き、獣を捉えた。
一瞬の出来事だった。
ハレは、獣を横一文字に斬りはらった。獣は、倒れた。
「ハレ!殺したの!」
アンヌが詰め寄る。
「殺してない!気絶してるだけだ!」
「そう……」
アンヌはほっとして、獣の傍に近づいた。そして、ひざまずき、獣に手をあてた。
「聖石を、抜くわ」
アンヌが短く何かつぶやくと、小さな聖石の欠片が獣から現れた。それは光を放っていた。その瞬間、獣は光を放ち、姿が変化していく。完全な人へと戻ったのだ。
「これは……」
その人は、まだ少年だった。教会とは縁の遠い、魔族の少年だった。
「どういうことだ……?」
ハレは信じられず、呆然とつぶやいた。
くすくす……
そんな忍び笑いが空から聞こえてきて、ハレははっと空を見上げた。屋根の上に人影が見えた。
「誰だ!」
「誰って……」
ふわりと、その影は地面に降り立った。
「お前は……!」
月の光に照らされる。その姿は、まぎれもなくラグナだった。
「ラグナ!どうして!」
ハレがラグナを糾弾する。
「どうしてって」
くすりとラグナが笑う。その背中に、六枚の翼が現れる。
「……!」
「俺が、天使だからだよ」
その言葉にハレはショックを隠しきれない。
「俺は、四大天使の一人さ。ずっと、君を狙っていたのさ」
「……まさか……ミルカも……」
ラグナが薄ら笑う。
「そうだよ」
ハレは絶句した。ラグナもミルカも、ハレは信じていた。しかし――。
やっとのことで出た言葉は、
「嘘だ……!」
ハレは、拳を握り締めた。
ラグナは笑っている。
「君がずっと気付かないから。ほんと、笑いが止まらなかったよ」
ハレは俯いている。
「今上の魔王がこんな、馬鹿だってことに」
「ラグナさん……私、信じられません……ラグナさんが天使だって……」
アンヌの表情は、暗く沈んでいた。
「……別にだますつもりはなかったんだよ。シスター。君にとばっちりを与えるつもりも」
ハレは、俯いていた。
「……ラグナ」
「何だい?魔王」
ラグナは首を傾げている。
「お前、俺が狙いだったんだろう……?」
「そうだよ」
悪びれもなくラグナは肯定する。
「じゃあ、どうして……関係ない人を巻き込んだんだ?最初から俺だけを狙えばいいだろ?」
「……それもそうだね」
「……魔族だから、勝手にしていいて思っているのか?」
その問いに、ラグナは一瞬だけ、困ったような表情をした。しかし、笑って答える。
「……そうだね」
ハレは、ラグナが許せないと思った。怒りがふつふつと湧いてくる。
「お前は最低だ!」
ハレは叫んでいた。ハレは手に持つ剣を強く握りしめる。
「絶対に許さない……!」
その言葉に、ラグナは苦笑いを浮かべていた。
「うん。そうだね」
ハレはカチンと頭にきて、ラグナに突撃した。ハレは、間合いを詰めて剣を振るう。しかし、ラグナは軽く跳んでその剣を回避した。そして、空中でラグナはハレを見据えた。
「魔王。俺はこの街にしばらく滞在する。その間に君を狙う」
その宣戦布告にハレは、目を見開いた。
「君もその間に、俺を殺すといい」
くすりと笑う。
「できるものなら、ね」
そして、ふっとラグナは消えた。
ラグナの不敵な笑みがハレの頭から離れない。
「くそっ!」
ハレは苦苦と吐き捨てた。
そろそろ序盤が終わります。