ヒトとモノ
ミルカ…神官
セシル…神子
ラグナ…セヴィケルの部下?
ジルムント…神官騎士
セヴィケル…教皇領宰相
第七話 ヒトとモノ
聖都ヴェルダン――。ここは、神殿が立ち並び、そのために白き都と呼ばれる教皇のお膝元。
ここにミルカの家もある。敬虔な神官の家系、十二の枢機卿家の一つと数えられているセリス家。その屋敷は荘厳な造りをしている。
「あんたが、少し用があるって言うから、寄ってやったんだよ」
屋敷の中。居間にて、ミルカが金髪の初老の男と会っていた。男は厳しい顔つきでミルカを見ていた。
「俺は、早くセヴィケル様に会いに行かないといけないのに」
ミルカは不機嫌そうにしている。ミルカの後ろにいるジルも、さっきからしきりに時計を見ていた。
「相変わらず気に食わない奴だ」
男も不機嫌そうに吐き捨てる。
「貴様、黒き大地の街にいたらしいな」
「それがどうした」
「わかっているだろうな」
男はミルカを卑しいものを見るかのように見下して言う。
「セヴィケル様の命令が果たせないようなら、貴様は、あそこの連中と同じだ。生きている価値すらない」
その言葉にミルカは目を細めた。そして、小さく、呟くように言った。
「分かっている」
その言葉の意味は、いつもミルカに重くのしかかる。
――生きる価値すらないモノ。
この男にとっては、ミルカはヒトではない。モノなのだ。
最愛の一人娘をミルカによって殺された。ヒトでないミルカに。それが憎悪となって向けられる。
「相変わらずだな……セリス卿は」
王宮への道を歩く時、ジルが溜息をついて呟いた。
「別に、いつものことだし」
慣れているよ。と付け加える。
――慣れている。
そんなことはないのにと思う。
慣れているなら、きっと、救いを求めたりはしていない。
ミルカは、ふっとヌアンでの出来事を思い出した。何も求めないと、行く前に誓ったはずなのに――。
今回、呼び戻された理由は分かる。
「セヴィケル様は忙しい方だから、急がないと……」
その言葉に、ミルカとジルは急ぎ足で、王宮へと向かった。
王宮――。ここは、教会の本拠地であり、教皇の住まう場所。神官たちが行き交っている。神官たちは、ミルカ達を見かけるなり、恭しく一礼する。
ここでは、ミルカ達は特殊な立場にいた。セヴィケルが統率する天使と呼ばれる者たち。ここでは、神の力を受けた偉大な者として扱われている。
しかし、影の方から声が聞こえる。
「見ろ。セリス家の。セヴィケル様のお気に入りだから、よかったものの」
「そうでなかったら、殺しているな。あんな奴。何であんな卑しい奴が」
そんな声が聞こえてきて、ミルカは不快そうに顔をゆがめた。
――ここは、息苦しい。あそこは、よかったのに。
そう思って、はっとした。まさか、そういう風に思うとは――。
ミルカはうな垂れる。
――俺にはそう思う資格はないのに。
ミルカ達は、セヴィケルの私室に向かった。
私室は豪華な造りだった。そこでセヴィケルは待っていた。丸いテーブルについて、書類を読んでいた。ミルカに気づいて、セヴィケルは笑う。
「ミルカ。おかえり」
「……ただいま、帰りました」
ミルカは気まずそうに、俯いている。セヴィケルの靴の音が聞こえる。セヴィケルがミルカに近づいて、ミルカの顎を掴み、顔を上げさせる。
「どうした?ミルカ」
「い、いえ。別に……」
「そうか……」
セヴィケルはにやりと笑う。
「ミルカ、どうして呼び戻されたか、分かっているだろうな」
「……はい」
「卑しいあの街は、どうだったか?」
「そんな、大したことありません」
「そうか。じゃあ、魔王はどうだったか?」
「どうって……」
ミルカは言葉に詰まり、黙り込む。
「あれは、お前に悪影響しか与えないからな」
「そんなこと……!」
「ない、と言いたいのか」
その言葉に、ミルカは顔を青くする。
――墓穴を掘った。
と、ひどく後悔した。
セヴィケルの手がミルカの頬に触れる。ひんやりとした、冷たい手だった。
「ミルカ、お前は何も分かっていない。あれが、お前を壊そうとしているのに」
ミルカは首を振る。
「少しは気づけるようになったとばかり思っていたが……」
「セヴィケル様……」
そう言って俯くミルカをセヴィケルは笑う。
「哀れな子だ。そうやって再び過ちを犯そうとしている」
その言葉にミルカは、涙がこぼれる。
「お前の両親を殺したのは、お前の罪のせいだと言ったはずだ。その罪を再び繰り返すならば、誰もがお前を見放す」
ミルカははっとして、セヴィケルを見る。そして、首を振る。
「それは、嫌……」
ミルカの目には大粒の涙。必死になって、セヴィケルの服を掴む。その様子に満足したセヴィケルがミルカの頭をなでる。
「ミルカ。私だけはミルカを愛している。お前は私の愛に適うものであればいい」
「……はい」
ミルカは、何とも言えない安心を感じる。
――愛している。
その言葉だけが、唯一の救いなのかもしれない。
「魔王は、それを壊そうとしている。そうなれば、お前は、私の愛には適わない」
ミルカは恐怖に顔を引きつらせ、セヴィケルにすがりつく。
「嫌……僕を見捨てないで」
涙があふれ出て止まらない。
「あぁ。分かっている」
セヴィケルは、笑っている。
「じゃあ、ミルカも分かったはずだ。奴は、敵だ、と」
ヌアン、その宿屋。
ラグナが、ベッドに腰をかけ、小さい水晶玉を見ていた。それには、人が映し出されている。
ラグナは、温和に笑っている。
「……急な用事ですね。どうしたんですか」
『少し、気になることがあって……』
「気になること?」
『あぁ……セヴィケルの奴が、ミルカを連れ戻したんだが、お前はどう思う?』
「どうって……さぁ、いつもの気まぐれでしょう」
ラグナは嘲笑を浮かべている。
『……真面目に答えろ』
その返答にラグナは、声をたてて笑う。
「あぁ、すみません……いやぁ、考えてることは一緒ですよ」
『やはりそうか……まずいな……まだ、魔王は覚醒してないのだろ?』
「えぇ、覚醒どころか、俺たちの正体すら気付いていませんよ」
その人から溜息が聞こえてくる。
『……そんなんで、大丈夫なのか、あいつ……』
「心配症ですね」
ラグナはおかしそうに笑っている。
『当然だろ……しかし、どうしたものかね……』
「取り合えずのところは、様子を見てみましょう。それからです。私も、一応、命令というものがありますからね」
面倒だけど、と付け加える。そんなラグナにその人は、呆れてこうもらす。
『……本当に、大丈夫か……いろいろと心配になってきた』
ミルカはさらにセヴィケルに何か言われ、その後の記憶がない。気付いた時には、セヴィケルのベッドの上に寝かされていた。
ぼんやりと、ミルカは天井を見た。
何かひどい喪失感を感じる。何かを忘れてしまったような。それが何かは、当然ミルカには分からない。
――何か、大事なことだったような。
そう考え込んでも、分からない。残っているのは、いいようのない不安と安堵、それを求めていた心。二度と戻っては来ない。
ミルカは起き上がった。周囲を見回してみるが誰もいない。
――セヴィケル様。
心の中でミルカはセヴィケルの名を呼んだ。ミルカの、絶対的な存在であるその名を。
「起きたようだな」
ドアが開いて、セヴィケルが現れた。
「セヴィケル様……」
「大丈夫か?」
「はい。もう大丈夫です」
ミルカは笑って見せた。その笑みにセヴィケルは頷く。
「よさそうだな……では、ミルカは再びラグナを手伝ってほしい」
「はい」
その返事にセヴィケルは、頷いた。
「そうそう……神子が、会いに来いとのことだ」
「セシル様が……?はい。分かりました。行きがけに寄っていきます」
そうして、ミルカは部屋を出た。
ミルカは、神子セシルのいる神の庭へと向かった。その謁見の間の玉座にセシルは座していた。
ミルカは一礼する。
「セヴィケル様に、セシル様が御用だと伺って参りました」
「あぁ、ミルカか……」
セシルが温和な笑みを浮かべている。
「体の方は大丈夫か?」
「はい。俺は大丈夫です」
ミルカはセシルに笑ってみせた。その様子にセシルは安心しているようだ。
「そうか……ところで」
セシルが真剣な顔つきになってミルカに問う。
「ヌアンに行ったそうだが、魔王とは会ったのか?」
「……魔王?」
ミルカは怪訝な顔をして、セシルにこう言った。
「セシル様、俺はまだ魔王とは接触しておりません」
セシルは、ただ、眉をよせ、苦い表情をしていた。
「……そうか、分かった」
「これから再び赴いて、今度こそは魔王を殺すつもりです」
「……あぁ、無理をするな」
「それでは、俺はこれで失礼いたします」
再び一礼して、ミルカは部屋を出て行った。
セシルは、イスにもたれて、目に手を当てる。
「本当に、どうしたものかね……」
思わず、涙が出そうになった。
セシルとセヴィケルは対立しています。
ミルカの素性については後々重要になってきます。